兄妹
仮想世界体験シミュレーター『フェイスオンライン』
新しく始まったこのゲームには、1億を超える人々がプレイヤーとして登録している。
彼らはこの仮想世界で見知らぬ人と出会い、成長し、戦い、時には恋をする。
この巨大なヴァーチャルリアリティの世界を管理運営しているのは、RINAと呼ばれる巨大コンピューターだ。
彼女は感情を持ち、自らの経験と発想でシステムを常に改良し続けている。
太陽に向かって葉を広げる植物や森、そこに住む虫や動物達。
自然の動植物はもちろん、女性らしさを際立たせる服や人間同士が傷つけ合う為の武器など、これらは全て彼女が用意した品々だ。
「AIは人の脳を超えた」という人がいるけれど、それは大げさではなく現実なのかもしれない。
ある日、このゲームの世界に小さなほころびが発生した。
その異変に気づいたのは管理者のRINAではなく、このゲームを遊んでいるプレイヤーの一人だった……
◇◇◇
どこにでもいる普通の高校生のハル。
彼は数十万の人々の運命を左右する救世主として、神に力を託される……
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「お兄ちゃん、おかえり!」
ハルが玄関の扉を開けると、ありさが居間のドアから顔を出した。
「ただいま」
ハルが答えるとありさがさらに身を乗り出して言った。
「ねえ、待ってたんだよ! さっそくゲームするでしょ?」
ハルとありさは仲の良い兄妹だ。
二人は小さな頃から漫画を貸し合ったり、おやつを分け合ったりして、数少ない娯楽を一緒に楽しんできた。
最近では、同じゲームにハマッて一緒にプレイしている。
「待ってなくてもよかったんだぞ。先にやってればよかったのに」
「いいのっ。だって、あんまり私ばっかりレベルが上がっちゃったら、お兄ちゃんと一緒にパーティ組めなくなっちゃうじゃない」
そう言うと、ありさは居間から出てハルの前を通り過ぎ、トントンと音をたてながら階段を駆け上がっていった。
ハルはその後を追って階段を上がると、自分の部屋に入りカバンをベットの上に投げ出した。
窮屈なブレザーを脱ぎ楽なスウェットに着替えた彼は、机の上に置かれたPCに向かって言った。
「PC起動。『フェイスオンライン』スタート」
PCの電源が入り、ゲームが起動準備を始めた。
ハルはそれに連動している『ブレインリーダー』と呼ばれるヘッドセットのような入力機器をすっぽりと頭に被ってイスに座った。
このころのPCは、キーボードやマウスと並んで、脳波を読み取る事が出来るこのような装置による入力も一般的になっていた。
傍から見られた時にカッコ悪いとか、髪型が乱れるなどと言う人もいるけれど、
ゲームのような複雑な操作を求められる場合には、考えた事をダイレクトに入力できるブレインリーダーはとても便利な入力機器なのだ。
しばらくするとモニターにはゲームの世界が映し出された。
眩しい日差しが照らしだす草原。
それは画面に映っているというよりは、まるでプレイヤーを包み込んでいるかのようだ、と言った方が正しいかもしれない。
実際、彼の意識は部屋にあるのではなくゲームの中に取り込まれているのだから。
ログインしたハルの周辺には、所々にウサギに似たモンスターが跳ね回っている。
何人かの別のプレイヤーは、それらを追いまわして狩りをしていた。
彼等は世界中のどこか別の場所に住みながら同じゲームをプレイしている。
アメリカ、イギリス、中国。
遠くに住んでいる人たちも、このゲームの中ではすぐ隣にいたりする。
握手をすればその感触さえ感じられるのだ。
この仮想世界では何かに触ったり食べたりすれば、その感覚は現実と同じような刺激としてブレインリーダーを介してプレイヤーに送られる。
今では当たり前になった技術とはいえ、不思議な感覚だ。
「お帰りなさいハル。また会えてうれしいわ」
RINAからのメッセージがチャットウインドウに表示された。
RINAというのはこのゲームの世界を管理しているコンピューターの事で、名前はその愛称だ。
「ありがとう。今日もよろしく」
ハルはRINAに答えると、近くに居るはずのありさの姿を探した。
「お兄ちゃん!」
ありさが後ろからハルの肩を叩いた。
ポンッという触れられた感覚がハルの脳に送られた。
「居たのか、ありさ」
振り返ると、可愛らしいピンクのワンピースを身に着けたありさが、とがった鼻を傾けて悪戯っぽくニコリと笑っていた。
「今日はどこに行く?」
ありさは手を後ろで組んで、左右の肩を交互にクネクネと前後運動させている。
実生活で行っているクセが、ゲームの中でも再現されていた。
この可愛らしい仕草は、彼女が意識して行っている訳ではない。
RINAが彼女の潜在意識を読み取り、その動きをキャラクターに反映させているのだ。
「今日は林の中に入ってみようか。ウサギは昨日いっぱい狩ったから、そろそろ新しい敵を探しに行ってみよう」
ハルが言い終わるとありさは
「ドロップアイテムは早いもの勝ちだからねっ」
と言って、前方に見える林に向かって小走りに駆け出した。
◇◇◇
「お兄ちゃん、これ何?」
ありさは林の中を流れる小川の一角を指差した。
「ん、なんだこれは?」
全10部の予定で書き始めました。
よろしくお付き合いくださいませ。