嚆矢濫觴
目の前の書類の山はここ数日増えるばかりで、ため息の数もその高さに比例して増えていく。明夕女子寮の自室であたしはパソコンと書類を前にただただ絶望していた。生徒会長の仕事がこんなに大変だなんて知ってたら、絶対引き受けたりしなかったのに。
ぼやいていても仕方がない、書類に手を伸ばして紙面を確認してはパソコンに文面を打ち込み、可否を決めていく。どの紙面にも書いてあることはほぼ一緒なので考える必要もなく否をつけるだけでいいのは不幸中の幸いだろうか。
「何してるの智世子?」
「見ての通り生徒会長としてのお仕事」
ルームメイトの麻池忍はお風呂上りの薄着で私の後ろに回りこんでパソコンの画面を覗き込んでくる。火照った浅黒い肌が妙に艶かしい。
「具体的にどんなことを?」
「各部の部室申請書類の整理、見てみる?」
いいながら差し出した数枚の書類に忍が目を通していく。
「明星の生徒会長は大変だねぇ、夕星はこんなのないけど」
「まぁ忍はお飾りの生徒会長だし、多分副会長とか他のメンバーの人ががんばってるわよ」
「なんと、今度お礼しとかないと」
夕星の生徒会長の決め方はなかなかに突飛だ、前年度、運動部での成績優良者の中から一人、投票で生徒会長が決定される。なんでも文武両道をアピールするためにできた制度らしいが、他の生徒会役員からしたらいい迷惑だろう。
「で、えーと、被服部とかいう部員一人の同好会に部室の使用を認めるなら、部員五十人強の我らSL同好会にも部室を……?」
「他にもいろいろあるわよ、駄菓子屋研究会とかドクペ愛好会とか美蓄部とか」
「なんかもうわけわかんない部活ばかりね、特に最後とかなにする部活なの?」
「美を蓄える部、美しいものを只管に集める部らしいけど」
「あ、そう……」
前に確か入部希望者を美しくないとか一蹴して問題になって部から同好会に格下げになったんだっけ。まぁ今はそんなことはどうでもいい。
「ここのところ毎日この手の書類がどんどん提出されて猫の手も借りたい気分なのよ」
「この被服部っていうのが一人の部活なのに部室持ってるから問題なんでしょ? 取り上げちゃえばすむ話なんじゃないの?」
「そうしたいのは山々なんだけどね」
そう、それができたらあたしだって苦労しないのだ。
帰ってきてから放り投げていた鞄を手に取りその中からひとつの白い封筒を取り出す。
「とりあえずこれを見てほしいの」
「なにこれ?」
「見ればわかるわ」
そういって忍に封筒を手渡すと彼女は躊躇なくその中身を取り出した。中から出てきたのは一枚の写真だ。
「あれ、これこないだ一緒に出かけた時の写真? キスしてるとこがばっちり綺麗に撮れてるね」
「そうね、それはもうばっちり私たちの顔が判別できるくらいにくっきりね」
そこに写っているのは確かにあたしと忍で、正直ちょっと人に見せるのは恥ずかしいレベルの写真だ。
「でもいつの間にこんなの撮ってたの」
「全身写ってるのにあたしがこんな写真取れるわけないでしょ。盗撮されたのよ」
「誰に?」
「被服部の部長」
「その人被服部じゃなくて写真部に入ったほうがいいんじゃない? 才能あると思うよ」
「そうかもね」
実際のところ彼女が撮ったのかどうかは定かではない。誰かに頼んだという可能性もあるし、この少女学区には写真狂いなる凄腕の盗撮カメラマンもいるらしいし。
「それで、この写真がどうかしたの?」
「この写真をばら撒かれたくなかったら部室をよこせって脅迫されたのよ」
今思い出しても頭が痛い。あの自由奔放で唯我独尊で有名な古河千歳が生徒会室に乗り込んできたときから嫌な予感がしていたのだ。
「ばら撒かせちゃえばいいんじゃない? 僕、智世子とのことが周りにばれるの嫌じゃない、というかむしろ知ってほしいくらいだよ? それとも智世子は嫌?」
嫌じゃない、というかむしろ堂々と付き合ってることを宣言してもいいくらいに彼女のことを好きではあるのだけれど、そういうわけにはいかない理由があるのだ。
「忍、まさか夕星の生徒会規約、忘れたわけじゃないでしょうね?」
「なにそれ?」
案の定というか、そもそも忍の事だから校則どころか生徒手帳の中身すら見たことがないのかもしれない。
「夕星女学校生徒会規約特別項、生徒会長は誰とも交際をするべからず」
「何その規約、おかしくない?」
「あたしだっておかしいとは思うけど、元々、ここが特別学区指定を受ける前の校則だしね。まだこのあたり男の人がいた頃の規則よ」
男性がこの学区内に居た頃、そんな時代があったなんてにわかには信じ難い。物心ついた頃からずっとここで育ってきたあたしには異性というもの自体がそもそも良くわからないのだが。
「じゃあ別に破ってもいいんじゃない?」
「そういうわけにもいかないでしょう、確かに昔の校則だけど、今は今で別の習慣として継がれてるのよ。夕星って他の二校と違って体育会系の色が強いでしょ? 生徒会長、つまり貴方は一種の偶像なのよ、生徒達からしてみたらね」
「なにそれ、ちゃんちゃらおかしいわ。別に辞めてもいいんだけど僕としては」
あたしも概ね同意見、明様に古臭い、今時ありえない校則だけど、だからといって忍が生徒会長を辞めることを許すわけにはいかない。
「だめよ、貴方が生徒会長をやめることは許さない」
「なんで?」
「あなた、成績が足りてないんだから内申で稼がないと進級できないでしょ。エスカレーター式のお嬢様学校で落第なんて聞いたことないくらい貴方相当成績が悪いんだからね。
あたしは、貴方といっしょに卒業したいの。それで、できれば一緒に暮らしていけたらと思ってる。だから生徒会長を辞めることは絶対に許さない」
同じ部屋で同じ時間を過ごして、一緒に泣いて笑ってきた彼女と、あたしはこの街を出て行きたい。この街の外という別の世界といっても過言ではない場所で一人で生きていくなんて、あたしにも彼女にも無理だろう。だから一番大切な人には傍に居て欲しい。
「智世子……」
お腹の辺りに抱きついてくる忍の暖かさを感じる。他人の体温、何度も感じてきた忍の体温は子供の体のように熱くて、触れ合っているだけで気持ちいい。
「もし忍が生徒会長辞めて留年するっていうなら、あたしも授業ボイコットして留年しちゃうからね」
「平日のお昼から授業サボっていちゃいちゃして過ごすのも楽しそうだね」
確かに長期休暇の時のように二人でずっと一緒にいられる時間はとても幸せで満たされた時間だろう。
「たしかに、楽しそうだけど、やっぱりあたしはずっと一緒に居たいからさ、きちんと学校くらいは卒業しときたいかな」
現実は厳しいから、できる限りの備えがあるに越したことはないだろう。
「あーもう、かわいいなぁ智世子」
「ひゃっ!?」
お腹に顔を押し付けていた忍の顔の位置が下がり、あたしのスカートの中へと顔を潜らせる。思わず変な声が出てしまった。しかしこの光景ははたからみたらなかなかにシュールではないだろうか。
「ちょっと、忍まだだめ、資料の整理がおわってなぃっ」
「智世子があんまり可愛く誘惑してくるから悪いの」
「せめてお風呂入ってからに、あたしまだ帰ってきてからそのままで」
「今更恥ずかしがるような仲じゃないでしょ?」
確かにそうなんだけど、やっぱり好きな人には一番いい状態の自分を見てもらいたいというか。
「それに僕、智世子の汗のにおい好きだよ」
「だ、だからって嗅がないでよそんなところ」
恥ずかしいけれど、忍の頭が動くたび、体に甘い痺れが走る。忍はあたし以上にあたしの体のことを知っているのだ。抵抗するだけ無駄。なんだかもう色々とどうでも良くなってくる。楽なほうへ流されていく。
「満足したら、書類整理手伝ってよね」
「うんうん」
普段は私の方が主導権を握っているのに、こういう所では忍に勝てたためしがない。
「ねぇ、智世子どうして欲しい?」
忍の熱い吐息が太股をなで、それがくすぐったくて気持ちよくて。
「思いっきり、して欲しい……」
恥ずかしいけど、そうつぶやくだけで体中が熱くなって、もう他の事なんて頭の中から消えていく。真っ白になっていく。
「それじゃ仰せのままに」
スカートから顔を出した忍と唇を重ねながら、カッターシャツのボタンを外される。あたしはされるがままに流されていく。最後に残った理性が今日は徹夜だろうなという冷静な分析をはじき出して、消えていった。
忍にされるがままに付き合っているうちに気がつけば日を跨いでいた、当然書類整理はまったく進んでいない。
「もう一時回ってるし、どうするればいいのよこれ……」
「期日は?」
「特に決まってないけど、これから文化祭の季節だし、他の書類は全部片付けとかないと不味いわ」
「でも根本的な解決手段ないんでしょ? どうするの?」
確かにそうなのだ、被服部から部室を取り上げないかぎり何度も同じ部室要求の書類が提出される可能性は否定できない。
「一応被服部の部長が、文化祭で他の部活を認めさせるっていってるけど」
「なんとかできるの?」
「さぁ? 正直わからないわ。でもこっちから打つ手はないし、信じてみるしかないでしょ」
たった一人の部活で、文化祭を使って他の有象無象の同好会を黙らせるというのは普通に考えれば無理だろう。ただ、なぜだかあの自信たっぷりの表情を思い出すと、無理だと言い切ることはできなかった。
「そっか、じゃあ僕も一応がんばってみとこうかな」
「何を?」
「古臭いしきたりをなんとかして変えられないかなって。僕、胸を張って智世子と付き合ってるって言いたいから」
まっすぐな忍の言葉に思わず耳まで赤くなる。でもそんな顔の火照りに、幸せを感じる。布団を被ってしばらくの間そんな熱を感じている。
「あたしも、忍とのことちゃんと好きだっていえるようになったらいいなって思うよ」
つっかえながらもなんとか口に出した本心は、静かな吐息を漏らす彼女の耳には届かなかった。
少しだけホッとしたような、残念なような。
とりあえずやれる限りはやっておこうと、あたしは静かにパソコンへと向かう。忍じゃ頼りないから、あたしが支えられるようにきちんとした成績で卒業して、いい仕事に就いて将来への不安はできるだけなくしておかないとね。
きっと家の助けは借りられないだろうから。
結局昨日はあれ以上書類整理は進まず、今日また持ち帰っても二の舞になりそうな気がして、放課後、おとなしく生徒会室で黙々と作業をこなしていた。
ようやく書類の山が半分なくなったところで生徒会室の扉がノックされた。
「どうぞ」
作業の手を止めずに軽い気持ちで来客を招きいれたことを後悔する。扉を開けて入ってきたのは、件の生徒、古河千歳だったからだ。
正直、当分は顔を拝みたくなかったのだけれど、もう招き入れてしまったからにはしょうがない、こちらは大人しく従わざるを得ないのだから。
「生徒会長、さすがにそんな露骨に嫌な顔されるといくら私でも傷つくわよ」
「疫病神を喜んで迎え入れる人がどこにいるってのよ」
「たとえ疫病神だとしても態度に出さないのが大人ってものですよ」
「生憎とあたしはまだ十七歳なの。それで何の用なの? もう厄介ごとはごめんよ」
「通すには少々厄介かもしれないですけど、これが上手くいけば一連の悩みは解決すると思います」
そう言うと彼女は一枚の書類をあたしの机の上へと置いた。手にとって見るとそれは、間近に控えた文化祭の申請用書類だった。
「認めさせるって、文化祭の出し物でってことだったのね……でも、さすがにこの要求は無茶じゃないかしら」
受け取った書類は会場申請用の書類で、そこに書かれているのは、この少女学区内でももっとも広く、人を入れられる箱、天津星学園のコンサートホールの名前だった。
当然文化祭の出し物でこの場所を希望する人は多い、毎回倍率は十倍どころでは済まない。そんな場所をたった部員一人の部活に許可を通すなんて事は。
「一時間は要りません、三十分でいいんです」
「そうは言っても、ここは希望が多すぎて確約できないわよ」
「競合する他の希望者との話し合いの時間さえ作ってもらえればそれで結構です」
自信たっぷりに言う彼女の姿からなんとなく、話し合いという名のろくでもないことをするんだろうなと感づく。まぁそっちで解決してくれるというなら、こちらとしては楽ができていい。去年副会長でこの案件に関わった時は希望者同士の血で血を洗う争奪戦に巻き込まれずいぶんと疲弊したのだ。
「わかったわ、とりあえず申請は受理しておく」
「ありがとうございます。それさえやってもらえればもうこっちから要求することはないんで安心してもらっていいです」
「大口叩いたんだから、きっちり成功させてね。これで失敗して尻拭いまでしろなんていわれてもあたしには無理よ」
「ご心配なく、それじゃぁまた近いうちに打ち合わせでも」
そういうと彼女は意気揚々と出て行った。なんとなく彼女のやろうとしていることは想像がつくけれど、果たしてその程度のことで他の同好会が黙るのかといわれると正直信じ難い。
とはいえ、なるようにしかならないだろう。あたしはただ、その時が来るのを待つだけだ。
少女学区の一年の中でもっとも活気の溢れる十一月、街をあげて全校合同で行われる文化祭、大金星祭。今年はいったいどんな祭りになるのだろうか。
去年はあまりの忙しさにあまり楽しむことはできなかったけど、今年は忍と一緒に回れたらいいなとそんな希望を抱きながら、私はパソコンへと向かう。先ほど受け取った申請に、可の文字を、期待をこめて打ち込んだ。
第九話、なんか説明回チックになってしまったような。
本当は一話あたり七千字くらい書きたいんですが、ここのところシーン数の少ない話ばかりなせいか七千字に満たない話が多くなってます。
次は記念すべき第十話ってことで不足分補える長い話が書ければなと思います。