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少女学区  作者: uka
6/26

乳母日傘

 秋と言えば読書の秋。

 夏のしつこい暑さもようやく陰りを見せて、春に比べればほんの短い、すごしやすい秋がやってきた。柔らかな日差しとそよぐ風が心地いいこの季節に教室の机に噛り付いて勉強だなんてもったいない。

 中庭の木々のざわめきに誘われて、誰にも見つからないように一番奥の木陰に腰かけ、本を広げて読みふける。こもれびの優しい光が、髪を揺らす緩やかな風がとても心地いい。

 時間を忘れてただ文字を追っていく。授業中の中庭は驚くほど静かでだれもやってこない。まるでこの世界に私一人だけになってしまったかのような錯覚に襲われる。そんな考えが頭に思い浮かんだのは今読んでいる本のせいだろうか。

 たった一人の世界で暮らす記憶のない少女。ただ少女が普通の日常を過ごす様を書いているだけの話なのに、他に誰もいないと言うだけで随分と不気味に感じられる。

 本を読み終えて閉じたところで、ちょうど四時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。お腹もすいてきた所だし、食堂で昼食にしよう。秋といえば食欲の秋だし、今日は少し豪勢にいこうか。

 腰を上げて中庭から校内に戻ろうとして、厄介な人物と鉢合わせてしまった。

 古風なおさげに黒縁のメガネ、指定のセーラー服の袖口に輝く委員長の腕章。彼女こそ我が仇敵、委員長である。

 相手は最初からこちらに気付いていたようで、メガネの奥の瞳を爛々と輝かせ、威圧的な靴音を響かせて近づいてきた。

「古河さんちょうどいいところに、貴方今までどこで何をしていたのかしら」

「ちょっと体調が悪くて保健室で休んでいたの」

「嘘おっしゃい。保健室にはもう確認済みよ。さぁどこで何をしていたのかはっきりと言ってもらいましょうか」

 早口にまくし立てるように喋るのは彼女が怒っているときの癖だ。普段は聞き取りやすいハキハキとした声で喋る彼女だが、この時ばかりは早口でかん高い声になり耳に痛い。これは早々に退散する算段を立てたほうがいいかもしれない。

「落ち着きなさいよ委員長。あんまりカッカしてると血圧上がるわよ」

「誰のせいだと思っているのかしら。貴方が授業をサボると私が先生に小言を言われるの。わかる?」

「先生も私に言えばいいのに、なぜ委員長に言うのかしら」

「貴方がそういう態度で一切話を聞かないからでしょう!」

「なるほど、納得がいったわ。めでたしめでたしね、それじゃ委員長またね」

「なにがめでたしめでたしよ。なにひとつめでたくないしまだ話は終わってないわよ」

 上手く煙に巻いたとおもったが一筋縄ではいかないらしい。しかしここで観念して彼女に洗いざらい話そうものならそのまま職員室まで連れて行かれてお昼の時間がなくなってしまうのは目に見えている。

 委員長には悪いけれどこの場は逃げるほうが懸命そうだ。

「委員長、靴紐ほどけてるわ」

「ごめんなさい古河さん、私生まれてこの方、靴紐の必要な靴を履いたことがないの」

 ニコリと微笑む委員長はさすが良家のお嬢様といったところだろうか。スニーカーくらい履けばいいものを、私も履いた事ないけど。しかしこうなれば残る手は一つしかない。

「三十六計逃げるに如かず」

 言葉と共に委員長の脇をすり抜けて駆け出す。ロングスカートは走るのにまったく適していないけれど、委員長は運動はからっきしダメだ。負ける要素はない。ごめんね委員長、また私の代わりにこってり絞られておいて。

「待ちなさい古河さん! 校内を走ってはいけません!」

 待てと言われて待つ筈も無く、授業サボる人間が校内を走ることくらいで動じるわけも無く。走って走って、走った。

 息が切れる頃にはもうすっかり委員長の姿は見えなくなっていた。我ながらなかなかひどい仕打ちをしてしまった気がする。あとで新しく学校の前にできたケーキ屋のシュークリームでも差し入れて上げよう。ともあれ、ただでさえ空腹だったのに運動したお陰でさらにお腹が減ってしまった。木の葉を隠すなら森の中。人を隠すなら人混みの中。目的地はいうまでもなく、この時間、人で溢れる食堂以外思い浮かばなかった。


 途中で委員長と鉢合わせすることも無く無事注文を済ませ、人混みの中座る席を探す。トレーの上のメニューはいつもより多く、ホットサンドとクラブハウスサンド、それにコーヒーという組み合わせだ。少々カロリーが気になるけれど、先ほど運動したしよしとしよう。まったくもって一日で三つもの秋を堪能することになるとは思わなかった。

 来るのが少し遅れたせいか殆どの席が埋まっていて相席すら困難な状況。知り合いがいないものかとあたりをうろついているうちに、机一つ占領する一団が目に入った。あちらも私の存在に気付いたのか手を振って存在をアピールしている。

「ごきげんよう千歳」

「ごきげんよう……なんで貴方がここにいるのよ、姫子」

 テーブルの真ん中に陣取り、周りに女子生徒を侍らす、夕星の制服に身を包む彼女の名前を知らないものは、恐らくこの少女学区にはいない。

 一目見れば忘れられないその強烈な見た目、様々な少女が集まる少女学区においてもめったに見ない銀色の髪は複雑に結われ、シニョンになっている。瞳は灰色で肌は白く透けて見える血管は艶かしい。スラリと長い足に程よく肉の付いた体。同級生とは思えぬ色香に満ちた彼女は少女学区の女王と呼ばれている。

 来る物拒まずのその精神に、同性すら惹きつける魅力、そして本人自ら公言する好きなものは女の子という趣味により、彼女の周りには常に複数の女の子がついてまわっている。

 小学生時代を天津、中学時代を明星、そして今は夕星と全ての学校に所属し、少女学区中の自分を好いてくれる生徒を探して歩いては、自らのハーレムに加えるというライフワークを持っている彼女の名は一種都市伝説のようにこの町中に浸透している。

「なんでも明星に姫のことを好きな子がいるって聞いて、会いにきてみたの」

 自らを姫と呼ぶ彼女の態度はまさにお姫様そのもので、まるで御伽噺の世界から抜け出してきたかのようだ。

「まだ増えるのね、貴方達はそれでいいの?」

 姫子の周りで彼女の世話をやいている生徒達に聞いてみても彼女達は不満そうな顔一つせず頷くだけだ。

「姫だって別に、誰彼構わず手を出してるわけじゃないの。断られれば諦めるし、こういう風に沢山の人を好きなんだって事を理解してくれてる子だけよ」

「そんな体のいいこと言って、自分に都合のいい人間だけ周りに集めて置いてるだけでしょ。もはや宗教じみてるわよ」

 軽口を叩きながら姫子の顔をみて、しまった、と後悔する。彼女の顔は不機嫌そのものだった。

「千歳、その言い方はちょっとあんまりじゃない? 愛の形っていうのは人それぞれなの、他人にそれをとやかく言う権利はないわ」

「ごめん、悪かった」

「貴方じゃなかったら助走つけてぶん殴ってるところよ。まぁ立ち話もなんだし一緒にどう?」

「遠慮しておくわ、貴方たち見てるとそれだけでお腹一杯になっちゃうもの」

「そう、残念ね。姫、千歳のこと結構好きよ。身を任せてもいいとおもったらいつでも歓迎するわ」

「遠慮しとくわ」

 肩をすくめて姫子たちの席を離れる。

 どうにも初めて会った時から姫子の事は苦手だ。甘い理想を語るだけでなく、それを現実のものにするだけの器量を持ち、実行に移せる。そんな彼女の前では自分がとても小さく見えるからだろうか。

 溜息をついて、再び私は席を求めて彷徨い始める。暫く歩き回っても空いている席はみつからず、仕方なく椅子でも取ってきて壁際で食べようかとでも思いはじめた頃、四人掛けのテーブルに、ぽつんと一人だけ座っているテーブルが目に付いた。これ幸いと近づいてみれば、そこに座っていたのは見覚えのある少女。小柄な体に、だらしない服装、所狭しと並べられた大量のケーキに、あたりを汚すその姿は、確かクッキーモンスターとか呼ばれている一年生。

 あたりをぐるりと見回しても他に席もなさそうなので声をかけて相席させてもらうことにしよう。

「ここ、いいかしら?」

「どうぞ」

 抑揚の無い面倒くさそうな返事が返ってくる。彼女はチラリとこちらを一瞥した後興味なさそうに食事へと戻った。正面に座るのも気が引けたので斜め一つ前の席に陣取って周囲に視線を彷徨わせる。が、あたりに常に一緒だと言われている御付きの女の子は見当たらない。

「あなた、いつもの人は一緒じゃないの?」

「四六時中一緒なわけじゃない。園子に何か用が?」

「いや、特にないけど。単純にちょっと気になったから」

 少しだけ二人のやり取りに興味があったものの、まぁいないならいないで特に問題があるわけでもなく。いつまた委員長に見つかるとも限らないのでとりあえず食事に手を伸ばす。

 しかしまぁクッキーモンスターとはよく言ったもので、ここまで周囲を汚しながら食べると言うのはもはや一種の才能か何かじゃないだろうか。タルトの類が食べにくいのは分かるとしてもプリンは普通こぼさないと思うのだけれど。

「口とかテーブル、随分汚れてるわよ。良かったらティッシュ使う?」

 ポケットティッシュを差し出すと彼女は驚いた様に一瞬呆けた顔をさらした。

「使う……ありがとう」

 言いながら延ばしてきた手は、少し、震えていた。雑にテーブルを拭いて、口元を拭うと彼女は再び食事を再開する。すぐさまあたりはまた汚れていく。よく見れば彼女の手は先程と同じように震えていた。そのせいか酷く食事がしにくそうにみえる。

 この間初めて見かけたときは、変な子がいるなと思っただけだったけれど、こうして近くで見てみると、それだけではない、何かが見えてきそうだった。

 素材としては悪くない顔、汚れた口の周りにばかり目が行くけれど、その目元には色濃いクマがある。どこかだるげな雰囲気からしてあまり眠れていないのだろうか。

 もったいないなと思う。磨けば必ず光る素質を彼女は持っている。クマはメイクでごまかすとして、可愛らしい服を着て、猫背を強制し、礼儀作法をきちんとできれば、引く手数多の少女にもなれるだろうに。

 彼女がイチゴのタルトに苦戦している間に、私のほうの食事は大方すんでいた、ゆっくりとコーヒーに口を付けながらお腹をさする。やがて、彼女のほうも食事を終えて、あたりを片付けて口周りの汚れを拭くと、ポケットティッシュの中身は全てなくなっていた。ばつの悪そうな顔で彼女は口を開く。

「ごめんなさい」

「別にいいわよ、ティッシュくらい」

 先程までの余り感情の感じられなかった表情とはうってかわって、何かを恐れるような彼女の態度は余りにも極端で、なんだかむしろこっちが謝らなければいけない気がしてくる。

 彼女をみているとなんだかとても不安定で、心配になってくる。あの御付きの子が世話を焼くのもなんとなく分かる気がする。噂で聞いていたイメージだとわがままで御つきの子を困らせる憎たらしい子供みたいなのを想像していたのだけれど。そのあたりには何か事情があるように思える。

 そうしてこうやって目の前にすると、人を引きつける魅力のような物を感じた。小動物的というか、世話を焼きたくなる。

 コーヒーを飲み干したところで、例の御付きの子がトレーを持ってやってきた。心なしか、クッキーモンスターの表情が幾分和らいだように見える。

「遅れてごめんね綾。こちらはどちら様?」

「ちょっと席が空いてなかったからご一緒させてもらったの」

 綾と呼ばれた少女がカクンと首を縦に振った。

「綾が迷惑とかかけませんでしたか?」

「そんなことないわよ。大丈夫」

 そう答えると彼女はほっと息をついた。よほど彼女のことが心配らしい。

「この子、食べ方があんなだから、席が一緒だと嫌がる人も多いんです。今日はなんだか綺麗だけど」

「その人に、ティッシュもらったから」

「それは、お手数をおかけしました」

「別にそんなにたいしたことじゃないから」

 わざわざ礼儀正しく頭を下げる彼女に面食らいながら、ふと視界の端を委員長が横切ったのが見えた。トレーを持っていたから恐らく私を探しに来たのではなく食事なんだろうけれど、どの道見つかったら厄介だ。お昼も済ませたしそろそろお暇することにしよう。

「さて、それじゃそろそろ私はいくわね。席ありがとう」

「名前」

 トレー片手に立ち上がったところで、あたりの喧騒に消えてしまいそうな、小さな掠れた声が聞こえた。

「貴方の名前聞いてない」

 言われてみれば、こちらは相手のことを噂程度に知っていたから軽い態度で接していたけれど、初対面だったことを思い出す。

「二年の古河千歳、被服部の部長をしてるわ」

「宮戸綾」

「瀬名園子です。被服部なんてありましたっけ?」

「今は私しかいないから同好会扱いなのよ。だから部活動の紹介とかにはのってないの」

「なるほど」

「それじゃちょっと急いでるから、また今度機会があったらご一緒しましょう」

「はい、こんどは是非ゆっくり」

「また」

 二人に背を向けて早足でその場を去る。

 あの二人の組み合わせは中々面白いものがある。私と同じようにわざわざ転入してきたということはそれなりに事情もあるのだろう。それはなんとなく宮戸さんの態度からも知れた。それを詮索する気はないけれど。

 少しだけ彼女達のことが気になっていた、昔好きだった人によく宮戸さんがよく似ていたから。


 お昼を食べた後はどうにも眠くなって中庭で昼寝を敢行し、結局今日は朝から放課後まで授業をサボり倒した。明日は朝から委員長が五月蝿そうだし、帰りに新しくできたケーキ屋でお詫びの品の一つでも買っておこうと校門を出たところで、宮戸さんが一人佇んでいるのが目に映った。

 あたりに瀬名さんの姿はなく手持ち無沙汰にしているようだったので声をかけてみる。

「宮戸さん、お昼はどうも。何してるのこんな所で」

「古河さん」

 彼女は驚いた表情で私の名前を呼ぶと誰もいない辺りを見回してから言葉を続けた。

「園子を待ってるの。委員会で遅くなるっていうから」

「ふぅん、仲がいいのね」

「別に、それほどでも」

 素っ気なく返すのは照れ隠しなのか、本当にその程度の仲なのか、今の私にはまだよくわからない。

「瀬名さんは何の委員なの?」

「環境美化です」

 名前を聞いて軽く目眩がする。環境美化委員と言えばこの明星で一番なってはいけない委員、堂々の一位を飾るとても時間を食われる委員なのだ。ゴミ捨て、花壇の水やり、休日、放課後のボランティア活動への参加、教室の清掃。仕事は多岐にわたり時間の拘束も長い。確か今日は校内清掃の日だからまだ暫く時間がかかるはずだ。

「そしたらあと一時間くらいかかるけど、待ってろって言われたの?」

「先に帰っててもいいっていわれましたけど。なんとなく、まとうと思って」

 呟く彼女は寂しげな顔をしていた。いつもは二人で歩く道を一人で行く寂しさは私も知らないわけではない。ただこうして待っているだけというのも暇だろうと、一つ提案をしてみる。

「だったら時間まで一緒にお茶でもどうかしら? すぐそこに新しくできたケーキ屋があるらしいんだけど」

 ケーキ屋という単語を聞いた彼女は一瞬顔を明るくし、そのあとすぐに顔を青くし、そのまま固まってしまった。

「ダメなら、無理にといわないけれど」

「いえ、いきます」

 顔は青く、答える声は震えていたけれど、彼女ははっきりとそう答えた。

「そう、よかったわ、一人じゃ入りづらいと思ってたのよ」

 一人で入りづらいというのは嘘だけれども、まぁ少しでも彼女の緊張が解れればとそう言った。お昼の時から薄々感じ取ってはいたけれど、どうやら宮戸さんは人と接するのが苦手なようだ。だから平気そうな瀬名さんがいつも一緒にいるのだろう。

 二人して並んで歩き出すと彼女の小ささに驚かされる。身長差もさることながら、とにかく華奢なのがよくわかる。何かの拍子に簡単に壊れてしまいそうな、そんな印象をうける。さらに猫背気味なこともあってますますその小ささに拍車がかかっている。

「背筋を伸ばして歩いたほうがいいわよ。あなた素材がいいんだから磨かないともったいないわ」

「からかわないでください」

「からかってなんかないわ。なんなら神様に誓ってもいい」

「神様なんていやしませんよ」

 そう言った彼女の顔は今まで見てきたどんな表情よりも無機質で、無表情だった。


 程なくして私達はケーキ屋についた。素朴なつくりの店で店内に一歩踏み込むと甘い香が漂ってきて、少し気分が悪くなる。甘味が苦手な私にはなかなかハードルの高い店だ。店内にはそのまま飲食できるスペースがありそれなりに人が入っている。

「私が誘ったんだから奢るから、好きなもの好きなだけ頼んでいいわよ」

 そんな私の声が宮戸さんの耳に届いているのかどうか少し怪しい。彼女は店に入るなり目を輝かせてショーケースの中のケーキたちに釘付けになっている。よほど甘い物には目が無いらしい。

 一通り眺めた後、席について店員に注文を告げる。私はコーヒーとケーク・サレを注文する。甘味がダメな私がわざわざこの店に来たのはこのケーク・サレがなにやら美味しいと聞いたので少し興味があったからだ。宮戸さんは意外なことにチョコレートタルト一つだけ頼んだ。

「それだけでいいの? 遠慮しなくていいわよ」

「いえ、大丈夫です」

「そう? 何か食べたくなったら遠慮なくいってね」

 小さく頷く彼女はショーケースの前にいた時とは一転、借りてきた猫のように大人しくなっている。一目見て顔色が悪くなっているのがわかる。周りに人が大勢いるここにつれて来たのは失敗だったかもしれない。

 それほど間を持たずに注文した品と伝票がテーブルの上に並ぶ。コーヒーから漂う香りが甘ったるいにおいに麻痺した嗅覚を取り戻させてくれる。

 ケーク・サレは値段の割りに量は少ない物の味は評判どおりなかなかの物だった。宮戸さんもタルトに満足しているのか顔が綻んでいる。普段が無愛想で無表情な分些細な変化がわかりやすく、なかなか見ていて飽きない子だ。お昼の時と変らず、タルト生地をあたりに撒き散らしたりしているけれど、それは後から片付ければいいだろう。

 食器の音と辺りの喧騒だけが聞こえていた。聞きたい事はいくつかあったけれど、今日あったばかりの私が聞いてはいけないことのような気がして、他の話題を探しているうちに、宮戸さんのほうが口を開いた。

「なんで私を誘ったんですか?」

「ちょうど貴方が暇そうにしてたのと、少し興味があったから」

「興味?」

「私が聞いてた噂だと瀬名さんのことばっかりでね、貴方のことと言えば瀬名さんに世話される、憎たらしい子、みたいな話しか聞かなかったんだけど。実際こうして話し、貴方のことをこの目で見て、噂話とは違う、貴方のことをもっと知ってみたいって思ったの」

 その言葉に嘘は無かった。

 彼女は食事の手を止めて、じっと私の目を見つめていた。彼女の深く黒い瞳をもっと近くで覗き込んだら、きっと私の姿が映りこんでいることだろう。そして今の私の瞳にも。

「嫌だったらはっきりそういって。別に貴方を困らせたいわけじゃないから」

「別に、嫌じゃない」

「そう、それは良かった」

 コーヒーに口を付ける。少し冷めた温いコーヒーは驚くほど美味しくない。この店で頼むのは次から紅茶にしよう。いつの間にやら口の端もチョコレートで汚し始めた彼女に昼間と同じようにポケットティッシュを差し出す。

「また汚れてるわよ」

「ありがとう……」

「それ食べ終わったら、ケーキもう二つ選んでおいてね。帰ったら瀬名さんと一緒に食べるといいわ」

「さすがにそこまでは」

「先輩はね後輩に奢って威厳ってものを見せなきゃいけないの。私に恥をかかせたくなかったらちゃんと選んでおいて」

「はい……」

 声色こそ渋々といった感じだが、表情のほうは嬉しそうだった。なんとも現金な子である。自然と苦笑が漏れる。

 噂話や、外見からはわからないけれど、こうしてみれば年相応の可愛い子だと

そう思った。


「それじゃ、またね」

「また」

 ケーキ屋の前で別れ、彼女の姿が見えなくなってから私は再び店へと戻る。店員がギョッとしながらも席へ案内しようとするのを丁寧にお断りして、一番奥の席へと歩いていく。

 そこにはここにいるはずの無い、見覚えのある顔があった。

「どうも瀬名さん、奇遇ね」

「ええ、奇遇ですね古河先輩」

 瀬名さんの正面の席へと腰かけて先程の教訓を早速生かして紅茶を注文する。

「古河先輩一体どういうつもりなんですか?

「何が?」

「綾をこんな所に誘ったりして」

「何か問題があった?」

「綾は他人が苦手なんです、こういう所へ連れて来るのはやめて貰えませんか?」

「そうね、確かに彼女、顔色が悪かったわ、次からは気をつけるわ。でも彼女。嫌そうではなかったわ」 

「それは……」

「余り過保護すぎるのもどうかしらね」

 私がそういうと瀬名さんは言い方が癇に障ったのか語気を荒げて言い返してきた。

「兎も角、余り綾に構わないでください、今少しずつ良くなってるところなんです」

「まぁあ善処するわ」

 そう答えると瀬名さんは目つきを鋭くして睨みつけてくる。視線だけで小動物を殺せそうな視線だ。ただ私は割と大型な動物なので肩をすくめてとぼけて見せた。

「ふざけた人ですね」

「よく言われるわ」

 伝票を持って彼女は席を立つ。

 入れ替わるように店員が紅茶を運んでくる、香からして安物だとすぐに分かる。店員もなにやら不穏な空気を察知したのか何も言わずに伝票と紅茶を置いてすぐに去っていく。見下ろす彼女の視線と見上げる私の視線が静かにぶつかる。漫画やアニメなら中間地点で火花が散っていることだろう。

 先に目を反らしたのは彼女だった。

「それじゃあ私はこれで、寮で晩御飯の手伝いをしなければいけないので」

「そう、それじゃあまたね」

「ええ、また」

 毅然として去っていく彼女を見送ってため息を一つ。なんだか面倒臭いことになってきた気がする。彼女達の事情に首を突っ込んだ私が悪いんだろうけどどうしても昔のことを思い出してそのままにしておけなかった。

 二人とも悪い子ではない。ただあのままではいけない気がするのだ。

 紅茶に口を付ける。

 不味いなと、そう思った。

随分間が空いてしまいましたが六話の更新になります。

過去の話の改稿のほうはとりあえず誤字脱字の修正だけなので既に読まれた方は特に読み返す必要は無いと思います。

今回でようやくほんの少し本筋が進み話が見えてきたと思います。

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