君子豹変
明星女子学院の学生食堂は放課後になるとそれなりに込み合う。部活前の腹ごしらえや、友人と甘味を食べながらのお喋り等、集まる人も目的も様々。私はその学生食堂の隅っこで、唯一無二なる親友、古河千歳とテーブルを挟み顔を向かい合わせている。
彼女は片手に小説、片手にポテトを持ち優雅にポテトを食べながら読書をしている。
緩くウェーブした腰ほどまである茶色い髪、見るものを魅了する大きな茶色い瞳に、黒いロングスカートに白いシンプルなブラウスという、周りからあからさまに浮いた私服姿。それらが相まってまるで一枚の写真のように決まっているが、寧ろそれが気に食わない。
「千歳、私の話聞いていまして?」
「聞いてるわよ、それで、なんだったかしら」
本のページに目を落としたまま、あからさまに聞く気のない千歳の姿に流石の私も怒りが込み上げて来る。
「ほら見なさい聞いてなかったんじゃないですの! とりあえず本を閉じなさい! 人と話す時は目を合わせなさいな、今時小学生でも知ってますわよ!」
「だって貴方の悩み事なんて興味ないわ」
「興味があろうが無かろうが人が相談してるんだから聞きなさいな! そのフィッシュアンドチップスだって私が代金払ってあげてるんですから少しは真剣になって欲しいわ!」
「わかったわよ、とりあえず怒鳴らないで、周りの目が痛いわ」
「誰のせいだと……!」
さらに怒鳴りそうになって周りの視線の痛さに仕方なく席に付く。いけませんわ、私としたことが。気を取り直して咳払いをしてから本題を切り出す。
「実は私、先日告白を受けましたの」
「ふぅん、おめでとう、式はいつかしら」
「日本で同性結婚は無理ですし、そもそもまだ付き合ってもいませんわ」
そう答えるとようやく話に興味を持ち始めたのか、明後日の方向を向いていた千歳が正面を向いて椅子に座りなおした。
「付き合ってないの? もったいない、貴方に告白してくる物好きなんてこれから先現れるかどうか」
「それは仕方のないことですわ、この高貴な私にはそれ相応のレベルの相手でないとお付き合いできませんもの」
皆、余りにも私のレベルが高すぎて遠ざかってしまう。お陰で友達と呼べるのは千歳だけだ。
「ああそう、それで? 結局なんなの?」
「そうですね本題に入りましょうか。私、正直なんと返事をしていいのかわからないんですの」
「難しく考えなくてもいいじゃないの。相手の子、可愛いの?」
「ええ、清楚でお淑やかな可愛い後輩でしたわ」
「じゃあいいじゃないOK出しちゃえば」
「相手の方の事、よくわかりもしないんですのよ?」
「普通そんなものでしょ、付き合ってから知っていけばいいじゃない」
「普通と言われても、私交際経験なんて皆無で一体どうしたらいいのやら」
「誰でも初めてってのはあるのよ。苦い思いをするか、良い思いをするかは人それぞれだけどね」
ポテトでこちらを指しながらそんな格好つけた顔をされても正直困る。
「それはそうですけど、この私が恋愛経験が無いだなんて相手に知られたらと思うと」
「その無駄に高いプライドいい加減すてたら? 生きにくいでしょ?」
呆れたような物言いにむっとするものの、多少なりとも自覚はある。しかしだからといってすぐすぐ矯正できるものでもない。
「そんなこと言われても、子供の頃からの性格ですもの。そうそう直りませんわ」
「まぁべつに良いんだけどね。それで結局梓はどうしたいの? どうなりたいの?」
言われて考えてみれば、どうしたいのか、どうなりたいのか、よくわからない。なんと返事をすればいいのか、表面的なことばかり考えていた。さすが私が選んだ親友は冷静で頼りになる。
目を瞑り考えてゆっくりと答えを口にする。
「私、あの子のことをもっと知ってみたいですわ」
「ならそれを伝えればいいじゃない」
「そうですわね、ありがとう千歳」
「そうと決まったら早いところ返事をしてきたら? 大体いつ告白されたの?」
言われて指折り数えてみる。たしかあれは……
「一週間前ですわ」
「一週間前って、始業式じゃないの。いくらなんでも待たせすぎよ。それで今の時間その子どこにいるの?」
「い、今からいくんですの?」
まだ心の準備ができていないし原稿を作ってのシミュレートもしていないのにいきなり本番だなんて余りにも急ぎすぎではないしら。
「当たり前でしょう。それに時間が経てば経つほど言い出しにくくなるわよ」
「し、しかたありませんわね。彼女図書委員でしたから多分この時間は図書館にいると思うのですけど」
「そう、じゃあ頑張ってきなさい」
「私に一人でいけと?」
「告白の返事に他人がいるほうがおかしいでしょう」
「一人で行けるわけが無いでしょう!」
常識的に考えて恥ずかしさで憤死してしまう。
「貴方プライドがあるのか無いのかどっちなのよ……」
「今はそんなことはどうでもいいんですの。決めたからにはいきましょう」
ガッチリと千歳の手首を掴んで立ち上がる。
「拒否権は?」
「ありませんわ」
親友の深いため息を耳にしながら二人して食堂を後にした。
放課後の図書館は先ほどまでいた学生食堂とは打って変わって人は少なく、また誰もが静かに自らの作業に勤しんでいる。図書室、ではなく図書館と呼ぶに相応しい明星の図書館は三階建ての建物が渡り廊下で校舎と繋がっている。
私と千歳はその渡り廊下の柱の影からこっそりと図書館の中を覗いていた。
「ねぇ千歳。私達はなぜ隠れているのでしょうか」
「気分よ。まぁそんな些細なことはどうでもいいのよ。それでどの子なの?」
「あの子ですわ」
言いながら私は貸し出しカウンターの中で本を読む一人の女生徒を指差す。まだあどけなさののこる可愛らしい顔。左右の高い位置で括った二房の髪の毛が印象的だ
「あら、本当に可愛い子じゃない。梓にはもったいないわね」
「あげませんわよ」
「心配しないでもよこどりなんてしないわよ。それじゃ行きましょう」
「まだ心の準備が」
「そんなこと言ってると明日の朝になっちゃうわ。いいからはやく行く」
先程とは逆に今度は私が千歳に手を引かれ図書館へとぐいぐい引っ張られていく。抗議の声を上げるまもなく彼女の前へと引きずり出された。
「御手洗先輩」
「あ、あら奇遇ですわね武田さん」
なんとか笑みと平静を装って返事を返すもののそこで会話が途切れる。私なにか間違えたかしら。どうしていいものかわからずすがる様に千歳のほうを見つめる。
「こんにちは、えーと武田さん、でいいのかしら?」
「はい、武田美緒といいます」
「武田美緒さんね。私は古河千歳。一応梓の友達」
一応の部分に突っ込みを入れたかったものの、あまりの緊張に喉がからからで言葉が出てこない。
「はぁ、それで御手洗先輩のお友達がわたしに何か用が?」
「用があるのは私じゃなくて梓のほうね。彼女こう見えてプレッシャーとか緊張にめっぽう弱いの、だからどうしても付いてきて欲しいって言われてね」
「ちょ、ちょっと千歳余計なことまで言わなくていいのよ!」
思わず周囲の状況も忘れて怒鳴ってしまい、先ほどの食堂の何倍もの冷たい視線に晒され、仕方なく頭を下げる。屈辱ですわ。
「御手洗先輩。図書館なのでお静かに」
「そうよ梓TPOを弁えなさい」
「元をただせば貴方が原因でしょうにまったく……」
「まぁ細かいことはいいから早く要件を済ましちゃいなさいよ」
言われて、きちんと声が出せるようになっているのに気付いた。いつもの千歳との他愛の無いやり取りに緊張はすっかり解れていた。
「武田さん先日の告白、私とても嬉しかったわ。貴方のこともっと知りたくなった。だからこんな私でよければ付き合っていただけるかしら」
軽く頭を下げると、武田さんは余り感情を表に出さない顔を真っ赤に染めて背筋を伸ばしてこちらを向いていた。
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
その様子がとても可愛らしくて、思わず私の顔も緩んでしまう。
「これで一件落着かしらね」
「ありがとう千歳」
「その内話聞かせてよ、それじゃあね。武田さん、梓のことよろしくね」
「はい」
最後に千歳は投げキスなんてキザで古い仕草を残して去っていった。そんな仕草すらきちんと決まっているのだから同性として羨ましい。
そうして残された私達二人はなんとなく手持ち無沙汰で見詰め合って、二人して赤くなる。
「ところで武田さんはこれからご予定はありますの?」
「今日は、あと一時間くらい図書館を開けて置かないといけないので」
「じゃあ終わるまで一緒に待っていていいかしら? その後一緒にケーキでも食べに行かない? いい紅茶を出す店があるの」
「是非!」
嬉しそうに大きな声を上げた武田さんに周囲の視線が刺さる。それによってさらに顔を赤くする彼女の姿がとても微笑ましい。
「少し静かにしていましょうか」
「そうですね」
クスクスと二人で笑いあって貸し出しカウンターの席に二人並んで腰掛ける。
先ほどまでの揺り返しのように図書館はシンと静まり返る。出て行く人は居ても入ってくる人はまったくいない。自然と意識は隣に座る武田さんへと向かう。何で私なんかを選んでくれたのか、どこが良かったのか、何が好きなのか、何が嫌いなのか、聞きたいことはたくさんある、彼女の事を知りたい。
武田さんと目が合う、それだけで頬が上気する。
私のものではない体温を膝の上に感じる。暖かく柔らかな武田さんの指先。それがゆっくりと私の太ももの上を走り始めた。思わず変な声が漏れてしまう。
「先輩、可愛い」
言われて、触れられた部分からゾクゾクと体中に痺れが走る。
「た、武田さん?」
「先輩、可愛すぎて食べちゃいたい」
抗議の声を上げるまもなく唇を塞がれた。間近に見る武田さんの顔に頭がぼーっとしてくる。私のファーストキスの味はイチゴのリップの香りがした。太ももを走る指は徐々に上を目指してゆっくりと進んでいく。思わず声が漏れてしまう。
「なんて声だしてるんですか先輩。図書館ではお静かに、ですよ」
「あ、貴方が触るから」
「先輩が嫌ならやめますけど」
言いながらも止まらない指に、感じたことのない感覚に、体が支配されていく。体中が暖かいのに、寒いときに感じる震える様なゾクゾクとした感覚が断続的に襲ってくる。
「止めないなら続けます。もっと先輩の事、教えてください」
スカートの奥へと指が走ってくる。意識が白く塗りつぶされていく。
人の溢れる昼休みの食堂。私は武田さんと一緒に昼食を食べている。武田さんは大の甘党で昼食だというのに目の前に並んでいるのはケーキだけ、子供みたいな偏食だけれど幸せそうな彼女の顔を見ていると怒る気にもなれない。
私の方は既に食事を済ませ彼女の姿を眺めながら紅茶を飲んでいる。
「先輩、あーん」
促されるまま自然に彼女の差し出したケーキを食べる。少し気恥ずかしかったけれど柱の影になっているここであれば、それ程人目に付くことは無い。口の中に広がるイチゴと生クリームの味に初めてのキスの味を思い出して少し顔が熱くなる。あの日から武田さんは私を弄ぶのにすっかり夢中になってしまい、色んな場所で私を求めてくる。私もまぁ、満更ではないのですが。
「お昼からいちゃついて、お熱いわね二人とも。隣いいかしら」
目の前が一瞬真っ暗になる。振り返ればそこにはニヤニヤとした笑みを浮かべる千歳が立っていた。確実にさきほどのあーんは見られた。
「ち、違うの今のは私、そんなはしたないことできるわけが」
「こんにちは古河先輩」
「その分だと、上手く行ってるみたいね二人とも。この子無駄にプライド高いから心配してたんだけど。武田さんに迷惑かけてない? 大丈夫?」
「そこが先輩の可愛いところじゃないですか」
「たしかに、そうかもね。よき理解者でよかったじゃない梓」
「いいから座るなら早く座りなさいよ」
話題をかえるためにそう言うとこちらの意図を汲み取ってくれたのか千歳は私の隣に腰掛ける。トレーの上に載っているのはサンドイッチとコーヒーといったシンプルな食事だった。同じ卓にある武田さんのトレーとは凄い差がある。その違いに千歳のほうもギョッとしている。
「それにしても、凄いわね武田さんの食事」
「そうですか?」
「私甘いものダメなのよね」
「珍しいですね」
「昔は大丈夫だったんだけどね。そう言えば凄いといえばさっき食堂の入り口のほうでも似た様な子が居たわ」
サンドイッチに手をのばしながら千歳は言葉を続ける。
「武田さんみたいにケーキたくさん並べて食べてるんだけど、口の周りにクリームとかいっぱい付けててその都度一緒に座ってた子が綺麗にしてたわ」
「それ、クッキーモンスターとその御付きの子でしょう」
「なにそれ?」
耳の早い千歳の事だからもう知っていると思ったのに意外だ。
「古河先輩知らないんですか?」
「まぁ、高等部の一年が主流の話題ですから、私も武田さんから聞きましたし」
「どんな噂なの?」
「御付きの子の方、世話焼きな性格なのか色んなところで困っている人を助けているらしくて、それにあの長身と顔ですから、それなりに人気があるんですのよ。それに加えて二人とも転入生、噂になる要素としては十分ですわね」
「なるほど、身近な王子様ってわけね」
いつの間にやら食事を終えた千歳がコーヒーを片手に呟く。
私も紅茶に口を付ける。鼻へと抜けるにおいは甘い。
「それじゃ食べ終わったことだしお邪魔虫は退散するわね」
「別に邪魔じゃないですわよ」
「梓は良くても、武田さんには悪いから。それじゃまた」
トレーを手に千歳は去っていく。
「私達もそろそろ出ましょうか」
席から立ち上がろうとして、武田さんに袖口を掴まれる。
「先輩、ここで食べていいですか?」
彼女のトレーの上にもうケーキは一つもない。すぐにその言葉の意味に気付いて頬が熱くなる。
「他の場所じゃだめかしら?」
「ここがいいんです」
「絶対?」
「はい」
いつになく我が侭なのは千歳のせいだろうか。可愛らしい嫉妬に苦笑を浮かべて、私は答えを返した。
「しかたないですわね」
二人で出来るだけ多くの場所から死角になる席へと移動し唇を重ねる。
キスの香りは今日もイチゴのにおい。
紅茶より、生クリームより、甘いにおい。
私の脳を蕩けさせる、甘い甘い香り。
第五話。作中では夏休みが終わり二学期が始まりました。
今回は明津女子寮の面々から離れ、三人目の主要登場人物である千歳の登場回となりました。
本筋が遅々として進んでませんが気長にお付き合いいただけたらと思います。