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少女学区  作者: uka
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雨過天晴

 部屋に響き渡る電子音に意識が徐々にはっきりしていく。枕元の時計に目をやると九時を少し過ぎたところ。その割りに外が暗い。昨日までの晴天など嘘の様に雨が降っているようだった。どうりで肌寒いわけだ。

 未だに私を呼び続ける電話に急かされ、ベッドから身を起こす。裸のまま、というのもあれだったので、床に放り出していたシャツを一枚拾い上げ部屋を出て受話器を取った。まったく、夏休みだってのにこんな時間に電話なんて一体誰だ。

「明星女学院高等部一年、大上柚子と申します。明津女子寮管理人の長谷部さんはいらっしゃいますでしょうか?」

「大変お待たせしいたしました。明津女子寮管理人、長谷部京都です。どういったご用件でしょうか?」

「そちらの寮に空き部屋があるようなら転寮したいのですが」

「では、手続きや説明などもありますので日を改めて直接出向いて貰えないでしょうか? ご都合のよろしい日はありますでしょうか?」

「明後日、七月二十九日なら」

「では七月二十九日の午後二時からでよろしいでしょうか」

「はい、よろしくおねがいします」

「かしこまりました、失礼します」

 受話器を置いて電話の隣に置いてあるメモ帳に用件を書き記しておく。しかしこんな時期にわざわざ引越しとは珍しいことだ。雇われ大家の私にすれば寮生が増えようが減ろうが給料に変わりは無いのだから、正直人が増えるとか面倒で仕方が無い。

 欠伸をかみ殺しながらベッドに戻ると、先ほどの電話で目が覚めたのか真由理がシーツに包まりながら携帯を弄っていた。

「電話めずらしーね。なんだったの?」

「転寮手続きの電話」

「こんな時期に?」

「どうせ色恋沙汰の関係だろう。トラブルが起こらなきゃいいんだけど」

 サイドテーブルからタバコを取って火をつける。基本的に少女学区はどこも禁煙だが申請さえ通しておけば自室での喫煙くらいは認められる。それよりも問題なのはタバコの入手のしにくさの方だろう。学区内にタバコを扱っている店は一つも無いものだからわざわざ暇を見つけては隣町まで買いだめに行く必要がある。全く以って難儀な話だ。

 雨の音と、真由理の携帯を弄る音だけが部屋の中に響いていた。薄暗い部屋の中で携帯の画面に照らされた真由理の肌が白く輝いて綺麗だ。その白い肌の上を薄い茶色の髪が右に、左に揺れる様はまるで誘っているかのようだ。タバコを灰皿に押し付けて火を消す。代わりに、小さな火が私の中に灯っていた。

「真由理」

「んー?」

 携帯から目を離してこちらに顔を向けた真由理の唇を私の唇で塞ぐ。真由理は一瞬驚いた表情を見せたものの携帯を置くと答えるように私を求めてきた。

 息が続かなくなった頃にどちらとも無く離れる。真由理の顔はすっかり赤くなっている。薄暗くて確認しにくいが体の方もすこし上気しているようだった。

「京都さんタバコくさい」

「嫌だった?」

「ううん、京都さんの匂いで頭クラクラしちゃった」

 真由理の言葉に私の中の火が大きく燃え上がるのを感じる。もう一度唇を近づけて長いキスを交わした。雨音はいつしか聞こえなくなっていた。


 平日の昼間っから何をしているんだろうかと、ふとそう思うと途端にタバコが不味くなったような気がして、まだ吸い始めたばかりのタバコを揉み消す。別に今の生活に不満はない。隣で笑みを浮かべている真由理の顔を見ているだけで満たされるし、仕事も楽でそれなりの給料だって貰えている。十分に幸せな生活の筈なのに、なにかに急かされる様な、急に冷めるような感覚が襲ってくることがここの所よくある。

「もう十二時すぎかぁ、どうりでお腹がすくわけだね。適当に作るけど京都さんなにかリクエストある?」

 いつの間にかシャツを羽織った真由理がベッドから腰を上げていた。しみの無い肌や全体的に薄い毛が目に入る、私にはもうない若さが少し恨めしい。

「真由理が作るんならなんでもいい」

「じゃあ時間もないしぺペロンチーノにするね」

「時間がないって、どっか出かけるのか?」

「うん、部活でどうしても出なきゃいけないの」

「ふぅん」

 無意識に再びタバコに手が伸びる。

「寂しい?」

「馬鹿いってないで早くしないと遅れるぞ。風呂も入らないといけないだろ」

「折角京都さんのにおいが付いたのにもったいない」

「言ってろ」

 真由理の頭をわしゃわしゃと撫でてやって私も手近にあった服を羽織る。少し悩んでからジーパンにも足を通して外のポストまで朝刊を取りに行く。

 玄関を出ると相変わらず雨が降っていた。それほど強い雨ではなかったが長引きそうな嫌な雨だった。

 朝刊を片手にキッチンに戻ると大蒜とオリーブオイルの香りが部屋中に広がっていた。食欲をそそる匂いに思わずお腹が小さくなる。そう言えば朝から何もたべていなかった。

「京都さん、子供みたい」

「どーせ私は平日の昼間から仕事もしないで爛れきった生活して昼飯を高二に作らせるダメ人間だよ」

「またそうやって拗ねて。まぁそういうところも含めて可愛いよね京都さん」

「十二も上の先輩に対して可愛いってのは何かのいやみか、まったく」

 クスクスと笑う真由理に釣られて私も自然と口の端が釣りあがる。今はただこのぬるま湯のような幸せに浸っていたい。


 お昼を食べ終え車で真由理を学校まで送って部屋に戻るとちょうど電話が鳴っていた。日に二度も電話が鳴るとは珍しいことがあるものだ。仕事の電話だった面倒だなと思いながらも、放置するわけにも行かず渋々と受話器を取る。

「もしもし、京都?」

「はい、長谷部京都ですけど……って母さんか。電話なんて珍しい」

 電話越しに聞こえてきたのはもう随分と聞いてない懐かしい母の声だった。

「あんたがあまりにも連絡してこないからこっちからかけてるんでしょ。それでどうなの最近? 体壊したりとかしてない?」

「大丈夫。そんなきつい仕事してるわけじゃないから」

「ならいいんだけど。次いつ帰ってくるの?」

「ちょっとわかんない。あんまり寮空ける訳にもいかないし」

「偶には顔見せなさいよ。お父さんも心配してるから」

「うん、今年中には一回帰るよ」

 最後に帰ったのはもう二年も前だったか、父さんは元気にしているだろうか。家の事を思い出すと、急になんだか寂しくなってきた。それはあの突然襲ってくる冷めた感覚に似ていた。

「いい人とかは見つかりそうなの? そっちは男の人殆どいないんでしょ? もういい歳なんだから、いい加減将来について考えなさい。なんならお見合いの用意こっちでするけど」

 いい人といわれ、私の頭に真っ先に浮かんだのは真由理だった。

 頭を軽く振る。将来という言葉と真由理の顔が頭から離れない。急激にあの冷たい冷めたような感覚が襲ってくる。

「お見合いはいいから、まだ無理に躍起になる歳でもないし」

「まぁあんたがいいっていうなら……」

「先の事はそんなに心配しなくていいから。私なりに考えてる」

「そう、まぁ体には気をつけなさいよ。帰ってくるの待ってるから」

「うん、またねお母さん」

 受話器を置いて深く溜め息を吐く。私なりに考えている? 口からでまかせもいいところだ。先のことなんてまったく考えていなかった。いや、考えないようにしていた。

 いつまでもこんな生活続きやしないのだ。もう、あと五年で真由理はこの街を出て行く。彼女は私みたいにただこの街を出ただけの一般家庭の子供じゃなくて本物のお嬢様だ。大学部をでて卒業すればもう会う事も叶わないだろう。

 私だっていつまでもここで生活しているわけにもいかない、もう三十も手前。身を固めなければならない時期だ。ただ、男に媚を売って結婚して一緒に暮らすなんて考えただけでも反吐がでそうだ。

 冷静になろうとタバコに火をつけて一服。そうしてようやく、私は私が感じていた奇妙な冷めた感覚の正体に気付いた。私はいつか来る別れに恐れを抱いていたのだ。性別、歳の差、身分の差。余りにも障害が多すぎる。

 例えそれらを乗り越えられたとして、さらに十年後、二十年後どうなる? その先に胸を張って幸せだといえる人生があるだろうか?

 ない、だろう。きっと。

 真由理のためにも、私のためにも、決断すべきなのだろう。今更とは言え傷口は浅い方がいい。

 フローリングの床にタバコの灰がポトリと落ちる。その後を追うように私の頬を塗らした水滴が床へと落ちた。たったの五年で、私の中の真由理の存在はとてつもなく大きくなっていた。

 私がこの仕事について初めて世話することになったまだ中等部に上がったばかりの小さな女の子。慕われ、頼られる内に気付けば私の方から手を出していた。今にして思えばそれが間違いだったのだ。大人として、私が責任を取らなければならない。

 タバコの火はいつの間にか消えていた。

 どう話を切り出そうか、考えているうちに時間はどんどんと過ぎていく。気付けばいつの間にかタバコもなくなっていた。空箱を忌々しく握り締めてゴミ箱に放り込む。

 時計を見るともう真由理を迎えに行く時間になっていた。何一つ上手い切り出し方なんて思い浮かんでいなかったが、車のキーを手に部屋を出る。なるようにしかならないだろう。


「ありがと京都さん、わざわざ迎えに来てもらって」

「別にいいよ。いつものことだろ」

 真由理を助手席に乗せてガラガラの道路を走っていく。この街で車を見ることは余り無い。住民の過半数が学生のこの町で車に乗るものがそもそも珍しいからだ。例外として生徒達の足としてのバスがあるものの、それほど本数があるわけでもないので道路は常に空いている。

 そのことを今ほど恨めしく思ったことはない。明津女子寮まではもうものの数分で付いてしまう。

「京都さんそう言えばタバコは? 車運転する時はいつも吸ってるのに」

「ん、ああ、さっき切らしちまって。それより真由理」

「何?」

 一瞬だけ躊躇して、続ける。

「帰ったら、話があるんだ」

「大事な話?」

「ああ、大事な話だ」

「わかった」

 寮を出る前より強くなった雨がフロントガラスを叩く音が煩わしい。少し先の信号が赤にかわる。無意識にタバコを求めてポケットに伸ばした手は何も掴むことなくハンドルへと戻っていく。

 信号が青に変わると思い切りアクセルを踏み込む。会話の無い時間が怖くて、私は家まで思い切り車を飛ばした。


 電気をつけても薄暗い寝室。その中央のベッドにいつもの様に並んで腰掛ける。

「それで、話って何京都さん。今日私夕飯の当番だから早めに寮に戻らないと」

 何もいえないままただ私は体を真由理のほうに向けた。意味もなく拳を握っては開いてを繰り返し、沈黙に耐え切れずようやく私は口を開いた。

「真由理、私達別れよう」

「……なんで?」

「真由理もあと五年で卒業だ。そうしたらあんたもこの街を出ることになる。外の世界はここと違って同性愛には寛容じゃない。何より真由理の家はそれなりに名がある家だ。許されるわけが無い。わかるだろ、真由理」

「わかんない」

 目の前でボロボロと大粒の涙を流す真由理を抱きしめたくなる衝動をグッとこらえ、私は後を続ける。

「私はあんたの枷になりたくないんだ。私じゃあんたを幸せにはできない。だから別れよう」

 たった数年の思い出のために彼女の人生を棒に振ることは無い。これでいい。私は間違ってない。

「……馬鹿」

「え?」

「馬鹿言わないでよ京都さん! 勝手に一人で決めないでよ!」

 罵られながらベッドの上へと組み敷かれる真由理にこんなに力があるなんてしらなかった。雨のように溢れる彼女の涙が私の頬を濡らして行く。

「京都さんが私を引きずり込んだんでしょ! 責任、とってよ! 最後まで面倒見てよ!」

 胸倉を掴まれて唇が触れ合いそうなほど顔と顔が近づく。折角の綺麗な顔が泣いているせいで不細工に歪んでいる。

「私、ずっと考えてた、京都さんと一緒にいられる方法。今、私が何の勉強してるか知ってる?」

 私は黙って首を振る。

「教員免許を取るための勉強してるの。この街で、京都さんとずっと一緒に暮らせるようにって!」

 ずっと一緒に、そのために、真由理は努力を? 私は何かしただろうか、真由理のためにできることを。

「浅知恵だってわかってる。お父さんとお母さんに反対されるのだって分かってる。それでも、諦めない、好きだから。京都さんのこと好きだから」

 私は勘違いしていた。まだ間に合うだなんて。

 そんなわけ無いじゃないか。だってほら、こんなにも胸が苦しい、痛い。彼女の泣き顔を、これ以上見ていたくない。

 だから、私も諦めない。

「京都さんが私を幸せにできないなら、私が、京都さんを幸せにする! 絶対してみせる! だから私とずっと、ずっと一緒にいて!」

 強く、真由理の体を抱きしめる。まだまだ小さなその華奢な体は今にも折れてしまいそうで、少し怖い。

「ごめん、私が間違ってた」

「もう別れるって言わない?」

「言わないよ」

「ずっと、一緒にいてくれる?」

「うん、ずっと一緒」

 もう一度、ギュッと抱きしめると、真由理も抱き返してくる。なんだか気恥ずかしくて、どちらとも無く笑い出す。近くに彼女の体温を感じるだけで心が満たされる。幸せな気持ちになる。

 きっとこの先、十年先だって、二十年先だってこの気持ちは変わらない。

「私も、考えるよ、二人でずっと一緒にいられる方法」

「うん、一緒に考えよう、京都さん」


 二人してベッドの上でまどろんでいる内にいつの間にか雨は上がり、夕焼けが室内を照らしていた。

「あ、もうこんな時間。早く戻って晩御飯の支度しないと」

 そう言って立ち上がろうとする真由理の腕をつかんで、ベッドの上へと放り投げる。

「ちょっと、京都さん」

「今日は帰さない、ずっと一緒だろ?」

「夕飯の当番はどうするの?」

 むっとしながらもどこか嬉しそうな真由理の上に覆いかぶさって、携帯で寮の方へと電話をかける。

「もしもし、明津女子寮ですけど」

「あー、その声瀬名か?」

「そうですけど、長谷部さんどうかしたんですか?」

「今日は晩飯作らなくていいぞ。代わりに好きなもの出前しな、金は私持ちだ」

「なにかあったんですか?」

「ま、そんなところだ。ちょっとしたお祝いさ。全員で三万までなら目を瞑る」

「わかりました。皆に伝えときますね」

「よろしく」

 電話を切ると真由理にグッと抱き寄せられる。息のかかるほどの距離で彼女の唇が誘うように動く。

「そんな無駄使いしていいの?」

「無駄じゃない。十分有意義さ」

 携帯を放り投げて真由理の唇を奪う。息が続かなくなるまでじっくりと、私の中に灯った火を真由理にも灯すように。唇を離すとすぐさま真由理が次を求めてくる。さっきとはかわって互いの火を大きくするための激しい交わりだ。

「京都さん」

「ん?」

「好きだよ」

「私も好きだ。真由理」

 炎の勢いは衰えることを知らず、朝まで激しく燃え続けた。


 雨が上がったら上がったで、太陽はジリジリとアスファルトを焦がすほどの勢いで照り付け、蝉の声が非常に五月蝿い。部屋の隅っこから発掘してきた麦藁帽子が無ければ日射病で直に倒れてしまいそうだ。早いところ部屋に戻って冷房の効いた室内で一服しようと思っていると、ちょうど寮から出てきた木津と出くわした。

「あれ、長谷部さんがお昼からお出かけなんて珍しい」

「まーちょっと本屋に用があってな」

「へぇ、何買ってきたんです?」

「英語、フランス語、オランダ語のテキストと、カナダとオランダのガイドブックとか適当にな」

「旅行でもいくんですか?」

「まぁそんなとこだな」

 ふと、木津の服装を見て少しだけ驚く。いつもは休みの日でも制服に三つ編み、カメラの彼女が珍しく髪を解いて、私服姿、その上カメラを持っていない。あの写真狂いに一体何があったのか。

「お前こそどうしたんだその格好」

「これからデートなんですよ」

「おいおい、何の冗談だ」

「ところが冗談じゃないんですよ。それじゃ今日は多分門限過ぎても戻らないと思うので」

「ガキが色気づきやがって、気をつけていけよ」

 いつの間にあの写真狂いが恋なんてしてたのか、本当にこの年頃の子供は成長が早い。気付かないうちにどんどんと変っていく。

 本のついでに買ってきたタバコを咥え火をつけようとして、やめた。

「タバコ、やめるか」

 先の事を考えれば金が多いに越したことは無い。

 まずは何から手をつけるべきか、真由理が帰ってきたら少し相談してみよう。これから先の二人の話だし、ゆっくりときちんと、二人で決めていこう。

 一人で決めても碌な結果にならないのはもう今回で実証済みだ。

 蝉の鳴き声が耳に五月蝿い。

 だけれどこの喧騒は嫌いじゃない。

 命短し恋せよ乙女。

 もう乙女なんて歳でもないけどさ。

 一話、二話も結構雰囲気が違う感じになってましたが、勢いに乗ってかいてたら第三話はお前誰だよってレベルで違う感じの作品に仕上がってました。

 というわけで第三話は初の大人の登場です。少女学区にも大人がいるんですよというのをきちんと書いておきたかった。

 あと寮とか各学校についても作中でもっと書いていけたらなと思います。

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