青天白日
明の星特別学区。通称、少女学区は世にも珍しい少女の街。
そこで私は恋をした。
女性しかいないこの街で、同性であるところの私が。
おかしなことだと思う。
でも、気づけば、惹かれていた。
最初は別の気持ちだと思った。
けれど、あの人の事を思うと、胸が高鳴る。近くにいたいと思う。優しく髪を梳いてくれるのが気持ちよくて好きだ。彼女に可愛いといわれてドキリとする胸の鼓動すらも心地いい。
生まれて今まで恋などしたことなんてなかったのに。他人と関わることなどもうないと思っていたのに。
最初からあの人とはなぜか話すことが出来た。
触れられても平気だった。
綺麗な髪の毛が、好き。どこか飄々とした掴めない性格が好き。優しくて誠実なところが好き。自分に自信をもったその姿をかっこいいと思う。
だけれどもきっと、そんな理由は全部後付けで。たとえ今あげた要素を全て含む他の人が現れたとして、私はその人の事を好きにはなれないだろう。
だからきっとこれは、一目惚れ、だったのかもしれない。
春の暖かさを感じ始める三月。もうすぐ、この街にやってきて一年が過ぎようとしていると思うと、感慨深いものがある。逃げるようにやってきた街で、たったの一年で、巡るましく色々なことが変わっていった。
この変わった街は変わり者を集め、そして住人たちを変えていく、不思議な力がある。
鏡に映る自分の姿に、私は未だ慣れない。そこに映る自分の姿がいつまでも信じられないでいる。
いま突然夢から冷めて、ベッドの上、何も変わらない自分が居たとしても、私は取り乱すことなくその事実を受けれいることだろう。それほどに夢のような一年だった。
身だしなみを整えて、制服に袖を通す。相変わらず少しサイズは大きいけれど、最近では制服も随分様になって居るように思う。あの人に出会うまでに少しよれてしまった袖が少し可愛そうだ。春休みに入ったら一度実家に帰って母に制服を買い直して貰うように頼むのもいいかもしれない。
そんな、昔からは考えられない自分の行動力に、たまに戸惑う。
先日のバレンタインの事を思いだすと、我ながらよくやったものだと顔が赤くなる。
大金星祭で古河さんの作った服を着てステージの上に立ったときよりもあの一日はずっと緊張した。一日で一生分心臓が脈をうってしまうのではないかと思うくらいにドキドキとした。
そうしてあれからずっと、私の緊張状態は続いている。
古河さんの返事を早く聞きたい、でも聞くのも怖い。
もし私だったら、私に告白されたっていい返事はしない。古河さんなら選べる相手は沢山居るはずだし、そもそも古河さんが同性相手でも大丈夫だなんて限らない。考えるほどにネガティブな思考が付きまとうのは、今までの人生の習慣か。
ホワイトデイまでの日々はただただ悶々と息苦しく過ぎて行き、目の下のくまは濃くなっていく。身だしなみや、食事の際の震えは随分ましになったもののくまだけはなかなか消えてくれない。今まで不摂生な生活を続けてきた自分を呪う。これがなければ僅かにでも古河さんに好かれるかもしれないというのに。いまさら後悔してため息をついたって遅いけど。
朝の支度を済ませて部屋をでて食堂へと向かう。朝食の時間は基本的に皆ばらばらで、顔を出した食堂に居たのはいつもどおり園子と大上さんの二人だけだ。
「おはよう」
「おはよう綾」
「おはよう宮戸さん」
私と園子の蟠りが解けたお陰か、最近園子と宮戸さんの距離が縮まっているように思う。休みの日には二人で出かけたり、部屋でゴロゴロしていることが多いようだ。ようやく園子が私にかまわず、自分のしたい事を出来るようになったことは、素直に嬉しい。
トーストを齧りながら新聞に目を通す園子の隣で大上さんはせっせと二人分のサンドイッチを作っている。今日のお昼にするつもりなのだろう。私はそれを眺めながら、袋から食パンを一枚取り出してそのままかじりつく。いちいち焼けるまで待つのが面倒なのでそのまま園子が使っていたジャムを拝借してパンに塗りつけて適当に朝食を済ませ、冷蔵庫のコーヒー牛乳を飲もうと中身をのぞけば空っぽになっていた。おおかたまた木津先輩の仕業だろう。帰って来たら文句を言わねばなるまい。
あんなに困った人なのに木津先輩には綺麗でこの歳で作家という立派な彼女さんがいて、今目の前でせっせと園子のためにお弁当を用意している大上さんもきっと、園子に気持ちをきちんと伝えて、今の関係になったのだろう。私は、どうなるんだろうか。周りにそういう関係の人たちは沢山、いるけれど、少女学区だからといってそれが当たり前ではないのだから。
まして、古河さんは、私と同じ、転入組。外の世界の常識を知っている。
今の関係性すらも壊れてしまうかもしれないと思うと怖い。
だけれど、私はもう怯えて、すくんで、震えているだけではいけない事を、知っている。
「そろそろ時間、まずいわね、行こうか」
「はい」
二人が後片付けをして荷物をまとめて出て行くのに、私は黙ってついていく。
「宮戸さん」
ふと、振り返った大上さんが私に小さなバスケットを差し出してくる。
「あまりものですがお昼にどうぞ」
「ありがと……」
「やれるだけのことはやったんでしょ綾。だったらあとは待つだけよ」
園子がそう言って頭を撫でてくれる。その優しい手つきに胸がじんわりと暖かくなる。
「うん」
来たるホワイトデーまではもう一週間もない。
ホワイトデーの当日は静かにやってきた。
昨夜はあまり眠れなかった。大事な事のある日の前日はいつもそうだ。色濃い目の下のくまはもう見て見ぬふりをしよう。そういえばふと、大金星祭の時もこんな風に緊張して朝を迎えた事を思いだす。
小鳥遊さんはあの日、古河さんに振られたといっていた。あんなに綺麗な人を振った古河さんが私なんかを相手にしてくれるとは、正直思えない。
それでも私はあのプレゼントを贈った。どうしても気持ちを伝えたかった。
そばにいたいという思いだけじゃない。今までの感謝や、お礼の気持ちもこめて私の気持ちを。結局甘い物が苦手でリングしか受け取っては貰えなかったけれど。
初めてアクセサリーなんて選んだから、気にいってもらえたか自信がない。
でも不安になっていたって仕方がない。
悩んでも仕方がない時に悩んでも答えは出ない。
その答えにたどり着くための準備をする。
それでもダメなときは途中まででもいい。
全部教えてもらったとおりに。
答えは今日、全部、出る。
ベッドから起き上がって、着替えを終えて鏡を見る。
そこに映るのは昔の私ではない。
ちょうど携帯が震える。
確認すると、古河さんからのメールだ。
放課後に部室に来て欲しいと、それだけの簡素なメールだった。
自信はやっぱりない、でも、待っていても回りは進んでいく、取り残されて、誰かにその場所を奪われて、挑戦することすらしないままには終わりたくはなかった。
答えはもうすぐ出る。
放課後の部室棟はひどく静かだった。
もともと学院内は私が通っていた中学に比べるととても静かだ。育ちの違いもあるだろうけれど、男子がいないにも原因の一つかもしれない。未だに周りの人達のゆったりとした空気や、男性の居ないこの街の不可思議さには慣れないところがある。学院を卒業するまでには慣れているのだろうか。
先のことはわからない。いったいそのとき、私は、私の周りはどうなってしまっているのか。
たった一年で、こんなに変わったのに。六年も先の私は、きっと今の私とは別の者になっている。
でも、できることなら、その六年先も、もっとその先でも、私は古河さんの隣に居たいって、今の私は思っている。
被服部の部室の前までやってくる。
ここでいろんなことがあった、一番長く古河さんと過ごした場所。もう、来ることはないかもしれない場所。
意を決して、扉をノックする。
「どうぞ」
声を受けて中に入る。
バレンタイン前後からここに近づくことはなかったから久しぶりに足を踏み入れるそこの光景に少し驚く。
大金星祭の前に来た時のように物が乱雑に散らかっている。放り出されたままの裁ちばさみとか、まち針のささったピンクッション、真っ白なレースの切れ端、はて栄養ドリンクのビンやらカロリーのお友達の空箱まで大小さまざまなものが乱雑に散らばっていた。
「ごめんなさいね、ちょっと忙しくて、片付ける暇もなくてね」
「いえ、なにかしていたんですか?」
「まぁ、すこしね。飲み物いれるから適当に座って待ってて」
いわれたとおりに近くの椅子に腰掛ける。いまだに私の足が床に届くことはない。
すぐにいつもどおりいれられたココアを受け取って、口にふくんで一息つく。
古河さんは今日は髪を高い位置でくくってひとまとめにしている。目の下にはくまを隠したようなメイクのあとが伺え、服もすこしよれているように見える。よほど忙しかったのかもしれない。そんなときに邪魔してしまって申し訳ないと思う気持ちがふつふつと沸いてくる。
「すみません」
言葉が口をついて出ていた。
「何が?」
「こんな忙しそうな時に、私なんかが邪魔しちゃって、それに古河さんが、そういう人かどうかもわからないのに、こんな……気持ち悪かったら、言って。私はもう近づかないようにする……」
緊張と不安に押しつぶされそうで、後ろ向きな言葉ばかりがつらつらと漏れ出る。こんな事を言うためにきたはずではないのに。
「私がどうであろうと、宮戸さんの抱く気持ちは変わらないでしょう? それとも、それで諦めがつく程度の覚悟だった?」
その言葉に私は首を横に振った。
「じゃぁ、気にしないで、私はそういう人だから」
その言葉に少しだけ胸が高鳴る。私はきゅっと唇轢き結んで、古河さんの瞳を見つめる。茶色い深い色をした、見るものを魅了する瞳。
「初恋はね、姉さんだった」
昔を懐かしむような、遠い目。
「どんな人なんですか?」
「だらしない人だったかな、いつも髪はボサボサで、姉なのに頼りなくて、泣き虫で。勉強が苦手で、運動もだめ、服装に気を使うこともないし、野暮ったいメガネが特徴といえば特徴だったかな」
それは、以前までの私に少し、似ているような気がした、嬉しいような、悲しいような、複雑な、気持ち。
「今はどうされているんです?」
「結婚しちゃった、家のために、私のために」
「古河さんのために?」
「そ、私はそんなこと頼んでないのにさ」
「もう少し詳しくきいてもいいですか?」
私は古河さんの初恋の相手に興味を持っていた、私に似ているその人の話。
古河さんは自分でいれたコーヒーを飲み干すとカップを置いて、言葉を並べ始めた。
「姉は初めて会ったときの宮戸さんみたいにいつもびくびくおどおどしてる人だったわ。いつも何かに怯えて妹の私の背に隠れてるようなそんな臆病な人だった。でも、そのくせ二人きりの時だけは姉のように振舞って私を甘えさせてくれる。私はそんな姉さんのことがすごく好きだった。姉さんがどうだったかは、しらないけど。
さっきもいったけど、服装にも気を使う人じゃなかったから、姉を着せ替えするのも楽しかった。こうして部活を立ち上げたのもあれがあったからかな。そいうこともあって、姉さんは両親からあまり期待はされてなかった。両親に構われない姉さんはますます私といることが多くなったわ。
私が中学三年に上がった時、家に縁談の話が来たの、両親は私を相手の家に嫁がせようとしたけど、私は正直嫌だった、まだそんなこと考えてもいない歳だったし、姉さんと離れたくもなかったから。でも、子供だから、どんなに嫌がっても親の意向には逆らえなかった。
そうしたら姉さんが私が結婚するって、名乗り出た。両親とも驚いてた。私もすごく驚いたけど、姉さんは私達に姉なんだから当然でしょうって、言って、一人で話しを進めて結局一年と経たないうちに結婚してしまったわ。姉はでも、幸せそうだった、相手の人もいい人みたいだったし、二人から写真と手紙が送られてきて、とても幸せそうだと思ったけど。私は姉さんに裏切られたような気がして、何もかも失ってしまったようで、何事にも無気力になった。私の方が姉さんに依存してたんだってそれでようやく気づいた。姉さんは多分それに気づいてて、二人ともダメになっちゃうのさけようとしたのかしら、私はそれでもよかったんだけど。
それから縁談の話しを私が嫌がったこともあって両親は私をこの明星に転入させた。まぁ躾のためってところかしら」
長い語りを終えて古河さんは椅子の背もたれに背を預けて、ため息を一つ吐いた。
「私の初恋の話はそんなところかな、そんなに面白いものじゃなかったかもしれないけれど」
私は、古河さんにそれほど思われていた、その人の事をとても羨ましく思う、そうして、私はその人にたまたま似ていたから、こうして相手をしてもらっているだけなのじゃないかと思うと、胸が痛かった。泣きそうで、確認をするのも怖かった、だけど、それでも、答えを出さないと。
「私がその人に似ていたから、よく、してくれたんですか……?」
「最初は、そうだった。ほうっておけないって思ったわ。でも貴方と付き合う内に、貴方は姉さんとは違うって気づいた、当たり前のことだけど」
ぎゅぅっと、胸を鷲づかみにされるかのような、息苦しい感覚。視界が歪む。涙が出そうで私は俯く。私は、もう、古河さんにとってはいらない子なのだろうか。かわりにもなれない、無価値なひとなのだろうか、嫌だった、たとえまがいものでも、そばにいたい。だけど言葉がうまく紡げなかった、声を出すとなきそうになる、私はただ俯いて肩を震わした。惨めだった、どうしようもなく。
ふわりと、頭に柔らかいなにかがかぶされる感触。
頭を上げようとすると、そっと撫でられるように頭を抑えられる。
「宮戸さん、私がいいっていうまで目を瞑って居てくれる? それと、なすがままにして居てくれると嬉しいのだけれど」
私はただ頷いた。これ以上距離を離したくなくて。ただ彼女の言うままに従おうと思った。卑屈でも、そばに居られればいいと思ったから。
目を瞑ったままゆっくりと制服を脱がされていく。
まずはブレザー、次にリボンを解かれブラウスを、スカート、靴下。まだ肌寒い空気に振れて体がブルリと震える。
「ちょっと、寒いかな? すぐ済むから、少し我慢して」
目を瞑ったまま、小さく頷く。
こうして古河さんに着替えさせられるのは寮でお世話になったときにもうすっかりと慣れてしまっていた。だから恐怖心や羞恥心はなかった。時折素肌に触れる、指の感触がくすぐったい。衣擦れの音と二人分の静かな呼吸だけが部室の中に小さく響いている。
やがて柔らかな生地に体が包まれ。腕に手袋を通されるのがわかる。そうして古河さんが少し距離をとるのが気配でわかった。多分、着替えが終わったのだろう。
「いいわよ、宮戸さん」
古河さんの言葉に、目をゆっくりと開ける、涙で未だ霞む視界。目の前にはいつの間にか姿見が置かれていた。そうして、私は、言葉を失った。
「あなたは姉さんとは違う。宮戸さんは宮戸さん。だから貴方に、貴方にだけ着て欲しい服を私は贈るわ。誰にでもない貴方に、私の気持ちを」
鏡に映る私が着ているのは、純白のドレスだった。汚れ一つない真っ白なウェディングドレス。
大きなフリルと、ふんだんに使われたレース、アクセントにちりばめられた黒いリボン。軽いヴェールと、控えめのコサージュは飾り気のない私にはよく似合っている気がした。
だけど、そんな、デザインのことは、本当はどうでもよくて。
「トレーンはあんまり長くしても汚れちゃうし、思いきって短めに、変わりに背面からでも華やかに見えるようにボリュームだして、黒いリボンを巻いてみたけど――」
言葉を遮るように、私は抱きついていた。
言葉と、このドレスの意味するところに、私は耳まで真っ赤にして、瞳に涙をためて、言葉を紡げそうになかったから。少しでも思いを伝えたくて、ぎゅぅっとその体に抱きついて。この胸の高鳴りを伝えようと、体を密着させる。すぐに、古河さんも私を抱き返してくれる。
「きっかけは姉さんだったかもしれないけど、私は、貴方が好き。貴方に私の服を着て欲しいって思う。どんな理由を並べたって、貴方の長所や短所を並べて、それらの条件に合致する誰かが居たとしても、私が好きなのは綾だけ」
名前を呼ばれると、体がぞくりとした。嬉しくて、幸せで、頭の中が真っ白だった。視界も、耳も、においも、頭の中も、古河さんで一杯だった。
私は、私も、気持ちを伝えたくて、こみ上げてくる嗚咽で喋れないのを、なんとか抑えて、勇気を振り絞って、消えてしまいそうな声で、なんとか伝える。
「好きです……千歳、さん……」
伝えた次の瞬間に、口の中すらも千歳さんの味で一杯になった。
唇が離れるのももどかしく、すぐさま私から唇を押し付ける。
もう他に何も考える必要はなかった。
先のことも、昔のことも、今だってどうだっていい。
ただ、そばに彼女さえ居てくれれば。
気づくとあたりはすっかり暗くて。明かりのついていない部室は真っ暗だった。
ブレザーのポケットに入れていた携帯には園子からの着信がいくつかあったけど、今かけなおす気分にもなれなくて私は携帯を戻した。
「いいの?」
「はい」
飲み物を入れていた千歳さんにそう返して、いつものようにココアの入ったカップを受け取る。すっかりしわのついてしまったドレスだけど、だからといって汚すのは嫌だったからこぼさないように気をつけて口をつける。からからの喉に暖かい水分が染み渡っていくのが心地いい。
「ドレス、しわに……」
落ち着くと、せっかくのドレスがしわくちゃになってしまったのがとても残念でしげしげと眺めてしまう
「また、縫ってあげようか?」
意地悪そうに笑う彼女、私は恥ずかしくて、俯きながら答える。
「これが好きだから」
「そっか、じゃあ、大切にしないとね」
カップを置いて、千歳さんが近づいてくる。私も自然とカップを置いた。唇を重ねて、離して、二人でじっと見詰め合う。しばらくして、頬に口付けられ、そのまま耳たぶを甘噛みされて、背筋を甘い感覚が走る。
「食べるものも、お風呂もないけど、今日は綾とここにいたいって思うんだけど?」
耳元で囁かれると、言葉が頭に染み入るようで、私は答えの変わりにぎゅうっとその体を抱きしめて、深く口付けをかわした。
園子に明日どやされるかな、なんて考えは、すぐに頭の中から消えうせて、目の前の愛しい人で私の中は満たされる。
全ては巡るましく変わっていく。
だけどこの気持ちとこの幸せだけはずっと変わらないで私達の中にあって欲しいと願う。
今もこれからも、ずっと、ずっと。




