心満意足
一月も三が日を過ぎてしまえば有り難味もない普通の月とかわらない。冬休みの残りの日数を数えては憂鬱になる日々だ。
少女学区の冬期休暇は静かだ。冬の寒さにキンと凍りついたかの様に人の姿も疎らになり、まるで時が止まってしまったかのように、この街は静かになる。しかし、だからといって本当に時間が止まるなんてことはなく日々残りの休みの日数は減っていく。
夏期休暇は退屈で仕方がなくて、休みなんてはやく終わってしまえと願っていたのが嘘のように、この冬の時間が減っていくのが残念で仕方がなかった。
原因は明白で、今あたしの部屋で行儀悪くコタツで寝てしまっている瀬名さんのせいだ。
去年のくれ、といってもまだ十日もたっていないのだけど、彼女と宮戸さんの関係に一応の決着がついた。
周囲からみればきっと二人の様子は今までどおりに映るだろうけれど、ずっと瀬名さんのことを追いかけていたあたしにはちょっとした違いが見て取れた。ずっと宮戸さんの傍に居た瀬名さん、その時間はほんの少しだけへり、家臣とそれに仕える給仕のように見てとれた関係も、すこし対等なものへと変わっている、そんな気がする。
なによりも、人が見て居ないところでの瀬名さんの態度は大きく変わっていた、正しくはあたしの前ではだろうか。ずっと抱えていた大きな荷物を下ろして、緊張が解けたのか、今までの彼女からは考えられないような自堕落な一面が見えてきたのである。徐々にそういった一面を見せないようにがんばり始めている宮戸さんとは間逆のその様は二人がどこかで繋がっているのではないかと思ってしまう。
そんな風に考えながら彼女の気持ちよさそうな寝顔を視界におさめつつ、私もコタツにあたりながらみかんを剥く。金髪に碧眼のあたしがこういういかにも日本的な冬の過ごし方をしていると傍からは歪にみえるらしいけど、これは祖父からの隔世遺伝であり、あたし自身は生まれも育ちも立派な日本人であり、その趣味嗜好も日本人のそれとまったく遜色がない。
この街であればこそ、然程目立たない髪色ではあるものの、もしこの街をでたら、どのような視線を向けられるのだろうか。
彼女がやってきた外の世界は一体どんなところなのか、物心ついた時からこの街で過ごすあたしはよくしらない。男性という異性がいて、普通は女性と男性で恋愛をするものらしい。まったくもってぴんとこない。そもそも男性というものがよくわからないのだから当たり前もかもしれない。知識としては当然あるものの、同じ人なのに、あたしたち女性とは別の存在。それは果たして同じ人だといえるのだろうか。
時折あたしはこんな自分の感性が怖くなる。
外の世界からきた瀬名さんにとの価値観のずれ。
この世界で死通用しない常識を彼女にさらけ出して、彼女に気持ち悪がられやしないかと、嫌われはしないかと、不安になる。
もしもこの先、この街を出て、それでも彼女と交流が続いていくとして、そのときあたしは、彼女に無様な姿を見せないですむだろうかと、そんな先のことまで心配する。
今ですら曖昧で、不確かな関係だっていうのに。
考え事をしているうちにくずかごの中にはみかんの皮が溢れていた。ついつい食べ過ぎてしまったようだが既に手元には新たな剥きかけのみかんがある、きょうはこれで最後にしようとその皮をむいていると瀬名さんが気だるそうに目を覚ましていた。
「おはようございます」
「んっ、ぁ。今何時」
「十六時前ですけど」
「ちょっと寝すぎたかな、コタツってなんでこんなに眠くなるんだろう」
そういいながらも瀬名さんは寝転がったまま起きるそぶりをみせない。視線だけをこちらにやるとまだ寝ぼけ気味の緩んだ表情は無防備で可愛らしく見える。
「みかん、私にも」
あたしがみかんを剥いているのを見て食欲が刺激されたのか、瀬名さんの言葉にあたしは皮をむいたみかんを一房差し出すと彼女はそれを受け取ることなく直接私の手から口に含んだ。
指先に触れる唇の柔らかさと、湿った感触。妙にどきりとする。
「もっと」
もう一房差し出すと同じように再び唇に指が触れる。柔らかく甘いその感触はとても自分のそれと同じ物とは思えない、自然と指先が自分の唇に伸びる。彼女の唇とは違う、少し硬い気もするし、でも潤いはあるような。
そこではたと、自分が間接キスをしてることに気づく。子供でもないのにすごく胸がドキドキする。顔が熱くなって再び指先を唇に滑らせる。指に触れた瀬名さんの唇の柔らかさを思いだしながら唇をなぞると、ぞくりとした感覚が背中を抜けていく。
我ながら変態的な行為だと思いながらも、やめられない。もしこれが唇同士であったならと考えると、それだけで頭がくらくらとした。
気づけば瀬名さんは再び目を瞑って二度寝を始めている。
視線が周囲を彷徨う。
当然人は居ない。
寮内は驚くほど静かで、薄い壁越しに音が聞こえてくることもない。
視線は瀬名さんの唇に真っ直ぐに吸い寄せられる。
コタツから抜け出て身を乗り出す、すぐ近くに瀬名さんの顔が迫る。その整った顔が息もかかるようなくらい近くにあるのだと思うと、自然と胸が高鳴り、息を呑む。
あと数センチ、顔を傾けるだけで唇が触れるような距離。かすかに香る彼女の臭いに頭の芯はぼぅっと熱くなる。
そこで、瀬名さんと真正面から目があった。
いいわけを口に出すなんてことはもう頭になかった。
「あたしは、貴方の二番目になれましたか?」
張り裂けそうな激しい胸の鼓動とは裏腹に、そう優しくささやく。
「うん、私は貴方のことが二番目に好き。一番の人にはもう振られちゃったけど」
甘く切ない、ぎゅぅっと体を絞られるような不思議な感覚が、胸とお腹を刺激する。恥ずかしいわけでもないのに顔が熱い。息が上ずる。
「約束、おぼえてますか……?」
「大上さん、一番以外のご褒美、何が欲しい?」
まっすぐに見つめあう瀬名さんの瞳は真剣で、時折あたしの髪を揺らす彼女の吐息がくすぐったい。
欲しい物は目の前にある。
「名前、柚子って呼んでください」
「それがご褒美?」
「いえ、これはお願いです。ご褒美は、瀬名さんの唇が欲しいです」
「欲張りだね柚子は」
「ダメですか……?」
あたしがそういい終わるより先に唇が触れた。軽く唇と唇が触れるだけのキス。指で触れるより柔らかい唇、熱くぬれたそれが触れ合うと、自然と瞳が閉じる。甘い痺れが頭から全身を抜けるように、すぐに唇が離れ、息が弾む。
許可を得ることもなく今度はあたしの方から唇を寄せる。彼女は拒まない。さっきよりも強く長く触れ合い、離れるとまたすぐに求める。次第に唇を触れ合わせる時間が長くなり、離す時間が短くなる。
恐る恐る探るように、唇を啄ばみ、吸い、舐め、そのたびに、体が震える。
静かな部屋の中に二つの荒い息と、小さな水音だけがずっと響いていた。
冬季休暇であろうと、生活習慣を変えてしまうと休暇明けに泣きを見ることになる。いつもどおりの時間に起きて食堂に下りてみると、まだ寮生の姿はないもののコーヒーメーカーには既にコーヒーが淹れてあった。長谷部さんが起きてついでに用意していってくれたのだろう。有難く眠気覚ましの一杯を頂きながら朝食をどうしようか考える。
昨日キスをしすぎたせいかあごが痛い。思いだすと顔が赤くなる。朝食はなにか柔らかいものにしようと思っていると、誰かが食堂に入ってくる。
視線を向けると、私服姿の瀬名さんがちょうど顔を見せたところだった。
「おはよう」
「おはようございます」
あたしはなんとなく気まずくて目線を合わせられずちらちらとその顔を伺うことしかできないのに、瀬名さんの方は特に気にした様子も泣く、こちらに視線を向けてくる。昨日の今日だというのに、なんだか少し悔しい。
「朝ごはん食べた?」
「いえ、まだ」
あたしがそう答えても、瀬名さんはなかなかその後を続けようとしない。不思議に思って視線を上げると、彼女が赤くなりながら、ようやく口を開いた。
「いっしょに何か作ろうか……柚子」
「はい」
はっきりと返事を返してあたし達は並んで台所に立つ。胸がまた、あの不思議な絞られるような感覚に襲われる。
名前を呼ばれるだけで、とても、とても、幸せだ。どんな不安も、どんな思いも、今のこの時間の前には敵うことはない。
たとえ、一番ではなくとも、好きな人がそばにいて、名前を呼んでくれる。それだけでいい。安い感情かもしれないけれど。
あたしはきっとこの少女学区で一番幸せな二番だろう。




