行雲流水
明の星特別学区。通称、少女学区。
三つもの全寮制女子校が一同に集まったために生まれたこの街には女の子しか住んでいない。
この街に私は逃げ込むようにやってきた。
もといた街から逃げてやってきたここでも、私はまた逃げ場を探して街を彷徨っていた。
人前に出るのも少しは大丈夫になってきたけど、それでも頼れる友人なんてものそう簡単につくれるはずもなくて、私は夜の少女学区をあてもなく徘徊していた。
この街の夜は暗く、静かだ。
今日は空が曇って月と星の明かりもない。寒さに体が震える。
計画性のない自分のことが嫌になる。
吐く息が白く、虚空の闇へと消えていく。
この特異な街ですら私の居場所はなかった、私の居場所だと思っていた場所はずっと前から小さく歪で、いごこちのいい檻だった。そうして外側からその光景を覗いてしまった私はどうしていいかもわからず逃げ出して、途方にくれて、また誰かが手を差し伸べてくれるのを待っている。
どうしようもない、本当に。
それは決して誰かのせいなんかじゃなくて、ずっと、ずっとぬるま湯に浸かっていたいと願った私のせいだ。
寒さに急かされるように当てもなく歩くうちに、ファミレスの前までたどり着いていた。少女学区外であれば二十四時間営業のその店もここでは二時には店じまいだ。ほんの数時間しかとどまることはできない。
それでも一時寒さを凌げるのならと私は店へと足を踏み入れる。
一人でこういう店に入るのは初めてで、かなり挙動不審になってしまったが、店員の方は無関心で客も疎らな店内で私を気にする人もいないようだった。
どもり、つっかえながら、なんとかココアを注文して私はテーブルに突っ伏する。
時計を眺めるともう零時を回っている。こんな時間に何をやっているんだろう。あてもなく寮を出て、彷徨って、いく当てもなく、あと二時間もしないうちに私はまたあの檻の中にもどるのだろうか。
他に選択肢はないように思われた。
だったら意地をはっても仕方ない。ココアを飲んだら帰ろう。
そう思って顔を上げると、ちょうど店内に団体客が入ってきたようだった。
こんな時間にあんな集団で何をやっていたんだろうとちらと視線を投げると、すぐにそれは中央の人物へとひきつけられる。銀色に輝く髪と、すけるような白い肌。安っぽいお店の照明の下でもその輝きは変わらない。
小鳥遊姫子、少女学区の女王だ。
大金星祭の時に数度言葉を交わしただけの彼女はしかし、私のことを覚えていたらしく、こちらを見つけると周りの少女たちを別の席につかせて一人私の方へと向かってくる。
「こんばんは、宮戸さんだったかしら? 久しぶりね」
「あ、はい。お久しぶりです」
私がそう言って返事を返す間に彼女はさも当然といった感じでなぜか私の隣の席に腰掛けてくる。四人がけの席なのになぜそうなるのか。この人にはパーソナルスペースという概念が存在しないのだろうか。
そして少し離れた席から届く視線が痛い。少し気分がわるくなってきて、体がこわばるのがわかる。
「そんな緊張しないでいいわよ。別にとって食おうってわけじゃないし。来るものは拒まないし、姫からも迎えにいくけど、断られた相手に食い下がるほど姫は野暮じゃないから」
「はい……」
この人の前で緊張するなというのはきっと無理な話しだ。だれだってこんな綺麗な人の前では萎縮してまともに目を合わせることなんでできないだろう。
「それにしても、あなたこんな時間に一人なんて。まぁこの街なら危ないってことはないけど、夜遊びするタイプでもなさそうに見えるんだけど、そうでもなかった?」
「まぁちょっと色々あって」
事情を話す気にはなれない。知らない誰かに話せることではないし、たとえ知り合いであっても、こんなこと相談できるはずもない。
「いくあてはあるの?」
その言葉には沈黙を返すしかなかった。小鳥遊さんはそんな私の様子に軽く鼻をならして、にまっと笑って見せた。
「なんだったら家にくる? 部屋たくさんあいてるけど」
私は首を横に振った。それはもう全力で。
ただの好意からのことばかもしれないけれど、彼女の噂話からして、そこに足を踏み入れるということは、イコール彼女を受け入れることに他ならないはずだ。
「冗談冗談、初心な子はからかいがいがあっていいわね。まぁそこまで全力で否定されるとちょっと姫もへこむけど」
そう言いながらも彼女はニヤニヤと笑っている。そんな姿すらも美しく映るのが女王たる由縁なのだろう。
「携帯はもってる?」
「置いてきちゃいました」
「そりゃ不便だ、なんだったら使う?」
そう言って彼女が差し出してきたそれには、見慣れた番号があった。
「誰をたよるか、誰にも頼らないのか、自分できめなよ。もちろん、姫をたよってくれてもいいけどね」
私はその言葉に曖昧な笑顔を返して、テーブルの上に置かれた携帯に目を向ける。
液晶にうつる番号と名前。
きっとその人なら私を助けてくれる。出会ってからずっとそうしてくれたように。でも頼りたくない気持ちもあった。一人で立てるんだと彼女に認めて欲しい自分が居ることもわかっていた。それでも無性に今は会いたかった。
私はその携帯を手にとった。
古河さんの暮らす姫百合寮は私が暮らす明津女子寮とは同じ寮とは思えない程に格差があった。
各自にお風呂があって、食事も食堂でつくってもらえる。一階にはコンビニや本屋といった売店が充実していて便利すぎてもうこのままここに引っ越してきたい位には快適な生活であった。
私はあの夜古河さんに電話をかけて彼女の元に数日間泊めてもらっていた。その間に明星の終業式は終わってしまい、私の登校日数はさらに減った。
迷惑をかけることには抵抗があったものの、彼女は詳しい事情を聞く事もなく私が泊まる事を快諾してくれた。
小鳥遊さんを頼る選択も確かにあった。
ただ、貞操の問題以上に、他人に触れられること、それに対する拒絶反応が怖かった。
その点において、なぜかはわからないけれど、古河さんには触れられるのも、触れることも平気であったから、最初から他に選択肢はなかったといってもいい。
当然ただで泊まるのは申し訳なく、普段の自堕落な生活を見せるわけにもいかず、早寝早起きの生活習慣は当然として、普段は絶対にしないであろう掃除、洗い物、彼女の服作りの手伝いと、できることは何だってした。
そんな生活が数日続き、十二月二十四日、クリスマスの朝のこと。
朝起きて食堂には行かず、二人で遅い朝食をとったあと、古河さんが私を彼女の私室へと招く、いつもの着替えの時間だ。売店で買ったパジャマから彼女に手渡された服に着替えるこの時間は何度体験しても恥ずかしい。
服を着替え終えて彼女を招き入れるとそのまま姿見の前に立たされるのももはや慣れたものだ。
「はぁーやっぱり部屋に可愛い子がいると創作意欲が湧き出て着ていいわね。このままずっと宮戸さんに家にいてもらえたらいいんだけどね」
古河さんが私の髪をゆっくりととかしながらそんな事を言う。かわいいというのには未だなれず、いわれるたびにドキリとしてしまう。
鏡に映る今日の私の服装は赤と白を基調にしたふわふわとしたレースのふんだんに使われたワンピースで、黒いリボンのアクセントがかわいらしい。
私の半端な長さの髪は梳かれたあと、器用に二本のお下げにされてひょこひょこと小さく揺れている。
相変わらず、古河さんの手にかかると、魔法のように、鏡に映る私は可愛らしい女の子になってしまう。何も返せやしないのに、私は彼女に甘えてばかりいる。そのことがやはり悔しい。
「今日もいい感じね。やっぱり素材がいいといじりがいがあるわね」
「すいません毎日、迷惑ばかりかけてるのにこんなによくしてもらって」
「それは別に気にしなくてもいいのよ、大金星祭の時はお世話になったしね。それに好きでやってることだし」
いいながら古河さんはデジカメを取り出すと、私を振り向かせてその姿を写真に収めていく。後で資料として使うのだそうだ。
「でも、私がいなくても、古河さんとか小鳥遊さんとか……園子とかだけで十分成功してたんじゃないですか……?」
「前にもいったでしょう、貴方をモチーフにしたからあれらの服を作るに至ったの。貴方が居なければ成功はなかったの、んやっぱり写真は写真狂いのほうがうまいわね」
デジカメにうつる私の姿を確認しながら古河さんが呟く。その名前と、先程躊躇いながら自分で発した園子の名前にこっそりと抜け出てきた寮の事を思いだす。数日たってもあたりまえだけど事態は好転の兆しもなく、私はただぬるま湯に浸かりながら、古河さんに迷惑をかけて、問題を先送りにしていた。
ずっと、考えてはいる。告げられた事実に関して、これからどう接していくべきなのか、私自身はどう思っているのかとか。ただ、まだ顔をあわせるのは怖くて。でもそれはきっとどんなに待ったって変わらない。もう一度顔をあわせて、きちんと話さなければいけない。
私のそんな考えが表情に出ていたのか、古河さんはカメラを置いて、私に向きあった。大きな綺麗な瞳としっかりと目があう。
「私としてはね、こうやって宮戸さんを毎日着せ替えしてるのも楽しいんだけど、そういう悲しそうな表情をされると、服が映えないのよね」
いいながら古河さんは私の頬を指先でつついてくる。他の誰かなら間違いなく払いのけてしまうであろうその仕草に嫌悪をかんじることもなく、ただされるがままに。
「瀬名さんと何かあったんだろうって想像はできるんだけど……その何かは、時間が解決してくれるもんだいなのかしら?」
時間がいくら経とうとも、私自身が答えを出さなければいつまで経っても状況は変わらない。
園子に対して気持ち悪い、怖い、憎い、様々な感情があった、でも彼女を憎みきれない、嫌いになれない自分もいた、たとえ全てが仕組まれているとわかっていても、優しくしてくれた彼女がいるのも間違いではい。反省をしているのも本当だろう。仕組まれた優しさであっても、彼女に助けられていたことは本当のことで、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
「悩んでも答えがでないなら、それ以上いくら悩んだって無駄。答えを出したいのならそれをとくために必要なものを用意して、それもできないなら、途中まででいいの、はっきりしていることをきちんと伝えるの、回答はつねに百点である必要はないのよ」
私はきっとこの問いに答えを出すことはできないのだろう、どこかで彼女を恨みながら、また別のどこかではきっと彼女に感謝をするのだろう。それは相反する感情ではあるけれど矛盾はしていない。
好きとか嫌いとか、その比重で誰かを評価しても仕方がない。
他人に対して抱く思いは、全てを語ってこそ意味がある。一言にまとめることなんてできやしない。
古河さんは私のほうを見つめている。
私もその目を見つめ返して、小さく呟く。
「私帰ります」
「そう、それは残念ね、パーティーの準備してあったんだけど」
「すいません、長居してしまって」
「埋め合わせはしっかりね」
古河さんの言葉を受けて私は出てくる時に着ていたコートを羽織って外に出る準備を整える。
「そうそう、これつけてって寒いから。私からのクリスマスプレゼント」
古河さんに手渡されたのは白い、ふわふわとし可愛らしい毛糸のマフラー。
暖かいそれを首に巻いて、私は頭を下げる。
「ありがとうございました」
「うん、またね宮戸さん」
「はい、また」
手を振る古河さんに背を向けて私は早足にその部屋を出て、エレベーターを待つのももどかしく、階段を駆け下りて姫百合寮を出た。
一歩外に踏み出せば寒暖の差に思わず体が震える。
首もとのマフラーが暖かい。
空は灰色の重そうな雲で埋め尽くされていて、まだ午前中だというのにあたりは暗い。もしかしたら降るかもしれない。
別にホワイトクリスマスをロマンチックだなんて思うほど乙女でもないけれど。こんな半端な空よりはきっとはきっりと降る雪の方が、今の気分にはよくあうだろう。
明津寮に戻ると入り口で大家の長谷部さんがギョッとした顔で私を出迎えてくれた。
「宮戸、お前どこいってたんだ」
「少し出てました。園子は?」
「部屋に居ると思うが、というか宮戸、外出届と反省文を……」
「後で書きますから、今はまってください」
かぶせ気味に大声を出して私は園子の部屋へと駆け込む。自分の口から出た大きな声に若干驚きながら、ノックをすることもなくその扉を開けた。
「綾……?」
呆けた表情と、赤い瞳の園子がそこに居た。
数日顔をあわせなかっただけなのに、彼女のその顔をとても懐かしく思う。
当たり前だった。
ずっと子供の頃から一緒だった。
毎日のように顔をあわせて来た相手だから。
家族よりも一緒に過ごした時間は長く、交わした言葉だって、誰よりも多い。
こみ上げてくる感情があった。
沢山、沢山あった。
それでも、尚、はっきりと伝えられる感情が確かにあった。
だから私はそれを伝える。
「園子、私考えた、沢山考えた。許せないと思った、裏切られた、悔しかった、悲しかった、憎いと思った」
園子は私の言葉を黙って聞いている。私は、息をはいて続ける。
「でも、嫌いになれなかった。仕組まれた、計画された優しさだったとしても、それが刷り込みだとしても、どうしても嫌いにはなれなかった」
はっきりと、私にとっての真実を彼女に伝える。
「私にとって、園子は、大切な友達だから」
そう告げると園子は、涙で綺麗な顔をくしゃくしゃにして抱きついてくる。私も抱きしめ返す、昔何度もそうしてもらったよに、優しくその背中をさする。
彼女の涙にどれだけの意味がこめらているのかはわからない。私だって、私の全てを告げられたわけではない。今までの事がなかったことになるわけでもないし、そうするつもりもないけれど、多分、私と彼女はずっとずっとこの先も友達である気がする。そこに負い目や、蟠りがあろうとも。
彼女の気持ちに応えることはできないけれど、それでも私達はずっと一緒の道を歩む。そんな気がするのだ。
「綾、ごめんね……おかえりなさい……」
「うん、ただいま園子」
今までの何分の一にも満たない言葉少ない会話。
だけど一番多くの事を伝えられた気がする。
直接感じる園子の体温は、コートよりもマフラーよりも、ずっとずっと暖かかった。




