落花流水
明の星特別学区、通称、少女学区。
三つの全寮制学校がひしめく、少女たちだけが暮らす少女の街。
そんな奇妙な街には、惹かれるように変わり者たちが集まってくる。ちょうどわたしのような、ちょっとした変わり者には都合がいい環境なのだ。
今年で二十八を数えるわたしはしかし、この街によく溶け込む。百六十センチに届かない身長、未だ幼さの抜けきらないしまらない顔、若いとか童顔などといえば聞こえはいいものの、単純に発育不良なわたしは知らぬ人が見ればこの街の生徒に見えることだろう。
だがわたしはこれでも夕星女学校中等部の立派な新米教師である。
「せーかちゃんよいお年を、また来年ね」
「先生をちゃんづけしないの、よいお年を、気をつけてかえるんだよ」
十二月二十四日、夕星女学校中等部三学期の終業式。朝から曇り続きの空のお陰で気温は低く、こうして外の校門前で生徒達を見送るのもなかなか楽な仕事ではない。
時刻は既に十七時を過ぎて部活終わりの生徒もまばらだ。もう少ししたら切り上げようと思いながらコートの下の白衣のポケットを漁る。取り出すのはこの数ヶ月ですっかり慣れ親しんだ棒つきのキャンディだ。包装紙をはがして咥えれば甘いイチゴの味が口の中に広がる。
タバコをやめようとガムなんかも試してみたけれど結局これに落ち着いてしまった。正直、生徒達からかわれることが多すぎてできればガムのほうがいいのだけど、どうにもガムはなじまない。
これを舐め終わったら切り上げようとコロコロと口の中で弄んでいると、生徒が一人ゆっくりと校門に向かってくるのが見えた。
肩ほどまでもない短い黒髪に、この距離からでも目立つ、わたしより高いそれなりの身長。よく見知った顔だった。
「先生立ち番お疲れ様」
「ん、まだ居たの由紀」
「美術室片付けとかないと年明けまでもうこないしね」
「几帳面ねおつかれさま」
そういってポケットからキャンディを一つ放ると由紀は受け取って笑顔を見せる。
「ありがと先生。先生もあんまり遅くならないようにね」
手を振って離れていく由紀にわたしも小さく手を振り返して、その後ろ姿が見えなくなるまで見送る。
由紀を見送って肩を落とすと体が思わずぶるりと震えた。職員室に戻って残りの仕事も終わらせないと、クリスマス、そうして冬休みだというのに教師の休みはまだもう少し先だ。
職員室に戻ると既にこちらも人は疎らで残っている殆どの先生もこちらに一礼を送ったと思うとすぐに自分の机に向き直って書類に視線を落としている。
「立ち番お疲れ様です絹宮先生。今暖かいものいれますね」
わたしも残りの書類仕事を片付けてしまおうと自分の席につこうとしたところで隣の席の及川先生が入れ替わるように立ち上がってそう言ってくれる。
「ありがとうございます」
寒いしここは素直に甘えておく。及川先生が給湯室の中に消えていくのを尻目にわたしは机上の書類に手を伸ばす。まだ担任はもっていないから今残っている先生方に比べれば仕事量は少ない方だが、わたしの効率が悪いのかまだしばらく時間はかかるだろう。ため息をつきながらもキーボードを手元に寄せてぼちぼちと仕事に取り掛かる。
しばらくカタカタとキーを打っていると、手元に慣れ親しんだ猫のマグカップが差し出される。
「絹宮先生、ココアでよかったですよね?」
「はい、ありがとうございます」
両手で暖かいカップを受け取って笑みを返す。甘いココアの香りに心が落ち着く。一口、口をつけて熱く甘い味がじんわりと体に染み込むのを感じながら仕事を再開する。
室内にはキーボードがカタカタと鳴る音や、プリンターが紙を吐き出す音が延々と鳴り響いている。その音は空しく、漂う空気も重いのは、クリスマスイブというお日柄のせいか。
予定のある先生方はもう既に仕事を切り上げてかえっているわけで、ここに居るということはつまりそういうことなのだ。
思い空気に耐えかねて伸びを一つ。
「絹宮先生、今日はお暇なんですか?」
白衣のポケットからキャンディを取り出そうと漁っていると、及川先生がパソコン画面と器用に向き会いながら話しかけてくる。わたしもキャンディの包装を解いて口に放り込むと再び画面に向き直って答える。
「予定はないですが、暇はなさそうです」
「っちぇ、一緒にお食事でもどうかと思ったのに」
「イブに女二人で食事にいってどうするんですか」
「別にここじゃ普通のことじゃないですか?」
確かにそれもそうだ。とはいえわたしは恋路に現をぬかしていられる立場でも身分でもない。やるべき事をきちんとこなさねばなるまい。
「ほんとは彼女さんいるんじゃないですか?」
にやにやと笑いながら及川先生がきいてくる。ふっと一人、頭に浮かんでくる顔。しかしわたしは頭を振ってすぐにその考えを否定する。彼女だなんて、そんな相手ではない。そもそもそんなこと許されるはずもなく、わたしがそんなことではよろしくないのである。
「いないですよ、そんな、それどころじゃないですからわたしは」
「じゃあ、私が絹宮先生のこと狙ってもいいんですか?」
「じょうだんはよしてくださいよ、まだ仕事のこってるんですから」
「割と本気なんだけどなぁ」
及川先生は残念そうにいいながらもその顔はいつもと同じように笑っている。人で遊ぶのはやめてほしい、別にわたし以外ならいいけど。
再び静かになった室内、液晶画面に向き会いながらわたしはぼぅっと一人の少女の事を思い浮かべながら、その関係性についてなんとなく考えていた。
仕事が片付く頃にはもう日はすっかりと暮れて二十時を回っていた。イブだし一応ケーキを買って車を出すともう二十一時前になっていた。すっかり遅くなってしまった。一人家で寂しくしているであろう彼女の事を思うと、自然とアクセルを踏む力に足がこもる。夜の少女学区を走る車は極端に少なく多少スピードを出したところでどうということはない。
この時間帯になると普段ならこの街は随分と静かになっている時間帯なのに、クリスマスイルミネーションが輝く大通りにはちらほらと少女達の姿が見える。並び立ち手を握りあうのはどこを見ても二人の少女。こんな景色この街でないと見られない。
わたしの借りている寮は夕星女学校からは割りと遠い位置にある。もともとタバコをすっていた関係で喫煙許可の下りる部屋を探した結果だったのだが、タバコをやめたいまとなっては家賃の割りに学校から遠く、不便な点ばかりが目立つ。駐車場に車を止めてサイドミラーで疲れた顔をしてないかチェックして、部屋の扉を開ける。
「ただいま」
そう声をかけるとすぐに足音が聞こえ。
「おかえり、先生」
制服から私服に着替えた由紀が出迎えてくれる。そんないつもの光景がたまらなく嬉しい。思わず自分より背の高いその少女をぎゅうっと力強く抱きしめる。
「ちょ、何先生どうしたの?」
「いやぁ、出迎えてくれる人がいるって本当に幸せなことだなって」
「もぉ、先生は……」
困った風にいいながらも由紀はゆっくりとわたしの頭をなでてくれる。この時間がとても幸せなのだ。
しかし、その幸せな時間に、わたしは不穏な空気を嗅ぎ取った。
普段ならしないはずの料理のいい臭いが我が家に充満しているのだ。クリスマスだから由紀が料理を作ってくれたなんて幸せな想像はできない、彼女は致命的に料理が下手だ。手先は器用なくせに料理だけはできない子だから、そうなると、答えはすぐにそちらからやってきた。
「お久しぶりです絹宮先生。その熱烈なハグは教師としてはいささか問題なのではないでしょうか?」
そういって敵意たっぷりの視線でわたしを睨んで来るのは、由紀よりもさらに背の高い、目つきの悪い給仕服姿の女性。
「お久しぶりです菅原さん。どういったご用件で家に?」
正直、わたしはこの人が苦手だ。あちらもそれは多分同じことだろうけど。
「暇ができたので、お嬢様のご様子を伺いに来たところ、このような時間になってもまだ先生が帰ってこられずご飯も食べられずひもじい思いをされているお嬢様のために料理を」
「それはご丁寧にどうも、でもあなた由紀の家の使えの家政婦さんじゃないでしょ。ていうかこういう日こそいそがしいものじゃないんですか」
「こういう日だからこそ家族水入らずで過ごすべきだと提案したところお暇を頂けだので。私にとっては一度でも仕えたことのある肩は皆、お嬢様であり、主人であります」
「左様ですか……」
「ともあれ、立ち話もなんですからそろそろ上がられてはどうでしょう?」
わたしの家のはずなのになぜかわたしがそんな風に言われなければならないのか甚だ疑問なのだが、この人に対して何かをいったところで仕方がないのはもう十重に承知している。大人しく靴からスリッパにはきかえ、二人の後についてダイニングへと向かう。
テーブルの上には既に暖かい料理が並べられていて、どれもおいしそうで素直に感心する。
「菅原さん本当に家政婦だったのね」
「どういう意味ですか」
「二人とも喧嘩してないではやく食べようよ」
由紀にうながされるまま、わたしはコートを脱いでそのまま席につかされ、そのままなし崩し的に夕飯が始まる。しかし、その量は三人で食べるにはいささか多く、お腹に空きがあるうちに切り上げ三人で買ってきたケーキを食べた。
食事が終わると由紀をお風呂にいれてつかった食器の片づけを菅原さんとはじめる。さすがに彼女の手つきは慣れていて程なくして沢山あった洗い物はすぐに終わってしまう。手持ち無沙汰になるとなんとも気まずい。この人のわたしに対する態度の理由がわかっているだけに、なんとも気まずいのだ。
食事をおえてすぐだというのに自然と手はキャンディへと伸びる。タバコこそ吸わなくなったものの、このままだと糖尿病になってしまうかもしれない。
「タバコやめられたんですね」
「まぁそれはとうぜんね。由紀に煙すわせるわけにはいかないし」
「どうですかお嬢様は、元気にすごされていますか?」
「友達ともうまくやってるみたいだし、家事も手伝ってくれてるし、ただちょっと学業が心配かな」
それもわたしの担当する数学がなんてのは口が裂けてもいえないけど。
「そうですか」
「そんなに気になるあの子のこと。それなら貴方が引き取ればよかったんじゃない?」
「できることならそうしたかったです。でも私は今のこの仕事しか知らないですから、住み込みの仕事が決まればお嬢様と暮らすことはできませんし、通常勤務でもどうしても朝は早く夜は遅くなります」
「わたしも夜は遅くなるけど、いいの?」
「お嬢様が貴方を選ばれたのなら、仕方ありません」
「そう、また暇な時には遊びにきてもいいけど」
「いわれなくてもそうします」
肩をすくめて見せると彼女はにやりと笑う。
どうにもやはり苦手だけれど、きっといろんな所で彼女とわたしはよく似ている。
明日も朝が早いからと早々に帰っていった菅原さんが居なくなると、急に部屋の中は静かになったように思う。わたしがお風呂から上がると、由紀もそう感じていたのか、ダイニングで一人少し沈んだ顔で座っていた。
「菅原さんもうちょっといればよかったのにね」
「うん、でも元気そうでよかった」
わたしと由紀はまだこうして生活し始めて半年も経っていない。あの人と由紀が二人で過ごした時間の五分の一にも満たない時間。まだまだわたしはあの人のかわりにはなれそうもない。
「由紀が寂しいなら、菅原さんと一緒に暮らせるよう、手配するけど」
そう、告げた瞬間、お腹に軽い衝撃を受けた。
背丈の割りに軽い彼女が、わたしのお腹に抱きついている。
「涼とはずっといたから家族なんかよりずっと大切だけど、先生とくらべてるわけじゃないの、あたしは先生のこと好きだから、先生のとこに来たんだよ? それとも先生はあたしが邪魔……?」
ドキリとした。
一回り歳の離れた少女に、胸が酷く高鳴るのを感じる。
抱きしめて、唇を奪いたくなる衝動をこらえて、その体を抱きとめて、優しく頭をなでる。
「ごめん。ずっと居て」
「うん」
腰に回された腕に力が篭るのを感じる。応えるようにわたしも彼女を抱きとめる腕に一層力を込めた。彼女を決して手放さないように。
「そういえば、プレゼントドタバタして用意できなかったんだけど、なにか欲しいものある?」
「ベッドが欲しい」
由紀のその答えに少し驚く。彼女の部屋には立派な彼女の家からもって来たしっかりとしたベッドがあるのに。身長が伸びてもう狭くなってしまったのだろうか。
「別にいいけど、今のベッドは?」
「二人で寝るには小さいでしょ? 部屋も一緒がいいな」
思わず顔が赤くなる。ゆるく抱きしめあったまま座っていたから幸い顔は見られていない筈だ。
「あのね、わたしは保護者として由紀を預かってるんだから。きちんと年頃の女の子に一人部屋くらい用意しておかないとね、いろいろ苦情がくるの」
とうぜん、あの菅原さんからだけど。
「今の部屋残しておいて、先生の部屋に住めばいいでしょ?」
「いや、よくはないでしょ。生徒と教師が一緒に寝るなんて」
「女の子同士だよ?」
「ここじゃ、関係ないでしょ?」
「なに、じゃあ先生はあたしを襲う気があるの?」
あまりにも生々しい想像が、頭の中にはきりと映像として浮かび上がってしまう。
「ないわよ」
「じゃあいいでしょ?」
渋々と頷く。どこまで本気なのかわからないけど、自制心はしっかりとわたしが持っていなければなるまい。
「先生が襲ってこないなら、あたしからいくだけだけどね」
その言葉とともに背中をつぅっとなぞられて、思わず体がぶるりと震える。
こんなことでわたしの理性はいったいいつまで耐えられるのか。
せいぜい、あの人にはばれない様に気をつけないと。




