羊頭狗肉
明の星特別学区。通称、少女学区。
三つの全寮制女子校が一箇所に固まったがために生まれたこの街は少女達ばかりが集まる少女の街だ。
どこを探しても、いつ探しても、異性の姿形ひとつ目に映らないこの街は編入組の私からするととても違和感がある。
なにせどこを見ても女性しかいない世界である。想像してみて欲しい、コンビニの店員、バスの運転手、学校の教師、近所の本屋の店員、全てが女性。
こっちに引っ越してからもう三ヶ月になるが未だに違和感はなくならない。それほどこの街はかわっている。
街中を歩くカップルだって当然の様に女性だし、ここでは常識というものが通用しない。類は友を呼ぶ、というと少し語弊があるが、変わったこの街には変わり者が集まる。たとえば同じ寮に住む写真狂いの木津先輩。噂話でしか聞いたことがないけれど、どう見ても中学生にしか見えない女性教師、絶対に口を開かない美少女、常に女の子を侍らす女王様、いつでも核を発射できるくらいの凄腕ハッカー等々何とも信じがたいというか、どう考えても嘘も混じっているものの、変な人間が多いのは確かである。
かく言う私、瀬名園子もその一人である。
「瀬名ちゃん、表にお客さん来てるわよ」
「お客ですか?」
梅雨が明けてすっかり日が落ちるのも遅くなった午後五時過ぎ。課題のノートに向き合っていた私はシャーペンを置いて入り口の木津先輩へと振り返る。
「こんな半端な時間に誰だろう」
「さぁ? 私の知ってる子じゃないね、明星のセーラー着てるし瀬名ちゃんの知り合いでしょ?」
「知り合いだったら携帯のほうに何か連絡があると思うんですが」
ここで頭を捻っているより本人に直接聞いたほうが早い。そう思って席を立とうとしたところで木津先輩が何かを思いついたかのようにポンと手を叩いた。
「それなら多分、またあれでしょう」
「あれですか……」
木津先輩に言われ一つの可能性が頭の中に思い浮かび私は深くため息を吐いた。
「なんなら帰ってもらう? こないだの借りもあるし断ってこようか?」
「いえ……いいです、私が出ます。それにまだそうと決まったわけじゃないですし」
「そっか、うん、瀬名ちゃんらしいね。どっかのお子様に爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
木津先輩の物言いに私は苦笑で返して部屋を出る。流石にこればかりは人任せにはできない。スリッパから適当なサンダルに履き替えて玄関を出ると、見慣れない少女が一人立っていた。
私より頭一つ分低い、多分身長は百五十もない小柄な子。セーラーのタイから同じ学年であるとわからなければ、一つ二つ下の子だといわれても違和感は無いだろう。
長いブロンドの髪と意志の強そうな釣りあがった青い瞳はこの街ならばそれほど珍しくも無い特徴の一つだ。彼女は私に気付くといきなり頬を赤くして俯いてしまった。どうやら予想は的中してしまったようだ。
「私に用があるって聞いたんだけど」
「ええ、あたしは同じ学年の大上柚子。今日は瀬名さんに伝えたいことがあって来たの」
「大上さんね。それで?」
「あたしと付き合って欲しいの」
この街に来てから女の子からこうして告白を受けるのはもう何度目だろうか。最初の頃こそ驚きもしたものだが両手の指で足りなくなった頃にはもうすっかり慣れてしまっていた。返す答えは一番最初の時から変わらず一言。
「好きな人がいるから」
その場しのぎの嘘でもなんでもなく、それが私の本心だ。
「それって、宮戸さん?」
「やっぱりわかる?」
「四六時中、常にあれだけ一緒にいたら嫌でもわかる」
そう、地元を離れてわざわざこんな所まで来たのは、幼馴染である宮戸綾と離れたくなかったからだ。一人じゃ何もできない、あぶなっかしいあの子を一人にすることができなくて私はこんなところまでのこのこと追いかけてきてしまったわけだ。
「宮戸さんのどこがいいんですか。礼儀はなってないし、特別何かできるわけでもない、授業はサボるし遅刻する。いつも瀬名さんに迷惑かけてばかり。あたしのほうが宮戸さんより優れてます」
「たしかに綾は問題児で怠け者でいい所なんて無いかもしれないけど、恋ってそんなものよ」
「納得いきません」
「じゃあ大上さんは、私が私より優れていて貴方に相応しいと思う人を連れてきて納得してくれるかしら」
「……いいえ」
「そういうこと、それじゃ、私は課題がまだ残ってるから」
踵を返して寮のドアを開ける。台所のほうからは晩御飯のいい香りがしている。
「瀬名さん」
呼び止められて振り返る。大上さんの瞳と真正面から目が合う。彼女の瞳は爛々と力強く輝いて見えた。
「あたし、諦めませんから」
「そう」
私の返事を聞くと彼女は一度頭を下げ、綺麗な姿勢のまま歩き去っていった。普段から猫背でだらしなく歩いている綾に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。
しかし精神的にどっと疲れた。慣れたとはいえ緊張はするし、相手に申し訳なくも思う。大体なんで私なんかに、この無駄に高い身長のせいだろうか。
部屋に戻ると綾が我が物顔でテーブルに陣取ってやりかけの課題を映していた。まったくもって抜け目ない。しかもクッキーの食べかすを盛大に撒き散らしてくれている。ノートが汚れてなければいいんだけど。
「おかえり、またお客さん?」
「うんまぁ、それよりまたそんな食べかす零して、ほんと成長しないな綾は。そんなことじゃ将来誰も貰ってくれないぞ」
溜め息を吐きながらも私はティッシュでその食べかすを掃除して、ついでに口の周りも拭いてやる。本当に子供の頃からこういうところはまったくかわらない。
「別にいいわよ。結婚なんてする気ないし」
綾には私の気持ちは未だに話していない。この街にいると同性同士の恋愛が普通のことの様に思えてくるが、私達はこの街の外から来た人間だ。私には言い出せるほどの勇気はなかったし、今のこの関係に十分に満足している。
「晩御飯もうすぐ出来るみたいだから、それまでに課題終わらよう」
「私は写すだけだけどね」
「少しは自分でやらないとテストで点取れないぞ」
「テスト前に一夜漬けするからいいの」
クッキーを食べながら気楽に笑う綾のその姿に私も自然と笑みを返す。
綾が幸せでその傍に私がいられるのなら、それ以上を望むことなんて無いのだ。
物心ついたときから綾とは一緒だった。家が隣同士というのもあったし、両方の家が母子家庭ということもあり、母親同士が気があったのも理由の一つだろう。まるで姉妹の様に育てられた私達だったけれど、容姿と性格はまったくの正反対に育っていった。
私は同年代の子に比べ発育がよく、身長も常にクラスでは一番高かった。反対に綾のほうは発育が悪く、クラスでも一番身長が低いことが多かった。身長の高い女の子らしくない私からすると、小柄で可愛らしい綾の姿がとても羨ましくて、いつも彼女の姿を眺めていた。
自ずと、私は綾の面倒を見ることが増え、世話焼きな性格に、綾は私に甘えるばかりで自堕落な性格に。別にそのこと自体に不満は無かった。寧ろ、綾に頼られることが、必要とされることが私は嬉しかった。
小学校に上がるとその差はさらに顕著になった。私はその世話焼きな性格からクラスでは頼られる存在に。逆に綾は一人では何もできない、足を引っ張る存在としてクラスの嫌われ者になってしまった。
学年が上がるごとに綾への風当たりは強くなっていき、五年になる頃にはそれははっきりとしたいじめへと発展していた。
学校から帰ると泣き出す綾を私は抱きしめて慰めた。綾は小さな子供みたいにいつまでも泣いていた。
「大丈夫だから綾、私が守るから」
「いつもありがとう、園子……」
私はその言葉通り学校で綾がいじめられているのを見つけては仲裁に入り、綾を守った。クラスの人気者である私に、いじめられっこである綾が助けられる。それはいじめる側からすれば面白くないらしく、綾へのいじめはさらに酷くなった。
私はそのことを理解していた。
理解していながら、いや、理解していたからこそ、綾がいじめられる様に、そう仕向けた。いじめの仲裁に入るのもいつも一通り事が終わってから。そうすることで綾がもっと私に依存するように仕向けたのだ。
もっともっと私を必要として欲しい、頼って欲しい。
中学に上がっても綾へのいじめはなくならなかった。寧ろ陰湿な方向へとエスカレートしていった。物がなくなるのなんて日常茶飯事で、掃除用具入れやトイレに閉じ込めれたり、酷い時は階段から突き落とされたこともある。そんな環境に綾は耐えられなくて、中学二年の春、学校の三階から飛び降りた。
地面の上でぐったりと横たわり血を流す綾の姿を見て、私はようやく自分のしてきたことが間違いだったことに気付いた。
幸い綾の命に別状はなく後遺症もなかった。しかし綾の心には深い深い傷が残った。一生消えることのない酷い傷だ。
綾の意識が戻り病室にお見舞いに行った時、私は包帯だらけの彼女の姿をみてみっともなく子供みたいに泣いた。私なんかより綾のほうがずっと辛いはずなのに綾は黙って私のことを抱きしめてくれくれた。
「私、遠くへいくよ」
「遠く?」
「誰も私のことを知らないところまで」
「私も付いていく。綾は私がいないと何もできないんだから」
嫌われるのが怖くて本当のことは言えなかった。私は最低だった。それでも傍に居たかった。少しでも罪を償うために、私は綾のそばにいることに決めた。それはただの言い訳で、未だに消えない彼女への独占欲なのかもしれないけれど。
そうして私達はこの街へとやってきた。外界から切り離された少女達の街、少女学区に。
「園子」
「なに?」
晩御飯を終えて私達は綾の部屋でテレビを見ていた。古い洋画で、最初から見ていなかったせいで話はあまり頭に入ってきていない。
「いつも迷惑かけてごめん」
「……」
「わざわざこんなとこまで付いてきて貰って、世話まで焼かせて。ありがとう」
本当は、謝らないといけないのは、ありがとうと言いたいのは私なのに。言いたいのに言えない。臆病な自分が凄く嫌いで、凄く惨めで。私は綾に感謝されるような資格なんて無いのに。
「綾」
「ん?」
「そう思うんなら、いい加減課題くらい一人で出来るようになりなさい」
「それとこれとは別」
「別じゃないでしょ。いつも綾がそのまま写すから私まで先生に目をつけられてるの」
「ケチ」
「ケチって、あのねぇ」
こうして他愛の無いやり取りを出来るだけでいいんだ。
だけどいつか、言えるだろうか。
私のしていたことを。
もしも、謝れる日が来たら。
もしも、綾が許してくれたら。
その時は、きっと。
二話目。
主要登場人物である園子と綾のお話。余裕があったらこの二人の過去をもっと深くしっかり書けたらなと思います。
伏線はってるけど果たして回収できるんだろうか。