一陽来復
大金星祭から早一週間。
祭りの熱が未だ微かに残るものの、街は徐々にいつもの静寂を取り戻しつつある。忙しかった私の生活もだらけきった日常へとすっかり戻り、なんとも夢のような日々だったと思い返すばかりだ。
「でも、夢じゃないのよね……」
部室の端、ガラスのケースに収められた一体のマネキンには、私が作ったハートの女王の衣装が着せられて飾られている。あの時の衣装はそれぞれのモデルに着て欲しいと全員に贈呈したのだけれど、この一着、姫子だけは受け取ることを拒否して私の元へと帰ってきた。姫子曰く。
「また人垣に飲まれるのはごめんよ」
とのことだったけれど、本当の所はわからない。私が作ったものだったから受け取らなかった、その可能性はきっと大いにあると思う、振られた相手の手製の服なんて手元にあっても……。
それ以来姫子とはあっていない、メールも電話もしていない。お互いに気まずいし、暫くはきっとこのままだろう。
そうして、今まで以上に疎遠になった相手もいれば、逆に今回のことで距離が縮まった相手も数人いる。
たとえば、すぐそこの窓際、簡易ベッドの上で気持ちよさそうに寝ている宮戸さんとか。
ここのところ授業のある日は毎日部室へと顔を出している。今回の一件ですっかり彼女には懐かれた様だ。それは悪い気はしない。
相変わらず他人は苦手なようで今のように授業を抜け出してサボりに来ることも多いのだが、そのあたりは徐々に慣らしていけばいいだろう。あの日から随分と彼女の顔つきも変わったように思える。相変わらず顔色は悪くて、くまもひどいものの、髪の毛や服装には大分気を配るようになっていたし、食事の時の手の震えも少し緩和されたようだった、それはきっと多少なりとも自信がついたからだろう。
周りの彼女を見る目も少し変わった。瀬名さんのオマケだった彼女も小動物的でかわいいなどという好意的解釈を持った一派が現れてきているようだった。当人はまったく気づいていないようだが。
元々素材はよかったのだ隣に目立つ友人がいれば否応なしにも人の目に入るようになる。自らの功績、などと自慢するつもりは毛頭ないけれど、きっと少しは彼女の役に立てただろうか。
「そうだといいんだけれど……」
眠りこける宮戸さんの頬を突くと寝返りを打って指を逃れる。そんな仕草に思わず笑みが浮かぶ。
宮戸さんが倒れるように眠りに落ちた後、瀬名さんとは散々言い争ったけれど、その分瀬名さんもすっきりしたのか、少しだけ私への態度が軟化したように思える。加えて過保護気味だった行動も最近は改善されつつあるようだ。二人の関係は当初心配してたものから随分とよくなったと思う。
二人の間になにがあったのか私は知らないけれど、どこが歪な二人の関係がきちんと修復されればいいと願うばかりだ。
物思いに耽っている間に時は過ぎ、放課後を告げる鐘の音が学校中に響き渡る。
よく眠っている宮戸さんはそれでも起きない。その寝顔をみていると私もなんだか眠くなってくるけれど、昼寝、というわけにもいかない、今日はこれから用事もあることだし何より、そろそろこの部屋に客人が来る頃合だ。
思うが早いか、荒々しく部室の扉がノックされる。
「古河先輩、いるんでしょう」
迫力のある瀬名さんの声が聞こえる。もはやこれすらも日課だ。慌しくも静かだった一ヶ月前が懐かしくすら思える。
「開いてるわよ瀬名さん」
私がそう声をかけると、勢いよく扉が開け放たれズカズカと勢いよく乗り込んできた瀬名さんが部室の中を見回す。そうして、その視線がある一点でピタリととまり、大きなため息を吐く。
「やっぱり綾、ここにいたんですね」
呆れと、安堵の入り混じった声で言いながら彼女は壁に立てかけてあったパイプ椅子を勝手に広げて腰掛ける。
「起こさないであげてね」
「人には過保護だとか言っておいて、自分は綾を甘やかすんですね。貴方がそんなだから最近綾にサボり癖が付いてるんですよ」
「そうは言ってもね」
確かに最近宮戸さんはちょくちょく授業をサボって部室で寝ていることが多い。しかしその事に関しては元々授業を真面目に受けていない私から注意するわけにもいかないわけで。
「私、睡眠に関しては全人類の味方なのよね」
「なんでそんなに無駄に規模が大きいんですか」
「それほど人間の三大欲求は偉大ってことよ」
時計を見ればもう暫く部室を出るまでは時間がある、眠気覚ましと、客人を持て成すために薬缶を火にかける。
「瀬名さんは紅茶でよかったかしら」
「ええ」
「これから少し部室空けなきゃいけないから、少しの間だけ留守番して貰ってていいかしら」
「どうせ綾もまだ暫くは寝ているでしょうし、構いませんけど、何か用事ですか?」
「ええまぁ、ちょっと生徒会長に呼び出されてね」
「また何かやらかしたんですか?」
「……私は瀬名さんの中でどんなキャラ付けをされているのかしら」
「はた迷惑で傍若無人な先輩ですよ」
あながち間違いでもない気がするけれど、それほど他人に迷惑はかけていないはずだ。多分。
考えながらティーセットを用意しているうちにお湯が沸く。味と香りは本物には遠く及ばないけれど、お湯を注ぐだけでいいインスタントとティーバッグの手軽さも私は嫌いではない。紅茶のほうにはあいているソーサーで蓋をして瀬名さんへと差し出す。ついでにミルクと砂糖も一つずつ付けておく。
「少し不恰好だけどどうぞ」
「ありがとうございます」
紅茶の蒸らしが終わるのを待ってからコーヒーに口を付ける。口一杯に広がる苦味と香りが眠たい頭をクリアにしていく。そのまま熱いコーヒーを一気に飲み干す。さすがに冷めたインスタントコーヒーは飲めたものではない。
再び時計に目を向けrと、少し早いけれどいい時間だ。カップや道具はそのままに席を立つ。
「それじゃいってくるから、誰かきたら適当にお願い。飲み物は勝手に入れちゃってていいから」
私の言葉を聞いているのかいないのか、紅茶を吹いて冷ます瀬名さんに一抹の不安を覚えながら私は部室を出た。
部室棟を出て高等部の校舎を抜け、さらに職員棟も通り抜けて、生徒会館へとようやく辿り着く。相変わらず無駄に広い敷地と無駄に大きな建物の群れに辟易する。
入り口の守衛さんにパスを見せて建物の中へ。生徒会館は他の場所に比べて無駄に警備が厳しい。まぁ大体生徒会役員になるのは本物のお嬢様方なのでその親達のたっての希望で警備が厳しくなっているのだとかなんとか、まぁ実際のとことは金を持っている事を他人に知らしめたいだとか寄付で偽善をアピールしたいとかそんなところなのだろう。
建物内部でも時折大人の女性とすれ違うが彼女らは皆どこかやる気なさげに欠伸をしたり携帯を弄ったりしている。少女学区がいくら変わった街とはいえ、大それた事件なんてそうそう起こるものでもないのだから当然と言えば当然か。
あたりを観察しながら歩いている内に目的地へと辿り着く、三階の一番奥、高等部の生徒会室だ。
扉を軽くノックすると、直ぐに中から返事がきた。
「どうぞ」
「失礼します」
扉を空けて中に入ると私を呼び出した張本人、生徒会長の手石智世子はいかにも高級そうな椅子に深く腰掛けていた。前回、大金星祭の期間中に訪れたときは生徒会室中散らかっていて、本人も仕事に追われていたようだったが、大金星祭が終わって一段落付いたのか、ゆっくりと紅茶なんて飲みながら私を出迎えてくれた。
「お久しぶりです生徒会長。あれから麻池さんとはうまくいってますか?」
「おかげさまで順調よ。まぁそれはいいとして、とりあえずご苦労様」
「ありがとうございます。私の目論見、どうでした?」
「大金星祭終わってからすっかり被服部への不満は来なくなったわ」
どうやら計画通り私の思惑はうまく働いたようだった。
「じゃあ部室はこのまま私が使い続けても?」
「問題ないわ」
心の中でガッツポーズをとってしまう位に素直に嬉しい。今更部室に持ち込んだ備品を自分の部屋に持ち帰ったら大変な事になってしまうのは請け合いだったし、何よりあの空間は今では掛け替えのない場所に変わりつつあったから。
「そういえば、ミスコンの細かい投票結果出たけど必要?」
「ええ、貰っておきます」
ミスコン、正しくは明の星特別学区美少女コンテスト。なんとも古臭い催しではあるが大金星祭の中では一際注目度の高いイベントで。他薦自薦問わず、事前に登録された三百名の中から少女学区内でその年一番の美少女を決めようというこの企画。登録者が多すぎて推薦に名前のない人間まで投票されるこの催し。各個人などにはアピールタイムなどは一切用意されず、純粋にその容姿を評価されるこの催しを、私は今回利用したというわけだ。
手渡された大き目の集計用紙のコピーに私は目を通していく。上位三名の順位の発表は自体は三日目の閉会式の時点でなされていた物の細かい票数を見るのはこれが初めてだ。
「一位と四位に被服部の衣装着た二人が取り上げられたら、そりゃ認めないわけにもいかないわよね」
同じように用紙を見つめていた生徒会長がぽつりと呟く。それこそが私の狙いだったわけだ。当然の用に一位は姫子。これは予想以上に票数を集め二位とはダブルスコアが付いている。そうして四位には瀬名さん。こちらは嬉しい誤算だ。当初は姫子だけで乗り切る予定だったのだけれど、少女学区の女王とあってはいちゃもんの一つや二つ付いてもおかしくないと覚悟は決めていたのだが。
そうして当人はというと、まったく気にした様子もなかったし閉会式での発表もなかったため、周りが騒ぐこともなく、ただ隠れファンが増えているようだった。
「ま、上手くやってくれてこっちとしては何よりよ。写真のデータの方はちゃんと消しておいてね」
「もちろんですよ」
というか既にあのデータは抹消済みだ。端からあれでゆすり続ける気など毛頭なかったわけだしさすがの私だってそこまで鬼ではない。
「そういうわけで、おつかれさま。このまま卒業まで貴方の顔を見ないですむ事を願ってるわ」
「相変わらず露骨に嫌がりますね、自分から招いておいて」
「自分から招いたからよ、勘違いされたくないからね」
生徒会長が言いながら出て行けという感じに手を振る。そのしぐさに苦笑しながら私は背を向ける。早いところ出て行ってこれ以上期限を損ねない方がよさそうだ。
扉に手をかけたところで、一つ、忘れ物を思い出した。振り向いて一言声をかける。
「麻池さんの校則の改訂通るといいですね」
真っ赤になった生徒会長の顔を視界の端に収めて私は生徒会室をあとにした。
部室に戻ると、客人が一人増えていた。
「あら大上さんいらっしゃい」
「お邪魔してます」
瀬名さんと宮戸さんと同じ寮に住む大上さんも、最近部室にたまに顔を出すメンバーの一人だ。小柄なのは宮戸さんと一緒だが性格は正反対でどうにも二人とも相性は悪そうに見えるのだが、案外この二人が上手くやっているのを見るとなかなか面白い。
「早かったですね古河先輩」
「ま、大した用事でもなかったから」
宮戸さんは相変わらず起きていないようで窓辺で小さく寝息を立てている。
「じゃあ、私と大上さんはそろそろ帰ります」
「あら、宮戸さんはいいの?」
「まだ起きそうもないですから、私達は寮の買出し頼まれてるので、綾が起きたら早く帰るように言ってください」
「了解、気を付けて」
二人を見送ってお茶の道具を片付ける。食器の音と水の流れる音、できるだけ起こさないように音を立てないように慎重に洗い物を済ます。
一息ついて椅子に腰掛けて、先程生徒会長から受け取った用紙を取り出す。三百位までの集計結果には目を触れず、欄外の登録外投票の集計結果へと目をやる。
果たしてこの結果を言うべきなのか、それとも黙っておくべきなのか。
この集計結果を知っているのはほんの一握りの人間だけ。
それを教える事は果たして彼女にとって自信となるのか、プレッシャーになるだけなのか。
事前に登録されていれば五位になるはずだった、『アリスの衣装の女の子』の寝顔を見つめながら、私は深く思案するのだった。
大金星祭の一連の話も終わり本筋の方も一段落になります。
まだ書きたい話も書き足りない所もたくさんあるのでまだまだ続いていくと思います。




