大金星祭
今日は大事な日なのに昨夜はあまり眠れなかった。いつもより色濃い目の下のクマ。迷惑をかけてしまう。そう思うと息が詰まる。胸が苦しくて布団をギュッとつかんだ。
その苦しさは昨日、たまたま立ち寄った喫茶店であの二人に出会ったときのそれと、よく似ていた。
とても綺麗な人だった。少女学区の女王と呼ばれる有名人、小鳥遊姫子さん。
古河さんとはいったいどういう関係なんだろう、気さくな慣れしたんだ空気を感じた。思い出すとまた胸が締め付けられるようだった。気になって昨日はあまり眠れなかった。
あんなにすごい人がいるのになんで私なんかをモデルにしようと思ったんだろう。私もたしかに古河さんの服を着れば人並みに見れる程度にはなれるとそう思っていたけれど。本物は違った。昨日目の前にしてはっきりとわかった。本当に住む次元が違う人がいるんだと思ってしまうほどにあの人は綺麗だった。
僅かにあった自信もあの姿の前には吹き飛んでしまう。今日、モデルとしてステージに立たなければいけない事がひどく億劫で、恐ろしい。できることなら逃げ出してしまいたい。でも、今更になって迷惑をかけることはもっと嫌だ。
鬱々とした思考がとぐろを巻いている。悩んでいるうちに時間は過ぎていく。
お昼を過ぎたころ、私は園子と一緒に寮を出て天津星学園のコンサートホール、へと向かっていた。
初めて足を運んだそこは前に住んでいた町のコンサート会場より規模が大きく設備も最新のものがそろっているようだった。その建物の中、舞台の裏にある部屋の内の一つ、簡素な張り紙で「明星女子学院被服部一行様控え室」と示された部屋に足を踏み入れる。
「いらっしゃい宮戸さん、瀬名さん、今日はよろしくね」
ドアを開けて最初に出迎えてくれたのはいつもと変わらぬ……いや、いつも以上に楽しそうな古河さんだった。
「よろしく、おねがいします」
「今日だけ、ですからね」
「なにはともあれしっかりね」
部屋の中には数人見知らぬ顔の人がいる。スタッフの人なのかモデルの人なのか私には皆目見当もつかない。そのなかに一人だけ見知った顔があった。見知ったというより一度見たら忘れられないその銀色の髪の女性。昨日の小鳥遊さんだった。
衣装を着ていないこともあり幾分落ち着いた様子に見える彼女だったけれど、どこかすこし暗い顔をしているように見える。昨日あったときとはまるで別人のように感じる。
それでもその美しさに陰りはない、むしろ昨日とは違う静かなその佇まいにはまた別の魅力があった。
その様子が少し気になったけれど、声をかけられるほどの勇気は私にはまだない。
小鳥遊さんの様子を視界の端に収めながら園子の隣に腰掛ける。
「さて、全員揃ったし時間も頃合だし、準備に入りましょうか」
古河さんのその言葉に隣に座る園子が手を上げる。
「はい、どうぞ」
「具体的に何を。結局今日の今日までろくな説明も衣装合わせもせずに来たわけですけど」
「とりあえず、まずはその衣装を合わせてもらいましょうか。梓手伝って」
金髪の、髪を縦にロールした古河さんの知り合いらしき人と古河さんの手によってカーテンの向こうから衣装を着せられたマネキンが運ばれてくる。中には昨日みた小鳥遊さんの者もあり、そのマネキンは小鳥遊さんの前へと置かれた。
同じように私の前にもマネキンが一体。園子や古河さん、金髪の人、他にも数人の前にその様々な衣装を身に纏ったマネキンが置かれた。
私のものは水色と白を貴重にふんだんにフリルのエプロンドレス。オーバーニーも同じように水色と白のストライプ。その中で一つだけ色の違う黒い派手なリボン。
控えめだけれどしっかりと作られていて少しだけこの服に袖を通すことに期待が湧き上がる。
「目の前に置かれているのが各自の衣装ね。何か質問はある?」
古河さんの言葉に再び園子が手を上げる。なんとも積極的なことだ。
「これはなんですか」
とてつもなく低い声で園子が紫色の猫の耳がついたカチューシャを持って震えている。パーティーグッズなどとして売っている安っぽい耳ではなくかなりリアルに仕上げられているらしくさわりごごちはとてもよさそうに見える。
「何ってネコ耳よ」
「ネコ耳ってふざけてるんですか。モデルがネコ耳って。しかも何ですかこの紫の衣装はなにかの嫌がらせですか」
「ふざけてもないし嫌がらせでもないわ。私だってほら。ウサギ耳よ」
そう言った古河さんの前に置かれたマネキンに着せられているのはいわゆるバニーガールの露出を抑えたような衣装、とでも言えばいいのか。黒いスラックスと赤いバニー衣装の対比が印象的だ。そのなかで目を引くのは小物として用意された少し大きな懐中時計。
対して園子の衣装は全身紫を貴重とし、黒と紫とピンクを組み合わせた服装で、上はパーカー、下はホットパンツに私とは色違いのオーバーニー。そして例のネコ耳。
そうして昨日小鳥遊さんが着ていたトランプのハートを貴重とした衣装。それらから私はなんとなくこれらの衣装の関連性に気づいた。
「これ、不思議の国のアリス……」
ポツリと答えが口をついて出ていた。
「宮戸さん正解」
「アリスってあのアリス? じゃあ姫はハートの女王?」
「私はチェシャ猫?」
「そう、それで私がウサギ、梓が帽子屋、そして宮戸さんが」
「アリス……? 私が?」
なんとも信じがたい、私が主人公役の衣装だなんて。とはいえ辺りを見回せば、この子供っぽい衣装が似合いそうなのは私しかいないからそれは当然といえば当然なのかもしれない。
「そう、今日の舞台の主役はアリスの宮戸さん。貴方を見てて思いついたのよこの催しは。少女学区という異世界にやってきた人。なんだかアリスに似てるなってね。だから一番最初にできたのはその衣装。まだ返事もらう前に完成しちゃって断られたら正直頓挫してたのよねこの計画」
「さらっと怖いこといいますのね」
「ま、事実だしね、改めて皆どう? 自分の衣装。不満はないかしら」
違った。
私しかいないからじゃなくて、私のために作られた衣装。
それがとてもうれしい。
不満なんてあるわけもなくて。
「耳はどうにかならないんですか」
「ならないわ。大丈夫よ似合うから」
それでも尚不満そうにネコ耳を見つめる園子の手から私はそれを奪い取って園子の頭へのせる。不機嫌そうなその表情は気まぐれな猫を容易に想像させ、本当によく似合っていた。
「似合ってるよ、園子」
「用意しといてなんだけどはまりすぎよね」
「綾がいうなら、まぁ……」
渋々と言った感じで園子も納得して、他の人からも衣装に関して不満がもれることはなかった。
「さて、衣装についてはこれくらいにして、簡単に流れの説明ね」
壁に備え付けられたホワイトボードに簡易的な舞台と控え室の見取り図が書かれて、説明が始まる。
「出番は午後三時から。余裕をみて時間はとってるからあせる必要はなし。モデルといっても特別なことはしなくていいから。普通に衣装を着てこのステージの上をぐるりと一周歩いてくれるだけでいいわ。どうしても心配なら私が一番にいくことになってるからその様子を見てまねてくれればいいわ。二番目は宮戸さんと瀬名さんのペア。三番目は梓。四番目が姫子。ここまではいいかしら?」
皆が頷いて返す。
「細かな支持はその時々にスタッフの人が出してくれるからそれに従ってね。打ち上げの予定があるから終わったからって勝手に帰らないように。以上で大体の説明は終わり。なにか質問は?」
周りがだれも手を上げていないことを確認してから私はおずおず手を上げる。
「宮戸さんどうぞ」
周りから視線が集中するこの感覚はやはりなれない。それでもこの後のことを考えればこの程度のことで逃げ出したい、などと思っていては到底持たないだろう。
意識しないように、必死に堪えて私は口を開く。冷静に、冷静に。
「なんで、園子と一緒なんですか。服を見せるなら一人ずつのほうが」
別に園子と一緒なのが嫌なわけではない。
単純に心配なのだ。私と園子ではモノが違う。せっかくの主役の衣装。古河さんが一生懸命に作ったそれが私のせいで注目を集めにくくするのは嫌だから。
「瀬名さんからのたっての希望でもあるし、ま、一応心配だしね。でもそれだけじゃない。現状、貴方達をペアで認識してる人って結構多いと思うのよね。この街では。とはいえ注目されているのは主に瀬名さん。でもそこでいつもは注目されない宮戸さんがいつもとは違う状態で現れたらどうなるかしら。当然見慣れた瀬名さんより、貴方に視線は集中する。狙いはそこ、ギャップというやつね」
「意外と考えてるんですね先輩」
「貴方は本当は予定外だったから急遽立てた計画だけどね、ま、結果オーライというやつね。納得いったかしら?」
「はい」
本当は納得できなかったけれど私は頷くことしかできなかった。
一人で、舞台に立ちたかった、それが出来ないと判断されたことがほんの少しだけ悔しい。仕方のないことだってわかっているけれど、私だって、同じ立場だったらそうする、教室ですら倒れるような人間を一人で舞台に立たせるのは危険だ。わかっている。
それでも悔しいのだ。どうしても。どうしようもなく。
着替えが始まると途端に控え室は騒がしくなり始めた。私は一人では準備できないということで古河さんの手を借りて一番最初に着替えとメイクの手伝いをしてもらっていた。
「宮戸さん大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃない、かも」
時間が進むにつれ徐々に鼓動が早くなっている。思わず手に力が入ってしまう。これから沢山の人の前に立つのだと思うと背筋が冷え、軽い吐き気もしていた。心の中で見得を切った割りに体の方は相変わらず弱いままだった。なんとも情けない。
「ま、当たり前よね。私も今すごい緊張してるし」
「古河さんも……?」
なんだか以外に感じる、この人は何があっても動じそうにない、そんなイメージが勝手に出来上がっていたから。
「私も人の子だしね、数え切れない人の前で自分の作った服を見てもらう、自分自身がその人たちの前に出て評価されるわけだし。万が一にも失敗でもしたらと思うと気が気じゃないわ」
その気持ちは痛いほどよくわかる。私のせいでこの催しが失敗してしまったらと思うと、頭がおかしくなりそうだ。
「まぁでもそれでいいのよね。緊張するってことはこれから起こることに対して対応する準備をしてるってことだから、
「準備ですか」
そんな考えかたをしたことはなかった。緊張すると胃が痛くなったり気持ち悪くなったり、正直マイナスなイメージしか私にはない。
「緊張してると最悪のケースとか思い浮かぶでしょ? そこでそれにをとらわれずにどうすれば対処できるか、最悪そうなった場合どうリカバリーするか、そういうことを考えてもしもに備えるの」
頭の中で言われたことを反芻する。舞台の上で蹲って動けなくなったとして、私はどうすればいいだろう。もしたとえそうなっても、きっとそのとき隣にいる園子がフォローしてくれるはずだけど……できれば頼りたくはない。だったら、そうならないようにしなければいけない。人の視線に、他人に対して、自信をもって立ち向かえるようにならないといけない。
できるだろうか。いや、そのつもりで私は今日この場に来たのだ。
「はい、準備完了」
古河さんの言葉に私は鏡を見る。
初めて古河さんに服を着せてもらったときと同じように、そこには私の知らない少女が一人椅子の上に縮こまって座っている。
前回とは違う明るい色の配色のなか、黒い髪と大きなリボンが一際目を引く。
まるで童話の中からそのまま抜き出してきたような、アリスという型にしっかりとはまっている私。不満があるとすれば青白い肌と、自信のなさそうな表情。この明るい服装にそれらはあまり似合っていない。
笑顔を形作ろうとがんばって見ても、うまく笑うことができずにますますおかしなことになっていく。
「無理に笑おうとしなくても大丈夫よ」
「でも」
「素のままのあなたで大丈夫よ。あなたに似合うように私が作ったんだもの。さ、まだ他の人の準備があるんだから出て交代して」
古河さんに背中を押されて私はカーテンの仕切りの向こう側へと追い出されてしまう。
鏡のないこちら側では今自分がどんな表情をしているのか皆目検討もつかない。
少なくとも笑えてはいないだろう。
こんなことで人前に立てるのだろうか。
不安にため息を吐いたところでカーテンの仕切りから着替え終わった小鳥遊さんが出てきた。昨日と同じ衣装に身を包んだ女王はやっぱりとても綺麗で、その全身から自信を撒き散らしているように見える。
どうしたらそんな風にしていられるのか、古河さんとはいったいどういう関係なのか、なんで女王なんて呼ばれているのか……聞いてみたいことは沢山あったけれど、やはり話しかける勇気はなくて、そんな臆病な自分に再びため息を吐いてしまう。
「人の顔をみてため息を吐くのは失礼じゃないかしら」
こちらの様子に気づいていたのか、小鳥遊さんにそんなことを言われて私はとっさに何も言い訳できずに、そのまま固まってしまう。
「とはいえ、姫のあまりの美しさに感嘆のため息を吐いてしまうのは姫が罪作りなせいよね。どう、今晩あいてるかしらあなた?」
本当にその自信はどのようにして沸いてくるのだろうか。容姿がいいと自然と湧き出てくるものなのだろうか。だとしたら私にはなかなか縁のない代物だと思う。
「ごめんなさい」
ため息を吐いてしまったことと、断りの二重の意味を持たせたその言葉を何とか呟くと先ほどまでの勢いはどこへやら、小鳥遊さんはゆっくりと席に着いた。
「冗談だから気にしないで。あ、ちなみに瀬名さんと昨日の大上さんは付き合ってる子とかいるの?」
「いないですけど」
「そっか、それはいいことを聞いたわ」
なんというか話してみると見た目とは裏腹に変な人だと思ったのが正直な感想だ。この街にはとにかく残念な美人が多いように感じる。見境がないようだけれど執着はあまりないのか、それとも私にはもともと興味がなくて二人の話題を聞きたかっただけなのか。
どちらにしろちょうど、聞きたかった話題につなげやすい問いだったので私はなんとかかすれそうになる声で質問を返した。
「小鳥遊さんは、付き合ってる人とか」
「ん、やっぱり気になる姫のこと」
「いえ、そういう意味でなく」
「ま、いるけどね、今は十六人くらいかな」
さらりとすごいことをいっている。十六人といったら私の寮に住む人数より多い。とてもじゃないけれど想像すらできない数だ。ただ、問題なのは人数じゃなくて、そのなかにだれがいるか、なのだ。
「古河さんとは……」
恐る恐る聞くと、彼女は一瞬悲しそうな顔を見せた後、すぐに笑みを作って話し始めた。力のない笑みだった。
「千歳とは、振られた側と振った側よ。恋多き女だから姫は」
なぜだか私はその言葉に安堵していた。理由は自分ではよくわからないけれど。
「あなた、千歳の事が好きなの?」
聞かれて、考えてみる。好きかどうかと聞かれれば迷わず好きだといえるだろう。尊敬する、目標とするべき人物として、私にとって古河さんは憧れの先輩ということであるのはゆるぎない事実だけれど、果たしてそういう意味での好きかどうかと問われれば、よくわからない。私にはそもそもそういう経験がなかったし、女の子が好きだという性癖もない。だから多分きっとこの気持ちは別のものなのだろう。
だから私は首を横に振った。
「そう、ならやっぱりまだ姫にもチャンスあるかしらね」
「ごめんなさい」
「きっぱりいわれるとやっぱりへこむわね」
そんな話をしているうちにカーテンの仕切りから着替えとメイクを終えた出演者たちが出てくる。本番の時間も迫っていた。
幾分心は落ち着いてた。気になっていた心のひっかかりがひとつ取れたからだろうか。薄い胸に手を当ててみると、鼓動も落ち着いている。
最後のカーテンの仕切りが開けられ、古河さんが顔をだす。赤と黒のウサギを模したカジノのディーラーを思い起こさせるその衣装は小物だけ見ればとてもファンシーなのに、古河さんを含め全体像でみるとビシッとよく決まっていた。
「皆準備できたわね。そろそろ時間だから会場入るわよ。前のプログラムは終わってるけど騒がず静かに移動して」
いよいよ出番が近づいてくる。周りの人たちの流れに乗って私も控え室の外へと出る。再び心臓が高鳴り始める。
でも大丈夫だ。これは準備なのだから。そう言い聞かせて右手と同時に出そうになる右足と左手と同時に出そうになる左足に細心の注意を払って会場へと足を踏み入れた。
舞台袖は薄暗くて、周りの人の顔もよく見えない。それだけに会場のざわつく声がより一層強く聞き取れた。
「いよいよ本番ね、気負う必要はないわ。ただ歩くだけでいいんだから。成功させましょうね」
皆が古河さんの言葉に大きく頷く。そしてマイクのスイッチが入る。司会を任された子の声が会場内へと響き渡る。その声も耳に入らないくらい緊張は最高潮に達しようとしていた。周りのモデルの人達が舞台袖から客席を伺う中ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「綾大丈夫?」
「緊張してるけど、多分大丈夫」
「無理はしないでね」
「うん」
頭に猫耳をつけた園子が私の手を握ってくれる。その暖かさが今はとても心強い。
そうして司会の子の声が途切れる。
「それじゃ行ってくるわ。しっかり見ててね皆」
そう残して古河さんは颯爽と舞台へと向かっていく。その背中を見送って次の出番である私と園子はすぐ近くのモニターを覗き込む。そこにはホール全体を埋め尽くす観衆の中、舞台の中央を堂々と歩く古河さんの姿が映し出されている。その足取りに迷いはなく、いつもと同じ堂々としたその態度は、この場においてひどく洗練されたモデルの動きに映る。
舞台の端まで到達し、一礼をして踵を返す。優雅なしぐさに見とれている場合ではない。もうすぐ私たちの出番だ。
園子の手を強く握る。園子もぎゅっと握り返してくる。二人で視線を交わす。大丈夫、大丈夫。きっといける。
古河さんが戻ってくる。
「がんばって」
その一言に背中を押されて私たちは、スポットライトの下へ躍り出る。
瞬間会場中の視線が突き刺さるように私たちへと向けられる。ホールいっぱいの観客を実際目の当たりにすると、それは画面の中とは比べ物にならない迫力で寒気と吐き気、腹痛が一度に襲い掛かってくる。ぐるぐると視界が回りだす。
あの頃向けられていた視線とは違う。それが分かっていても足が竦んでしまう。舞台の中央へまで頼りない足取りで何とかたどり着く。涙が目尻に浮ぶ。
視線が怖い。幾万もの視線に晒されて見る見るうちに体力が減っていく。酷く足取りは重く園子と繋いだ手に半ば歩かされるように私は前へと進む。暖かいその先導だけが最後の頼りだった。
熱病に浮かされるようにふらふらふらふらと、なんとか舞台の端まで辿り着く。でもそれが限界だった。どうしようもないくらいに震えて足に力が入らなくて、すとんとその場に座り込んでしまった。腰が抜けるというのはこういうことなのかと、そんな酷く間の抜けた感想が頭の中に思い浮かんだ。
会場がざわつくのが分かる。やってしまった、私のせいで、失敗だ。古河さんがこれまでしてきた沢山の準備を、苦労を私が台無しにしてしまった。涙が溢れそうだった。こんなときどうすべきか考えていたはずなのに、頭の中は真っ白で何も思い浮かばない。涙が溢れそうだった。唯一すがることが許された手に感じる暖かさに私は園子を見あげる。青い顔をした園子がはっとしたように私の手を離した。
愕然とした。
ついに園子にまで見放されてしまったと。そう思った。
次の瞬間、私は園子に抱え上げられていた。
右手を体に、左手は膝に。俗にお姫様抱っこといわれる形で私は園子に抱え上げられていた。ホール中に先ほどまでのざわつきとは違う、歓声ににた声が上がり始める。
私は自分の身に起こっている事を把握しきれず目を白黒させて園子の事を見上げる事しかできない。園子はそんな私に笑いかけて、観衆に対して一礼すると私を抱えたままターンして舞台袖へと向かう。未だにホールを満たす歓声はやまず異様な盛り上がりを見せ始めている。そんな声を背中に受けながら私たちは舞台袖へと引っ込んだ。園子もさすがに疲れたのか私をゆっくりと地面に降ろしてくれる。そこに、出番の終わった古河さんが駆け寄ってくる。
「お疲れ様二人とも。宮戸さん大丈夫? 救護室いく?」
私は首を横に振る。まだ吐き気や腹痛は残っているもののそれほど酷くはない。それ以上に失敗したというその事の方が酷く胸を痛めていた。
「なんにしろ無事でよかったわ、ナイスフォローよ瀬名さん」
「ナイスじゃないですよ! 危うく綾に新しいトラウマができるところだったんですよ」
「荒療治だったのは認めるけど、いつだって飛び出せる準備はあったしいい経験になったと思うけれど。宮戸さんはどう? 出演して後悔してるかしら?」
聞かれて考える。失敗した事はショックだし忘れられそうにないけれど、こうしてモデルとして舞台に立った事は後悔していない。貴重な経験ができたと思う。まだ確固とした自信を持つことはできないけれど、少しだけ前に進めた気はする。
「後悔はしてないです。心配かけてすいませんでした」
「いいのよ結果的に盛り上がったしね」
「結果だけで語るなんてナンセンスです」
二人はまだ何か話しているようだったけれど、私の耳はもうそれらを右から左に聞き流すことしかできなかった。緊張の糸が切れて、途端に寝不足の付けを払わされるかのように眠気が襲ってきた。
二人とももっと仲良くしてくれればいいのに。
そんなことを思いながら私は重い瞼を閉じた。




