羞花閉月
今日は一世一代の大勝負。
気合は十分。
私室の姿見の前、やまめにメイクや髪の手入れをしてもらいながら強く拳を握る。
「姫様、ハンカチ持ちましたか?」
「もってるわよ」
「ティッシュと、携帯電話も」
「もってるわよ」
まったくもってやまめは心配性だ姫だってもう子供じゃないのに。
「お財布と、ピルは?」
「財布はもってるけどピルはいったい何に使うつもり!?」
「冗談ですよ姫様、あんまり緊張しているようでしたので緊張を解そうかと」
すごくまじめな顔でいうやまめだけれど明らかに目だけが笑っていた。まったくもってこの子は……。
「姫様すごいおめかしに気合入れてますね」
「今日はあの千歳って人とのデートだからね。姫様の本命だよ」
「ああ、そういえば……姫様ファイト」
「ちゃんと夜は皆で出かけておきますから」
うれしそうに話す中等部の二人、陽ちゃんと美袋ちゃんに一応釘を刺しておく。
「デートじゃないから、単に一緒にお祭りを回るだけよ。ほとんど、千歳のための宣伝みたいなものかしら」
「それでも、楽しみなのでしょう?」
「まぁ、それはね。皆には悪いとは思うけど」
今部屋にいるのは特に姫を慕ってくれている三人で、彼女たちの理解は深く、とても助かっている。
姫を慕ってくれている子の中には今日の予定に反対して部屋に閉じこもってストライキを起こしている子までいるというのに、彼女たちは笑って姫を許してくれた。
「行くからにはきちんと結果を出してきてくださいね。それがどちらの結果だったとしても」
「善処はするけど、あんまり期待しないでね」
「応援してますよ姫様」
「がんばってきてください」
「メイク、髪結い、ともに終わりました。姫様、御武運を」
大きく頷いて椅子から立ち上がる。
「それじゃ行ってくるわ」
三人の額に行ってきますのキスをする。皆が嬉しそうに笑ってくれる。それはとても幸せなことだけど、姫はもっと大きな幸せがほしいから、この部屋をでて戦地へと赴くのだ。
「行ってらっしゃいませ」
やまめの言葉に後ろを振り向くことなく手を振って部屋を出る。姫の大金星祭の一日目はこうして始まった。
待ち合わせ場所の明星の正門前に向かうとあたりは少女で溢れていた。右を見回しても左を見回しても女の子。毎年毎年、いったいどこにこれだけの人数がいるというのか不思議になるくらいの人の量、例年ならそのあたりの目に付いた子に手当たりしだい声をかけてやまめに起こられているところだが、今年は違う。
ごった返す人ごみの中、視線を数度さまよわせると、すぐに千歳の姿は見つかった。
いつものロングスカートに上は薄手のコートを羽織っただけの格好なのにこれだけの人ごみの中でもやけに目だって見える。彼女特有のオーラ、とでも言えばいいのだろうか。
千歳も姫の姿に気づいたらしく、弄っていた携帯をポケットにしまうとこちへと歩いてくる。
「ごきげんよう千歳」
「ごきげんよう姫子」
ここ一ヶ月ほど、ずいぶんと忙しい生活を送ってきただろうに彼女の顔に疲れの色はない。寧ろ生気に満ち溢れ、いつも以上に綺麗にみえる。
「それにしても、相変わらずすごい人ね」
「そうね、本当どこにこれだけの人がいたのかしら」
「まぁあんた見たさに続々と増えてるだけの気もするけど……とりあえず部室行きましょうか。服着替えてもらわないと」
「わかったわ」
「それじゃ、はい」
頷いたところに手を差し出された、姫はただ首を捻る。
「人ごみすごいから、はぐれたら手間でしょう?」
「そ、そうね」
こういう紳士な仕草を無意識にするあたりが彼女にもそれなりにファンがいる原因なのだろう。さらっとこんな態度をとられたら誰だってころりと言ってしまう。
恐る恐る伸ばした手をぎゅっと強く彼女が握る。暖かい手の指先には数箇所絆創膏が貼ってある。それが彼女のここのところの苦労を物語っていた。
「姫子指細いわね、手も小さいし。私もこれくらいの手がよかったわ」
「別にそれほど大差ないでしょう」
「そうかしら?」
手を引かれ、校内を歩いている内に徐々に人が減ってくる。それでもまだ手はつながれたままで姫の心臓は早鐘を打っていた。普段寮の子達ともっとすごいことを毎夜のように繰り広げていると言うのに。千歳の側にいると、普段どおりの自分ではいられない。
そんな風にドキドキとしているうちに目的地についていた。被服部と書かれたプレートの下げられた扉の前。
鍵を開けるために繋いでいた手が離れる。それがすごくさびしく感じられる。
「だいぶ散らかってるけどあまり気にしないで、入って」
「お邪魔します」
一歩足を踏み入れたそこは異界と称するに相応しかったかも知れない。
酷く散らかっているわけではない、寧ろ姫の部屋のほうが相当に汚く散らかっている。
立ち並ぶ数対のマネキン、大小様々なそれらには完成した衣装が着せられていた。机の上にはたくさんの布の切れ端や道具が散乱し、中には書類やのみかけのペットボトルが放置されたりもしていた。でもそれらにはすべて、ある程度の規則性、とでもいうのかその近くに置かれた椅子から手を伸ばせば全てに手が届く、どこに何があるのかはっきりとわかる。そんな位置に全てが並べられていた。
締め切られたカーテンもあいまってなんだかそれらが酷く不気味に映る。
「時間もったいないしささっと着替えて行きましょうか」
「そうね、どれが、姫の衣装?」
「その一番右端の、それ」
こうして、自分の着る衣装を見るのは初めてだった。本来なら事前に着合わせをしたりするべきなのだろうが、千歳は忙しいし、当日までとっておいた方が楽しみが広がる、などと言って結局一度も衣装を目にすることはなかった。一応サイズ等は測ってあるものの本当に大丈夫なのか、少し不安だった。
「着方、わかる?」
「これくらいなら問題ないけど……」
姫の衣装は丈の長いロングドレスだった。黒を基調とし、赤いハートマークと黒のスペードのマークが小さく各所にあしらわれたシンプルなデザイン。袖はないノースリーブで、代わりに肘の上まである長い薄手の手袋。確かに出来はいいものの、街中でこんな物を着て歩いたら、いくら少女学区とはいえ浮くだろう。
「本当にこれ、きるの?」
「貴方どうせ人の目をひくんだから、それくらい今更たいしたことないでしょ」
「いくらなんでも街中でこれは目立ちすぎるきが」
「まぁ、嫌なら無理強いはしないけど」
意地悪そうに笑いながら千歳が言う。
「着ればいいんでしょう、着れば」
「ありがとう、いい宣伝になるわ。それじゃ私は外出てるから着替え終わったら呼んでね」
上機嫌で出て行く彼女を見送り、ため息を一つ吐いて、着替え始める。
着てみてまず驚いたのは、サイズ。一度も着あわせをしていないのに、驚くほどにピッタリでとても着心地がいい。そうして姿見に映った自分の姿は今までにないほど大人びて見えた。銀色の髪と白と、赤と黒のコントラストが驚くほど、映えた。
この衣装なら別に目立ってもいいと、そう思えるほどの出来だった。
「結構たつけどやっぱり着替えてつだったほうがいい?」
「大丈夫。もう着替え終わったから」
そう声をかけると、千歳が部室へと戻ってくる。
そうして様々な角度から姫の姿を確認する。
「サイズは大丈夫みたいね。出来も、さすが私ってところね。着てみた感想とかあるかしら?」
「あなたすごい才能があったのね、姫、素直に驚いてるわ」
「満足いただけたようで幸いだわ、それじゃ行きましょうかお姫様」
手を引かれて部室を出る、心臓の鼓動は、より一層早くなっていた。
街中に出て二時間と歩かない内に千歳と姫は疲れきって、すぐ近くの喫茶店へと逃げ込んだ。少女学区の生徒が大金星祭の期間中だけ空き店舗を借りて出しているメイド喫茶で客入りはそこそこあるようだ。本来なら可愛らしい衣装に身を包む彼女たちに甘い言葉の一つや二つささやくところだけれど今の姫にそれ程の余裕はない。
適当に軽い食事と飲み物をそれぞれ注文すると、二人してテーブルに突っ伏した。
「想像いじょうだったわね」
「ええ、私も自分の才能が怖いわ……」
あの後二人で軽く店を回ったりしたものの、行く先々で写メをとられ、渋滞を巻き起こし、突然すれ違っただけの子に告白されたり、まぁ最後の子はちゃっかりメールアドレスを交換しておいたのだけれど。とにかく目立ちに目立って大変だった。
こうして机に突っ伏している間も辺りからは軽快な携帯のシャッター音が聞こえる。
「もうこれ抜いたほうがいいんじゃないかしら」
「服は部室よ、真っ裸で帰りたいっていうなら止めないけど」
二人して盛大なため息を吐いたところでちょうど注文したものが運ばれてきた。ついでに可愛らしい小等部のウェイトレスになぜかサインを頼まれたのでメールアドレスと一緒に渡しておいた。
「貴方あんな小さな子にまで……いや、今はどうでもいいわ、取りあえず食べましょう」
「そうね、姫も食べないと倒れそうだわ」
二人で黙々と運ばれてきた物を口に運ぶ。もっと会話をしたり、二人で出店の食べ物を分け合ったりと素敵な一日を想像していたのに、どうしてこうなってしまったのか。
「まぁでも宣伝効果としてはばっちりよね」
「それだけが救いでしょうね、これで明日ガラガラだったら姫、ショックで寝込むわ」
「それなりに宣伝もしたし大丈夫だとは思うけどね」
食事を綺麗に片付けてコーヒーを飲見終えるとようやく人心地つく。
「これからどうします?」
「さすがに一度戻って着替えたほうがいいわよね」
「宣伝はいいんですの?」
「もう十分だと思うし、それに、こんな有様じゃ、姫子楽しめないでしょ?」
「千歳……」
きちんと姫のことも考えてくれているということに少しだけ嬉しくなる。
先ほどまでの疲れも気にならない程度に、力がわいてくる。
「そうと決まれば早いところ戻って楽しまないともったいないですね」
「体力もつかしら」
苦笑しながら二人で立ち上がったところで、声をかけられた。
「こんにちは古河さん」
振り向くと見知らぬ三人組がいた。
声をかけてきた一人は、高い身長と鋭い三白眼、少し短めの髪が印象的な、そこそこ美人な少女。その隣に小柄な、こちらも意志の強そうな瞳に金髪の可愛らしい女の子、そうして背の高い少女の後ろに隠れるように立っているのは、ふわふわのゴシックロリータに身を包んだ三人のなかで一番小柄で可憐な少女。
どうやら千歳の知り合いらしいらしい。
「こんにちは瀬名さん、宮戸さん……そっちの子は寮で見た気がするけど」
「大上柚子といいます、以後お見知りおきを」
どうやら背の高い子が瀬名、ゴスロリの子が宮戸、金髪の子が大上と言うらしい。どの子も光る素質を持っている。まだ誰も手をつけてないようなら後でやまめにいろいろ調べてもらおうかしら。
「大上さんね、私は古河千歳、明星で被服部の部長をさせて貰ってるわ。こっちのは知ってるかもしれないけど、女王っていえばわかるかしらね、夕星の小鳥遊姫子。明日の出し物でモデルをやってもらう人の一人ね」
「姫です、どうも」
軽く手を振るけれど、三人とも驚いたような目でこっちを見ているだけで手を振り替えしてくれない、ちょっと寂しい。
「それで、こっちの背の高い子が瀬名園子さん、後ろの黒髪の子が宮戸綾さん。二人とも姫子と一緒で明日モデルをしてもらうことになってるわ」
紹介とともに二人が礼をする。わざわざ姫にモデルを頼むくらいだからてっきり人材不足なのかと思っていたけれど、千歳は姫がいなくても十分成功しそうなモデルを揃えている。
「お祭りとはいえ、すごい格好ですね小鳥遊先輩」
「ああ、これ? これは千歳が明日の宣伝にっ着てほしいってね」
「おかげで明日は盛況間違いなしよ。二人にも明日はがんばってもらわないとね。大上さんもよかったら見に来て頂戴」
「はい、是非いかせてもらいます」
そうして話しいるうちに、店はどんどん込み始める。。
「千歳、そろそろ行きましょう。このままじゃ店からでられなくりますわ」
「そうね、その言葉が冗談ですむ内に出ましょうか。それじゃ三人ともまた明日」
「ええ、また明日」
「楽しみにしています」
「また、明日」
三者三様の返しに手を振り替えし店を出る。携帯のシャッター音がそこかしこで鳴っているのを気にする余裕もなく姫たちは足はやにその場を離れる。明日になればいくらでも見れるし、写真も好きなだけとれるのだから今日くらいはゆっくり楽しませてほしい所だ。
「撮影お断りのプレートでも掲げてあるくべきかしらね」
「姫はそんなダサい格好いやよ」
「なら早い所部室に戻りましょう」
そういって再び差し出された手をギュッと握る。
疲れた気持ちはそれだけでどこかへと吹き飛んでいた。
秋の夕暮れは早い。
楽しい時間であればそれはなおさらで、そしてこの時間が過ぎていくのがとても惜しい。
服を着替えに部室に戻り、再び町に繰り出し、姫は寮の子達と一週間頭を悩ませた計画のとおり街を回っていった。
間近で見る千歳の表情の変化に、姫の心も忙しくころころと変わった。
そうして、夕暮れ。
計画の最後は人通りの少ない寮までの帰り道。
「今日一日疲れたわね。服着てほしいなんていって悪かったわ」
「別にいいわよ、なんだかんだ楽しかったし」
「そうね、今日一日、楽しかったわ」
少しずつ寮が近づいてくる。
祭りの終わりも、もうその角を曲がってしまえば。
曲がり角の一歩手前で足を止めた、いや、足が止まった。ぴたりと、地面に靴裏が接着されてしまったかのように動かない。
姫がついてきていないことに気づいた千歳が振り返り、引き返してくる。
「どうしたの姫子?」
姫にもわからない、ただ、足が前に出ない。
何故だか、急に悲しくなって目元から涙が零れる。
自分でも制御できない感情の波が、心を揺さぶっていた。
「急にどうしたのよ姫子、泣いててもわからないわよ」
別れを惜しむ心がそうさせているのか。
声を上げてないた。
みっともない、格好悪い。こんな醜態を千歳の前で晒してしまうなんて。
「ああ、もうちょっとどうしろってのよ」
千歳が叫びをあげた次の瞬間。
体を抱きしめられていた。
甘い、千歳の香りと、暖かな体温を感じた。
驚きのせいかぴたりと涙は止まった。
このまま時間が止まってしまえば、どんなにいいことだろう。
離れたくない。
この幸せを離したくない。
「落ち着いた?」
震えたみっともない声を聞かれるのがいやで頷いて返す。
千歳が姫を抱きしめていた手を離そうとしたのがわかった、離れたくない、思うより先に姫の腕は千歳の体を抱きしめ返していた。
「姫子、離してほしいんだけど」
首を横にぶんぶんと振る。まるで子供のようだ。
「離さない、離したくない」
言葉が口をついて出る。どうしようもない気持ちが自然と後から、後から漏れ出してくる。
「姫、本気なの、今までの何倍も、何十倍も、ううん、誰かと比べられないくらい千歳が好きなの」
「姫子……」
本当はまだ告げるつもりじゃなかった。段階を踏んで、それからと思っていた。
あたりは驚くほど静かで、服越しに、彼女の早い鼓動を感じた。
姫の鼓動はそれ以上にはやくて、次に紡がれる彼女の言葉に怯えていた。
「ごめん」
その一言で、答えは十分だった。
続けて何かを言おうとした千歳の体を突き飛ばすように軽く押して、体を離す。
「それだけ聞ければ、いいの」
理由なんて聞いてもきっと姫には治せないようなことだろうから。
何も言えずに佇む千歳の姿を見ていると、これ以上は堪えられそうになかった。だから別れの一言を告げる。
「それじゃあ、また明日」
「……また明日」
動かなかった足は、今度は驚くほど速く動いた。
寮に駆け込み自室までを駆け抜け、扉を開ける。
「お帰りなさいませ姫様」
「おかえり姫様」
「姫様おかえりなさい」
出迎えてくれた三人を前に、もう我慢することもできなくて、大声を上げて、姫は泣いた。
「姫ちゃん」
やまめが名前を呼んで抱きしめてくれる、慣れ親しんだ彼女の体温がとても心地いい。
「姫、千歳に、振られちゃった……」
「姫様……」
美袋ちゃんと陽ちゃんも姫の体を抱きしめてくれる。
彼女たちにとっても辛い筈なのに、何も言わずに抱きしめてくれる彼女たちの優しさに、今は甘えていたかった。
落ち着いたら、謝って、お礼をいわなければならない。
だけどもう少しだけ、今は、このままで。




