直往邁進
うるさいなと、ぼんやりとした意識でまずそう思った。
耳に響くのは無駄に大きな音量でなる電子音。発生源は恐らく、私の携帯。
意識が徐々にクリアになっていく。暖かい布団から体を起こすと、冷たい朝の外気にしっかりと頭が覚醒していく。
目覚まし代わりの携帯のアラームを止めて伸びをひとつ。普段使っている自室のベッドと比べるとやはり部室の布団は体が凝る。軽く体を解してから薬缶をコンロにかけた。
ここのところずっと衣装作成や書類手続きで忙しく、寮に帰る暇すらない。本当に部室があってよかったと思うばかりだ。寮の私室ではとてもじゃないが狭すぎる。
立ち並ぶ数体のマネキンの中にはすでに完成した衣装を着させているものもある。満足のいく出来であるそれらを眺めていると自然と笑みが浮かぶ。
部室に薬缶の笛の音が鳴り響く。意識を戻して薬缶を火から下ろしてコーヒーを入れる。目覚めの一杯は大事な朝の習慣だ。
インスタントであまり美味しいとは思えないもののこれがないと一日、どうにも上手くいかないのだ。
口の中に広がる熱い苦味と匂いが、体にスイッチを入れる。
「さて、と今日も一日がんばらないとね」
口に出して自分を奮い立たせる。睡眠不足でも構ってはいられない、時間は刻一刻と過ぎていく。
もう、大金星祭まで二週間を切っている。衣装作りはある程度進めてきたけれど、いい加減それを着てくれる人にも出演交渉をしなければならない。本当はもっと早くに頼んでおくべきだったのだが、彼女に対する苦手意識が自然と忙しさを理由に先延ばしにしていた。
それもさすがにそろそろ限界だ。私の目論見を成功させるには彼女の協力は必要不可欠だ。携帯を手に取り姫子へと電話をかける、三コールもならないうちに彼女が電話にでる。
「は、ひゃい、もしもし、姫ですがっ」
開口一番、少女学区の女王はひどい慌てようで噛んだ。
「もしもし、千歳だけど、そんなに慌ててどうしたの? 忙しいようならかけなおすけど」
「なんでもないから、それで何の用?」
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「あなたが、姫に? 珍しい事もあるののね」
そういえば彼女に頼ったことは今の今まで一度もなかった気がする。この少女学区という街に来て、早い段階で知り合いになった相手なのに、苦手いしきのせいであまり近づかなかったせいだろうか。それをこんな時だけ都合よく、というの少し……いや、かなり調子がいいなと、我ながら呆れる。それでも成功のためにはそんなことは言っていられない。
「大金星祭で私の服を着て舞台に上がってほしいの」
「唐突ね」
「無茶言ってるのはわかってる。けど、どうしても姫子の力が必要なの。埋め合わせはなんでもするからお願い」
「なんでも?」
「私に出来ることなら」
そう返すと、姫子は少しのあいだ黙ってしまう。
電話で無言の時間が出来るのは正直かなり辛いところがあるのだけれど。
「それはいつなの? 初日? 二日目? それとも最終日?」
「二日の午後三時から三十分。そんなに時間は取らせないから」
「わかった。出てもいい」
その返事に私は思わずガッツポーズをとってしまう。彼女が出演してくれるならもはやこの計画は成功といっても過言ではない。そういいきれる程度には、彼女のすごさと、自分の作る服に自信があった・
「本当? ありがとう!」
「ただし、なんでもっていったからには姫の条件を飲んで貰うわ」
「覚悟はできてるから、いいわよ。なに?」
姫子の出す条件、それがどんなに過酷でも、飲まなければならない。この計画を失敗で終わらせるわけにはいかない。私は緊張して彼女の次の言葉をまった。
「し、初日に、姫と、で、デーいや、一緒に大金星祭を回ってほしい」
「は?」
「いやだから、一緒に姫と大金星祭をまわってほしいなって」
予想をはるかに下回る超低難易度の頼みに、ため息をついた。私が思っていた以上に少女学区の女王は乙女でなおかつ初心だった。
「ちょっとそのため息はなにかしら。私は真剣に言ってるのよ」
「いや、別に他意はないから。いいわよOK。初日に一緒に大金星祭をまわる、それでいいのね?」
「ええ」
そこでふと、いい事を思いついたのでついでに提案をしておくことにする。
「せっかくだから、その間本番と同じ衣装を着ててもらってもいいかしら?」
「貴方の作った衣装を……? まぁモノによりますけど、別にかまわないわ」
「ありがとう。本当に助かるわ」
「なんだか調子が狂うわ」
それに関しては私も同意だ。
「近いうちにサイズを測っておきたいんだけど空いてる日はある?」
「今日、明日はもう予定があるから明後日の午前中でどうかしら?」
「明後日ね、わかった。場所はこっちで決めて後で連絡するから」
「わかった、それじゃそういうことで」
「ええ、本当にありがとう」
「もういいわよ」
それで電話が切れた。いつもと同じ待ち受けを映すだけの携帯を片手にひとつ、息をついた。
こうして話してみれば、別にそれほど苦手に思う必要もなかったのだ。結局どんな異名を持っていようと、どんな大それたものを掲げていても、私たちは所詮、ただの力ない少女でしかないのだから。
携帯をポケットにしまって再びコーヒーを入れる。温くなったお湯で作ったコーヒーはやっぱり不味かったけれど、不思議といやな気分ではなかった。
大仕事を終えてもまだ気は抜けない、今日もまだまだやらなければいけないことはたくさんあるのだから。
カップを置いて、姿見の前に立つ。
目の下にはクマ、着たきりすずめのいつもの服はよれよれで、髪の毛もぼさぼさで我ながらひどい有様だった。この姿をもし宮戸さんなんかに見せたらそれもまた彼女の自信につながるだろうか。
ま、恥ずかしいからとてもじゃないけど見せられない。
今夜ばかりは流石に寮に戻ろうと決め手、きびすを返す。
髪の毛を梳き、高い位置で一括りに。これで少しはごまかせるだろう。目の下のクマはメイクでかくし、ヨレヨレの服の上からダッフルコートを着込んでまぁ、なんとか見た目は及第点。
部室に鍵を掛けて校舎を後にする。午前中の予定もみっちり詰まっている。
一息付けたのはもうお昼をとうに周り、おやつ時の三時を迎えたころだった。
コンサートホールの構造説明、機器の取り扱い説明をみっちり講習、実演。そこで合格の認印を貰って正式な使用申請の手続きの書類作成、提出。それが終わったら少女学区中の手芸店と雑貨屋を回り必要なものを揃えて、気づけばこんな時間になっていた。
小腹どころか、既にお腹がすいて倒れそうだった私は部室によらずに学食へと顔を出していた。授業がないとはいえ学院に顔を出している生徒は多く、食堂は普段とあまり変わりない盛況を見せている。
食事の出ない寮の場合ここで三食賄う生徒も少なくはない。校舎内で恐らく一番多くの生徒に愛されている場所だろう。私もこの場所は好きだ。様々な人が行き来するの見ているだけで飽きることはなかったし、少し歩けば見知った顔と出会うことができる。そして何よりも、食事が美味しい。
そんな食堂のメニューの中でもお気に入りのホットサンドとコーヒーを頼んで私は周りに人の少ない、静かな席に腰を下ろして食事を始める。
この後は多少時間に余裕があるし、今日始めての食事だ、ゆっくりと味わおう。
サクッっとしたトーストの歯ざわりと、中から解け出るチーズとハムのシンプルな味はスカスカのお腹に染み渡るようだ。
インスタントではないコーヒーの味も今の私には至福……の筈だったのけれど、イマイチ物足りない。この間、宮戸さんの寮であのコーヒーを味わってからどうにも舌が肥えてしまっているようだ。今でもあの香りとコクのある苦味を容易に想像出来る。ぜひともまた近いうちに時間の余裕を作って飲みに行きたいものである。
ホットサンドの最後の一切れを口に放り込み、コーヒーで流し込んだところで、向かいの席に見知った顔がトレー片手に佇んでいた。
「こんにちは、古河さん。席ご一緒しても?」
「どうぞ、久しぶりね瀬名さん」
そういってあの、ケーキ屋の一件以来話すこともなかった瀬名さんは向かいの席に腰掛けた。
気まずい雰囲気にお腹の奥がざわざわとざわめいたような気がした。
「少し、時間を取らせても?」
「どうぞ」
そう返すと彼女は手元のコーヒーに口をつけてから話し出した。
「綾からはなしはを聞いたんですが、彼女を大金星祭でモデルにするって本気で言ってるんですか?」
「本気よ、冗談なんかのためにこの時期に服一着なんて作ってる余裕ないわ」
「前にもいいましたよね、綾は他人が苦手だって。それを大金星祭でモデルだなんて、綾をどれだけ大勢の人の前に出す気なんですか」
「強要はしてないわ、出るか出ないか、それは宮戸さんが決めることよ。前にも言ったと思うけど、貴方少し過保護すぎるわ」
「それくらいでちょうどいいんです。あの子は大変な目にあってきたんですから」
苦々しくそう呟く彼女は強く拳を握り締め、何かに耐えているようだった・
「そうやって大事にして、危ないものから遠ざけて嫌な事から逃げて、それが宮戸さんの為になると本気で思ってる?」
「それは……」
「本当に大切だと、彼女を守りたいと思うなら、もう少し信用してあげてもいいんじゃない?」
唇をかみ締めて俯く瀬名さんは搾り出すように言葉を漏らした。
「綾には私が必要なんです」
泣きそうな声だった。
確かにこの街へやってきた当初は瀬名さんの言うとおりだったのかもしれない、でも、今は違う。
「私はそうは思わないわ。宮戸さんは変われるはずよ。むしろ貴方に今のあの子がいなきゃダメなんじゃないの? 依存してるのはあなたのほうでしょう?」
「ちがう! 私はもうそんな間違い二度としない!」
立ち上がり、声を荒げて否定する彼女に気づけば周りの視線が集まっていた。瀬名さんもそのことに気づいたのか気まずそうに席に着いた。
「兎も角、私は綾を大金星祭のモデルにだすなんて反対です。いくらなんでもそれはまだ無茶です」
「別にだめならだめでいいのよ、失敗した所で誰かが責める訳じゃない」
「失敗することを強く忌避する人もいるんです。貴方には分からないかも知れませんが」
意見は平行線で瀬名さんは未だに諦める様子もなく、鋭い視線を私に向けている。いったいどうしたものか。思わずため息が吐いて出る。
そこで私の携帯がなった。素晴らしいタイミングで天の助けが来たものだ。
「ちょっと失礼」
断ってから携帯を取り出してみればメール着信の文字。
送り主はこれまたタイミングのいいことに宮戸さんからだ。
『モデルの件について、直接返事をしたいので、都合のいい日を教えてほしいです』
ここまでくるともはや神を信じてもいい気すらしてくる。私は今現在学院の食堂にいる旨を簡潔に記して返信する。
すぐに今から向かう旨の返信がきたので私はそのまま携帯を閉じた。
「今から宮戸さんが出演依頼について答えを出しにくるわ。私たちは大人しくその答えを待ちましょうか。」
「分かりました」
渋々といった感じで瀬名さんも頷く。
それから程なくして、宮戸さんが食堂へとやってきた。この間あったときと服装は余りかわりない。ただ、その背筋はきちんと伸びていて、少しだけ自信のある表情をしているようだった。
「こんにちは」
「こんにちは古河さん……なんで園子が?」
「たまたま一緒になって軽く世間話をね、別に同席してても問題ないでしょう?」
「はい、どの道園子には話さないといけないし」
この場にいる全員が真剣な目をしていた。
「それじゃ、早速で悪いけど答えを聞かせてもらっていいかしら?」
小さく宮戸さんが頷く。
場の空気が張り詰める。
小さなその口がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「やろうと、思います。私なんかでよければ」
その一言に、自然と笑みがこぼれた。
「ありがとう、よろしくね」
そういって差し出した手を瀬名さんの言葉が遮る。
「ちょっと待って、本気なの綾?」
「うん、決めたから」
「大勢の人の前に立つんだよ?」
「怖いけど、いつまでもこのままじゃ園子にも迷惑かけるから」
「私は別に迷惑だなんて」
「それでも、いつまでも一緒には居られないから」
そういって宮戸さんは弱々しく笑った。対照的に瀬名さんのほうは今にも泣きだしそうな呆然とした表情で何も言えない様だった。
「とりあえずは決まりね。改めてよろしくね宮戸さん」
「こちらこそよろしくお願いします」
再び伸ばした手に、恐る恐る触れた彼女の手。何かを確かめるようにその手がぎゅっと握られる。
「一応軽い手続きの書類本人に書いてもらわないといけないから明後日にでも部室に顔を出してもらえる?」
「はい、分かりました」
「それじゃ、まぁ今日はこんなところかしらね、まだ私も回らないといけないところがあるし」
そういって席を立とうとしたところで、
「待ってください」
瀬名さんが先ほどまでとは違う強い意思を持った瞳で私を見つめながら言葉を続けた。
「私も出ます、そのモデルとして」
「園子?」
「唐突かつこっちのことは何も考えてない発言ね」
「万が一、綾が倒れたとき客席から見てるなんて嫌ですから」
「それが過保護だっていうのよ……まぁ、いいわ。貴方なら何着せても映えるでしょうし。貴方の分の衣装も作ったげる」
「大丈夫なんですか? 時間とか」
「まぁ、何とかなるでしょう、多分。どうせ人数的にまだ数人と交渉する予定だったし、一人分その手間が省けたってことで」
以外な申し出だったけれど、これはうれしい誤算だ。彼女の容姿ならモデルとしては申し分ない。何よりこの二人はそれなりに名前が知れている。宣伝効果としては二人一組のほうが効果は大きいだろう。
「私も明後日部室に行けばいいんですか?」
「うん、それでお願い、ついでにサイズも測らせてもらうからそのつもりでね」
「分かりました……ひとつだけいいですか」
「何?」
「綾を巻き込んだ以上、絶対、成功させてください。私もちゃんと手伝いますから」
「当たり前よ、成功させるために、宮戸さんにモデルを頼んだんだから」
今度こそ私は席を立つ。止める声はもうない。
「それじゃそういうことで、また明後日ね」
「はい」
「はい」
二人の返事を耳に私はトレーと片手に、開いたもう片手には、買い物の戦利品を腕いっぱいに抱えその場を去る。
疲れた体にその荷物はずっしりと重かったけれど、心と足取りは驚くほど軽い。
全てが上手く回っている。私の思い描いていた以上のものが、少しずつ姿を見せ始めている。
疲れなんて気にしてはいられない。
やる気が際限なく溢れて来る。子供のころに感じていた万能感に似たそれに突き動かされ、私はひたすら前進を続ける。
目標はもうすぐそこまで迫っている。
大金星祭まであと二週間。私はただ、前を向いて走り続ける。




