輔車相依
数日前から降り続く秋雨は今朝になってようやくやんだ。
ここ数日で気温はぐっと下がり、朝起きるのが一層辛くなった。とはいえ、大金星祭の準備期間に入った今、私の眠りを妨げるものは何もない。
園子はここの所委員会の仕事で朝からいないことが多いし、寮の他の人も殆どの人が大金星祭の準備に毎日忙しく駆け回っている。
おかげで休みの日はそれなりに騒がしい寮内も最近は毎日静かだ。過ごしやすくて誰にも気兼ねしなくていいのは楽だけれど、若干の寂しさと、焦りがあった。
他の寮生は皆、それぞれのやりたいこと、やるべきことに取り組んでいる中、私だけはこうして毎日何もせずに部屋でごろごろとして過ごしている。仲間はずれになってしまったようなそんな気分になる。こういった気分を幼稚舎の頃から受けていれば、大金星祭で活動しない、という人間はなかなか出来上がらないだろう。まったくもってよく出来たシステムだと思う。
私も、何かやりたいこと、やれることがあれば、参加したいとは思う。でも私なんかにできることはないし、やりたいと思えることもない。必然的に私の定位置は自室のベッドの上となるわけだ。
私がそんな理由から布団の暖かさにまどろんでいると、突然部屋の中にノックの音が飛び込んだ。
まだ半開きの目をこすりながら布団から顔をだして返事をする。皆出かけていると思ったのにいったい誰だろう。
「はい」
「宮戸、お客さんだぞ。いい加減起きろ」
聞こえてきた声は寮の大家の長谷部さんの声だった。最近嫁入り修行などと言って外国語の勉強をしている、変わり者の人だ。
それにしても、私にお客が来るなんて誰だろう、ベッドからのっそりおきだしてとりあえず自分の服装を確認する。よれよれの寝巻き代わりのジャージ姿にぼさぼさの髪。目の下にはいつものクマ。園子相手ならまあ気にならない格好だけれど。
「お客って誰ですか」
「んー見たことない顔だけど、古河千歳って名乗ってたぞ」
寝ぼけていた頭が一瞬で覚醒する。
「早く言って」
「なんだ? 憧れの先輩かなんかか? まぁいいけどさ、待たせるのもあれだから、あがってもらってコーヒーでも出しとくぞ」
「お願いします」
長谷部さんの気遣いに感謝しながら私は急いで着替え始める。といっても制服以外にろくな服なんて持ってないのでジーパンとパーカーというラフな格好しか出来ないのだけれど、髪を梳かしてはみるもののいつも以上に頑固な寝癖はまったく言うことを聞かず、自由気ままに飛び跳ねている。
それにしても古河さん、わざわざ寮まで来ていったい何の用なんだろうか。
廊下で倒れたあの日以来、古河さんとはたまにメールをする程度には交流があった。私が会話が苦手ということもあり、殆ど内容のないどうでもいいメールばかりだったけれど。
この人はなんで私なんかに興味をもって接してくれているのだろうか。それがずっと気になって仕方がなかった。聞いてみようと思ってメールを書いたこともあった。でも、結局聞けなかった。その理由を知ってしまうのがなんとなく怖かったから。
あまり待たせるのもどうかと思い、手強い寝癖は諦めて私は部屋を出た。クマに関してはもう今更どうしようもない。
食堂にいくと、古河さんが一人でカップを片手にコーヒーを飲んでいた。相変わらず何をしても絵になる人で、いつもの食堂が何かの撮影の一こまのように写る。
「おはようございます」
「おはよう宮戸さん。ここのコーヒー美味しいわね。そこらの店と比べ物にならないわ。何なら引っ越してもいいくらい」
「今、寮に空きないですよ」
「冗談よ、冗談」
コーヒーではないけれど好きな人を追ってわざわざ引っ越してきた人がいるせいで、冗談に聞こえないから困る。
「それで、なんの用ですか? メールで済ませない用事だったんんですか?」
「もしかして迷惑だったかしら?」
「そんなことはないですけど」
せめて事前に言ってもらえればもう少し身だしなみも整えられたのに。普段からあまり気にしていないからそれほど劇的に変わるわけでもないけれど。この人の前ではきちんとしなければならないとなんとなくそう思ってしまう。
「事前に連絡入れられればよかったんだけど、大金星祭の件でそこそこ忙しくてね。まぁあと、わざわざここまで来たのは、人づてにここの寮のコーヒーが美味しいって聞いたから」
そういって古河さんは悪戯っぽく笑う。
「ま、コーヒーの話題はもういいのよ。もし今から時間があるようだったらちょっと部室まで付き合ってくれる?」
「いいですけど、何をするんですか」
「ついてからのお楽しみってことで」
件の頼みごとのことだろうか?
大金星祭に古河さんも何か出展するようだし、その手伝いなのかな。
私に手伝えることだろうか。もしそうなら、いいのだけれど。
「空いてる時間そんなにないから少し急ぎましょうか」
「はい」
チラチラと時計を確認するその様子から本当に時間が押しているのだろう。私は短い足を必死に動かして少し早足の古河さんに必死について寮を出た。
寮の外はどこか浮ついた空気が感じられた。街中がそんな空気につつまれているのだろう。前に住んでいた街でも祭りの前にはこんな空気が流れていた。
そんな空気の中、古河さんの隣を歩くのはなかなか辛いものがあった。否応なく人の目を引く彼女の容姿、その隣に凄くダサい、私みたいなのが歩いている。周囲の視線が、私に集中しているような気がして、気分が悪くなってくる。古河さんの迷惑にもなっているような気がして、胃がキリキリと痛みを訴えかけてくる。
「宮戸さん前を向いて、背筋を伸ばして」
突然そういわれて、下に向けていた視線を前に上げた。
「そう、それでいいの」
前に向けた視線で周囲を見れば、私のことを見ている人なんていなくて、その視線はただただ、古河さんへと集まっているようだった。
「世の中、言うほど見られてもないものよ」
「はい……」
涼しい顔で周囲の視線を意に介した様子もなくそう言う彼女に、私は、やはり彼女のようになれたらと、そんな無謀なことを思っていた。
あの日ぶりに足を踏み入れた被服部の部室は、少し散らかっているようだった。出しっぱなしの道具や、生地の切れ端、何かの書類やら飲みかけのペットボトルなどが散乱していた。
「だいぶ散らかっててごめんね。部員一人だとどうしても手が回らなくて、とりあえずそこに腰掛けてて、飲み物はココアでいいんだっけ?」
「はい」
背もたれのない丸椅子に腰掛けると、私の短い足は地面には届かない。古河さんの身長にあわしてあるようだし当然といえば当然なのだが、少しショックだ。
「さて、んじゃちょっとお湯が沸くまでの間、すこしいいかしら?」
言いながら古河さんは片手にメジャーを持って訊ねてくる。
「なにがですか?」
「胸囲と、肩幅、あと、腰周りを計りたいんだけど。計らなくても大体あってる自信はあるんだけど一応ね?」
「はぁ……?」
とりあえず私はされるがままに体中のサイズを測られる。
「うわ、思ったより肩幅も腰周りも細いわ。あれだけ甘い物とってこの体を維持できるって羨ましいかぎりね」
私なんかより圧倒的にスタイルのいい古河さんにそんなことを言われてもお世辞にしか聞こえない。私にもあれくらいの身長があれば少しは自分に自信が持てるのだろうか。
「ふぅん、なるほど。まぁこれくらいなら何とかなるかな」
一人納得したように頷きながら彼女はメジャーをしまうと、薬缶を火から下ろしてカップにお湯を注ぐ。
「はい、お待ちどうさま。熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます」
ココアをのカップを受け取る際、指と指が触れる。不味い、と思った。反射的に手が出ると思った。
でも、何も起こらなかった。この間の別れ際と同じように、触れてもなにも起きなかった。そういえば、さっきも体を測られている間、古河さんの手が体に触れていたのに、なにも思わなかった。今でさえ、寮生の人たちに触れられると手が出てしまうのに、なぜ、古河さんに対しては何も起こらないのだろう。
自分の手を見つめて見ても、なにもわからない。
「うん、やっぱりサイズは直す必要ないみたいだし、ちょっとこ、着て見てくれる?」
手から目の前に視線を上げると、すごくフリフリとしたドレスを手に、楽しそうな古河さんがいた。いわゆるゴスロリというやつなのか、白と黒を貴重としたデザインで、ふんだんにあしらわれたフリルがかわいらしい。でも、これを……私が? 絶対に似合わない。折角の可愛らしい服が台無しになってしまう。
「私が、ですか?」
「他に誰がいるのよ? 貴方に着せるために作ったのに」
その言葉に二重に驚く。わざわざ私なんかのために、そうしてこれが、店で売っているようなものではなく、目の前のこの人が作ったものだということに。
「これ、作ったんですか? 古河さんが」
「サイズが、ちょっと心配だったけどね。結構自信作よ」
私のなんかのために、こんなに可愛い服を、それだけで胸が一杯になる。息苦しいくらい胸が苦しい。
「更衣室ないからちょっと部室からでてるわね。着かたわかる? 上から被ればいいだけだけど」
「あ、はい」
「うん、それじゃ着替えたら教えてね」
「え、あ」
断る間もなく古河さんは部室を出てしまう。私はその一着の服の前にただ呆然とした。服を着た私の姿をみて古河さんががっかりした顔をするのを見なければならないと考えると気分は重かった。
ただ、着てみたいという気持ちはあった。似合わないのはわかっているけど、可愛い服を着てみたいという気持ちはない訳ではない。今までは他人の目を考えてこんな服を着る機会はなかったけれど、本音を言えば私だって可愛らしい服を着てみたいのだ。
いつまでも、外で彼女を待たせるわけにはいかない。
意を決してパーカーとジーパンを脱いで、目の前のドレスを頭から被る。
袖口も、丈もぴったりで、本当に私のために作られた服なのだと着心地から実感できた。ただ、姿見を覗き込むことは、怖くて出来なかった。滑稽な自分の姿がそこにある気がしたから。
「着替え終わりました」
部室の外に声をかけると、すぐさま古河さんが入ってくる。そうして私の姿を上から下までじっくりと観察する。時折距離や角度を変えて様々な位置から私の姿を確認しているようだった。
「うん、思ったとおり、サイズはぴったり、デザインも貴方にぴったり。さすが私。でも、もっと可愛くなれるわ、貴方なら。そこに腰掛けてくれる?」
「はい」
もはやここまできたらなるようにしかならないだろうと、私は再び椅子に腰掛ける。古河さんがさらにその後ろに陣取って、私の髪に何かを吹き付けて、ブラシでゆっくりと私の髪を梳き始めた。
「髪の手入れは毎日ちゃんとしてる?」
「あまり」
「その割りに枝毛とかはないのね。瀬名さん、あの子綺麗な髪の毛してるし手入れの仕方聞いて見るといいわよ」
口を動かしながらも古河さんの手は止まらない。ゆっくりと髪の毛を梳いていくブラシの感触が心地いい。
古河さんの手はまるで魔法のように、寝癖でどうしようもなかった髪が素直にまっすぐになっていくのがわかる。
「ま、髪はこんなものかしら。次はメイクだけど、素材がいいしクマを何とかしてあとはナチュラルでいいわね」
「はあ?」
やはりここでも私はされるがままで、名前も使い方もよくわからない様々な道具を手に古河さんが今度は私の前に回る。
何かが目元に塗られてくすぐったくて目を瞑りそうになる。
「くすぐったくても、すこし我慢してね」
真剣な表情の彼女の顔が目の前すぐにある。彼女の指が、私の目元に、頬に、額に、唇に、触れる。なぜか胸の鼓動が早くなる。
どのくらいの時間そうして見詰め合っていただろう。パチンと古河さんが手元の何かを畳む音を響かせるとともに道具を片付け始めた。
「こんなものかしら、あとはヘッドレスとバッグ、小物をつけて完成ね。ヘッドドレス、つけ方わかる?」
私が首を横に振ると「普通はそうよね」と呟いて手早くヘッドドレスを私の頭に装着する。そうして手渡されたバッグをかけ、ニーソックスをはき、肘まである手袋をはめ、小さな日傘をさす。
「うん、やっぱり私の見立てに間違いはなかったわね。凄く可愛いわ宮戸さん」
「お世辞は、いいです」
「お世辞なんかじゃないわよ、ほら、姿見覗いて見て」
肩を押され、無理やり姿見の前に連れて行かれる。恐る恐る視線を上げると、そこには私の知らない、可愛い子がいた。
小柄で華奢な体をフリフリの可愛らしい服に包み、サラサラの髪に可愛らしいヘッドドレスを乗せ、潤んだ大きな瞳が驚きに見開かれ、薄く明るい色の唇をぽかんと半開きにしたこの子が、私?
とてもじゃないけど信じられなかった。
「気に入ってもらえたみたいで何よりね。これで少しは自信がもてる?
「はい、でもどうして、私なんかのためにこんな……」
わざわざ忙しい時期にこんな手間のかかりそう服まで作って。
「この間、頼みごとがあるっていったでしょ?」
「はい」
「貴方に、大金星祭で私の服を着るモデルになって欲しいの。これはいわばその練習ってわけ」
「私が、モデル?」
冗談みたいな話に思考がついていかない。大金星祭でモデルとなれば、つまり、大勢の人前に私の姿を晒すということだ。それはすごく、怖い。でも、出来ることなら古河さんの頼みをきいて、今までの恩を返したいという気持ちもあった。
「無理にとは言わないし、今すぐ返事はしなくていいから。ただ出来るだけ返事は早くお願い、服のサイズも決めちゃわないと作成が間に合わないから」
私はなんと答えるべきか迷っていた。軽々と承諾できる内容ではない。もう少し時間が欲しいと思った。
「っと、もうこんな時間か。悪いけどそろそろ私予定があるからいかなくちゃ」
時計を見るなり慌ててあたりを片付け始める古河さんに、私も急いで服を脱ごうとする。
「あ、服はそのままでいいわ、それは貴方にあげる。そのまま帰ってみたら違った世界がみえると思うわ」
「いいんですか、こんな服貰っちゃって」
「貴方のために作ったんだから、当たり前でしょ」
「ありがとう」
「どういたしまして。さっきまでの服は、この紙袋に入れてもって帰って。はい、部室出た出た」
急かされて紙袋を片手に部室をでて、すぐさま古河さんは施錠して駆け出した。
「慌しくてごめんね。今度はゆっくりできるときにでも。
いい返事期待してるわ」
早口にまくし立てるようにそう言うと、別れを告げる間もなく彼女は駆け出していった。よっぽど予定が詰まっているのだろう。私はどうしたものかと途方にくれていた。確かに今この格好の私は普段に比べ可愛らしいけれど、この服装で街を歩くのは凄く恥ずかしい。
かといって近くに着替えられそうな場所もない。出来るだけ人目につかないように寮まで帰るしか手はなさそうだった。
帰り道、あからさまに周囲の目は私のほうへと集中していた。
ただ、その視線はいつもとは違う、それが、肌でわかる。この視線は来る時に古河さんに向けられていたものと同じ、視線だ。伏し目がちだった視線をあげしっかりと前を見る。彼女の姿を思い出して背筋を伸ばして堂々と歩く。
心臓は恥ずかしさのあまり、早鐘を打ち爆発しそうなくらいにドキドキしている。
寮につく頃には完全にグロッキー状態。体力のない私にはあの距離の往復だけでも辛いのにあれだけ心臓に負荷がかかるともはやマラソン並みの辛さだ。
すぐさま自分の部屋へと駆け込んで、私はベッドの上へとダイブした。
不満そうに軋んだ音を上げるスプリング。
しばらくぐったりと横たわって、ハッときづいて服に皺がよらないようにとすぐさま起き上がる。
そうして、鏡に映る自分の姿にどきりとする。
私が、モデル。
鏡に映る可愛らしい少女を見て、ため息を一つ。
私はどうするべきなのだろうか。
古河さんの力に私はなれるのだろうか。
答えは出てこない。
でも、これは自分で決断しなければならないことだから。
もう少しだけ悩んで見よう。
逃げてばかりじゃいられないから。
彼女がくれた少しの自信を頼りに。
もう一歩、前へ。




