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少女学区  作者: uka
10/26

潜移暗化


 大金星祭まであと一ヶ月をきった十月の朝。朝の空気は冷たく、布団の中でいつまでもまどろんでいたくなるこの時期、そんな感情とは裏腹に、少女学区は一年でもっとも活気付く。

 普段は皆凛と済ましたように過ごすお嬢様達もそわそわと浮き足立ち、皆が何かに期待するこの季節、あたしはこの明津女子寮に転寮して来た頃と同様、軽い寝不足に悩まされていた。隣の部屋から毎夜聞こえていた物音はとあることから鳴りを潜め、ようやく安眠できると思った矢先にこれである。といっても今回は自業自得、完全に自分のせいなので愚痴を言うこともできない。

 ベッドから体を起こし今日こそは、と気合を入れる。はじめて袖を通す高等部の冬服はまだすこしサイズが大きい。袖口から指先しか出ないかわりに口からはため息が出た。もっと魅力的にならないとあの人を振り向かせることなんてできないのに。

 ここ最近の寝不足の原因を思い出すと、さらにため息が深く長く口から漏れ出す。

 去年までのあたしであればこの季節を例年通り不機嫌な顔で、周りのいちゃつく少女達を睨みつけて歩いていただろうが、今年は少し事情が違う。あたしも周りの人々と同様、少しの期待を抱き大金星祭のその日を心待ちにしていた。

 去年までのあたしと違い、今あたしは恋をしている。それだけでこうにも心持が変わるものかと内心自分でも驚くほどだ。

 だからそれ故に悩み、寝不足になる。

 今あたしの一番の悩み、それはどうやって瀬名さんを大金星祭に誘うかだ。

 この時期少女学区では大半の少女達がきっとあたしと同じ悩みを抱えているはずだ。大金星祭はこの街で一年の中で最も大きなイベントであり、各学校がそれぞれ関わり合う数少ない機会であり、他校の生徒への一目惚れや、大金星祭の準備の中で関係が芽生えたり、自然とカップルが増えるこの時期。皆一人者にはなるものかと出会いを求め躍起になる。

 あたしとてそれは同じ。振られた身とはいえ瀬名さんの二番になると決めたのだから、せっかくのこのイベントを活用しない手はない。

 ただ一緒に回れるかどうかとなると、いくつかの関門が待ち構えることになる。それがあたしの頭を悩ませる原因となっているわけだ。

 一つ目は言うまでもなく宮戸さん。彼女の存在がやはり一番のネックだろう。大金星祭で瀬名さんは恐らく宮戸さんと行動を共にしようとするだろう。そうなるとあたしが同行することはかなわない。だが可能性はないことはない、人嫌いな彼女のことだ、人のごったがえすこのイベントの期間中寮に引き篭もる可能性も十分にある。多少の誘導なり、彼女自身に直接取引をかけるなりしてここの問題をクリアせねばなるまい。

 二つ目は有象無象の瀬名さん狙いの女子達。一つ目の問題をクリアしたところで瀬名さんがあたし以外の人と約束を取り付けてしまえば何の意味もない。今まで受けてきた告白の数からして、瀬名さんのもとに約束を取り付けに来る女子が山のようにいるのは明白だ。まだ少し時期が早いとはいえ既に来ている可能性も否定はできない、あたしもなるべく早く準備を整え先を越されないようにしなければならない。

 三つ目、これが一番の問題だ。瀬名さんの了承が貰えるかどうか。自分で言うのもなんだけれどその辺りの外の子達に比べればあたしの方が選んでもらえる可能性は十分あると思。、最近は宮戸さんが居ないときであれば部屋で一緒にお茶を楽しむ程度の仲になっているし、一つ目と二つ目の条件さえクリアすれば断られることはないはずだ、多分。

 しかし、万全には万全を期す。

 都合がいいことに瀬名さんは転入生、大金星祭のことについてはあまり詳しくない。ならばそのガイド役を買って出ればもはや完璧といっても過言ではないはずだ。

 問題はいつ切り出すか。早いほうがいいとはいえ、宮戸さんの条件をクリアするための根回しもせねばなるまい。しかし悠長に構えてもいられないのも事実、とりあえずは朝食時にそれとなく現状を聞き出そう、気取られない程度に、軽く話をふってみよう。

 そうと決まれば、善は急げだ。

 よし、と気合を入れて時計を見て、驚愕する。 朝からうんうんとうなって頭をひねっている内に気づけば時計の針は八時を指していた。当然寮内には人の気配はまったくない。不味い、などというレベルではない。

 昨夜のうちに準備しておいた鞄をひっつかんで部屋を出る。

 身だしなみを整える時間もない。

 階段を駆け下りて、誰も居ない廊下を疾走、下駄箱から靴を取り出すのももどかしく、踵を踏みながら寮を出る。

「おはよう大上、重役出勤だな」

「おはようございます、長谷部さん。いってきます!」

「おう、がんばれよ」

 英字新聞を広げながら、からからと笑う長谷部さんに見送られ、あたしは駆け出す。すきっ腹に全力疾走と朝からハードすぎる運動にあたしの小さい心臓は悲鳴を上げる。どうしてこんなことに!

 あたしとしたことが失態である。姫百合よりにいた頃より学校が近くなったのだけが唯一の救いだろうか。ただでさえ整える時間の無かった髪は全力疾走によりさらに酷い有様になっていくのが鏡を見なくても分かる。

 しかし、構ってはいられない。

 悩みのことも忘れて、ただただ全力で学校を目指す。

 無常にも、遠く始業のチャイムを耳にしながらもあたしは走り続けた。


 結局一時間目の授業には遅刻し、担任にはこっぴどく叱られ、空腹と朝からの激しい運動、連日の寝不足が響きすべての授業で居眠りをするという大失態を犯して昼休みに入った。

 朝を抜いたおかげでおなかは三時間目辺りから音を出して主張をはじめ、激しく恥ずかしい思いをした。

 空腹に眩暈すら覚えるほどで、四時間目の終了を告げるチャイムと共にあたしは教室を出ていた。とはいえ、廊下を走る、などというはしたない真似もできず、ゆっくりと歩いて食堂を目指す。

 昼休みの時間も前までは一人で黙々と食事を済ませ、その後図書館で借りてきた本を読む、それだけの味気ない時間だったのに、今では時々瀬名さんと宮戸さんと同じ席について喋りながら食事を楽しんだり、三人で雑誌を見て話したりするようになった。と言っても、宮戸さんはあまり口を開かないので三人というのは少々御幣があるかもしれない。

 たどりついた食堂は既に人でごった返していた。溢れんばかりの人の群れに、宮戸さんではないが少しげんなりする、券売機の前の長蛇の列に加わってあたしは自分の番が来るのを待つ。

 ある程度列が進み、そろそろあたしの番が来る、といったところで、携帯が震えた。日中にメールなんて珍しい。誰からだろうとメールを開くと、姫百合寮の後輩からのメールだった。

 特にメールがくる理由なんて思い浮かばなかったし、件名も入っていなかったので、さて何事だろうとメールを開く。

『頼まれてた調べ物、今更ですがまとまったのでパソコンの方にメール送っておきました。携帯じゃ見辛いと思うので』

 一瞬何のことだろうと、首をひねってから、夏休み中に瀬名さんと宮戸さんのことを調べて貰えないかと姫百合寮の知り合いにメールを送ったのを思い出した。

 完全に失念していた。

 二ヶ月も前のこととなるとさすがにそうそう覚えていられない、メールも余りするほうじゃないからメールチェックなんて滅多にしないし。

 券売機が目の前に迫っている、しかし今から食事をして、パソコンを使える図書館まで行き、メールを読むというのは、休憩時間的になかなかきつそうに思える。

 さてどうするべきか。

 メールの内容は別に放課後でも見れるわけだし、後回しでもいい気がする。

 しかし凄く気にもなる。もしかしたらあの二人の関係を崩す何かのきっかけになるかもしれない。そう思うと今すぐにでも知りたいという気持ちは大きくなっていく。今見なければ授業中ずっと気になって勉強どころではないかもしれない。

 しかし空腹の方ももう限界に近い。これでお昼を抜こうものなら午後からの授業では午前中以上に恥ずかしい思いをすることになるだろう。

 究極の板ばさみの二択に悶々と悩む内に、あたしは券売機の前へとたどり着いていた。悩みに悩みぬいた末、あたしは何も買わずに列を離れた。

 三対欲求の一つである食欲に、好奇心が勝る辺り人間はやはり外の動物とは一線を駕しているのだろう。

 とはいえ、何もお腹に入れないのは辛いということで自販機でコーンポタージュを買って食堂を後にする。自然とはやる足を抑えながら、図書館へと向かう。 食堂とはうってかわって図書館には人が少なかった。蔵書量や本の検索システム、さらには本の入荷速度、どれも素晴らしい図書館だというのに利用者は本当に少ない。

 折角のこれほどの設備なのにもったいないと思うのだが、調べ物や本を読むのにはこれくらいの人の量のほうがちょうどいいといし、余り人がひしめき合う図書館なんて、夏と年末にニュースで取り上げられる某お祭りのようで少し嫌だ。

 あたしは図書館の少し奥の方、自由に使える数台のパソコンの一台の電源を入れてフリーメールのアドレスから後輩から送られてきたものを開いて目を通していく。そこにはいくつかのアドレスと後輩が調べた当時の話が書かれていた。

 それらに目を通していく内に、あたしはこの事を調べてしまったことを後悔した。開かれたアドレスの先には当時の新聞記事があり、小さなスペースながらそこに踊る見出しにに、興味本位で首を突っ込んでいい事ではなかったと悟った。

『中学生女子生徒、飛び降り自殺はかる。原因はいじめか?』

 事態はあたしが思っていたよりも随分と深刻で、重々しかった。

 子供の頃から人を頼っていてばかりの宮戸さんと、その世話を焼いていたクラスで人気者の瀬名さん。今と同じ構図、ただ、まだ精神の成熟していない子供からすれば何もできないくせに、クラスの人気者を独り占めする怠け者は、さぞ、憎たらしく映ったことだろう。

 傍からみれば、所謂虐められる側にも原因がある、という状況なのだろうが、宮戸さんがいじめられれるようになったのには、瀬名さんにもその責任の一端があるように思われる。彼女が宮戸さんを甘やかし続けたからこそ、宮戸さんはより一層人を頼るようになり、虐めは酷くなる。

 そうして、そんな宮戸さんを瀬名さんが守ろうとすることで、回りの心象は皿に悪くなり、虐めは際限なくエスカレートしていく。まさに負の連鎖だ。

 その結果、中学にあがるといじめは更に露骨に過激になっていった。教室で小突かれ、給食に得体の知れないものを入れられ、精神的にも物理的にも傷つけられ、宮戸さんはついに耐えられなくなり、飛び降り自殺をはかった。

 常々疑問だった、どうしてあんな人が出来上がったのか、そしてどうして瀬名さんが宮戸さんの世話をあれほど熱心に焼くのか。その理由がわかった気がした。

 宮戸さんがあんな状態になってしまったのも仕方のないことなのかもしれない。あたしだってこんなことをされたら、人なんて誰も信じられなくなるだろう。

 そうして好きな人が自分のせいでそんなことになってしまったら、それは自身が傷つけられる何倍も、何十倍も痛い。守ろうとすればするほど、大切な人が傷ついていく、それはどんな気持ちなのだろう。瀬名さんが必要以上に過保護なのも少しだけ納得できる気がした。

 でも、だからといって今のままの二人の関係を良しとしてはいけない気がした。この街ではたしかにいじめとかそういった話は聞かないかれど、宮戸さんのことを瀬名さんには相応しくないとそう思っている人は多いはずだ。当時のあたしのように。

 もしかしたら、昔と同じようなことが起きてしまうかもしれない、可能性はないとは言い切れない。

 そうなれば瀬名さんはまた傷つくことになる。そんなことを放っておけるわけがない。知ってしまった以上、知らない振りをして見ているだけだなんてことはあたしにはできない。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。携帯では見難いだろうけど一応メールを転送しておいてパソコンを落とす。あたしに何ができるかなんてわからないけれど、できるだけのことは考えて見よう。まずは瀬名さんに事実確認をしなければならない。勝手に詮索したことを彼女は怒るかもしれない、嫌われるかもしれない。

 それでも大切な人の為に何かしたいと思うこの気持ちは、止めることはできない。本当にそれが彼女のためになると信じているから。


 午後の授業も午前中同様ほとんど頭の中に入ってくることはなく、終始あたしは例の件について考えていた。とはいえ朝から何も食べていないせいでろくに頭は回らなくて、なんらいい案は思い浮かばなかった。

 腹が減っては戦はできぬ、とりあえず帰る前に何か適当にお腹にいれておこうと、少し前、明星の前にできたケーキショップに寄っていくことにした。

 ドリンクは不評なものの、概ねケーキのほうは評判がいい店だ。あたしとしてもここのシュークリームは結構気に入っている。

 寮への帰り道から少し外れ、店へと足を踏み入れる。

 店内に一歩踏み込んだ瞬間から甘い香りがスカスカのお腹を刺激する。店員のいらっしゃいませの声も遠く、吸い寄せられるようにショーケースの前へ。

 シュークリームは鉄板として、もう一つ何かを頼みたい。お勧めのモンブランか、あるいはスイートポテトか、どちらも秋の味覚として申し分ない。

 あたしがそうして散々悩んでいると唐突に後ろから肩を叩かれた。思わず飛び上がりそうなほど驚いて振り返ると、そこには瀬名さんがいた。

 出会ったときより少しだけ長くなった髪の彼女もやはり美しく凛々しい。

「こんにちは、大上さん奇遇ね」

「こんにちは、瀬名さん」

 挨拶を交わして、瀬名さんの後ろにいつもの小柄な影がないことに気づく。

「あら、宮戸さんは?」

「綾は朝から体調が悪かったから今日は寮で休んでるわ。そんなに酷いわけじゃないけど、お見舞い代わりに甘いものでも買って帰って上げようかと思って」

「ふぅん、まさに甘やかしね」

「ま、こういう時くらはいは多めに見て。それより立ち話もなんだから座らない?」

「そうですね」

 促されるまま、奥の飲食スペースに腰掛けて、瀬名さんが店員を呼ぶ。

「大上さんはなんにする?」

「あたしはシュークリームと、モンブランかスイートポテトで迷ってて」

「じゃあ、私がモンブランを頼むから二人で半分ずつにしましょうか」

 言われて、その光景を想像し、ぽっと頬が赤くなる。

 ケーキを半分こして食べあうなんて、これは神様がくれたご褒美なのだろうか。生きていてよかった。こんな幸せなシチュエーションを瀬名さんと過ごせるのはこの広い少女学区中を探してもあたしと宮戸さんくらいのものだろう。

 あたしはあまりの嬉しさと緊張に声が出せず、頷くことしかできなかった。しかし気取られてはならない。気持ち悪いなどといわれて折角のチャンスを棒に振るわけにはいかないのだ。

「それじゃあ、私はモンブランと紅茶を」

「あたしはシュークリームとスイートポテトで」

 注文を告げると店員は微笑みながら去っていった。もしかして、あたし達がカップルにでも見えちゃったりなんかしちゃったんだろうか。空腹で回らない脳がフル空転をはじめあたしのおめでたい頭はギュンギュンと空回っている。

「それにしても大上さんこういう店にも来るのね、もっと高そうな店にいってるのかと思ってた」

「普段どういう目で見られてるのかしら」

「生粋のお嬢様だと思ってたんだけど、違う?」

 まぁ確かに家はそれなりにお金も権力もある家だし、お嬢様といわれれば確かにそうなのだけれど、別段高いものや店にこだわりがあるわけではない。好きなものが偶々高いものや店だったりすることはあるけれど、この店にもよく来るし、百円ショップにだって用事があれば出かけていく。

「お嬢様のイメージにもよるけど、まぁ確かに家は名家だし、お金はあるけど、別にあたし自身は普通よ」

「じゃあこの店もよくくる?」

「それなりに」

「なんだか意外」

「瀬名さんもこの店にはよく?」

「私は余り、ここ結構人気だから人が多いでしょ? 綾がいるときは少し入り辛いから」

「あぁ……」

 やはり宮戸さん主体の彼女に奥歯をかみ締める。事情を知って納得した気になってもやはり嫉妬してしまう自分がいる。二番でもいいけれど、一番になりたくないわけではないんだ。

 暫くして注文した品が運ばれてくる。もう空腹が限界に近かったのであたしはいただきますというなり無心でシュークリームを頬張った。

 口いっぱいに広がる甘みに幸せを感じる。シュークリームを食べ終えると少し落ち着いてくる。頭も回るようになり、今更ながらこの場は話を切り出すのに都合がよいのではないかと思い至る。

「食べるの早いのね大上さん」

「ちょっとお腹が空いてたから、はい半分」

 目を丸くして驚く瀬名さんにごまかすように切り分けたスイートポテトの半分をシュークリームの乗っていた皿に分けて渡す。

「ありがとう、それじゃこっちもお返し」

 モンブランの半分をスイートポテトの皿で受け取る。こういうのって言葉では言い表せない幸せを感じる。

「どっちもおいしいわね、綾に両方買って帰って上げようかしら」

「折角だから他の寮の人たちにも買って帰ったほうがいいんじゃないかしら?」

「綾だけだと何か言われるかもしれないし、そうしようか」

 言いながら財布を取り出した瀬名さんは指折り何かを数えながら財布の中の紙幣の数を確認して、真顔になった。ちらりと見えた財布の中身はなかなかに厳しそうに見える。

「あたしが会計するから、無理しなくても」

「大丈夫なの?」

「言い出したのはあたしだし、瀬名さんは宮戸さんの分だけでいいんじゃない?」

 言いながらあたしも薄い財布から金色のカードを出して瀬名さんに見せる。まぁ余計な心配はいらないってことを口で言うより早いだろう。

「やっぱりお嬢様なのね」

「まぁね、この街外より物価が高いって聞いたけど、生活大変じゃない?」

「困るほどではないけど、ま、ちょっといろいろ値段がはるとは思う」

 言いながら彼女はモンブランを指す。

「たとえばこれ、ここに来る前じゃケーキ一つに九百円は相当贅沢な部類だったかな。その分おいしいけど」

「やっぱり外の人から見てこの街ってかわってる?」

「うん、最初の数ヶ月は違和感しかなかったかな、もう随分なれたけど」

「そんなところまで一緒に来るほど、宮戸さんのこと心配だった?」

 ここだとばかりに話を切り出す。瀬名さんは驚いた顔をすぐに普段の冷静な表情へと戻し、口を開いた。

「またその話を蒸し返すの?」

 不機嫌そうな声、だけど怯む訳にはいかない。

「瀬名さんにとってもあたしにとっても、宮戸さんにとっても大事な話だと思うから」

 瀬名さんは何も言わない。

「先に謝っておく、ごめん、全部知っちゃった。噂好きの姫百合の後輩から」

「どこまで?」

「宮戸さんが虐めをうけて飛び降りたところ」

「誰かに話した?」

 黙って首を振る。

「そっか、わかるもんなんだ」

「別に誰かに言いふらしたりとか、そういうつもりじゃないから。ただ、宮戸さんと瀬名さんの態度から何があったんだろうって、興味がわいて。今は後悔してる」

「なんで、正直に話そうと思ったの?」

「今のままの二人じゃいけない気がしたから、何ができるかわからないけど、あたしにもできることがあれば手伝えたらと思って」

 瀬名さんは紅茶を口に含んで、眉を潜めて俯いた。

「確かに、今のままでいいわけが、ないんだ」

 ぼそりと呟く声はひどく疲れているようで。

「綾の症状が治るならそれはいいことだと思う、手伝ってくれるって言うのも嬉しい、けどね、その前に一つだけ知っておいて欲しい事があるの」

「なんですか?」

「綾が虐められるように仕向けたのは、私」

「え……」

 言っている意味が、よく分からない、まだ栄養が足りないのだろうか。

「綾が虐められて孤立したら、私を頼るしかない。そう分かってたから、綾が虐めれるようにわざと大げさに庇ったりした、綾を独占出来るように、綾が私に依存するように、そう仕向けたの。私ね、皆が思ってるほどいい子じゃないんだ」

 何かいえることはないかと探す内に、瀬名さんが言葉を続ける。

「今は後悔してる。綾を傷つけるようなことだけはもう絶対に嫌だ。そのためにも今のままじゃいけないっていうのも分かってる。でも、まだ綾が頼ってくれること、私だけ特別なことが嬉しいんだ。軽蔑したでしょ?」

 大切な人の特別になれるという事、必要とされるということ、それはとても甘美で素晴らしいことだろう。そのことに執着する気持ちは分からないでもない。でもそのために大切な人を傷つけるのは、それは本当に好きという感情なのだろうか。あたしにはよく分からない。

 他人の気持ちは分からない、それはもうよく知っている。自分の気持ちだって完全には理解できない、ただ一つだけはっきりと分かることがある。

「確かに、瀬名さんがしたことは最低ですし、酷い事だと思います。でも、あなたが、赤の他人であるあたしにしてくれたことは純粋な優しさからでしょう? 打算のない、真摯な気持ちだったはずです。あたしはそんな瀬名さんの事を好きになったんです。だからたとえ過去に瀬名さんが何をしていたとしてもいいんです。あたしは貴方の力になりたい」

 言葉にしてから少し格好をつけすぎた気がして顔が赤くなる、でももやもやと蟠る、あたしの中の本当を抜き出した言葉に嘘、偽りは一つもない。

 瀬名さんの目を見つめると、瀬名さんの顔もあたしと同じように赤くなっている。

「自分で恥ずかしいと思うなら言わないで。こっちも恥ずかしくなる」

 赤くなった瀬名さんはごまかす様に紅茶を一口含んで、カップを置く。

「でも、ありがとう。今まで誰にも話したことなかったから、楽になった」

「宮戸さんにも?」

「怖くて言える訳がない。でも、いつまでもこんなずるい関係じゃだめだなんだ。都合がいいのは分かってるし、酷いお願いだって分かってるけど、大上さん、手伝ってくれる?」

 好きな人、大切な人にお願いをされて、断れるわけがない。たとえそれがあたし以外の人の為のことでも。

「もちろん」

 精一杯の笑顔を浮かべてあたしは答える。必要とされること、嬉しいはずのことなのに、こんなにも胸が痛い。この痛みとあたしはずっと向き合っていかなければならない。諦められればどんなに楽だろうか。でも退けない、口だけの姿を見せて失望なんてされたくないから。

 あたしは、前だけを見つめる。

「さて、具体的には、まだ何も考えてないんだけど。どうしたらいいと思う?」「先ずは宮戸さんに人に慣れてもらうところからかな」

「あまり無理はさせないでね」

「分かってます、本人しだいですけど、三人で大金星祭を回って見ませんか?」

 本来なら、あたしが同行するだけでも宮戸さんには辛いことだろう。それを人のごった返す大金星祭の中に連れ出すとなれば、彼女にかかる負担は相当なものだ。

「いくらなんでもそれは辛いんじゃ」

「だから本人が承諾しなければ無理強いはしません。それでいいんです、こうやってあたしが接点を持とうとすることに意味があると思うんです。それに一度断ると、人って次の頼みごと、断り辛くなるものでしょう?」

 瀬名さんは苦い顔をしながら、ゆっくりと口を開く。

「そうね、ここで最初から否定するようじゃ何もかわらないものね」

「その意気です」

 とまっていた食事の手を再開する。甘い幸せの味が、苦い思いをかき消してくれるように、口いっぱいにモンブランを含む。控えめな甘さがなんとも憎たらしかった。


 寮へと戻り、着替えや部屋の整理などをしていると夕飯の時間になっていた。部屋を出て食堂に向かう中、今日の当番が木津先輩であることを思い出して、頭を抱える。宮戸さんに話を振ろうと思っていたのに、晩御飯がカップ麺では体調の悪い彼女はわざわざ食べに来ないかもしれない。嫌な予感をひしひしと感じながら入った食堂で、あたしは驚愕の光景を目の当たりにした。

 テーブルの上に並ぶのはカレー。しかもレトルトではない完全に手作りのカレーである。わが目を疑い、軽く目をマッサージして再び目を向けてもそこにあるのはかわらない事実だった。

「木津先輩インスタント以外も作れたんですね……」

「馬鹿にしすぎでしょ、あんた達。その言葉今日だけで聞き飽きたわ。私だって料理の一つや二つ、出来るわよ」

 カレーが料理と言えるほどのものかどうかはさておき、いったいどういう風の吹き回しなのだろうか。食べられれておいしければなんでも一緒でしょと豪語していた木津先輩らしからぬ行動だ。

「でもなんで突然料理を?」

「料理くらい出来るようにならないと、街を出てから困るでしょ?」

「はぁ……」

 言ってることは最もだけど、たしか木津先輩の家あたしの所とは比べ物にもならないくらいの名家で、一人娘であるところの彼女は将来街を出たところで料理なんて一切しなくても困らないと思うのだけど。

 大方、交際相手に何か言われたのだろう。

 とりあえず回りの反応を見るに味についての不満はあがっていないようだった。まぁ、カレーなんて不味く作るほうが難しい。あたしも皿にカレーとごはんをよそって、瀬名さんと宮戸さんの前の席に腰掛ける。

 宮戸さんはあたしのほうを一瞥するとすぐに顔を背けてしまう、いつも通りの反応なのでもうなれた。瀬名さんのほうは珍しく落ち着かない様子でこちらに視線を送ってきている。あたしはそれに対して小さく頷いて返しておく。この珍しい姿を木津先輩がちょうどカメラに納めていないかと期待して目を向けるが彼女は自らのカレーを食べて自画自賛している真っ最中だった。

 あたしもカレーを一口、口に含んで、その味に驚いた。不味く作るのが難しいカレーとはいえ、普通より美味しいのだ。本当にこれを作ったのは木津先輩なのかと疑わしく思える。

 ただ、食べていくうちに、なんとなく、事の真相が見えてきた。

「木津先輩、この肉いくらしました……」

「グラム三千円くらいかなー」

 食事中の皆の手が止まる。カレーにしては随分厚いお肉だと思ったわけだよ。

「馬鹿なの木津ちゃん?」

「どうりでやけに美味しいと思った!」

「ステーキ肉でカレーなんて聞いたことない!」

 食堂のあちこちで声が上がる。

「べ、別に美味しいからいいじゃない!」

「おとなしくステーキにしたほうが美味しかったに決まってる!」

「このカレー鍋に並々とでいったいいくら使ったの。食費の負担を少しは考えて!」

「私が出すからいいでしょ!」

 騒いでいる彼女らを尻目に、あたしは本題へと入ることにする。

「瀬名さん、宮戸さん、少しいいかしら」

「何?」

 あたしが声をかけると、宮戸さんはスプーンを置いてこちらに目を向けた。普段なら食事の手も止めずにぶっきらぼうに返すだけなのに珍しいこともあるものだ。相変わらず、口の周りは汚れているけれど。

 瀬名さんのほうは先ほどまでの落ち着かない様子はどこへやら、真剣なまなざしであたしのほうを見つめている。

「もうすぐ大金星祭があるのは知ってるでしょ? 瀬名さんと宮戸さん、まだ一年目だから分からないことも多いだろうし、案内役を買って出たいのだけれど」

「私としてはぜひお願いしたいけど、綾は大丈夫?」

 宮戸さんの返事には余り期待していなかった。断られれば断られたで、瀬名さんと二人で行く口実も出来る、どちらに転がってもあたしには問題ない。

 ただ返ってきたのは予想に反した答えだった。

「私からも、お願い」

「本当に大丈夫なの、綾?」

 あたし以上に驚いているであろう瀬名さんの問いに、宮戸さんは小さく頷きを返していた。予想外の事態に、一瞬頭の中が真っ白になる。

「断られたらどうしようかと思ったわ。当日までに聞きたいこととか、見に行きたいものがあったら言っておいてね、スケジュール組んで置くから。後は今週中に学校からある程度の説明もあると思うけど、その補足も軽くするから週末にでも少し時間を空けておいて」

「わかった、綾も大丈夫?」

「うん」

 予想に反した結果だったけれど、瀬名さんの事を思えばこれはいい結果の筈だ。驚きの表情の中にも、瀬名さんの笑顔が見て取れる、あたしも自然と笑っていた。

 皆変わろうとしている、少しずつだけど、きっといい方向へと。

 あたしは、どうだろう。自分では分からないけれど。

 好きな人とこうして笑いあえる時間がもっと増えるように、そんな風に、周りも、あたしも変わっていけたらと、そう願う。

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