Isolation wolf
「何しに来た。」
それは、“腐食”の授業を受けた後に、ベルサーチと廊下で話している時起きた。
目の前に男が現れたのだ。
それだけならまだ良いかもしれないが、ベルサーチがその男に敵意を剥き出しにしているのが問題だ。
二日しかこの男とは話していないが、それだけでも分かる紳士的動作を、今は完全に脱ぎ捨てている。
「ご挨拶だなベルサーチ。旧友がわざわざこんな所に来てやったんだぜ?」
対する男は、ヘラヘラ笑い敵意を感じさせない。
だが、濁ったその瞳には油断の色がまるで見られない。
短い黒髪に所々剃り込みが入っている。
ベルサーチと同じくらいの背丈で190くらいあるのだが、物凄く痩身だ。
頬は痩けているし、腕もかなり細い。
[まるで枯木だなこの男。]
確かに。
[が、気をつけろ。奴の力はベルサーチ以上だ。]
……マジかよ。
「孤立狼に掛ける友情は余っていない。さっさと消えろ糸井。」
「おいおい、名前で呼んでくれよベルサ。寂しいぜ?はははは。」
かなりピリピリムードだ。
これマズイんじゃないか?
[そうか?私は、奴等の実力が見たいがな。]
馬鹿、そんなことになったら俺がどうなる?
[大丈夫だ。その時は浮遊して事の顛末を見届ける事にする。]
いやいや。誰かを呼ぶべきだろ。
「黙れ。正道からずれた奴の名など既に忘却の彼方だ。」
「ひで~。はぐれる理由も聞かず、それが正しくないと吐くのはどうかと思うぞベルサーチ。いや、分かっているんだろお前も?
「……何?」
「力とは、抑圧されるためにあるんじゃない。解放されてこそ真に力なのだ。でなければ日々の鍛練も、才能もなんら意味は持たない。違うか?」
[中々良いことを言うではないかあの糸井とか言う奴。ブラボー、ハラショー、グレイト。]
奴の力はどれくらいだ?ベルサーチ以上、ってのは分かったが、もう少し具体的に数値化出来ないか?
[ふむ、奴は操悪魔で名を冠しているシャックスと同化している。]
シャックス……。悪魔の本で見たぞ。人の知覚を奪い去ったり、優れた使い魔を与えてくれたりする悪魔だ。
[その通り。ソロモン72柱の1柱、世界に於いてかなりの力を持つ悪魔だ。]
「違う、制御出来てこそ力だ。」
「は。そうかい。じゃあここで質問だ。お前はどう思うネクローシス?」
ベルサーチがゆっくり後ろを振り向く。
俺もそれに倣い、ベルサーチの視線を辿ると、そこにはジェイカーがいた。
いつの間に……。
「私は力が大好きですよ。解放しつつ制御。それが出来ますからね私は。」
「は。相変わらずだなジェイク。解放し続ける事にこそカタルシスだろ。でなきゃ、欲求不満で死んじまう。」
[益々以て良いぞ。奴は一度ゆっくり殺してやりたい。]
滅多な事言うな。
俺の体がやるんだろそれ?
[無論そうであろう。貴様が兵装環装でも覚えれば話は別だがな。]
んなもん無理だ。人工兵装はイヴでもなきゃ手に入れられない。
術式兵装は簡単に覚えられるもんじゃない。
詰まるところ無理。
「そんなことをしていては死期を早めますよ草春。特に貴方はね。」
「はー。お前だけだよ名前で呼んでくれるのは。心配無用だ。俺の体は強いんだ。」
多分俺のが強いと思う。
[私と同化しているからな。]
それ抜きでもだよ。
「そうかい?なら安心だ。それで、君は何をしにW.W.Sに来たんだい?そこまで暇で、間抜けではないと思うのだが?」
「残念ながら、暇だ。現在俺達は行動休止中で、っと危な。」
突然、糸井が後ろに下がった。
[……成る程。やはりベルサーチ・マリオネット、かなりの実力だ。]
は?
[目を凝らせ。糸を見つけろ。]
意味は分からないが、言われた通り目を凝らしてみる。
よく見ると、宙に、細い、白い、存在感など無いに等しい糸が浮いていた。
[あれは“魅惑”と“操脳”を織り込んだ術式の糸だ。放ったのは、流れで分かるだろうがベルサーチだ。]
「ち……。」
「は。はははは。相変わらず操り師の腕は錆びていない様だなマリオネット。」
[二つが織り込まれているとはどういうことか、分かるか?]
つまり、魅惑して油断させるのと、脳を操るのをほぼ同時に出来る。ってことか?
[その通り。]
「貴様もな蟲使い。私の糸を切る蟲を持つのはお前くらいだろう。」
「はいストップ。」
一触即発、今にも本気モードの戦闘が始まりそうな雰囲気を、その一言で断ち切ったのはジェイカーだった。
「ベルサ、熱くなるのは分かる。けど今は更月君の前だ。血染めの殺し合いがしたいなら、場所と時間、そして観客を選べ。」
「……済まない。」
ベルサーチの両手の指から垂れていた糸が消えた。
「君も、暇潰しに来ただけならさっさと帰りなよ草春。じゃないなら、更月君を此処から去らせて、分かるだろ?」
「はいはい。分かったよ。何か萎えたし帰るわ。」
糸井が宙に手を翳す。
と、何やら虫がぞろぞろと何処からか出てきた。
「うおい!?なんだよそれ!」
「んん?男の癖にヘラクレスオオカブトも知らんのか?」
「ヘラクレ……?」
出てきた虫をよく見てみる。
……角がある。
ありゃヘラクレスオオカブトだな。
「相変わらず、君はそれが好きだね。」
「ああ。カブトムシの中でも最も大きく美しい。」
話している間にもヘラクレスが続々出てくる。
数は……百……いやもっとか?
「い、一体……何を?」
「ふ。空飛ぶ絨毯に憧れたことは?」
「は?」
「布ではないが、俺は空飛ぶ絨毯を手に入れた。」
虫が集まり、形を帯びていく。
長方形のそれは、まるで絨毯。
動いている事を除けば、だが。
「じゃあなベルサ。そしてジェイク。また会おう。」
次の瞬間、カブトムシ絨毯が浮き上がり、糸井がそれの上に飛び乗った。
驚いた事に、絨毯は形を崩さず、更に糸井を支えた。
「ついでにそこの小僧もな。」
虫が支えているとは思えないスピードで、糸井は飛び去って行った。