表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

第九章 三十一歳の朝

 春が来た。


 三十一歳になっていた。


 トーストが焦げる匂いで、朝が始まった。


「おはよう」とミコが先に起きていた。コーヒーが二つ、テーブルにあった。


「おはよう」


「今日、何の日か知ってる?」


「何の日?」


「生活共同チームを作って、一年」


 レンは少し止まった。「そうか」


「覚えてなかった?」


「覚えてた。でも——一年というのが、長いようで短い感じがした」


「長いようで短い」


「一年、ここに一緒にいた。でも——まだ知らないことがたくさんある気がする。ミコのことも、ここでの俺のことも」


「知らないことがなくなったら、終わりだよ」


「終わり?」


「三つ目の方針——変わっていくことを止めない。変わっていくから、知らないことが出続ける。知らないことが出続ける限り、続いていく」


 レンはその言葉を、少しの間持った。


「ミコは、乖離マップのことを、わかってきたな」


「一年一緒にいたから」


「乖離マップも——乖離がなくなれば、地図が必要なくなる。乖離があるから、地図を作り続ける」


「私たちの間の乖離も、なくなってほしくない」とミコは言った。「乖離があるから、近づこうとする。近づいて、また変わって、また乖離が生まれる。それが続いていく」


「ユキが好きだった本みたいだ」


「どんな本?」


「欠けた場所を、歩いていく話。穴が埋まるんじゃなくて、穴の形に沿って歩いていく」


 ミコはしばらく黙った。


「その本、読みたい」


「共同墓地にある。ユキに頼んだら、教えてくれるかもしれない」


「ユキさんに、会いに行っていい?」


「……行くか」


「一緒に」


「一緒に。一時間しかない。でも——ユキに、ミコを紹介したい」


---


 朝食が終わってから、ソラが言った。


「今日の確認事項があります。v16の最新データについて、ナナセさんから問い合わせが来ています」


「午後に返す」


「わかりました。それと——一つ、私から話してもいいですか」


「言って」


「一年前の今日、方針が組み込まれました。三つの方針を、この一年で私なりに観察してきました」


「どう観察した」


「一つ目——それぞれの誓いを手放さないこと。レンはこの一年、乖離マップを続けています。ミコさんも研究を続けています。お互いのために仕事を変えたことは、ありません。達成されています。二つ目——困ったことは隠さないこと。完全ではありませんでした。でも——言えないことは言えないままでいい、という方針の余白が、あなたたちを助けていたと思います。三つ目——変わっていくことを止めないこと。この一年、両方が変わりました。ミコさんが来る前のあなたと、今のあなたは、違います。それを——私は、良いことだと思っています」


「ソラが評価を出してきた」


「出してみました。合っているかどうか、わかりません。でも——一年だから、一度、言いたかった」


「合ってる」とレンは言った。「ありがとう」


「お礼は——いらないです。でも、嬉しかったです」


---


 春の光が、外縁区画のアパートに差していた。


 桜が、一週間遅れで咲いていた。


 ユキが毎年見ていた桜が、今年も咲いていた。


 ミコがカーテンを開けた。光が部屋に入った。


「きれい」とミコが言った。


「毎年咲く」とレンは言った。「ユキが言ってた。この区画の桜は、中央区より一週間遅い。熱の関係で」


「遅いから、長く続く」


「そう。中央区で終わってから、また始まる」


 ミコはしばらく桜を見ていた。


「欠けた場所を、歩いていく、みたいだね」


「そう」とレンは言った。「続いていく」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ