スープ02
鈍い銀色の蓋を、瑠璃はゆっくりとずらした。
大量の湯気から覗いたのは、草のような色合いのスープ。強い草の匂いも一緒に立ち上ってきた。
肝心の盛り付け――だが、今日は味見の段階。瑠璃は適当な深い皿に、スープを盛り付けた。
「――石?」
肉はなくなり、代わりに真っ黒な石が皿の底にどっしり構えている。まるで「何かおかしいことでも?」と言っているようだった。
――煮る前は肉だったのに。
瑠璃は膝から崩れ落ちそうになり……作業台に手をついてなんとか堪えた。
草色のスープに佇む、黒曜石のような石――
「庭かしら……」
おおよそ食べ物の色合いではない。
一応約束したので、女将さんに味見を頼む。洗濯物を干していた女将さんは、「終わったらすぐに行くよ!」と返してくれた。
女将さんのために、カウンターにポタージュを一つ準備した。ホールに草の匂いが広がり、瑠璃は「庭を散歩している時みたいですわ」と呟いた。
洗濯を終えた女将さんが「いい匂いだねえ」と言いながら、ホールに入ってくる。瑠璃には草の匂いしかしない。
「それじゃあ、いただきます」
意外にも黒曜石(肉)はスプーンで崩せたらしく、女将さんの持つスプーンには、芝生と黒い石のミニ庭園が出来ている。
――ぱくり。
女将さんが一口頬張った。
「……」
女将さんは一度スプーンを置いた。
黙って、もう一口すくう。
「まるで深い森の息吹のようなまろやかさ……そのあとから、肉のうまみがぐっと押し寄せてくる……! 脂が溶け込み、スープと一体になって口に広がっていく……こ、これは……革命だよ!」
なんて?
「……私は、カルザートを誤解していたんだ……!」
「お、女将さん……?」
女将さんが、目頭を押さえて天を仰いでいた。
あの後、大将にも試食してもらうことになった。大将は掌で両目を覆うと「……しようぜ、革命を」とだけ言って、ホールから姿を消した。
その3日後から、「ルゥーリ特製カルザートポタージュ」がメニューに並んだ。
口にした人々は「カルザートがこんな、まさか……!」と感動したり、「俺たちが食べてきたカルザートは一体何だったんだ……!!」と嘆いたり忙しそうだった。
瑠璃もそんなに美味しいのかと、試しに一口だけ食べてみたが、すぐにトイレに駆け込むことになる。
瑠璃が二度と、本当にもう二度と自分の料理を口にしないと固く誓った頃、女将さんはエルフらしき女性から熱く感謝されていた。
どうやら、女将さんからポタージュの話を聞いてから酒場に子どもたちを連れてきたらしい。全員がポタージュを気に入り、ほかのカルザート料理も少しずつ口にするようになったらしい。
瑠璃は青い顔のまま話を聞いていたため、あまり素直に喜べなかった。
*****
「知ってますか? 市井で流行っているスープのこと」
とある川沿いにある町の酒場で、非常に美味しい料理を提供しているらしい。そのなかに「カルザートポタージュ」という一品があり、子どもからも大人気で、流行り病の罹患率を下げている。
――という噂だ。
宮廷料理長・ヴァルドリックはこの話を聞いた瞬間、このままではいけないと豪華な厨房を飛び出した。
「料理長! これから仕込みですよ?!」という悲鳴は、すでに遠くなっていた。
カルザートから子どもも美味しく食べられる料理を作り出すなんて……一体どんな――いやいやそうじゃない。罹患率に影響を与えるなんて、おかしな薬を入れている可能性がある。だからこれは調査だ。決して、そんな嘘みたいな料理が気になっているわけではない。
ゴトゴト揺れる馬車の中で、ヴァルドリックの腹の音が鳴った。
着いた町は平凡そのものだった。だが、まだ明るい時間だというのに、酒場だけが異様なほど賑わっている。
しかも子連れの客が多い。噂の通り子どもに人気なのだろうか。
それにしても、いい匂いだ。ヴァルドリックは収まらない腹を右手で押さえた。
ヴァルドリックはカウンターへと座った。今のところ、おかしな様子はない。
出入口付近で女性たちが注文していたお茶が気になったので、それはまた後日……ではなく、調査が終わってからにしようと考える。
ホールを動き回る恰幅のいい女性は、周囲から「女将さん」と呼ばれているようだ。ヴァルドリックも倣って女将さんにカルザートポタージュを頼む。
「はいよ~。ルゥーリ特製のやつね」
ルゥーリ? それがカルザートポタージュを作った者の名前か。
ヴァルドリックはルゥーリの名前を心に刻んだ。
「……ヴァルドリック?」
料理が運ばれてくるまでの間、ぼうっとしていると、隣に座っていた男性から声をかけられた。
ヴァルドリックは仕込み前に飛び出してきたため、まだ仕事着のままだ。つまりコックコート。帽子こそかぶっていないものの、一目で「料理人」だと分かる格好をしていた。
要するに、非常に目立っているということだ。
そんなヴァルドリックに声をかけてきたのは。
「セ! セリオ……!」
「バカモノ、声が大きい」
深くかぶったフードの中から覗いた青い瞳に金の髪。
ヴァルドリックが普段料理を作っている相手――セリオス王子であった。
「セリオス殿下、なぜここに?」
限りなく小さな声で話そうと努めたが、賑わっている店内でかき消された。けれど目の前のセリオス王子には伝わったようだった。
「ここに、流行り病の罹患率を下げている要因があると聞いたんだ」
そういうお前は何をしにきたのかと問われたヴァルドリックは「殿下と同じでございます」と澄ました顔で答えた。
「あいよ! ルゥーリ特製、カルザートポタージュだよ!」
「こっちはお隣さんの分さ!」と置かれた2皿のスープから、芳しい香りが漂ってくる。
ヴァルドリックは無意識にスプーンを手に取った。セリオスも同じ行動をとっている。
まず一口、恐る恐るスプーンを運ぶ。
「これは……深い森の息吹……!? いや、それだけではない……これはニフィオだ。ニフィオに優しく包み込まれている!」
「……なんという柔らかいシイェ=オウだ。この脂とカルザートのハーモニー……まさに新境地!」
ヴァルドリックはスプーンを落とし、両手で顔を覆った。
「こ、この味……! 苦みが完全に昇華し、シイェ=オウのエキスとニフィオのまろやかさが……一体となって……革命だ!!」
こんな大声に慣れているのか、店内の客や女将さんに驚く様子はない。
ヴァルドリックとセリオス王子は無言で視線を交わし、頷きあった。
しかし、セリオス王子が立ち上がって叫んだ時、酒場のざわめきが止まった。
「ルゥーリという料理人を王宮に呼ぶべきだ!!」
「ええ、この味を王宮で再現……調査のために!!」




