お茶とお菓子
その日から、西園寺瑠璃は酒場で働くことになった。
最初の仕事は注文の受付と配膳だった。
「グラナ風ボルディッシュとバルグ酒」
「ボル……何かしら? 呪文?」
「グラ=ゼル2つとベル=トゥ=ナハルだよ、お願いね!」
「……どっちが、グラ=ゼルですの?」
が、料理名を聞いても何も分からないし、料理の区別もつけられない。おまけにメニューの文字も読めない。
「ルゥーリ、あんた料理知らないのかい?」
「瑠璃ですわ」
自己紹介はしっかりしたはずなのだが、瑠璃は何故か「サイオン=ジ・ルゥーリ」という名前だと誤認された。訂正しても全然直らない。
とにかく、瑠璃に配膳はできないということが分かった。
そんなわけで、掃除を担当することになった。
が、皆さんの予想の通り、瑠璃は掃除もできなかった。
まず床を箒で掃いたところ、箒の柄を窓にぶつけて割る。次に窓を拭いたところ、虫のような生き物に驚いて窓を割る。水桶を運んでいる最中に床に躓き水桶を窓にダイブさせる。窓は割れた。さすがに罪悪感が生まれた。
そんなこんなで、少なくとも4枚の犠牲を出したところで、女性――女将さんのストップがかかり、掃除はやめることになった。
女将さんはため息まじりに笑う。
「ルゥーリは掃除も配膳も向いてないみたいだね。じゃあ……厨房に来なさい。まずは簡単なことから。お茶を淹れてみてくれる? 客に出すんじゃなくて、試しに私たちにさ」
すでにお分かりのことと思うが、瑠璃は生まれてこの方、料理どころかキッチンに立ったこともない。
「これを使うんだ」
男性――大将がそう言った。ちなみに、女将さんも大将も、本人たちの希望でそう呼ぶことになっている。瑠璃のことは「ルゥーリ」と呼ぶのに。
大将は、キッチンにお茶を淹れるやかんと……恐らく茶葉のようなものを用意してくれていた。無愛想だけど親切だ。
2人はまだ仕込みがあるからと、それぞれの作業に戻っていく。
瑠璃は、用意されていたゼンマイのような形をした黒い草を手に取る。
「クサッですわ」
茶葉(仮)はとても臭かった。何と言うか……草と草と草を煮詰めたような匂いだ。
けれど、お茶の淹れ方くらいは何となく分かる。いつも用意しているのを何となく見ている。
まず、やかんに適当な量の水を入れる。それから……パックのようなものがないので、とりあえず茶葉(仮)を入れた。
ここで火にかければいいのだが――瑠璃は、目の前にあった謎の調味料を入れてみた。なんかたくさん入ってた方がいい気がしたからだ。
調味料は、砂みたいに茶色くてサラサラしている。胡椒? それとも砂糖? それをそのあたりにあったスプーンで、やはり適当な量入れてから、それからようやくやかんを火にかける。そして適当に火を止め、適当な時間蒸らす。
でき上がったのは――。
「ヘドロ……?」
ヘドロだった。
黒い草と茶色の砂から、ヘドロが生まれた。新しい発見だった。
瑠璃は味見をすることなく、女将さんを呼ぶことにした。ある意味、勇気ある決断だった。
大将と女将さんは、どこか楽しそうにやってくる。
瑠璃はカップを2つ用意し、やかんからドロドロした黒い液体を注ぐ。
2人は驚くことに――何のためらいもなく、それを飲んだ。
すると女将さんが、大きな動作で立ち上がり、瑠璃をビビらせる。
「なんて……なんて芳醇な苦味と、奥から湧き上がる甘い余韻……! こんな美味しいお茶、人生で初めて飲んだよ!!」
「え?」
「ああ……まさかこんな茶葉でこの味を出せるなんて――ルゥーリは天才だ」
ヘドロを飲んで感動している2人。
よく分からないが、本当によく分からないが、褒められている。
自分が作ったのはヘドロなんかじゃなかったんだ――そう思った瑠璃は、自分用に一杯お茶を淹れた。
うん――臭い。
けれど味は良いようなので、瑠璃は鼻の息だけ止めて、お茶を口にした。
「ゴフゥ!!!」
瑠璃はカップを一つ亡くした。
グラナ川の下流にある酒場に、とても美味いメニューがあるらしい。
噂を聞きつけた冒険者たちはこぞって酒場へと訪れたが――最初は必ず落胆した。なんだ茶かよ……と。
しかし女将さん激押しともあれば、一度は飲んでみなくては。
「ルゥーリ特製茶3つ!」
女将さんから注文が入る。
ルゥーリはもはや無の心でお茶を淹れ続けていた。最初こそ「わたくしはずっとあのヘドロを作らなくてはなりませんの?!」と嘆いていたが、最近は専ら虚ろな表情をしている。魂はたぶん一度死んでいる。
ちなみに、瑠璃はあの「雑草と砂を煮込んだ味」のそれを「ヘドロ」と呼んでいる。
「ななななんなんだこのお茶は……!!」
「うまい!!! まろやかな苦みがありながら、それだけでは終わらせないこの余韻……! 女将が推すはずだぜ!」
ホールから聞こえてくる野太い声にも飽きたものだ。
「この深い味わい‥…! 本当にラザンディアで淹れたお茶か?!」
「この草……ラザンディアって言うんですのね……」
ルゥーリがゼンマイ草と呼んでいた草の名前が分かったが、瑠璃が覚える日はこないだろう。
そんなヘドロと隣り合わせの毎日を送っていた瑠璃。
大将の作った実に美味しい料理に舌鼓を打った後、女将さんが一つの提案をした。
「ルゥーリ、あんたのお茶に合うお菓子も作ってみないかい?」
「……お菓子?」
あのヘドロに合うお菓子?
黒いドロドロしたヘドロに合うもの――洗剤だろうか?
瑠璃が首を傾げている間、大将と女将さんが
「女性の利用も多いからな」
「新しい客層も増えそうだね」
と話し合っている。
お菓子はお茶と違って雰囲気で上手く作れないだろう――いや、あれはお茶ではなくヘドロだ。瑠璃は自分に言い聞かせる。
けれど、期待される事はやぶさかではない。お菓子作りが難しいと聞いたことがあるということは一旦忘れ、瑠璃は「挑戦してみますわ」と頷いた。今度こそ成功させてみせると意気込んで。
酒場がお休みの日の午前中、瑠璃はさっそく厨房に立っていた。
2人がお菓子作りに使えそうな材料や道具を揃えてくれており、瑠璃は大変感謝した。瑠璃は見た目では、それが何に適した材料なのか分からないからだ。
「ふふ……わたくしには考えがありますのよ」
そう、ヘドロは水とゼンマイ草と砂を火にかけたら出来上がった。
つまり、火を使わなければ熱し過ぎてドロドロしたり焦げたりしないはず。
まず最初に、卵らしきものを見つけた。卵に火を通さないのは危険だ――ということでこの食材は使わないと決める。
次に、紙袋を覗く。小麦粉らしき白っぽい粉の入っている。小麦粉って生で食べるのことがあるのかしら、ということでこれも却下。
火を通さないお菓子として思い浮かぶのは、生チョコやレアチーズケーキ、ゼリーやババロア、アイスなどが思い浮かぶ。
「どれがチョコなのかしら? そもそもゼリーってどうやって作りますの?」
瑠璃はまだスタート地点の手前にいた。いや、周回遅れかもしれない。
「あら、これは果物ね」
細い木で作られた籠のなかに、一つの果物が盛られている。
見た目はリンゴと桃を足して割ったような、かわいらしい果物だ。皮越しではあるが、香りもフルーティで悪くない。
「果物って皮を剥かないとダメなのかしら」
瑠璃は一瞬考えたが、リンゴは皮ごと食べられるし、もしかしたらイチゴのように洗って食べられるタイプの果物かもしれない。桃やミカンなどの果物も思い浮かんだが、それはなかったことにした。
これをどうしようかと悩みながら材料を眺めていると、ふと瓶に入った謎の粉が気になった。
小さめの瓶に、透明に近い白色の粉が詰め込まれている。コルクの蓋には何か文字が書いてある。中の粉の名称だろうか。
「よし、これを使ってみましょう」
瑠璃は果物を細かく刻んだ――というか、切っていくうちに段々細かくなっていってしまった。
みじん切りされたサーモンピンクの果肉を、湯呑のような形の深い容器に入れてみる。今のところ何も異常はない。
その中に、例の粉を一つまみいれてみる。
――ジュウウウウウウゥゥゥウ
果物の欠片が、まるで呪いをかけられたように灰色に変色し、表面が泡立って不気味な模様を描く。
「え……」
ボコボコとしているそれを見つめ、それから手にしている瓶を見つめた。
「――わたくしは何を入れてしまったんでしょう?」
鮮やかなサーモンピンクが見る影もなく灰色になり、いまだに気泡を出している。
「……そうですわ、冷やしてみましょう」
デザートは冷えているものが多い気がする。それに、うん、失敗は冷やせば大体落ち着く気がする。
大将から冷蔵室――大量の氷が設置された部屋――の使用許可を取り、多分ないであろう望みを抱きながら、瑠璃は厨房の掃除を始めた。
それからおやつの時間になった。いつもは女将さんがどこかから買ってきてくれる、饅頭とクッキーの中間のような甘いお菓子をつまむのだが、今日はそうはいかなかった。
「ルゥーリのお菓子、楽しみだね!」
そう、公開処刑の時間である。
重い足取りで、瑠璃は冷蔵室へ向かった。見たくもないが、完成したものを確認しなくてはならない。
「……コンクリート、ですわね?」
湯呑の縁までいっぱいに詰まったコンクリートが、そこにあった。確実に体積が増えている。
厨房に戻り、木のスプーンでそれを叩いてみるとコツコツと明らかに固い物体の音がする。
「かじったら、歯が折れるのではなくて……?」
これを2人に出したらまずいのでは?
そう考える瑠璃の後ろ――厨房の出入り口から、大将がやってくる。
「なんだルゥーリ、切り方に悩んでるのか? 食うのは俺たちなんだから適当に――って切るのは苦手だったな」
優しい大将は、ルゥーリが作業台に置いていた湯吞を手に取った。
「待ってくださいな! わたくし、コンクリートを作ってしまったのかもしれなくて……」
「こん……なんだ?」
大将は湯吞をひっくり返し、底をポンッっと叩いた。
すると、中にみっちり詰まっていると思っていたコンクリートはするっと湯吞から抜け、皿の上にすんっと乗った。
「これは、円柱のコンクリート……! 花壇で見たことがありますわ!」
「う~ん、なんだこの香ばしい香りは……カルダネグラートでもいれたのか?」
「かる……なんですの?」
さて、ついに大将と女将さんが円柱コンクリート――を、大将が薄くスライスしたものを食べる時間がやってきてしまった。
2人はそれを手に取る。どうやら意外とカジュアルなコンクリートなのかもしれない。
「いただきます!」
――ガリッボリッ
食べ物から出る音かしら、と瑠璃は思った。
「――おいしい!!」
2人は円盤コンクリート~齧られ済~を手に、目を輝かせている。
「これは……カルダネグラートの香ばしさとミドランの瑞々しい甘みが、こんなにもマッチするなんて!! 噛むたびに広がるこの重厚なコク……! まるで大地の恵みを凝縮したような……!!」
「カルダネグラートにこんな使い方があったなんてな……普通ならあり得ない組み合わせだ」
――普通ならあり得ない……そんなに奇抜なセンスだったのかしら?
瑠璃はちょっと悲しくなった。
「それに、これなら保存も効きそうだし、数枚セットで売れそうだね! そのあたりも考えて作ってくれるんて……ルゥーリには頭が上がらないよ」
「偶然ですわ」
かくして、ルゥーリ特製円盤コンクリートは酒場に「美味しいお菓子とお茶」という利益と名声をもたらしたのだった。
円盤コンクリートは後に「ルゥーリ特製ビスケット」と呼ばれることになる。
保存性も抜群なコンクリートが、冒険者向けに『携帯食』として売れることを3人はまだ知らない。




