最終話-生まれながらにして輝くように
皆さん、こんにちは。いよいよ最終話です。
思ったよりも、少し早い結末になってしまいましたが……
細かいことは言いません。
どうか最後まで、五十嵐の選択を見届けてください。
それでは、ぜひお楽しみください。
巨大なサッカースタジアムでは、盛大な試合が行われていた。
大型スクリーンには、選手たちのプレーや試合の様子がリアルタイムで映し出されている。
観客席はすでに満員で、響き渡る声援はまるでスタジアム全体を揺らしているかのようだった。
「……試合時間はすでに後半88分に突入しています。現在のスコアは2対1で、北城大学がリード。ここで東海新星大学がタイムアウトを取りました。果たして東海新星大学はこのまま同点に追いつき、延長戦へ持ち込むことができるのでしょうか?
この試合に勝利したチームは全国大会へ進出。さらに会場にはプロのスカウトも来ています。選手たちにとっては、自分の価値を証明する絶好のチャンスですね。解説の方、いかがでしょうか?」
「そうですね。北城大学はスター選手・森田の活躍によってリードを維持しています。まだ大学生とはいえ、すでにプロ並みの実力を持っていますね。
一方、東海新星大学も五十嵐を中心に健闘しており、本日の1点も彼によるものです。将来プロ入りを期待する声も多いでしょう。
ただ、先ほど五十嵐は一時的に負傷退場しており、その状態が気になります。かなり痛めている様子でしたので、終盤で再び出場できるかどうか……正直、東海新星大学はやや厳しい状況だと思います。」
「さあ、タイムアウトが終了し、試合再開です……おっと!?五十嵐が再びピッチに戻ってきました!
負傷の影響で動きはやや鈍く、表情も苦しそうですが――それでもチームが必要とするこの瞬間、彼は立ち上がりました!
観客席からは大きな歓声と拍手が送られています!」
五十嵐は再びピッチに立った。
包帯を巻いた足は、今もなお鈍い痛みを訴えている。
それでも――仲間たち、チームスタッフ、そして観客たちが自分の名前を叫び、声援を送っているのを見て、
彼は軽く汗を拭い、歯を食いしばって前へと踏み出した。
彼はふと顔を上げ、大型スクリーンとスコアボードを見上げた。
そこに映し出されているのは、自分の姿だけ――まるで、このスタジアムの主役が自分であるかのようだった。
スコアと残り時間を確認する。
彼が再びピッチに立った理由は、勝つためだけじゃない。
名誉のためでもない。
これほどの大舞台だ。
当然、プロのスカウトや選手たちも観戦している。
ここで結果を残せば、プロへの道が開けるかもしれない。
そうなれば――
年俸も、知名度も、待遇も、すべてが今とは別次元になる。
これまで積み重ねてきた努力も、ようやく報われるはずだった。
五十嵐は膝に手をつき、ユニフォームを噛みしめる。
余計な思考はすべて消え、意識は極限まで研ぎ澄まされていく。
その視線の先には、ただ一つ――
あのボールだけがあった。
まるで死神が獲物を見据えるように。
「ピーッ!!!」
主審の笛が鳴り響いた瞬間――五十嵐は再び走り出した。
「さあ、試合再開です!東海新星大学が攻撃を仕掛けます!
中盤でボールを受けた背番号7、佐藤が素早くターン――右サイドへ展開!
右ウイングの高橋がそのままスピードに乗って突破!
前にはディフェンダーが一人――フェイントでかわした!見事です!
ボールはペナルティエリア付近へ!
高橋が顔を上げて……クロス!やや高めのボールですが――
五十嵐が走り込んでいる!絶好のポジションだ!
しかし――森田が驚異的なスピードで戻ってきた!
二人は並走しながら、このボールを狙っている!
ボールはまだ空中――
この一球を制した者が、全国大会への切符を手にする!」
実況の声とともに、試合は一気にクライマックスへと突入し、スタジアムの熱気は最高潮に達する。
――だが、五十嵐にとっては違った。
すべての音が、まるで消えたかのように静まり返る。
彼は走りながら、ただ一心に――
空中から落ちてくるボールの軌道だけを見つめていた。
(いける……届く……!)
心の中でカウントダウンが始まる。
鼓動は、秒針とともに激しく打ち鳴らされていく。
――その時だった。
さっきまで忘れていたはずの痛みが、突然、襲いかかる。
アドレナリンで誤魔化していたはずのそれは、
もはや無視できないほどの激痛へと変わっていた。
「……っ!!」
五十嵐は思わず足元に視線を落とす。
同時に、冷や汗が一気に噴き出した。
(五十嵐くん、正直に言う。今プレーを続ければ――将来の選手生命に影響が出る可能性がある)
先ほどの医療スタッフと監督の言葉が、脳裏によみがえる。
(……俺は、どうするべきなんだ……?)
残された時間は、あとわずか。
五十嵐は走り続ける。
その視線は、ただ落ちてくるボールに向けられていた。
そして――
彼は、自らの未来を左右する決断を下した。
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「……ん……」五十嵐はぼんやりとしながら、ゆっくりと目を開けた。最初に視界に入ったのは真っ白な天井だけだった。その直後、全身に力が入らない感覚と、あちこちから伝わってくる大小様々な痛みと痺れに気づく。
「こ、ここは……」かすれた声がわずかに漏れる。言葉には力がなく、まだはっきりと発音もできていない。
「おお、よかった……!目を覚ましたぞ!医者を呼んでくれ!」
そばにいたDSAの関係者たちが慌ただしく動き回る。その様子を見て、五十嵐はようやく自分が病院のベッドに横たわっているのだと理解した。
「だ、伊達さん……?」五十嵐はそこにいた人物たちの顔をかろうじて認識する。
「ああ、俺だ。安心しろ、今は安全だ。無理に動いたり話したりするな。……すまない、こちらの判断で君の正体を把握し、いくつか処置もさせてもらった。でもあの状況では、他に選択肢がなかったんだ。」
「ああ……もうその辺はどうでもいいです……それより、あの時は何が起きたんですか?金のリンゴは……それに、敵は……」
「落ち着け、金のリンゴはちゃんと君のそばにある。あの時は……マッチちゃんとキング・フィッシャーに立て続けにやられてな……重傷どころか、ほとんど殺されかけていた。医者も言っていたよ、あの状態から生き延びたのは奇跡だって。しかも後遺症もなく回復する可能性があるらしい……ほぼ金のリンゴのおかげだな。」
陽介はベッドの脇に置かれた金のリンゴを指差す。五十嵐はそれを見つめた。ほとんど傷ひとつなく、いつもと変わらず眩しく輝いている。
次の瞬間、五十嵐の脳裏にあの時の光景がよみがえる。奇妙な炎に焼かれ、胸を槍で貫かれ、殺意に満ちた敵の表情、そして何もできなかった自分――。
その記憶に、思わず体が震え、手が止まらなくなる。
「奇跡……?これが……?」
五十嵐は震える声でつぶやく。
「金のリンゴが俺を生かした……でも、そもそも俺が死にかけた原因もこいつだろ……!俺はあんな目に遭ったのに、こいつは何事もなかったみたいに……!」
声は次第に荒くなっていく。
「こんなの奇跡なんかじゃない……呪いだろ!ふざけんなよ……!金のリンゴなんて、ただの呪いだ!こいつのせいで、頭おかしい連中に何度も何度も狙われて……!誰も俺なんて見てない……みんな欲しいのはこれだけだろ……!」
そして、ついに感情が爆発した。
「こんなもん……誰にも渡してたまるかよッ!!!」
「待て!落ち着け、やめろ!」
精神がまだ不安定な五十嵐は、衝動のまま手を伸ばし、そばにあった金のリンゴを掴んで床へ叩きつける。
周囲の人間たちは慌てて彼を取り押さえた。
しばらくして、五十嵐はようやく落ち着きを取り戻した。医者たちが状態を説明し、彼の体調も少しずつ回復していく。
五十嵐はベッドに横たわり、静かに、しかしどこか虚ろなまま天井を見つめている。陽介もそのそばで様子を見守っていた。
その時、ちょうどドアがノックされて一人の男が入ってきた。背が高く、五十嵐より少し年上に見える男だ。
「よー、陽介。頼まれてたやつ持ってきたぞ。ついでに栄養補給のやつも――って、うわっ!?ご、ごめん!な、何も見てないから!」
男は五十嵐がマスクをしていないことに気づき、慌てて引き返そうとする。
「大丈夫だよ、煉司。入ってきていい。っていうかお前、なんでそんな女子の着替え見ちゃった童貞みたいな反応してんだよ?」
「あ、ああ……じゃあ……失礼します……」
男は適当な椅子に腰掛け、五十嵐に軽く挨拶する。
「どうも、DSAの社畜の一人、橘です。君がアップルマンだよね。はじめまして、よろしく。」
「あ……よろしくお願いします……でも、その……アップルマンって呼ばなくていいです……今は、その名前……ちょっと聞きたくなくて……」
五十嵐はまだぼんやりした様子で力なく答える。
「……そっか。わかった。とりあえず腹減ってるだろ?飯にしようぜ。」
軽くやり取りをした後、男たちはさっさと弁当を広げて食べ始める。五十嵐はというと、いかにも「健康第一」な味気ない病院食を少し嫌そうに口に運んでいた。
「もうちょっと……味あるもの出してくれないんですか……?」
箸を持つ手は止まり、食欲はまったく湧いていない。
「まあ……俺が言うのもなんだけどな、昔部隊で食ってたメシはこんなもんじゃなかったぞ。あれはもう“人間の食い物”って言っていいのか怪しいレベルだった。でも食わなきゃ腹減るから、無理やり流し込むしかないんだよな。……まあ、その代わりいい方法を教えてやる。」
橘は袋の中から小さな調味料のパックを取り出し、五十嵐に手渡す。
「科学と味の素を信じろ。それだけで飯は救われる。」
「はは……ありがとうございます、橘さん。」
五十嵐は思わず少しだけ笑みを浮かべた。
「昔はこれ、部隊じゃ持ち込み禁止だったんだぜ?それでもこっそり持ち込む奴がいてな。これと喉飴持ってるやつは、マジでモテたわ。」
そんな話で場は少し和み、男たちは雑談しながら食事を済ませる。食後はそのまま病室でゆったりと過ごした。
しばらくして――
五十嵐は両手を頭の後ろに組み、ベッドに横たわったまま天井をぼんやりと見つめていた。何かを考え込むように、しばらく沈黙が続く。
そして、長く迷った末に、ようやく口を開いた。
「あの……伊達さん、橘さん……」
少し間を置いて、五十嵐は言葉を絞り出す。
「俺みたいに……ただ有名になりたいとか、誰かに覚えてほしいとか……そんなくだらない理由でヒーローになったやつって……やっぱりバカですか……?」
声は次第に弱くなっていく。
「俺は……他の人みたいに強くもないし、賢くもないし、特別でもないし、人気もないし……」
「ヒーローとしての責任感とか、正義感とか……そういうのも、正直あんまりなくて……」
最後に、自嘲するように小さく笑った。
「やっぱり……滑稽ですよね……アップルマンなんて……ただの笑い話だ……」
陽介と橘は一度視線を交わす。
短い沈黙の後、橘が口を開いた。
「悪いな、俺たちみたいな男じゃ、気の利いた“優しい言葉”なんてあんまり出てこねぇんだけどさ……」
橘は少しだけ間を置き、ふっと笑った。
「ヒーローって何が正しいのか、って聞かれたら――」
「知らねぇよ。俺、ヒーローじゃねぇし。」
そう言って、橘は大きな手をそっと五十嵐の肩に置いた。力強く、それでいて優しく。
その横で、陽介も軽く肩をすくめながら口を挟む。
「俺だったらなぁ……もし超能力あったら、まず上司脅して給料上げさせて、有給増やさせるかな。」
「陽介お前、超能力持っても働く前提なのかよ。救いようのない社畜だな。」
「ああクソ……この職場、俺をこんな人間にしやがった……」
「普通は遊んで暮らすだろ。まあ……俺は高瀬を一発ぶん殴りたいけどな。」
「どっちの高瀬だ?年上のほうか、若いほうか?」
「そりゃあ……決まってるだろ……」
「「両方だな!」」
二人は声を揃えて言い、思わず笑い出した。
そのやり取りを見て、五十嵐も思わず少しだけ力が抜ける。半分は本気で、半分はくだらない――そんな掛け合いだった。
「まあさ……なんだかんだ言っても、お前はその力をちゃんと人のために使ってるだろ?」
「少なくとも俺たちよりは、よっぽど“ヒーローっぽい”んじゃねぇの?なあ、煉司?」
「そりゃそうだろ。完全同意。」
橘はそのまま、プロテイン飲料の缶を何本か取り出して皆に配る。
「まあ今は酒飲めないしな。とりあえずこれで我慢だ。」
橘は肩をすくめながら缶を開けた。
「乾杯。」
「乾杯……」
三人は同時に飲み物を口に運ぶ。
「「「まずっ……」」」
三人は同時に顔をしかめ、そのまま苦笑を漏らした。
しばらくして、橘と陽介は立ち上がる。
「悪いな、俺たちこのあと仕事あるから先に戻るわ。とりあえず、入院してる間は安全だから安心しろ。……ちゃんと体、休めとけよ。」
「あ、そうだ。危うく忘れるとこだった。」
「俺に……?」五十嵐は少し不思議そうに首をかしげる。
橘はポケットから小さな箱を取り出し、五十嵐に手渡した。
「中身は俺もよく知らねえけどな。上の人からの伝言でさ――
『比嘉博士がこれを直した。役に立つかもしれないから、プレゼントだってさ。アップルマンへ』……だってよ。」
「これは……」
五十嵐は箱を開け、中身を見て少し驚いた表情を浮かべる。
「……わかりました。正直よくわかんないですけど……ありがとうございます。もらっておきます……」
「じゃあ、俺たち戻るわ。何かあったら遠慮なく連絡しろよ。」
「じゃあな、早く良くなれよ。」
「はい……ありがとうございました。」
さっきまで少し賑やかだった病室は、二人が去ると再び静けさを取り戻した。
五十嵐は自然と、そばに置かれた金のリンゴへと視線を向ける。
「入院してる間は安全……か。でも、一生ここにいるわけにもいかないしな……」
少しだけ間を置く。
「俺たちには、まだ解決しなきゃいけない問題がある……」
声はさらに小さくなる。
「このまま何もなかったみたいに、また無名に戻るのも嫌だ……でも……」
「死ぬのは……もっと嫌だ……」
「……どうすればいいんだよ……」
まるで久しぶりに話しかけるかのように、五十嵐は金のリンゴに向かって呟いた。
しばらくして、退屈だったのか、五十嵐はゆっくりと上半身を起こした。体に大きな異常がないことを確認すると、そのままゆっくり立ち上がり、ひとまず病室の外へ出ていった。
とはいえ、病院を離れるつもりはなく、松葉杖を手にしながら、ただ目的もなく院内を歩き回るだけだった。
この病院には当然、五十嵐以外にも多くの患者がいる。医療スタッフや一般の患者たちも、それぞれの日常を過ごしていた。
そんなふうにしばらく歩き回っていると、ある休憩スペースで、どこか見覚えのある人物の姿が目に入った。
気になった五十嵐は、一瞬ためらいながらも、やがて意を決してその人物に声をかけた。
「……あの、すみません……もしかして、森田さんですか……?」
五十嵐が小さく声をかけると、かつてサッカーの試合で一度だけ対戦したことのあるあの男――森田は、ゆっくりと顔を上げ、五十嵐の存在に気づいた。
「はい……えっと、君はもしかして……」
森田は少し考え込む。五十嵐はわずかに緊張しながら、その言葉を待った。
「俺のファンかな?」
「……」
案の定、すでに有名なプロサッカー選手となった彼は、五十嵐のことなど覚えてはいなかった。
(まあ、そりゃそうか……)
五十嵐は心の中で軽くツッコミを入れつつも、苦笑いを浮かべた。
「ええ……まあ、そんな感じです。はは……あの、よろしければ――」
「もちろん、どうぞ。座ってください」
入院着に松葉杖という姿もあってか、森田は丁寧に対応してくれた。
「森田さん、大丈夫ですか?どうして病院に……?」
「まあ、ケガの関係でね。はは……前から足を痛めていて、今回は定期検診に来ただけなんだ」
「そうなんですか……結構、重いんですか?」
「正直に言うと……プレーに影響が出るレベルだね。あと数年ってところかな……残念だけど、仕方ないよ」
「そうですか……それは……残念です……」
かつての自分と同じように、ケガによって選手人生に影響が出ていることを知り、五十嵐の胸には複雑な感情が広がっていた。
「はは、ありがとう。でもね、あと二、三年はプレーできると思うんだけど……」
森田は一度言葉を切り、五十嵐を見つめたあと、続けた。
「これ、内緒にしてほしいんだけどさ……実は今シーズンが終わったら、引退するつもりなんだ。まあ、近いうちに正式発表すると思うけどね、はは」
「えっ……?そんな急に……?」
「まだ続けようと思えばできる。でも、もうパフォーマンスは落ち始めてるんだ」
森田は苦笑しながら続ける。
「このままボロボロになるまで続けたら、過去の栄光にすがるだけの老害になってしまうかもしれない。周りの選手やファンからも嫌われるだろうしね……せっかく築いてきたものが、最後にそんな形で終わるのは……格好悪いだろ?」
森田は少し空を見上げ、どこか吹っ切れたように笑った。
「だったらさ、まだ“すごい選手だった”って言われてるうちに辞めたほうがいいかなって思ってさ。そうすれば、少なくともいい印象のまま覚えてもらえるだろ?」
「まあ、話題にもなるし、名声も少しは残るかもしれないしね。……なんて、冗談だけど」
「でもまあ……これが人生ってやつだよ。ケガもあるし、アンチもいるし、チームの事情もあるし、頼りにならない仲間やスタッフだっているし、試合中に狙われることだってある。それに、プロとしてのプライドやプレッシャーもある……」
「正直、もういろいろ疲れちゃったんだよ」
「でも心配しないでください。今シーズン最後までは、もちろん全力でやりきるつもりです!もし機会があれば、ぜひ試合も観に来てくださいね、はは。それより……そちらこそ大丈夫ですか?体のほうは……」
「俺は……まあ、数時間前にちょっと火をつけられて、体に風穴も開けられて、普通に死にかけただけだから。……ああ、でも安心して。大したことはないよ」
「……えっ」
森田は一瞬、言葉を失った。
「そ、そうですか……えっと……」
明らかにどう返していいかわからず、ぎこちなく視線をそらす。
「すみません、そろそろ失礼します。お話できて光栄でしたし、応援もありがとうございます。これからも頑張りますので……」
森田はどこか逃げるように立ち上がり、軽く頭を下げた。
「あなたも、どうかお大事に。早く良くなるといいですね」
そう言い残し、足早にその場を後にする。
残された五十嵐は、ただその背中をぼんやりと見送っていた。
先ほどの会話が、頭の中で何度も反芻される。
やがて、しばらくの沈黙のあと――
五十嵐はポケットからスマートフォンを取り出し、ある番号に電話をかけた。
「……DSAか?俺だ、アップルマンだ」
一拍、間を置いて。
「ちょっと……話したいことがある」
それから、およそ一、二週間が過ぎた。
その間、五十嵐は療養に専念しながらも、同時に様々な準備を進めていた。
特に――自分がこれからどう進むべきか、その答えを探し続けていた。
やがて体は回復し、考えも少しずつ整理されていく。
そして――その時は、静かに近づいていた。
――ある夜。
広大な、しかし人影一つないサッカー場。
その芝の上に、キング・フィッシャーは一人立っていた。
周囲を見渡しながら、何かを探している。
その時だった。
わずかな気配。
キング・フィッシャーは反射的に振り向く。
そこに――“それ”は現れた。
まるで透明なガラスの彫像のような人影。
その体の内側では、ひび割れた光のようなものが、ゆらゆらと流れている。
その存在は、一定の距離を保ったまま、ゆっくりと歩み寄ってきた。
互いに、一切の隙を見せないまま――静かに対峙する。
「……お前、まさか……ガラス・モナークか?」
キング・フィッシャーは警戒を強めながら問いかける。
どうやら、その名には聞き覚えがあるらしい。
「そうだ。そして私は、金のリンゴを探しに来た。……どうやら、私だけではないようだがな」
ガラス・モナークは、手を軽く掲げる。
次の瞬間――
無数の結晶片が、弾丸のような速度で“何もない空間”へと撃ち込まれた。
しかし――
それらは空中で不自然に静止し、
やがて力を失ったかのように、地面へと落ちていく。
本来、何も存在しないはずの空間。
そこに――輪郭が浮かび上がる。
ノイズで構成されたかのような、不安定な人影。
スーツ姿ではあるが、その身体はまるで電波の乱れのように揺らぎ、
顔は監視カメラの粗い映像のようにぼやけていて、表情を読み取ることはできない。
キング・フィッシャーは、その存在にまったく気づいていなかったことに、思わず目を見開いた。
「……お前は、何者だ?」
ガラス・モナークが問いかける。
返ってきたのは――
途切れ途切れで、まるで通信障害のような、ざらついた声だった。
「私は……シグナル……レイス……。お前たち……どうやら……違う、ようだな……」
その言葉が最後まで紡がれる前に――
異変が起きた。
足元が、重い。
まるで重力そのものが増したかのように、身体が沈み込む。
地面すら、わずかに震えている。
反射的に、全員が空を見上げた。
――そこに、いた。
一人の人影が、空中に静止している。
やがて、その人物はゆっくりと降下し、地面へと足をつけた。
頭部には異様なヘルメット。
両手には機械的な装置。
どうやら、それらによって能力を制御しているらしい。
場にいる全員が、一定の距離を保ちながら、互いを警戒する。
キング・フィッシャーは直感する。
(……こいつら、全員ただ者じゃねえ)
「いいから答えろ。金のリンゴはどこだ」
「はぁ?それを俺に聞くなよ。こっちだって探しに来たんだが?」
「何だと?ここに現れるって聞いて来たんだぞ?」
「……なら話は早い。全員まとめて相手してやる!」
「それはこっちのセリフだ。俺の前で持っていけると思うなよ」
「上等だ。金のリンゴは――俺のものだ!」
一瞬で、空気が張り詰める。
殺気が、ぶつかり合う。
誰もが戦闘態勢に入る中、キング・フィッシャーも無意識に巨大な釣り竿を握りしめる。
だが――
違和感があった。
(待て……?なんで、こんなタイミングで、こんなに集まる……?)
(あまりにも出来すぎてる……まるで――)
その瞬間。
風が吹き抜けた。
次の瞬間、闇の中から“何か”が弾き出される。
一直線に――キング・フィッシャーの頭部へ。
「チッ!」
反射的に釣り竿を振るい、それを弾き飛ばす。
地面に転がったそれを見て――
「……は?」
思わず声が漏れた。
「……サッカーボール……だと?」
サッカーボールが地面に落ち、脇へと転がっていくのを見た瞬間、数人は一斉にボールが飛んできた方向へと視線を向けた。そこには、薄暗いベンチの中に人影があるのが見えた。
その人物はもともとベンチに座っていたようだったが、やがてゆっくりと立ち上がり、影の中から歩み出てその姿を現す。
「いやぁ……やっぱり、しばらく蹴ってないと鈍るなぁ……」
五十嵐は一人でその場に現れ、敵たちと対峙する。しかも――彼はまだ変身すらしていなかった。
「な、なんだと……?」
「お前、誰だよ?」
彼を知らない者たちは当然のように警戒と疑念を向ける。
「俺の名前なんて……どうでもいいだろ。大事なのは……たぶん、これだけだ」
そう言って五十嵐は片手を差し出す。すると何もなかったはずの手の中に、まるで手品のように金のリンゴが現れた。
夜の闇の中で、その輝きは一層際立つ。
それを目にした瞬間、周囲の者たちは息を呑み、同時に五十嵐へと戦闘態勢を取った。
「なにっ!?」
「まさか……あれが、伝説の金のリンゴか!」
「ここにあったのか!さっさと渡せ!」
「はは……いいね、その反応」
五十嵐はまったく動じる様子もなく、肩をすくめながら言う。
「この間ずっと、“金のリンゴがこのスタジアムに現れる”って噂を流してたんだよ。そしたら案の定、こうして何人も釣れたってわけだ。悪くないだろ?人数が多いほうが盛り上がるし――まとめて片付けるのも楽だしな」
「なに?それって……わざとだってのか?」
「バカか?誰が好き好んで金のリンゴの情報なんか広めるんだよ」
「それに、お前……自分一人で俺たち全員を相手にできると思ってるのか?」
敵たちはすでに殺気を隠しきれず、今にも飛びかかりそうな勢いで身構えていた。
本来はそれぞれ別の思惑を持つ者同士であるはずなのに、この瞬間だけは全員の視線が五十嵐へと集中している。
「なあ……それ、本当に欲しいのか?」
五十嵐は金のリンゴを軽く持ち上げながら、どこか冷めた口調で言った。
「これはさ――呪いみたいなもんだぞ?」
「うるせぇ!死にたくなかったらさっさと渡せ!」
「じゃあさ――今ここでお前ら同士でやり合えばいいじゃないか」
五十嵐はあっさりと言い放つ。
「最後まで生き残ったやつに、これをくれてやるよ」
「は?」
「ふざけんな!どうせ俺たちを潰し合わせて、最後に横取りする気だろ!」
「……バレたか」
五十嵐は肩をすくめ、小さくため息をついた。
「やっぱり、そう簡単にはいかないか」
「ガキが……ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」
「もういい!これ以上無駄話は不要だ!ルールは簡単だ――奪ったやつの勝ちだ!」
「どう見ても一人で俺たち全員に勝てるわけねぇだろ!まずはあいつを殺す!その後でお前らもまとめて片付けてやる!」
「……四対一か」
五十嵐は小さく息を吐き、肩を回す。
「さすがに、それは無理ゲーだよな……だから――」
「「「「金のリンゴは……俺のものだぁぁぁぁ!!!!」」」」
四人の殺気が一斉に爆発し、同時に五十嵐へと突撃する。
「だから――」
五十嵐は、わずかに口角を上げた。
「助っ人を呼んだ」
その瞬間だった。
キング・フィッシャーを除く三人の足元に、突如として“穴”のようなものが開く。まるで空間そのものが裂けたかのような――ポータル。
踏み出した足はそのまま虚空へと落ち、反応する間もなく身体ごと吸い込まれていく。
「なっ……!?」
「なんだこれ――っ!?」
「うわあああああ!!!」
悲鳴と共に、三人はそのまま姿を消した。
気がつけば――そこにはもう、五十嵐とキング・フィッシャーの姿はなかった。
「なんだここは……!? ここ、どこだ!?」
「あいつもいねぇぞ!?」
「さっきのポータル……まさか、ヒーローのゲートブレイカーの能力か……?」
「はぁ!? あいつ、他のヒーローまで呼びやがったのか!?」
「落ち着け!こういう時は一旦休戦だ!相手がヒーローだろうが、三対一ならどうにか――」
「そうだ!いくらなんでも一人で俺たちを――」
その言葉は、最後まで続かなかった。
ふと、全員の視線が“上”へと引き寄せられる。
――そこに、いた。
夜空に浮かぶ、一つの人影。
たった一人。
それだけのはずなのに――
その場の空気が、凍りついた。
風に揺れる金色の髪。
そして、まるで獲物を見据える夜視装置のように――真っ直ぐこちらを貫く、赤く光る瞳。
その表情には恐怖も緊張もない。
あるのは、ただ――退屈そうな無関心だけ。
それだけで十分だった。
「っ……」
誰もが言葉を失う。
背筋に冷たいものが走り、汗がにじみ、足から力が抜けていく。
「shit……俺はヒーローに詳しくねぇけど……」
一人が、かすれた声で呟く。
「……絶対に関わっちゃいけない奴が、一人いるのは知ってる……」
「やめろよ……まさか……」
「……ああ」
短い沈黙のあと――
「お嬢、だ……」
「たぶんあいつら、もう抵抗する気も失せてるだろうな。お嬢に殴られたい奴なんていねぇし」
五十嵐はどこか気楽そうに、キング・フィッシャーへと声をかけた。
「……なんで俺まで飛ばさなかった?」
キング・フィッシャーは低く唸るように言う。
「お嬢相手なら、俺が一人増えたところで結果は変わらねぇだろ」
「できたさ。やろうと思えばな」
五十嵐の表情が、ふっと変わる。
それまでの軽さが消え、代わりに宿ったのは――冷たい殺意。
ゆっくりと、喉元を掻き切るような仕草を見せながら、告げる。
「――でも、それじゃ意味がねぇ」
一歩、踏み出す。
「てめぇは、俺が――」
その視線は、完全に“獲物”を捉えていた。
「この手でぶっ殺す」
「このクソ野郎が」
「……後悔するぞ」
キング・フィッシャーは釣り竿を構え、今にも飛びかからんとする。
「その判断の代償、きっちり払わせてやる」
一触即発の空気の中――
五十嵐は、静かに手の中の金のリンゴを見つめた。
そして、迷いなくそれを口元へと運び――
ガリッ、と噛み砕く。
――瞬間。
まばゆい閃光と共に、無数の金色の破片が爆発するように弾け飛んだ。
衝撃と気流が夜のスタジアムを揺らす。
その中心に立っていたのは――
夜を裂くように輝く、アップルマン。
「さて……」
アップルマンは肩を回し、首を鳴らし、四肢を軽くほぐす。
まるでかつて、試合前にウォームアップをしていた時のように。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「延長戦だ」
一瞬の間。
「――キックオフだ」
============================================
アップルマンは雷のようなステップでピッチを駆け抜ける。
縦横無尽に走り回りながら、遠距離から飛来するフックを紙一重で回避しつつ、確実にキング・フィッシャーとの距離を詰めていく。
――そして、射程圏内。
キング・フィッシャーが正面から釣り竿を振り抜く。
だが、アップルマンは身体をわずかに捻ってそれを回避。
その勢いのまま前方へと跳び込み――
前転。
空中で回転しながら一気に背後へ回り込み、両手からアップルファイバーを展開。
背後から首へと絡みつかせ――
一気に締め上げる。
「っ……!」
キング・フィッシャーの表情が歪む。
アップルマンは身体を密着させ、逃げ場を与えないよう全力で引き絞る。
しかし――
「ぐぅぅぅッ!!」
キング・フィッシャーは強引に後ろへ手を回し、アップルマンの身体を掴むと――
そのまま力任せに振り回し、
叩きつけるように放り投げた。
空中へ弾き飛ばされるアップルマン。
だが、体勢を崩さない。
空中で身体をひねり、着地と同時に地面を蹴る。
――加速。
再び一直線に突撃。
大きく踏み込み、跳躍。
長い滞空時間の中で、連続の飛び蹴りを叩き込む。
だがキング・フィッシャーもそれに応じ、釣り竿を振り回して次々と迎撃。
衝突音が連続し、火花のように空気が弾ける。
着地した瞬間――
アップルマンの両手からアップルファイバーが射出される。
それは瞬時にキング・フィッシャーの両腕へと絡みつき、動きを封じた。
「っ……!」
そのままアップルマンは全力で引き寄せながら前方へと突進。
低い姿勢に潜り込み――
スライディング。
まるでボールを奪うかのような鋭いタックルが、キング・フィッシャーの下半身を刈り取る。
バランスが崩れる。
その一瞬を逃さない。
アップルマンは即座に立ち上がり、首元を掴み――
そのまま、跳躍。
「――R、K、Oォォォォ!!!!!」
空中から叩きつけるように――
全体重を乗せた一撃。
キング・フィッシャーの身体が地面へと激突し、
衝撃がスタジアム全体に波紋のように広がる。
ドンッ――!!
地面が震え、空気が揺れる。
「ぐっ……!」
まだ体勢の整わないキング・フィッシャーに、
アップルマンは間髪入れず拳を叩き込む。
一発、二発、三発――
顔面へ連続打撃。
そして、
一度、大きく息を吸い込む。
足を踏みしめ、
地面から力を汲み上げるように、下半身から腰、背中、肩、腕へと力を連動させる。
――全身を一つの“武器”に変える。
「うおおおおおおお!!!!!」
放たれるのは、渾身の一撃。
その威力は――
熊すら倒しかねないほどの、重い拳。
――だが。
「ッ……!」
ドンッ――!!
鈍い衝突音が響いた。
アップルマンの拳が振り抜かれる、その直前。
キング・フィッシャーは――
自ら額を叩きつけるように、前へ出た。
拳と額が、正面から激突する。
強引な“ヘッドバット”によるカウンター。
「なっ……!?」
アップルマンの動きが、強制的に止められる。
「はぁ……はぁ……」
そして、
「……はは……」
血が、額からゆっくりと流れ落ちる。
だがキング・フィッシャーは、それをまるで気にも留めない。
舌で血を舐め取り――
ニヤリと、笑った。
「ははは……いいねぇ……」
口の中は血で赤く染まり、歯と装飾が不気味に光る。
「攻めっ気がある……嫌いじゃねぇ……」
その表情は、さらに歪む。
「――そうでなきゃ、面白くねぇだろ?」
次の瞬間。
キング・フィッシャーはアップルマンの手首を掴み、
もう片方の拳で、容赦なく胸部へ叩き込む。
ドゴッ!!
衝撃が突き抜ける。
さらに――
蹴り。
全力の一撃が腹部に炸裂し、
アップルマンの身体はそのまま後方へ吹き飛ばされる。
芝生の上を滑り、土を巻き上げながら転がる。
「ぐっ……!」
全身が泥にまみれる。
――だが、止まらない。
キング・フィッシャーは腰を落とし、重心を低く構える。
まるで土俵に立つ力士のように。
大きく息を吸い込み――
次の瞬間。
地面を踏み砕く勢いで、前方へと爆発的に加速した。
「オォォォォッ!!!!」
その突進は、もはや“人間”のものではない。
戦車のような圧力。
一瞬で間合いを詰め、
アップルマンを正面から押し倒す。
そして――
釣り竿を押し付けるようにして、地面へと叩きつけた。
完全な拘束。
アップルマンも両手で必死に釣り竿を押さえつけて抵抗するが、キング・フィッシャーの桁外れの怪力により、次第に押し込まれていく。
「どうした!さっきはあんなに威勢がよかったじゃねえか!もう限界か!」
キング・フィッシャーは大声で叫び、口元から滴る血がアップルマンの顔へと垂れ落ちる。
その瞬間、アップルマンは片手を横へ伸ばし、アップルファイバーを射出する。何かを引き寄せるように勢いよく引っ張った。
キング・フィッシャーは一瞬だけ視線をそちらに向ける。そこにあったのは――先ほどのサッカーボールだった。
「ハッ!バカか?サッカーボールなんか引き寄せて何が――」
言いかけたその時、キング・フィッシャーの耳に微かに「ピッ、ピッ、ピッ…」という断続的な電子音が届く。
視線を戻した先で、ボールの表面に小さな光が点滅しているのが見えた。
「……shit!!!!」
キング・フィッシャーは咄嗟に身を翻して回避する。しかし――
ドォンッ!!
爆発が炸裂し、炎と煙が一気に広がる。
衝撃波に巻き込まれ、二人とも吹き飛ばされた。
煙が晴れた後、二人は煤まみれの状態でふらつきながら立ち上がる。
「最初から俺の頭を吹き飛ばすつもりだったってわけか……やるじゃねえか…!」
キング・フィッシャーは血を吐きながらも笑う。衣服は破れ、全身に傷が増えていたが、その闘志はまったく衰えていない。
一方のアップルマンは顔を軽く拭い、耳を押さえて爆音による耳鳴りを抑える。
「……さて、遊びはここまでだ。本当はじっくりいたぶるつもりだったが……最初からこうすべきだったな!」
キング・フィッシャーは夜空に映える長槍を取り出し、釣り竿と共に構える。
アップルマンは思わず息を呑むが、それでも気を引き締め、頬を軽く叩いて覚悟を決める。
「……来いよ…」
アップルマンは目を閉じ、深く呼吸を整える。
その身体から、淡い光がじわりと滲み始める。
次の瞬間――
二人はほぼ同時に地を蹴り、互いへと突撃した。
キング・フィッシャーは先手を取るように釣り針を放つ。
アップルマンはそれを横方向から来る軌道に合わせて、側転のように身体をひねって回避した。
再び隙を突かれて長槍を撃ち込まれるのを避けるため、アップルマンはフェイントと体重移動を織り交ぜながら、絶えず方向を変えて動き続ける。
その動きに翻弄され、キング・フィッシャーも軽々しく長槍を放つことができない。
そして次の瞬間、アップルマンは一気に間合いを詰める。
キング・フィッシャーは即座に長槍を突き出す。
アップルマンは重心を低く落とし、身体を横に傾けながら辛うじて回避。耳元をかすめるその一撃の圧に、空気が震える。
そのまま低い姿勢から一気に踏み込み――
ドンッ!!
カウンターのアッパーがキング・フィッシャーの顎を打ち抜く。
さらに間髪入れず、もう一方の腕で前へ肘打ちを叩き込み、相手を後退させて体勢を崩す。
「ぐあああああッ!!!!!」
キング・フィッシャーは怒りを露わにし、距離を取ると同時に長槍による連続突きを繰り出す。
その攻撃は凄まじく、アップルマンはひたすら回避に専念するしかない。
しかし――
一瞬だけ生まれた隙。
アップルマンは上から振り下ろされる長槍を片手で受け止め、
そのまま踏み込みながらもう片方の拳で相手の顔面を打ち抜く。
だがその時、アップルマンは気づいた。
キング・フィッシャーは殴られてわずかに後退しながら――笑っていた。
「……?」
次の瞬間、違和感の正体に気づく。
さっきまで動いていなかった、もう一方の手――釣り竿。
「ハハ……食いついたな……」
アップルマンが長槍の対応に意識を割かれていた隙を突き、
キング・フィッシャーはすでに釣り針を再びアップルマンの身体へと食い込ませていた。
「くっ……!」
キング・フィッシャーは釣り竿を豪快に振るう。
アップルマンの身体はまるで獲物のように振り回され――
地面を滑り、壁へ叩きつけられ、ベンチへ、さらには観客席へと次々と激突していく。
「がっ……!!」
魚針は深く食い込み、振りほどくことができない。
アップルマンはただ一方的に叩きつけられ続け、ダメージが蓄積していく。
フィールドの各所が次々と破壊されていく。
そして――
キング・フィッシャーはアップルマンを高く吊り上げ、
そのまま――
ドゴォォンッ!!!
地面へと叩きつけた。
衝撃で芝生が抉れ、大きなクレーターが生まれる。
「ぐああああッ!!」
アップルマンは倒れたまま、しばらく起き上がることができない。
キング・フィッシャーは長槍を構え、無防備な彼へと狙いを定める。
「今度は狙いやすいなァ!!ハハハ!!死ねェ!アップルマン!!」
狂気じみた笑いと共に、長槍が放たれる。
夜空を切り裂き、暗紫色のエネルギーを纏った一撃が一直線に迫る。
空気が震え、地面の草までもが恐怖するかのように揺れる。
アップルマンはゆっくりと身体を起こし――
ポケットから、ある物を取り出した。
「……?」
キング・フィッシャーの目が細められる。
次の瞬間――
ドンッ!!
長槍はアップルマンに届く前に、何かにぶつかって止められていた。
そこにあったのは――
巨大なスライム。
槍はなおも押し込もうとするが、スライムは激しく変形しながらも破壊されない。
弾性によって衝撃を受け流し、両者は拮抗する。
「な……に……?」
キング・フィッシャーが呆然とする中――
アップルマンはゆっくりと立ち上がり、指に嵌めたリングを見せる。
「覚えてるか?あのオタクのこと。
……まさか本当に役に立つとはな」
軽く息を吐き、そして笑う。
「でもな――反則とか言うなよ?」
視線をまっすぐ向ける。
「これは“ケンカ”だ。
ケンカにルールなんてねえだろ?」
アップルマンはスライムを操り、その形状と方向を変化させることで長槍を上空へと弾き上げる。
勢いを削がれた長槍は、そのまま夜空へと舞い上がっていった。
その瞬間――
二人は同時に、その長槍を追うように動き出す。
アップルマンはスライムを一気にキング・フィッシャーの方へと飛ばし、その身体を拘束する。
「ぐあああああッ!!離せェ!!」
キング・フィッシャーはもがき、力任せに引き剥がそうとするが、スライムはしつこく絡みつき、動きを封じる。
「くたばれ……!」
アップルマンは視線を上げる。
夜空の高みで、長槍が放物線を描きながら――ゆっくりと落下し始めていた。
次の瞬間、彼の身体は自然と動き出していた。
フィールドを駆ける。
(いける……届く……!)
その刹那――
周囲の音が、すべて遠のいていく。
残ったのは、ただ一つ。
落ちてくる“ボール”と、それを追う自分だけ。
五十嵐は走りながら、無意識に過去を思い出していた。
(あの時……俺はあの一球を決められなかった……
もしケガをしていなければ……試合に勝っていたら……)
脳裏に浮かぶ、もう一つの未来。
(トップのプロになってたかもしれない。
桁違いの年収、スターとしての栄光、自分のブランド、
モデルみたいな彼女、豪邸、スポーツカー――)
(みんなが俺を羨んで、求めて、応援して……)
そして、今。
(なのに現実は――
大した金もなく、実績もなく、ただのギフトショップの店員で、
ヒーローとしても中途半端で……
今は、あの時俺を殺しかけた相手と、また命のやり取りだ)
一瞬、苦笑が漏れる。
(……笑えるよな)
だが――すぐに目が研ぎ澄まされる。
(でも関係ねえ。今の俺が何者でも――)
足に力を込める。
(俺にできることは一つだけだ)
アップルマンの身体が、徐々に光を帯びていく。
まるで――光そのものへと変わるかのように。
(目の前の“試合”を、全力でやり切る――それだけだ!!)
長槍の落下地点へと滑り込み――
タイミングを合わせて、地を蹴る。
ドンッ!!
高く跳躍。
空中で身体を反転させ、背面を向け――
頭を下にした逆さの姿勢へ。
そして――
それを“ボール”のように見据えた。
「――ッ!!」
全身の力を一点へと集約し、
脚を振り抜く。
――バァンッ!!!
まるでオーバーヘッドキックのシュートのように、
長槍を蹴り飛ばす。
その瞬間、爆発的な光が弾けた。
暗紫色だったエネルギーは一変し――
黄金の輝きへと変わる。
長槍は“金色の流星”となり、
夜空を切り裂いて――一直線に墜ちる。
「や、やめろ……やめろぉぉぉ!!」
拘束されたままのキング・フィッシャーは、逃げることもできず、
ただその光を見上げるしかない。
そして――
ドォォォンッッ!!!
長槍はスライムごと貫き、
釣り竿を砕き、
その身体をも貫通する。
「がああああああああッッ!!!」
キング・フィッシャーの絶叫が響き渡る。
「ぐっ……あああああッ!!」
キング・フィッシャーは、自分の砕けた釣り竿と深く抉られた身体を見つめながら、痛みに顔を歪める。
アップルマンが急所を外していたとはいえ、そのダメージはあまりにも大きかった。
その瞬間――
「どこ見てんだよ」
低く、鋭い声。
気づいた時には、アップルマンはすでに目の前にいた。
「こっちだろ」
ドンッ!!!
渾身の一撃が顔面に叩き込まれ、キング・フィッシャーは大きく吹き飛ぶ。
血を吐きながら、地面を転がる。
アップルマンの全身は、なおも強烈な光を放っていた。
その輝きは先ほどよりもさらに増し、まるで力そのものが引き上げられているかのようだった。
次の瞬間――
ドシュッ!!
高速で踏み込み、横滑りするような動きからそのまま飛び蹴り。
キング・フィッシャーは反応すら間に合わず、そのまま蹴り倒される。
「ぐっ……!」
怒りと本能だけで前へと突っ込むキング・フィッシャー。
しかし――
アップルマンは微動だにしない。
「……ッ!?」
ぶつかった瞬間、まるで壁に衝突したかのように押し返される。
アップルマンはその身体を掴み、
ドンッ!!
膝蹴りを叩き込む。
キング・フィッシャーは狂ったように拳を振るうが――
それは、あまりにも軽く受け止められた。
「遅えよ」
その一言と共に――
アップルマンの身体が、さらに眩い光を放つ。
キング・フィッシャーは思わず目を逸らす。
視界が焼かれるほどの光。
その隙を逃さず――
ドドドドドッ!!!
連打。
防御は簡単に打ち砕かれ、
ドンッ!!
体当たりで吹き飛ばされる。
さらに――
バシュッ!!
回転蹴り。
キング・フィッシャーの身体はそのまま弾き飛ばされ、壁へと叩きつけられる。
アップルマンは間髪入れず追撃に入る。
アップルファイバーが放たれ、
その身体を縛り上げる。
同時に、連続で打撃を叩き込む。
キング・フィッシャーはもはや必死に暴れるだけの状態となり、
拳も蹴りもすべて――
軽々と受け流される。
アップルマンはファイバーを自在に操り、
動きを封じ、
まるで操り人形のように翻弄する。
そして――
気づけば、キング・フィッシャーの身体は
ぼろぼろに巻かれたミイラのような姿になっていた。
「……終わりだ」
アップルマンは一度距離を取る。
そして再びファイバーを放つ。
キング・フィッシャーは最後の意地でそれを掴む。
ギリギリと力が拮抗する――
だが、
「無駄だ」
グッ!!
アップルマンが一気に引き寄せる。
キング・フィッシャーの身体は強制的に引きずられ、
今度は――
逆に叩きつけられる側へと変わる。
壁へ、
地面へ、
障害物へ。
何度も、何度も。
「があああああッ!!」
そして――
最後。
アップルマンは思い切り引き寄せる。
タイミングを合わせ、
跳ぶ。
空中で身体をひねり――
ドォォンッ!!!
全力の回転蹴りが、
顔面へ直撃する。
キング・フィッシャーの身体は
まるでサッカーボールのように吹き飛び――
まっすぐ――
ゴールへ。
ズガァァァンッ!!!
ネットを突き破り、
さらにその奥の壁へと激突。
衝撃がフィールド全体を震わせる。
そして――
キング・フィッシャーは、そのまま意識を失った。
静寂。
誰もいないスタジアム。
スコアボードは動かない。
観客もいない。
だが――
アップルマンは、ゆっくりと腕を上げる。
数秒の沈黙の後、
叫ぶ。
「GOOOOOOALッッ!!!!!!!」
夜のスタジアムに、その声だけが響き渡った。
==============================================
その後、アップルマンはキング・フィッシャーを厳重に拘束し、
駆けつけた警察およびDSAの関係者によってそのまま身柄は確保された。
すでに夜も更けており、現場の人員は次々と撤収していく。
スタジアムに残ったアップルマンへ、一人の警官が声をかけた。
「アップルマン、大丈夫ですか?」
「……ああ、問題ない。
ただ、もう少しだけここにいたいんだ」
「わかりました。それでは我々は先に失礼します」
「はい、お疲れ様です」
やがて――
すべての人が去り、
広大なスタジアムには再び静寂が戻る。
アップルマンの身体を包んでいた光は、徐々に弱まっていき――
元の姿へと戻っていく。
そして、
ふっと光と風が弾けるように広がり、
変身が解除される。
そこに立っていたのは、五十嵐だった。
「……はぁ……」
激しい戦闘の余韻が残る身体。
疲労がどっと押し寄せる。
彼は手にした金のリンゴを見つめる。
その輝きは、どこか先ほどよりも強くなっているように感じられた。
五十嵐は無意識に服の裾でそれを軽く拭き、
ゆっくりと歩き出す。
静まり返ったフィールドの上を、一人で。
「……お疲れ。
今日の試合、なかなか良かったんじゃないか?」
軽く笑いながら、金のリンゴに語りかける。
当然、返事はない。
「まさか、あんな力までくれるとはな……正直ちょっと驚いた。ありがとな」
少しの間、沈黙。
「でもさ……これで終わりじゃないんだろ?」
足を止める。
「また次も、その次も、敵は出てくる。
毎回こうやって誰かに頼るわけにもいかないし、
毎回こんなにうまくいく保証もない」
視線を落とす。
「……俺がどこまで持つのか、自分でもわからない」
少しだけ、不安が滲む声。
そして、ふっと話題を変えるように。
「そうだな……スライムリングはレジャイナに返すか。
あいつ、命の恩人みたいなもんだしな」
苦笑する。
「また長話に付き合わされそうだけどな、はは……」
少し間を置いて、
肩をすくめる。
「……いや、さすがに“スライムマン”はないわ」
誰もいないのに、ひとりでツッコミを入れる。
「ゲートブレイカーとお嬢にも、ちゃんと礼しないとな。
何か……店からちょっといい物でも持っていくか」
ため息。
「……ああ、これでまた残業地獄だな」
再び歩き出す。
しかし――
ふと、足が止まる。
胸の鼓動が、戦闘でもないのに早くなる。
手の中の金のリンゴを見つめる。
少しの沈黙の後、
静かに、口を開く。
「……そろそろ、だな」
手の中の金のリンゴを見つめながら、五十嵐は静かに呟く。
――その時。
(……本当にいいのか?)
どこからともなく、声が響く。
(それを手放したら、お前は力を失う。
また、あの何者でもない自分に戻るんだぞ?)
五十嵐は、目を伏せる。
「……ああ、わかってる」
少しだけ間を置いて、
苦笑する。
「でもさ……」
ゆっくりと、首を横に振る。
「俺には、その代償を背負う覚悟がなかったんだ」
手の中のリンゴを、そっと撫でる。
「俺が、お前にふさわしくなかった。それだけだよ」
(そんなことは――)
「いいんだよ」
遮るように、静かに言う。
「もう、十分だ」
深く息を吸い込む。
そして――
金のリンゴを、目の前へ持ち上げる。
「……一緒に過ごした時間はさ、長いようで、短かったな」
少しずつ、指に力がこもる。
「楽しいこともあったし、
くだらないこともあったし、
正直、最悪なことも山ほどあったけどさ」
ヒビが、わずかに走る。
パキッ――
「それでも――」
声が、少し震える。
「俺みたいな、名前も覚えられないモブにさ」
さらに力を込める。
ヒビは広がり、リンゴ全体へと走っていく。
「一瞬でも、“特別”を味わわせてくれた」
手が震える。
目を逸らしそうになる。
それでも、無理やり視線を戻す。
「……ありがとう」
そして――
最後に、小さく笑って言う。
「俺たちは、確かに――」
一気に力を込める。
「アップルマンだった」
パリン――
澄んだ音と共に、金のリンゴは砕け散る。
無数の金色の破片が宙へと舞い上がり、
五十嵐の周囲を静かに漂う。
しかしそれは、これまでのように彼の身体へと宿ることはない。
ゆっくりと、ゆっくりと――
夜空へと昇り、
やがて光となって消えていく。
五十嵐は、その光景を見上げる。
言葉は出ない。
喉の奥で、何かが詰まる。
それでも――
ほんの少しだけ、
安堵したように、微笑んだ。
やがて、
彼は静かに背を向ける。
そして、
一人、スタジアムを後にした。
その翌日――
「DSAの公式発表によりますと、スーパーヒーロー“アップルマン”は、戦闘中に重傷を負い、今後のヒーロー活動に支障が出ると判断されたため、本日をもって引退が発表されました。これまでの多大なる貢献に、心より感謝を――」
テレビから流れるニュースの音声。
その前で、五十嵐は引っ越しの荷物をまとめていた。
もはや彼には力はない。
ヒーローでもない。
だからこそ、元の生活と住所へ戻る。
「はぁ~……ちょっともったいないよなぁ~。
アップルマン、結構好きだったのに」
「うちの子、あの人に助けられたことがあってね。感謝しかないわ」
「ずっと応援してます!いつか復帰してほしい!」
スマホに流れてくるコメントを眺めながら、
五十嵐は苦笑する。
「どうせ前はボロクソ言ってたくせによ」肩をすくめ、小さく笑う。
その時――
ある箱を開けた瞬間、
一枚の紙が目に入る。
「これ、きれいにしておいた。
お元気で。――伊達陽介」
箱の中には、
以前の戦闘で汚れてしまっていた
アップルマンのフィギュアが入っていた。
今は――
まるで何事もなかったかのように、綺麗な姿に戻っている。
五十嵐はそれを見て、
ふっと力が抜けたように笑った。
そして、
そのフィギュアを机の上にそっと置く。
「……ありがとな、みんな」
次の瞬間――
「……あ、やばっ!!遅刻する!!」
慌てて荷物を掴み、
玄関へ駆け出す。
「今日も残業かよぉぉ……!!」
ドタバタと家を飛び出していった。
――誰もいなくなった部屋。
つけっぱなしのテレビだけが、静かに音を流し続ける。
「続いてのニュースです。
著名なサッカー選手・森田選手も、今シーズン限りでの引退を発表――」
無人の部屋に、淡々と響く声。
そして――
誰も気づかない、その片隅で。
ほんのわずかに。
きらり、と。
金色の微粒子が、
静かに現れていた。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
五十嵐の物語は、これでひとまず一区切りとなります。
前作(橘と西山の物語)と比べると、スケールや感情のインパクトという点では及ばない部分もあったかもしれませんが、
自分なりに、五十嵐という人物の物語はしっかり描ききれたと思っています。
全体としての完成度も、決して悪くないはずです。
さて、次は何を書くのか……
正直、まだあまり決まっていません(笑)
ですが――
ここまで五十嵐の旅路に付き合ってくださったこと、心から感謝しています。
私のユニバース、その第二作目となる
「アップルマン/五十嵐二緒」
本作を、皆さまにお届けできたことを嬉しく思います。
それでは、またどこかでお会いしましょう。
良い一日を。
Noah Novaでした。




