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北嶋法律事務所は、山形市内の中心部である、市役所や新聞社などが建ち並ぶ場所から歩いてすぐのところにあった。三階建てのビルの二階部分に事務所を構えている北嶋は、弁護士というには程遠く、どちらかといえばチャラチャラしていそうな大学生に見える。しかも、顔はハーフ系のイケメンで身長も高い。
吾朗は、北嶋の対面に腰をおろした瞬間から、拒絶感が湧き上がってくるのを意識していた。イケメン、弁護士、幸せな家庭、きっとお金もあるだろう。そう、吾朗が持っていないもの、全てを北嶋は持ち合わせているのだ。逆に、この男の駄目なところはどこか。
吾朗は自分が優位に立てそうなところを頭の中で考えていた。
「あの、どうしてそんに睨んでいるんですか?」
「えっ?」
心の内を見透かされた吾朗は、北嶋の言葉に自分の感情が表に出ていることを思い知り、苦笑いをもらした。それでも、内心はやっぱり、不幸になれ、地獄に落ちろと叫んでいる。
「失礼しました。ちょっと目が痛くてですね。それで、悠希さんから依頼された分の領収書がこちらです」
吾朗は、安物の鞄から領収書を取り出し、机の上に置いた。
「ああ、そうでしたね。たしかに預かりました。あと⋯⋯お話があるとか?」
北嶋は時間が惜しいのか、ロレックスの腕時計に目を落とした。二十代でそんなものを持つなんて、クソやろうが。吾朗はこみあげてくる言葉を、口の中で呟く。
今日、吾朗はここに来る前に北嶋にアポイントを取っていて、そのとき少しだけ話がしたいと伝えていた。当然のことながら、用件は悠希のことをより詳しく聞くためだ。そして、それが笹崎からの依頼と結びつくことを意味する。
「悠希さんのことを少し調べてみたんですけどね、あの日彼女は誰と会っていたのでしょうか。ちょっと気になりましてね」
「そういうことは、お答えできません」
北嶋のはっきりした口調が、吾朗の癪に触る。ただ、守秘義務があるのは十分理解できる。現に吾朗も、どんなときがあっても、依頼人の名は明かさないと決めている。とてつもない金額を提示されたら、その決意は揺るぐかもしれないが。
吾朗がそうですね、と同調しようとしたとき北嶋は顔をほころばせながら言った。
「と、言いたいところですがね、実は私も本当のことはわからないのです。何度も彼女に問いただしましたが、口を噤んでしまってね。私は、彼女の弁護人ですから、少しでも彼女の刑を軽くしたいので、本当のことを言ってほしいんですけど」
「なるほど。包み隠さずに話をすれば、減刑も可能ですもんね」
「はい。彼女はあの日、友人とほんの十分ぐらい会って、すぐに車に戻ろうとしていたわけで⋯⋯でも、どうしてそうしなかったのかと言うと、きっと会っていた友人と話が盛り上がったからじゃないかと思うんです」
「幼い子どもを、車内に放置し忘れるくらいにですか」
「ええ。まあ、彼女自身も後ろめたいことがあるから、会っていた友人の名前は明かせないのでしょう。正直、このままでは、新たな材料がないので控訴はしても意味がないですがね」
北嶋は諦めにも似た笑みで肩をすくめた。
「あの、あなたはどう思います?悠希さんは、本当に友人と会っていたと考えていますか?それとも、友人ではなく不倫相手とか、なにかまずい、探られたくないような人と会っていたとか」
「ご質問答える前に、どうして人見さんはこんなことを聞いてくるんですか?」
北嶋が質問を質問で返したとき、吾朗は突然わけのわからない胸騒ぎを覚えた。ここで迂闊にも口を滑らせたら、とんでもない事態になるかもしれない。言葉選びは慎重にしたほうがいいだろう。だが、吾朗は思ったことを次から次へと、ペテン師のごとく口にする癖がある。
「ただの興味本位ですよ。いきなり拘置所から手紙が届いて、お墓参りをしてくれないかという珍しい⋯⋯いや、初めての依頼でしたので、どうなのかと思いましてね。まあ、こうやって興味本位で動くので、あとになって痛い目をみるんですが」
「そうでしたか。私はてっきり、悠希の知り合いから人見さんに何かしらの依頼があったのかと思いましてね」
はい、そのとおり、と吾朗は心の中で言う。さすが、弁護士バッチをつけているだけのことはある。この男には、ほとんどのものが揃っているが、それに加え野性的な勘まであるとは恐れ入る。もはや、吾朗は北嶋に対して抱いていた、毛嫌いや拒絶感を通り越し、この男はきっと世の中の選ばれし勇者なのかもしれないと、思いはじめていた。あなた様が、この街を救ってくれるのだろう。
吾朗は笹崎の顔が脳裏をよぎったが、首を横にしながら言った。
「うちのような平凡な小さい代行屋に、そんな仕事はきませんよ」
「私の勘違いでしたかあ⋯⋯まあいいでしょう。で、ご質問は彼女が誰と会っていたかということですよね?」
「そうですね」
「私の予想では、本当に友人だったと思います。きっと女友達だったのでしょう」
北嶋は自信を言葉にのせる。
「でも、だったら、どうしてその友人の名前を彼女は黙っているんでしょうか?その友人の証言次第では、判決だって変わるかもしれませんよね。刑務所に入るのは、仕方ないとしても、早く娑婆に出るためには、友人の協力も必要だと思いますけど」
「それはそうですが、きっと彼女はその友人に迷惑をかけたくないから、その名前を口にしたくないんでしょうね。さらに、娘さんを死なせたのは、自分が悪いとわかっているからで⋯⋯どんなに友人に引き止められたとしても、十分で戻らなかったのは自分のせいで、その責任を感じているのは間違いありません」
「それはそうですけど⋯⋯」
「人見さんは、何か納得のいかないことでもあるんですか?」
北嶋は吾朗の不満顔を見ると、喰いつくように言った。
「私はですねえ、悠希さんが不倫相手とか男友達と会っていたのではないかと思っているんです。しかも、その相手には家族がいたりして、だから公にできないとも」
「⋯⋯うーん」
「もしくは、その相手がどこかのお偉いさんとか⋯⋯」
「たとえば、どういことですか?」
「議員、医師、教師⋯⋯タレント、どこかの社長さんなどですかねえ」
「まさかそんなことが⋯⋯」北嶋は馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの表情で呟いたが、数秒ほど考え込むと閃きが産まれたように目を輝かせながら言った。「今、人見さんの話を聞いて、ふと思いついたんですけど、実は私と悠希は高校の同級生でしてね。山形高校の出身なんです」
二人が同級生であるのは、笹崎から聞いているが、あえて吾朗は驚きの色を表情にだした。
山形高校は県内で、最も優秀な高校であり偏差値も高い。ちなみに吾朗は、県内で下から二番目に偏差値の低い高校の出身だったにも関わらず、留年をしそうになった。まさに天と地とはこのことだろう。いや、ピンとキリ。いや、比較すること自体アホらしいか。
吾朗は北嶋と話をしていて、みじめになってくる自分感じながら、ここに来ないほうが良かったかもしれないと思った。
「で⋯⋯その続きをどうぞ」
「はい。私たちの同級生の中にいるんです。今、人見さんが言ったような条件に合う人間が」
「どんな人ですか?」
「ヤマココスーパーの息子です。あいつ、結婚しているし悠希とも仲が良かった。しかも、根っからの女好きでしてね」
「条件がピタリと当てはまりますね。これは、ツモかもしれない」
ヤマココスーパーは、山形県内の他に宮城県にもある大型スーパーだ。山形県民であれば、誰でも利用したことがあり、知らない県民はいない。
「ちょっと待ってください。その人の家はどこにあるんですか?それが一番大事です」
「たしか、事件現場からそう遠くなかったような⋯⋯」
「どのくらいの距離ですか?」
「三キロぐらいですかね。立派な大きなお家で目立ちますよ」
「それは、怪しいなあ⋯⋯」
吾朗は腕組みをして呟く。あの日、悠希が会っていたのが男だと断定すれば、北嶋が口にした人物が最も怪しい。さらに、次期社長という地位があり家族持ち。そこに拍車をかけるように、事件現場から自宅が近く、大の女好きとなればもはや疑いの目を向けざるを得ない。ただし、これほどまでに条件に合致するのは恐ろしい気もするが。
「あの⋯⋯人見さん?」
「うん?あ?はいはい、すみません」考え込んでいた吾朗は、現実に意識を戻したあと、訊ねた。「その人はきな臭いですねえ。実に、怪しい⋯⋯にしても悠希さんは昔からああいう人だったんですか?その、罪を犯すような感じの」
「いえ、とんでもない。彼女は頭も良かったし、スポーツも万能でモテました。だからこそ、私は事件の話を聞いたとき、信じられずドッキリかと疑ったぐらいです」
「どこで道を誤ったのでしょうね」
「それは決まっているじゃないですか。あの人と結婚してから、おかしくなったんですよ」
吾朗は北嶋の強気な発言を耳にすると、笹崎の顔を思い浮かべた。
「そうなんですか?」
「はい。どうやらあの旦那は、自分の地位を利用して、悠希を口説きお金で彼女を釣ったようです。そして、子供もできてしまった」
「ん?できてしまった?」
北嶋の言い方に、吾朗は違和感を覚え訊ねた。
「これは、こないだ面会したときに聞いた話ですけどね、本当は子供など欲しくなかったと⋯⋯仕事に打ち込みたかった悠希は子供はいらなかったらしいんです。でも、旦那が子供を欲しがっていて、最終的には娘が産まれた」
「ちょっと待ってください。つまり、今の話をまとめると、子供が邪魔だったとも捉えることができますけど。もしかしたら⋯⋯車内に娘を放置したのは意図的だった⋯⋯とか」
「そういう風に考える人もいますから、この話は公にはしていません。いずれにしても悠希が結婚していなければ、こうはならなかったわけで」
吾朗は北嶋の話を聞いて思った。悠希が口にした、娘を殺したという言葉は嘘ではなく事実だったのではないかと。
望まない子供を手にした彼女は、ずっと前から怪しまれずに娘を殺す方法を考えていたのかもしれない。不倫をしていたのは、単に火遊びであり真の目的は他にあった、そう考えれば悠希が放った言葉は嘘ではないだろう。
女ってわからない人種なのよ、と言っていた葉月の声が吾朗の耳に蘇る。女遊びを趣味にしている吾朗は、女性の裏側を知ったような気がすると、鳥肌が立っていた。
「だけど、彼女は娘を殺すつもりはなかったと私は信じています。弁護士としても友人としても⋯⋯」
北嶋は確信めいた顔で言う。
「そうですか。信じているんですね。なるほど、今日はいろいろお話できて良かった。じゃあ、わたしはこれで失礼⋯⋯」
「ちょっと、待ってください」
北嶋は立ち上がった吾朗を手で制する。これ以上、吾朗から北嶋に聞くことは何もないし、吾朗はそそくさとこの事務所から立ち去りたかった。しかし、何故か吾朗の腰は、イスに張りついたままだった。
「何でしょうか?」
「もし、良かったら私と一緒に仕事をしませんか?」
「えっ?どういうことですか?」
「ですから、悠希が会っていた人間を探すんです。それで、まずはあいつから話を聞くんです」
まさかの依頼に吾朗は目が点になり、時が止まったかのようにじっとしていた。
「当然、報酬はお支払いします。私は真実を突き止めて少しでも悠希の刑が軽くなるのを望んでいますから、できることなら何でもやりたいんです」
「まあ、実は私もねえ、彼女を救いたいと思っていました。いいでしょう、お力になれるなら」
吾朗は心にもないことを平然と口にすると、頭の中は現金の束で埋め尽くされていた。
目的は違っていても、たどり着くところは一緒。さらに報酬が貰えるなんて、こんな美味しい話はないだろうと、吾朗はウハウハしながら車の中で立派な豪邸を見張っていた。
この家には、北嶋と悠希の同級生の山仲勉が住んでいる。山仲は妻と子供が一人いるようで、つい数分前には車に乗った妻子が、どこかに出かけて行くのを目にしていた。高級車が数台停車しているのを思えば、ここで彼が両親と同居しているに違いないだろう。
吾朗はカーポートを眺めながら、いい車に乗りやがって、と羨ましさと嫉妬心を抱いていた。もし、山仲が不倫相手であるなら、笹崎と手を組んで地獄に落とすつもりでいる。復讐に燃えている笹崎が、具体的に何をするのかはわからないが、少なくとも止めることはしない。
先日、吾朗が北嶋から依頼された内容は、笹崎と同じような依頼だっだので、とりあえず最も怪しいと思われる山仲をターゲットに絞り、彼がどういう生活を送っているのか調べはじめていた。すると、彼はとても次期社長とは思えないくらいのひどい生活を送っているのがわかった。
山仲は大がつくほどの女好きで、週に四回キャバクラに通い豪遊していることを、葉月の情報網から仕入れ、さらに会社の若い社員と不倫をしていることも突き止めた。
吾朗は証拠として、ホテルに入っていく山仲を撮影しているので、それを元に彼を追求しようと考えていた。そして時期を見極めた結果、今日山仲と対峙することを決めた。今、自分がやっていることは、代行屋というよりも探偵に近いと吾朗は感じながらも、お金のためなら何でもする道を突き進んでいる。
ここ、二週間はお金のことを心配せず仕事に励み、夏休みの宿題の代行は、葉月が吾朗に代わって取り組んでいる。ここ数週間、吾朗はデリヘルを呼ぶこと数回。キャバクラに行けば、ドンペリを空けることもあり、山仲と似たりよったりの日々を送っていた。家賃の滞納はきれいに消えて、今では葉月にチップをはずむくらいまで調子に乗っている。面白いように依頼がくることに、吾朗の気持ちはイケイケドンドンで、怖いものなど何もなかった。
これから数分後に、山仲に会ったあと真実を聞き出す。そして、笹崎から高額の成功報酬をもらう。それからそのお金で、またと吾朗がにやりと口元を緩めたとき、山仲が運転する車が近づいて来るのがわかった。時刻は午後五時前で、吾朗の調べではこのあと彼が不倫相手と会うルーティーンになっている。
山仲の車が、カーポートに入った途端、吾朗は運転席から飛び出した。そのあと、大股で歩きながら、山仲に近づいて行き彼が車から降りるのを見ると、颯爽と声をかけた。
「山仲さん、こんにちは。どうも」
吾朗の声に、山仲は怪訝そうな表情を浮かべる。
「はあ、どうも。あの⋯⋯どちらさん?」
「少し、お話しませんか?」
「はい?いきなり何ですか?あなたは誰なんです?」
「まあ、まあ、落ち着いてくださいよ。これからあなたは、ロバーツのミズキちゃん、ジュリアのアイちゃん。それとも、不倫相手のこの人に会いに行くんですか?」
吾朗はポケットから写真を取り出し、山仲の顔の前にさしだす。そのあとすぐに彼の顔が歪むのを見て、これは勝ったと心の中でガッツポーズをした。
「あなた⋯⋯ゆすり屋ですか?」
「いや、いや。ただの代行屋ですよ。まあ、なんでも屋ですがね。ちょっと、お話をしませんか?」
「もし、嫌だと言ったら?」
「私の知っていることを、ご家族にお伝えしますが⋯⋯それでよければどうぞ」
吾朗は上から目線で言った。
「あなたは本当に代行屋ですか?何が目的なんです?お金ですか?」
片っ端から質問してくる山仲を前に、吾朗はそれも悪くないかもしれないと欲がでていた。さすがはお金の持ちの家で育ったことだけはある。きっと山仲はいつも困ったとき、お金で解決してきたに違いない。うらやましいことだが。
この写真をいくらで山仲は、買い取ってくれるだろうか。だが、そんなことをすれば後ろに手が回ってしまう。吾朗はグレーな仕事や依頼は、遠慮なく引き受けるが、犯罪の匂いが漂うときは手を引くようにしている。もし、ここでお金で解決しようと言えば、山仲は払うだろうが、吾朗は首を振りながら言った。
「お話がしたいだけですよ。悠希さんのことで」
「悠希⋯⋯?」
山仲は目を見開き呟いたが、その様子は不倫をして痛いところを突かれたというよりも心の底から悠希のことを案じているように見え、吾朗は違和感を抱いた。
「どうして私のことを知ったんですか?」
吾朗の愛車、ビートルの助手席に座った山仲は開口一番で訊ねた。二人の目の前には、悠希の娘が亡くなったコインパーキングがある。十台ほど停車できるパーキングには二台ほど車が停車していて、どちらかといえばこの住宅街にコインパーキングはミスマッチに近い。きっと、稼働率はよくないだろう。いや、ひょっとすると悠希の事件のせいで、このような状態になったのかもしれない。
「そのご質問には答えられませんが、そうですねえ⋯⋯あえて言うのなら、あなたの同級生の誰かと言っておきましょうか」
「そうなんですか。なるほど」
山仲は不満気な顔で頷く。
「まあ、お時間もないでしょうから、単刀直入に伺います」
「そうしてください」
「悠希さんの事件は知っていますね?」
吾朗は圧をかけるように、低い声で言う。山仲はお金があるが、顔は良くない。二十七歳ながら額が広く、あと五年も経てばハゲるだろう。さらに眉毛が南国人のように太く、つながってしまう一歩手前で、口が避けてもイケメンとは言い難い。
あきらかに自分より下に見ている吾朗は、無意識に高圧的な態度をとっていた。
「もちろんです。どうして悠希が⋯⋯って思っていますよ。とても信じられません」
山仲は神妙な顔で言った。もし、これが作り顔だったら彼は役者になれるだろう。
「私はね、事件があったあの日の悠希さんの行動を調べています。もちろん、ある人からの依頼になりますが」
「代行屋の仕事というのは幅広いんですね。そういうのって、探偵や警察がやるべき仕事でしょう?」
「まあ、そうですけど。私はお金、失礼⋯⋯依頼があれば何でもやる代行屋です」吾朗はさも当然かのように言うとさらにつづけた。「それで、あの日悠希さんが会っていたと思われる人を探していたら、あなたが浮かび上がってきましてね。実際どうなんですか?あなたは悠希さんと会っていましたか?」
「悠希がそう言っていたんですか?私と会っていたと⋯⋯」
山仲の探りをいれるような言い方に、吾朗はどういう手を使おうか考えはじめる。彼の見た目と直感から感じた性格を考えれば、山仲は気が弱く押せば何でも答えてくれるだろう。だが、こういう男に限って自分に不利になることは言い訳をして逃げる。きっと知らないと言って、本当にやばくなったら、金で解決しようとするのだろう。であれば、こちらはとことん脅して見るのも悪くない。依頼主の笹崎のためにも、多少のフラグを張るのもありだ。
吾朗はタバコに火を点けると言った。
「はい。言っていましたよ。あなたとはそういう関係だったと」
「え?マジかよ⋯⋯」山仲は吾朗の言葉に即反応すると、助手席に沈めていたお尻を浮かせながらさらに言う。「⋯⋯たしかに、私と悠希はそういう関係でした。認めます」
「ほお、ほお。いつから不倫を?」
吾朗はこれほどまでに上手くいったことに拍子抜けそうになった。
「あれは、今年の一月のことです。たまたま、同窓会があって、久々にそこで盛り上がってしまって⋯⋯ずるずると今までそういう関係を続けてしまいました」
「じゃあ、あなたは悠希さんと会社の若い子と不倫を?」
「ですね⋯⋯」
「元気ですね。まあ、若いから仕方ないか」
「わかってるんです。自分に言い寄ってくるのは、金が目当てだってことぐらいは。そんなにイケメンじゃないし」
そのとおり、ごもっとも、と吾朗は山仲に言おうと思ったが、自覚がある人間に対してさらに地獄に落とすようなことはまではしたくない。
「私はね、高校の頃から悠希に好意を抱いていて、何度も告白したんですが、ずっと断られていました。それが時を経て、仲良くなって関係を持つようになり、楽しかったんです」
よくある話だ。初恋の人と同窓会で再会し、盛り上がった二人は下半身まで膨れ上がりその日にベッドイン。そして、泥沼の不倫へ発展。吾朗は正直、羨ましいと思った。どうして、こんなブス男が甘い蜜を吸って、自分は何もないのかと。
「なるほど。ずっと好きだった人と一緒になれて、さぞ楽しかったでしょうねえ。たとえ不倫だとしても嬉しいでしょう。そうか⋯⋯やっぱりそうか。あの日、悠希さんと会っていたのはあなただったんですね?」
「それはちがう!私は、あの日⋯⋯彼女と会う約束はしていたが、会っていない!」
山仲は人が変わったように声を張り上げ否定した。彼のその表情は、真剣そのもので必死感が伝わってくる。吾朗は、咥えタバコで彼を見つめながら、嘘をついているようには思えなかった。だが、だからといって、はい、そうですかというわけにはいかない。こっちは、お金がかかっているのだから。
「そうやって言い逃れをしても無駄ですよ。たった今、あなたは不倫を認めた。誰がどう考えても、あなたと悠希さんはあの日会っていたと思うでしょう」
「私じゃない!断じて違う!」
「こんなことを言うのは、気がひけるんですがね、実はある人が悠希さんと会っていた人に復讐をするつもりでいます。私は、その復讐に力を貸すために、こうして動いているんです。その人の恨みは根強く、法律で裁けないのなら自分の手で地獄に落としてやると息巻いていますよ。ただし⋯⋯そうですね。あなたが、反省し本当のことを正直に言ってくれるのであれば、私もそこまで鬼ではない。上手くごまかしてもいいんです。さあ、どうしますか?」
「そんなことを言われても、私じゃない」
「まだ、否定するというわけですか。私が持っているカードを世間に広めたらどうなると思いますか?正直に言ったほうがあなたのためですけど」
吾朗は頑なに否定する山仲に苛立ちが募り、タバコを灰皿に押しつぶした。
「ですから、本当に私じゃありませんよ。それにあの日私は一日、本社にいましたからそれを調べてくれれば⋯⋯」
「そんなこと誰が信じるっていうんだ。いいか?何の罪もない幼い女の子が亡くなったんだぞ。無責任の大人のせいで、とんでもない馬鹿な欲のせいでな。あなたは心が傷まないのか?心のある人間なら素直に認めたらどうだ」
吾朗は話しを遮ると、早口でまくしたてた。もちろん、不倫をしていたのは、悠希なので彼女にも責任があるのは当然だが、この男も同罪に値するだろう。山仲も間接的にではあるが、小さな女の子の命を奪ったのだ。
「正直に言ったらどうだ」
吾朗は自分でも驚くくらい、頭に血が昇っているのを意識すると笹崎がしようとしている復讐に賛同し、自分も制裁を加えたい気持ちが強く湧き上がってきていた。
「だから⋯⋯俺じゃないですよ。信じてくださいよ」
山仲が懇願するような声を出す。
「そんなことを言われてもなあ⋯⋯信じられるかよ」
「聞いて下さい。悠希は俺以外にも不倫していたかもしれないんです」
「馬鹿なことを言うなよ。ここまできてよくもそんな嘘がつけるな」
吾朗は呆れを通り越し、ここまで頭が回る山仲に感心を抱くほどだった。
「だって、前にホテルで一緒だったとき、彼女が誰かと電話をしていて、それを盗み聞きしたことがあったんです」
「はい、はい」
「聞いて下さいよ。で、悠希は今日これからな会える、大丈夫って言ってさらに娘ならなんとかするから、先生に会いたいって口にしてたんです。それからすぐ、悠希は逃げるようにホテルを後にしました。私は、そのとき、ああ悠希は他にも誰か相手がいるんだと思って⋯⋯ショックでしたけど、結局そのことを追求することなく、関係を続けていました」
「ちょっと待て。今、先生って言ったな?」
吾朗は驚きを隠さず訊ねた。
「はい。彼女は間違いなく先生って言ってました」
山仲がこくりと頷く。吾朗は山仲がここまで責められてもまだ、言い訳を並べ逃げ続けていると思ったが、先生というフレーズを耳にして、山仲の言動に信憑性があるかもしれないと考えはじめていた。なぜなら悠希は、看護師をしていて先生と呼ぶような人との不倫を否定できないからで、さらにいえば彼女が、口がさけても言えない不倫相手が笹崎の同僚だとしたら、山仲が言っていることは筋が通る。悠希があの日会っていたのは、医師だったのかもしれない。だが、吾朗は心に何かが引っかかるのを覚えた。たしか、笹崎が自分で探偵を雇ったとき、医師と不倫しているという事実はなく、本人もそれについては自信を持っていた。同じ職場内での不倫は、リスクが高くもしバレないとしても、噂ぐらいは広がるはずで笹崎の耳にも届くだろうということを考えれば、やはり山仲は口からでまかせを言っている可能性がある。
吾朗は腕を組み、逡巡しながら外に目をうつすと、白いベンツが一台横を通り過ぎていった。一応、吾朗の車も外車だが、その差はかけ離れている。
「ちなみに、あんたが言っていることが本当だとして、誰か心当たりはいないか?その⋯⋯悠希さんとの会話の中でポロッと口が滑ったようなことはなかったか?」
「うーん⋯⋯って自分たちはすぐにベットインでして、会話っていうのはちょっとないですかね」
「まるで、デリヘルみたいな関係だな」
吾朗が馬鹿にするように言うと、山仲は恥ずかしそうにポリポリと鼻の先をかく。おそらく悠希は、山仲のことを金の成る木と性欲のはけ口ぐらいにしか思っていなかったのだろう。それとも山仲が、顔に似合わないAV男優並のテクニックを持っていて、そのテクニックに溺れてしまったのか。
「あんた、本当にあの日、悠希さんに会っていないんだな?もし、あとでこれが嘘だったら只じゃすまないけど」
「絶対に、絶対に違います。信じてください」
「嘘をついていたのがわかったら、あんたの不倫写真を奥さんに見せるがそれでもいいんだな?」
「はい。そのくらい自信を持って言えます」
吾朗はカーナビの灯りが反射して浮かび上がってくる、山仲を凝視しながらはじめに会ったときに見せた挙動不審が消えているのを確かめると、彼がグレーでも黒でもないような気がしていた。
このままでは、振り出しに戻り再調査をしなければならない。笹崎から貰うはずの成功報酬が遠のいていく。
吾朗は自分が思い描いていた楽しみが、手からすり抜けていくのを思うと舌打ちがでそうになっていた。そのイライラを隠すように、吾朗はタバコを咥えたとき、山仲がおそるおそる口を開いた。
「あっ⋯⋯でも一度だけこういったことがあったのを思い出しました。私は、高校時代あなたに告白されて断ったのは、ずっと好きだった人がいたからだって。で、その人と今いい感じで、まるで初恋した少女みたいなのって笑ってました。その人は誰って聞いたんですけどね、内緒よと言われ⋯⋯それっきりでした。だから、おそらくその先生というのは、その人かもしれません」
「あんたの同級生で医師になった人は?」
吾朗は食い気味に訊ねた。ここまでくると、悠希が呼んでいた先生という男が最も怪しい気がして、そこから何か掴むことができないか期待を抱く。
「医師ですかあ。どうかな⋯⋯」
山仲が唸りながら考えはじめる。その表情は自分の冤罪を晴らそうとする容疑者そのもので真剣だった。
しばらくの間、車内に沈黙が流れる。山仲は、考える人のように顎に手を当て固まっていたが、吾朗はこれ以上彼からは何も得られないだろうと思い直した。
「いないならいい。でも、もし今後思い出したら⋯⋯」
「あ!いますよ!先生って呼ばれる人が」
山仲が助手席のシートから、落ちそうになるくらい興奮気味に言った。
「それは、医師か?学校の先生か?まさか⋯⋯議員とか?」
「いいえ、違いますよ」
「じゃあ、なんだ?」
吾朗はもったいぶる山仲に、苛立ちを隠しきれず強く訊ねた。
「演歌歌手ですよ。同級生に一人演歌を歌っている奴がいるんです」
「あんたな⋯⋯」吾朗は馬鹿馬鹿しい答えに四十年生きてきて、初めて殺意を覚えた。そして、それは自分でも驚くくらいあっさりと声にでていた。「殺してやろうか。滅茶苦茶に」




