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八月十日は、一年前と同じように暑く、事務所から徒歩で移動してきた吾朗が、修光寺に着いたときには、全身の汗がスーツにまとわりついていた。
修光寺は、敷地が広いため墓石が多く、あらかじめお墓の場所を知らなければ手間がかかりそうだった。吾朗は、前もって悠希の弁護士に連絡をいれておいたので、難を逃れていたが、もし何もしていなければ、熱中症で倒れていたかもしれない。この強烈な陽射しを浴びながらでは、干上がってしまうだろう。
「あった。ここよ、ここ」
吾朗の前を歩いていた葉月が、神妙な顔をしながら足を止めた。彼女の白のブラウスから真っ赤なブラジャーが、透けて見える。後方にいた吾朗は、視線を葉月のお尻に向けると、パンティーラインが見えず、今日はTバックを身に着けていることがわかり、妄想に走っていた。
「吾朗ちゃん、鼻の下が伸びてるけど。なんで?」
「え、そうかな?」
「まさかここまで来ても、変なこと考えてるんじゃないでしょうね。もし、そうならサイテーのクソ男だけど」
はい、私は最低で最悪の変人ですけどねと、吾朗は心の中で思いながらも、真面目な顔で言った。
「そういう顔なんだよ。文句なら親に言ってくれ。ほら、やることやっちゃおう。暑くて死にそうだ」
「そうだけどさ、お寺に来て死にそうっていうのはどうかしら」
吾朗の目の前には、立派な墓石がある。それは、左右に並んでいるどの墓石よりも比べものにならないくらい立派で、もしかすると、修光寺の中でも一番かもしれない。
墓石の中央には、笹崎家之墓と彫られている。ここが悠希の元旦那のお墓であるのは、苗字が悠希と違うのを考えれば、すぐに想像がつく。そして、二歳という短い命でこの世を去った魂があることも。
吾朗がバケツの水を墓石にかけはじめている間に、葉月は手にしていた花を供える。予算一万円の花は、このお墓にピッタリで、三千円の花を供えるぐらいなら、何もしないほうがいいくらいだった。
吾朗は、心の中で一万円に決めた葉月に感謝しながら、きっとこれなら悠希も満足してくれるだろうと確信を抱いた。それから、二人は入念に掃除を終えると、線香に火を点ける。
「じゃあ、俺からやるから、ちゃんと写真を撮ってくれ」
「了解」
膝を折った吾朗が、両手を合わせる。どういう事情があったのかはわからないが、拘置所にいる悠希は、反省と後悔をしながら罪を償おうとしている。せめて、そのことだけでも報告できればいいのではないだろうか、そう吾朗は思いながら目を瞑り手を合わせた。その後、葉月も吾朗と同じようにする。
「さて⋯⋯じゃあ行こうか」
吾朗は、額の汗をハンカチで拭い、葉月の肩に右手を置いた。気づけば、ここに来てからすでに一時間が経っていて、もうすぐお昼になる。
吾朗の声に、葉月はゆっくり立ち上がり、振り返った。彼女のその表情は、どこか他人のお墓参りとはかけ離れた様子だった。
「時間も時間だから、外でご飯食べようか」
下がり気味の気分を変えようと、吾朗は明るい声を発した。
「うん。そうねえ。お腹ぺこぺこかも」
「そんなにか。じゃあ何食べようか?」
「何でもいいの?」
「高くなければ、何でもいいよ。ファミレスがおすすめだけどね」
「は?それは絶対嫌よ」
「絶対って⋯⋯うーん。まあ、歩きながら考えようよ」
「そうねえ、そうしましょう」
二人はお墓から離れると、出口へ歩きはじめる。今回の依頼だったお墓参り代行は、無事に終わり吾朗は、安堵感に包まれ満足気な表情を浮かべていた。また、今回のことをホームページにも掲載し、こうしたことも代行できるというアピールをしようと思いはじめていた。
吾朗と葉月が、強い陽射しを浴びながら、墓地内を百メートルほど歩いたとき、目の前から一人の男性が近づいてくるのが見えた。オールバックでメガネを掛けている風貌は、それなりの地位に就いていそうで、見方によってはヤクザにも思える。
いずれにしても、着用している黒いスーツや白いシャツ、たまに手首から覗かせる高級そうな腕時計から、只者ではないことは間違いない。だが、吾朗は目の前から迫って来るような人ほど、最も嫌いな人種だった。なぜなら、自分が手にしていないものを全て、手に入れているからで、嫉妬であるのは明らかだっだ。
男性が目の前から、徐々に近づいて来る。
吾朗は、男性を見ながら年齢は自分より上で、五十代ぐらいではないかと見当をつけていた。それから、吾朗と男性の距離がグッと縮まったとき、不意に男性が足を止めた。そして、唐突に男性は強い口調で言った。
「あなたたちは、うちのお墓で何をしていたんだ?」
「は、はい?」
不意を突かれた吾朗は、思わず立ち止まり、後ろを歩いていた葉月は、吾朗の背中越しに顔を覗かせる。
吾朗は男性が発した言葉から、この人が悠希の元夫だろうと直感力が働いていた。さらに、今日が娘の亡くなった命日なのだから、父親であるこの男性がお墓に来るのは、不思議ではなく、逆に全く関係のない吾朗たちが、ここにいる方が不自然だ。
「知らない振りをしても無駄だ。私はずっとあなたちを見ていた。だから、言い逃れはできない。さあ、何をしていたんだ?あなたは誰なんだ?」
質問攻めにあっている吾朗は、わざとらしくため息をしたあと、ポケットから名刺を取り出し、男性に手渡した。見られていたのなら仕方がない。話したくもないくらい嫌な男だが、揉め事を起こすよりはいいだろう。それに、俺は金も地位もなく、貧乏会社の社長だが、それでもお前が持っていない綺麗で若い女性がそばにいるんだから、少しは見せびらかしてやろうか。やっぱり男は、いい女と歩いてこそだろうと、吾朗は見栄を張ろうとする。しかし、先に口を開いたのは男性だった。
「人見代行⋯⋯?もしかしてあんた⋯⋯」
あんたって演歌かよ、とツッコミを入れたくなるのを吾朗はこらえ、ぎこちない笑みを浮かべて言った。
「はい。代行屋⋯⋯」
「悠希だな。貴様、あいつに依頼されたんだな?」
あなたたちがあんたに変わり、挙句の果てには貴様か。
興奮気味の男性は、吾朗に詰め寄りさらに言った。
「あんな人殺しの代行までするのか?貴様は、あいつが何をしたのかわかっているのか?」
「何をおっしゃりたいのか、よくわかりませんが、依頼人の名前はどんなことがあっても、教えないと私は決めています。あんたが⋯⋯失礼、あなたがそれで私のことをどう思おうと勝手ですけどね」
吾朗は、勢いよくまくしたてるように言うと、勝ち誇った顔を作った。どんなことがあっても、依頼人の名前は言えない。それは、代行屋をはじめたときから守っていた数少ないルールの一つだ。
「じゃあ、貴様はうちのお墓で何をしていたんだ?」
「お花を供えて、亡くなった女の子に手を合わせていました。それが私に依頼されたことでしたので。もし、気に入らないのであれば、お花は捨ててください。まあ、亡くなった娘さんは、悲しむと思いますけど」
「勝手なことを言いやがって。娘がどんな思いで亡くなっていったのか、わからないくせによくも⋯⋯」
「何を言われましても、私は仕事をするだけですから」
吾朗と男性がいがみ合っていると、今まで黙って聞いていた葉月が言った。
「吾朗ちゃん。もう行こうよ。次の仕事もあるし」
いや、全く暇ですけど、と吾朗は自虐的になりながらも頷く。
「そうだな。では、この辺で失礼します」
吾朗は、軽く頭を下げると男性の横を通り過ぎていく。
それにしても、随分年の離れた夫婦だったんだなと思いながら、同時にだからこそあの男性は、娘を溺愛していたのだろうと吾朗は思い知る。そして、娘が亡くなったことに、相当なショックと怒りを抱いていたに違いない。
たしかに、悪いのは悠希でイライラをぶつけたくなるのは当然だ。
「なあ、あんた。おい、代行屋」
少しだけ同情しながら歩いていた吾朗に、男性は声をかけた。
「はい?なんでしょうか」
吾朗は、動いていた足を止めて振り返る。売られた喧嘩は買ってやろう。勝負は白黒つけなければ男としていけないはずだ。
「あんた、何でもするのか?悠希が墓参りを依頼したように、ちょっと変な依頼でもあんたは受けるのか?」
「ですから、依頼人の名前は」
「三十万円払う。いや、上手くいったらプラスで二十万円出す」
男性は吾朗の言葉を遮り、真剣な表情で言った。
「もちろん、やります!やります!やらせていただきます!だってうちは、代行屋ですし、何でも屋ですから任せてください。あなた様のためなら、火の中水の中でも、飛び込みますよ」
大きい声で叫んだ吾朗は、駆け足で男性の元まで飛んで行くと、先程までとは人が変わった顔つきで、男性の右手を強引に握りしめていた。もう契約は成立したというように。
「もう⋯⋯本当にお金に弱いんだから、困った人よね。あの人にはプライドのかけらもないわねえ」
葉月は調子のいい吾朗を眺めながら呟くと、二人に背を向け歩きはじめていた。
「私の名前は、笹崎龍二。大学病院で働いている」
「お医者さまでしたか。やっぱりそうでしたか。とてもダンディーですよね」
吾朗は、ごまをするように両手を揉みながら言う。二人は修光寺を出ると、山形駅の近くにある喫茶店に入った。このお店は喫煙席があるので、吾朗はよく利用していて、マスターとは顔なじみだった。
「フッ⋯⋯さっきまでとは大違いだな。まあ、いいだろう」
鼻を鳴らした笹崎が、コーヒーを口に運ぶ。ここのコーヒーは、インスタント並の味で大したことはない。それでも吾朗が、利用しているのは単にタバコを吸えるからだというだけで、彼と同じような思いをしている客がいるのは、店内を見渡せばわかる。
「あの、それで依頼というのは?」
大学病院の先生なら、必ずお金を払ってくれるだろうと吾朗は確信を抱くと、頭の中はお金のことで埋め尽くされていた。五十万円があれば、滞納している家賃は払えるし、それどころかキャバクラにも行ける。さらに、デリヘルも。
吾朗は、下半身が熱くなっているのを実感しながら、意識を笹崎へと戻した。
「私はね、娘を死に追いやった奴を憎んでいる。もちろん、一番はその原因を作った悠希だが、あの日会っていた奴にも問題はある⋯⋯」
「会っていた奴と言いますと?」
「あいつはあの日、友人と会ってたと言っていたが、それは嘘だ。あいつは、不倫相手と会っていたのは間違いない」
「そこまで断言するということは、証拠でもあるんですか?」
吾朗はそう訊ねたあとに、ふと気づいた。彼が依頼したいのは、その不倫相手を見つけることではないかと。
「ない。一切ない」笹崎は、首を振りながら否定したあと、さらに言った。「あいつは裁判でも警察の取り調べでも、一緒にいた友人の名前をあげていない。というよりも頑なにその部分だけは、黙秘を貫いたらしい。まあ、その態度そのものが、私は不倫相手と会っていたんですと言っているように聞こえるんだがな」
「悠希さんの周辺を調べたことは?」
「やったことはあった。私とあいつは、医師と看護師という関係で同じ大学病院で働いていたから、自分であいつの仲が良い人間に聞いてみたが、全く収穫はなかった。
私は、もうすぐ五十歳になるし、あいつは二十七歳だから、同じぐらいの年齢の人で、さらに私と同じような医師を疑ってはみたが、結局何も出てこなかった」
年の差が二十三歳。まるで娘でないかと、吾朗は心の中で驚く。
「それで、そのあとは?」
「素人にできることは限らているから、探偵に任せてみた。餅は餅屋というようにな」
笹崎はそこまで言うと、コーヒーを口に含み不味そうに顔を歪める。大学病院の医師にこのお店のコーヒーは、合わないだろう。
「まあ、笹崎さんはお仕事もお忙しいでしょうから、探偵に任せるのがベストかと思います」
「それでな、探偵に時間をかけて調べてもらった。事件が起きた周辺での聞き込みとか、あいつの昔の友人関係とか⋯⋯だが、不思議なもので、全く何も出なかった。探偵もな、こんな真っ白は今までなかったと言っていた」
「であれば、不倫などなかったのでは?本当に友人と会っていたのかもしれない」
「私も一瞬はそう思った。信じてみようと思ったが、どうしても腑に落ちなくてな⋯⋯それであんたにもう一度、調べてもらいたいんだ」
「はあ、まあいいですけど⋯⋯ただ、探偵が調べて白だったことを、私が覆せるかどうか保証はありませんよ。それに、あとで彼女の言っていることが正しかったとなっても、返金には応じません」
吾朗の心配は、常にお金だ。入金されてからすぐに払ってしまう、自転車操業の人見代行に返金など不可能なことだ。
「そんなことを私が言うわけないだろう。お金を惜しむつもりはない。復讐のためならな」
笹崎の眼光が一瞬鋭くなった。その鋭さは、医者の目つきではない。一体、彼は病院ではどんな医者なのだろうか。ドラマや映画に出てくるような、患者に寄り添ったいい医者か。それともふんぞり返った態度をする横柄な医者か。いずれにしても、目の前にある殺気迫った顔は、ヤクザと紙一重だ。しかも、笹崎が口にした復讐という言葉が、吾朗にはヤクザ同士の報復合戦のようにも思えてしまい、背筋に寒気が走っていた。
「わかりました。では、私から聞きたいことがありますが、いいですか?」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「あなたは、事件後に直接悠希さんに訊ねたことはあったんでしょうか?あの日、誰とどこで何をしていたのかと」
「馬鹿な⋯⋯私はあいつが逮捕されてから、一回も会っていない。とてもじゃないが、面会に行く気にもならなかった」
「そうですよね。それに、聞いてみたところで答えるわけがありませんもんね」
吾朗は、苦笑いを浮かべながら、断りもせずにタバコを咥える。それから、立ち上る煙を目で追い、閃いたような表情で訊ねた。
「あ、そうだ。彼女のスマホはどうなっていますか?今どこにありますか?」
「多分、弁護士が持っていると思うが、わからない。ただし、はっきりと言えるのは、あいつの物は、一切私の手元にはないということだ」
「ちなみに⋯⋯私はその弁護士に会いますけど、国選弁護人ですか?」
「いや、違う。私も一度だけ、彼と話したことはあったが、どうやらあいつと高校の同級生らしい」
「なるほど⋯⋯んん」
唸り声をあげた吾朗は、タバコを咥える。せめてスマホが手に入るのなら、そこから何かわかることがあるかもしれない。たとえ、ラインのやり取りが消去されていても、電話帳のメモリが消えていても、スマホには何かしらのきな臭い形跡が必ず残る。そして、そこから手がかりを追っていくのも一つの方法だ。
「スマホの名義人はどっちですか?」
「あいつ名義だ」
「そうでしたか⋯⋯」
せめて名義人が笹崎であれば、何とかなるかもしれないと思った吾朗だったが、その思惑は外れ落胆の気持ちが胸に漂った。
「あの、そういえば悠希さんはよく私選弁護士を雇えましたね。結構、お金がかかるはずですけど」
「あいつはな、ちゃっかりしているから毎月、私の給料から多くのお金を引き出し、自分の懐に入れていたんだ。それも、かなりの額でをな⋯⋯私もあいつが逮捕されてから知ったことだ」
「随分とやり手な奥様だったんですねえ」吾朗は、つい皮肉っぽく言うと、タバコを灰皿に潰した。「いずれにしても、悠希さんにはその弁護士が、一番の味方でしょうから、探りをいれる必要がありそうですね。弁護士には事実を言っている可能性もありますし。ただ、あなたが依頼した探偵は、どうして何の手がかりも見つけられなかったのでしょうか。ちょっと、不思議でならないんですが」
吾朗は、考えられるパターンを頭の中で描いていた。もちろん、本当に調査をしてみたものの、駄目だったという場合はあるだろう。悠希と会っていた友人、不倫相手が事件の後に、どこか遠くに引っ越してしまえば、証拠は消えてしまう。そうなると、手がかりはなかったと報告するしかない。しかしながら、もう一つのパターンも考えられる。それは、お金に目が眩んだ探偵が、いい加減に調査をしたということで、そうした探偵がいることも事実だ。特に、個人でやっているような探偵会社なら尚更だ。笹崎から話を聞いただけで、無理だと結論を出しいい加減に調査をした可能性もある。いや、自分だったらそうするかもしれないと、吾朗は思った。それに、探偵といっても全員が全員腕がいいわけではない。
「そんなことを私に言われてもな⋯⋯で、どうだ?あんたのその言い草だと、この話に乗る前提のようだが」
ここまでずっと、笹崎は背もたれに体預けていたが、話が佳境に入ったと思ったのか、賭け事に没頭するギャンブラーのように、体を前のめりにした。
「はい。もちろんやりますが、すぐに結果が出るわけではないので、長い目でみていただければ助かります」
「それはわかってる。とりあえずは手付で五十万。それから成功報酬でプラス五十万円払う。あとは、経費でかかった分は遠慮なく請求してくれていい」
願ってもいない好条件に吾朗は、思わず笑みを浮かべる。そして、真っ先にホテルの一室で女性と絡み合う楽しいひとときを想像しはじめていた。
「あ、そうだ。もう一つだけいいですか?」
「なんだ?」
「もし、不倫相手が見つかったらどうするんですか?」
「そんなことは、聞かないほうがいい。あんたのためにもな」
吾朗は笹崎の口調の強さと、険しい表情から確信を抱く。間違いなく、この人は娘を死に追いやった人間を、地獄に落とそうとしている。さらに、そうした復讐心こそが、今を生きる原動力になっているのではないかとも。
「さて、じゃあ契約成立ということで、振込先を教えてくれるか?」
「わかりました。えっとですね⋯⋯山形さくらんぼ銀行⋯⋯」
吾朗は銀行口座を伝えながら、頭の片隅ではこれからどうなっていくのか、全くイメージが浮かばないことに、少し恐ろしくなった。しかし、わずか五分も経たない間に、スマホで五十万円の入金を確かめると、その恐怖心など吹き飛び、心の中にあるたくさんの欲を感じていた。
翌日。吾朗は、お墓参りをした写真を手に、山形拘置所の面会室で悠希と会っていた。今日も面会前に注意事項を伝えられ、面会時間は二十分だった。
「どうも、こんにちは」
笑みを浮かべた吾朗が、頭を軽く下げた。その様子に、悠希は少し戸惑いの表情を滲ませている。どうしてまたここにやって来たのか、何かあったのかと。それは、そうだろう。お墓参りの写真と前回貰った十二万円の領収書は、弁護士に渡すよう言ったのだから。もしかすると、悠希は心の中で使えない代行屋かしら、そう思っているのかもしれない。
吾朗はどう思われようが、構わなかった。なぜなら、笹崎の依頼に応えるためにも、今日の面会は必要だったからだ。
「昨日、お墓参りに行って来ました。しっかりお花も供えまして、掃除も完璧です。もちろん、あなたの思いをちゃんと伝えましたから」
吾朗は、主導権を自ら握るため、早口で言った。
「ありがとうございました」
「いえいえ。一応、ご報告までに今日はお伺いしました。あと、この写真もお渡ししようと思いましてねえ。早いほうがいいでしょう」
「そんな、すみません」
「あと、領収書は弁護士に渡しておきますよ。それにしても、立派なお墓で驚きましたよ。修光寺の中でも、存在感があってと言っていいのかわかりませんが」
「まあ、別れた夫のお墓ですけどね」
悠希がバツの悪そうな顔で言った。
「そうだったんですね」吾朗は少しわざとらしく、いかにも今知ったという声色をだす。「それでですね、今日はちょっと他にもありまして⋯⋯あなたが前に言ったことがつい気になってしまい、調べてしまいました」
吾朗の言葉に、悠希は息をのむ。
「あなたは先日、娘を殺したと言っていましたが、それはちょっとニュアンスが違うような気がしたんです。たしかにあなたは、猛暑日の中、車内に娘さんを放置しました。だが、それは一時のことで、すぐ戻るつもりだったんですよね?だから、殺したというのはちょっと違うかなと」
悠希は微動だにせず、アクリル板越しに吾朗を見つめて言った。
「そうですけど⋯⋯どうして、あなたはこんなことを聞いてくるんですか?」
「お墓に手を合わせていたら、聞こえてきたんですよ」
「えっ?何がですか?」
「亡くなった娘さんの声です。それで、もしあなたが少しでも後悔や反省をしているのであれば、本当のことを言ってほしいとも」
吾朗は全くもって、霊感などないし信用もしていないが、真実を聞きだすために嘘を言った。
「本当のことですか?」
「あなたは、あの日娘さんを置いて、一体どこに行っていたのか。その友人とは誰なのか。そして、友人もあなたと同じくらい反省しているのなら、お墓参りをしたほうがいいかと勝手に思ったんです。余計なお世話でしょうけどね。ただ、私はあなたとこうして出会ったわけですから、お力になれればいいかなと」
「見ず知らずの他人が、首を突っ込まないでよ」
突然、悠希はぐっと身を乗り出すと、強い口調で言った。その彼女の取り乱した様子に、同席していた女性刑務官が静かにしなさいと注意をする。だが、吾朗は興奮し肩で呼吸をしている悠希にたたみかけた。
「あなたが心から反省し、娘さんに対して申し訳ないと思っているのなら、あの日あなたが誰と会っていたのかをちゃんと明らかにしたほうがいい」
「娘は死にました。もう戻って来ない。いまさら、私が何か言ったところで何が変わるんですか?」
悠希の怒りが滲んだ声を吾朗が耳にしたとき、あることが頭に引っかかった。彼女がここまで言いたくない理由は、きっと相手にも家族があるからか、もしくはそれなりの仕事についている人、そのどちらかだろうと。そして、笹崎が言っていたように悠希が会っていたのは、友人ではなく不倫相手ということは的を得ているのではないかとも。さらに、意外にもその相手が、近くにいるような気が吾朗にはしてならなかった。
「あなたが会っていたのは、友人ではなく不倫相手だったのでは?」
吾朗はご細工をやめ、直球ど真ん中のストレートで訊ねた。
「代行屋のあなたにはもう、関係のないことですよね。もう、ここには二度と来ないでください」
悠希は頬を強張らせながら、視線を逸らして言った。
そうだな、もちろん俺だって二度とこんなところに来たくはないが。吾朗は、漏れ出そうになる声を飲み込んだあと、優しい言葉をかけた。
「もし、気が変わったら、そのときは手紙をください。お力になれるなら、何でもしますから。あと、次の裁判で少しでも刑が軽くなるといいですね。そして、早くここから出て、娘さんのお墓参りができれば⋯⋯」
吾朗はそう言ってから、それでもあなたの元旦那さんは、決して許さないと思いますけどね、と付け加えたかったが口を閉じて立ち上がった。そのとき、静まり返っていた面会室に、悠希のすすり泣く声が吾朗の耳朶を打った。




