第59話 未知の西の塔
翌朝。宿の食堂は香ばしいパンの匂いと、煮込みスープの温かな湯気に包まれていた。
窓から差し込む柔らかな光が木のテーブルを照らし、街のざわめきが遠くに聞こえる。
3人はいつも通り席を囲み、静かに朝食を取っていた。
パンをちぎって口に運びながら、ジャンがふと顔を上げる。
「・・・・・なあ、今日は西の塔の18階まで攻略しよう」
その言葉に、ルナとフィリーネの手が止まった。
ルナがきょとんとした顔で問い返す。
「えっ・・・・・西の塔? でも、私の隣の家、ジャンの両親が結婚する前に住んでたあの家。“セレスの呪い”のことはどうするの?」
ジャンは一瞬目を伏せ、カップに残ったスープを見つめた。
「・・・・・ああ、あれも気になる。いつかは向き合わなきゃならないだろうな」
そして顔を上げ、まっすぐ2人を見据える。
「でも、それよりも今は別のことが引っかかってるんだ。南の塔も北の塔も・・・・・18階だけは、構造が全く同じだっただろ?」
フィリーネが眉をひそめ、思案するように口を挟む。
「確かに・・・・・普通なら階層ごとに構造は変わるはず。それが“18階だけ同じ”なんて、偶然じゃない」
ジャンは力強く頷いた。
「だからこそ、まだ誰も入ったことがない西の塔の18階を確かめたい。そこに、この塔の謎を解く手がかりがあるかもしれない」
ルナは頷く。
「私たちには飛行魔法もあるからね!怖いものなし!!」
フィリーネもにこりと笑う。
「確かに、空を飛べる私たちなら・・・・・ね。危険はあるけど、行く価値はあると思うわ」
その声は決意に満ちていた。
3人は食事を終え、準備を整えると宿を出た。
空は澄み渡る青。
所々に見える雲。
「じゃあ、行くか!」
ジャンが勢いよく飛び上がる。
軽やかな風が彼を包む。
ルナも続いて、ふわりと身体を浮かせた。
フィリーネは最後に、空へと舞い上がる。
フィリーネの飛行速度は2人よりも速いが、今日はあえて速度を落とし、横並びで飛んでいた。
「フィリーネ、もっと先に行ってもいいんだよ?」
ルナが声を張り上げると、フィリーネは笑みを浮かべて首を横に振る。
「いいえ。今日は3人一緒に行きたいの。だから合わせるわ」
両サイドを森に挟まれた草原を進む。
時々草原を馬車が走っている。
いよいよ川が見えてきたところで一度休憩を挟む。
南西の地平には濃い緑の海――“魔の森”が広がっている。
3人は、しばらく休憩すると飛び上がり、魔の森上空を飛ぶ。
森の上空は風が強く、下には鬱蒼とした木々が果てしなく広がっている。
枝の間からは、鋭い牙を持つ獣や、巨大な猿のような影がちらりと見えた。
だが彼らは飛行する3人には手を出せない。
ただ忌々しげに唸り声をあげ、森の奥へと消えていった。
「下は・・・・・やっぱり恐ろしいわね」
フィリーネが呟くと、ジャンが前を見据えたまま頷いた。
「地上を歩けば一日どころじゃ済まない。命すら危ないだろうな。だけど空からなら、もうすぐだ」
「西の塔周辺の魔の森は、強いモンスターが多くて、街や村はもちろん、宿さえないから誰も近づけないわ」
フィリーネが言うと、ルナが答えた。
「こんな怖い所、歩いてなんて行けないよー」
やがて森の中にある、そびえ立つ巨大な塔が見えてきた。
西の塔――4つの塔の中で唯一、まだ人の足が踏み入れたことのない場所。
黒鉄のような壁は空に突き刺さり、その威容は見上げるだけで胸を圧迫する。
「・・・・・あれが、西の塔・・・・・」
ルナがごくりと唾を飲み込む。
近づくにつれ、塔を覆う独特の気配が肌を刺した。
北や南の塔で感じたものとも違う。言葉にならない緊張が全身を締め付ける。
3人はゆっくりと高度を落とし、塔の麓に降り立った。
「誰も入ったことがない・・・・・未知の塔か」
ジャンが低く呟き、杖を握る手に力を込める。
ルナは小さく頷き、フィリーネもまた背筋を伸ばした。
3人は互いに視線を交わし、無言で頷き合う。
「行こう」
ジャンの一声に、重厚な扉がきしみをあげて開かれる。
いよいよ、誰も足を踏み入れたことのない西の塔へ。
3人はその暗い内部へと足を踏み入れた。
西の塔の扉をくぐった瞬間、3人の背筋にひやりとした空気が走った。
内部は他の塔と似た石造りだったが、湿り気と冷気がより強く、わずかに金属のような匂いが漂っている。
「・・・・・やっぱり、誰も来てない感じね」
フィリーネが小声で言う。
ルナは周囲をきょろきょろ見回しながら肩をすくめた。
「うん、MAPがないって、やっぱり不安だよね」
塔の情報はギルドに記録されているが、西の塔だけは空白のままだ。
誰も内部を調査できなかったからだ。
ジャンは真剣な表情で頷いた。
「だからこそ、慎重にならないとな。地形が分からない分、時間もかかる」
3人は並んで、マッピングも忘れないように進み始めた。
ルナとジャンが前衛を担い、その後ろをフィリーネがついていく。
ジャンはホワイトマジシャンだが、ルナと共に攻撃魔法で、広範囲の攻撃を担う。
支援魔法はフィリーネに任せ、攻撃と支援の組み合わせで十分に前線を張れる。
フィリーネは直接戦えないが、その感覚は鋭く、周囲に潜む気配を敏感に察知できた。
そこにルナとジャンのサーチ魔法があれば、ほぼ見落とす事はない。
「後ろは任せて。少しでも違和感があったら教えるわ」
フィリーネの言葉に、2人はうなずいた。
攻略は順調だった。
マッピングは1フロアごとにサーチ魔法で済ませてから進む。
サーチ魔法で見落とした部分は、その都度マップに書き込む。
出てくるモンスターは周辺の“魔の森”に潜むものとは異なり、強さは他の塔の同階層と大差ない。
むしろ、ジャンとルナの連携があまりに見事で、フィリーネはしばしば息を呑むほどだった。
「すごい・・・・・!」
ルナが素早く詠唱して『アイスバインド』を放ち、敵を拘束する。
そこへジャンが間髪入れずに『ファイアーアロー』を叩き込み、仕留める。
炎と氷、2人の魔法が織り成す連撃は、モンスターに反撃の隙を与えなかった。
「ルナ、左に2体!」
「うん!分かってる!」
短い言葉でも、次の行動は呼吸が合ったかのように決まる。
ジャンとルナで同時に炎系を叩きこむ。同時に氷系で攻撃する。
ジャンがウインドカッターで致命傷を与え、ルナがとどめを刺す。
低階層ゆえにフィリーネの支援も不要。
フィリーネは後方から、思わず感嘆の声を漏らした。
「息ぴったり・・・・・! まるで踊ってるみたい」
ルナは肩越しに笑いながらも、詠唱を止めない。
「えへへ、でもジャンが守ってくれるから、安心して撃てるんだよ」
「お前が攻めてくれるから、オレも安心して攻撃に集中できる」
そんな2人のやり取りに、フィリーネの胸は温かくなった。
階層を一つ、また一つと着実に進んでいく。
10階に到達したとき、広間に待ち受けていたのは巨大な鎧の騎士だった。
「よし・・・・・気を引き締めるぞ」
ジャンが杖を構え、ルナが魔力を集中させる。
戦闘が始まると、鎧の騎士は大剣を振り下ろし、石床を割った。
ジャンが即座に『ウインドカッター』を放ち、巨体を後退させる。
その隙を突き、ルナが『ファイアーアロー』を放つ。
炎の矢が鎧の継ぎ目を貫き、黒煙を上げる。
「今よ!」
フィリーネの声に合わせ、ルナは畳みかけるように『ブリザード』を展開。
凍てつく吹雪が鎧を包み、ジャンも重ねるように『ブリザード』を放つ。
轟音を立てて鎧の騎士は崩れ落ち、静寂が広間を支配した。
「クリア・・・・・だね!」
ルナが汗を拭いながら笑顔を見せる。
「順調だ。このまま行けそうだな」
ジャンも肩で息をしながら頷いた。
その後も12階まで攻略は進んだが、この頃には2人の魔力は大きく削られていた。
ジャンは回復に加えて攻撃魔法も多用し、マッピングも見落としが無いよう慎重に行ったため、消耗は激しく、顔色にも疲労が滲んでいる。
ジャンが深く息をつき、仲間に向き直った。
「・・・・・ここまでだな。魔力がほとんど残ってない。今日は戻ろう」
だがルナは首を横に振った。
「待って。18階まではあと少しだよ? それに・・・・・西の塔は絶対に人が来ない。結界内なら安全なんだから、ここで泊まってもいいんじゃない?」
ジャンが目を瞬かせる。
「塔の中で・・・・・泊まる?」
フィリーネは少し考え、ゆっくり頷いた。
「確かに、各階層の結界内は安全ね。ルナの収納魔導具の中には食べ物もあるし、水も持ってきている。無理して戻るより、ここで休むのも手だわ」
ジャンは逡巡したが、2人の様子を見て観念したように息を吐いた。
「・・・・・分かった。じゃあ、上の階で登録して、休もう」
「やったー!」
ルナが嬉しそうに声を上げる。
3人はさらに階段を上がり、13階へ足を踏み入れた。
光の膜が階段周辺を包み、安全を約束するかのように柔らかく揺れる。
「ここなら大丈夫ね」
フィリーネは腰を下ろす。
13階の結界に守られた広間は、海のさざめきと、森の木々の葉が擦れ合う優しい音が流れ込んでいた。
フィリーネに続き、2人も、腰を下ろした。
「ふぅ・・・・・安全って分かってても、やっぱり緊張するな」
ジャンが肩を回し、筋肉をほぐしながらながらつぶやくと、隣に座ったルナがすかさず身を寄せた。
「えへへ、大丈夫だよ。ジャンがいるもん」
そのまま腕に絡みつき、頬をすり寄せる。
「ちょっ、ルナ・・・・・!」
「んふふー♪ 今日はね、いっぱい魔法撃ったから、疲れちゃったの。だから癒してー」
フィリーネは向かいに座り、持ってきたパンを齧りながら半眼になった。
(・・・・・これ、完全にラブラブ空間じゃない。私は空気かな?)
ジャンは頬を赤らめながらも、結局ルナを振りほどけない。
「もう・・・・・子どもみたいにくっつくなよ」
「やだぁー。だって、今日ほんとに怖かったんだから。ジャンがそばにいないと眠れないもん」
ルナは唇を尖らせながら、しかし目は潤んで甘えるように細められていた。
「・・・・・はぁ。しょうがないな」
ジャンは小さくため息をつきながらも、口元には困ったような笑みが浮かんでいた。
結局、ルナはジャンの腕にぴったり抱きついたまま、ご満悦の表情。
2人の間に流れる空気があまりに甘ったるく、フィリーネは思わず立ち上がりかけた。
(この雰囲気をずっと見せつけられるぐらいなら、いっそ1人で宿に帰ろうかしら・・・・・)
だが次の瞬間、ルナの頭がこてんと傾き、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
「あら・・・」
フィリーネは少し力が抜け、思わず微笑んでしまった。
「ほんと、疲れてるんだな」
ジャンも優しい声で呟き、ルナの髪をそっと撫でる。
「そうね。今日は頑張ったもの」
フィリーネは肩をすくめ、敷物の上に横たわった。
「じゃあ、私たちも休みましょう。明日に備えて」
結界に包まれた広間は、不思議と心地よい温もりを帯びていた。
やがて3人はそれぞれ眠りにつき、西の塔の静かな夜は、何事もなく更けていった。
翌日。
最初に目を覚ましたのはフィリーネだった。
結界に守られた広間は、波が岸を撫でるような音と、木の葉が風に触れてささやく音が微かに響いている。塔の中にいることを忘れるほど、穏やかな時間だった。
体を起こして大きく伸びをすると、隣に寝ている2人の姿が目に入った。
ジャンとルナは・・・・・・ぴったりと抱き合うようにして眠っている。
「・・・・・はぁ」
小さく息をつき、フィリーネは額に手を当てた。
(本当に仲がいいのは分かるけど・・・・・見せつけられるこっちの身にもなってほしいわ)
思い出すのは昨夜のこと。
結界の中で、安心した途端に甘えてジャンにくっつくルナ。
その度に赤面しながらも結局受け入れてしまうジャン。
2人の距離の近さに、フィリーネは心のどこかで呆れを覚えつつも、羨ましいと思ってしまった。
「ま、仲が良いのは悪いことじゃないけど」
そうつぶやいて立ち上がり、塔の小窓に目を向けたときだった。
窓から差し込む光に、妙な違和感を覚える。
ぼんやりした頭で「朝日?」と思ったが、よく見ると光は真上から差し込んでいた。
「えっ!?」
慌てて窓際まで歩み寄り、空を見上げる。
太陽はもうお昼の時間を過ぎていた。
「もうお昼!?」
思わず声が大きくなり、寝ていたルナが目を開けた。
「んん・・・・・おはよう、フィリーネ」
寝ぼけまなこのまま、のそのそと体を起こす。
腕を伸ばした途端、隣のジャンも反応し、半分寝言のような声で言った。
「おはよう・・」
フィリーネはあきれ顔で2人を見ると、口を開いた。
「おはようじゃないわよ。もうお昼を回ってるのよ!」
「・・・・・え? お、お昼?」
ルナが目をこすりながらぼんやりつぶやいた。
「朝ごはん・・・・・急いで食べなきゃ」
「ああ、そうだな、朝食を済ませないと・・・・・」
とジャンも同じ調子で相槌を打つ。
「だから違うの! お昼を回ってるって言ってるの!」
その言葉で、2人の目に徐々に焦点が戻る。
次の瞬間、ようやく状況を理解したらしい。
「ええっ!? そんなに寝てたの!?」
「やばいな、完全に寝過ごした!」
寝坊のショックで慌てふためく2人を見て、フィリーネは思わず笑ってしまった。
「もう。昨日、無理してここで泊まるって言ったのはルナでしょ?」
「うぅ・・・・・ごめん。でも安心したらつい・・・・・」
しょんぼりしながらルナは答える。
「今から宿を出てここに来るよりは、良いと思うけどね」
3人は簡単に軽食をとり、すぐに出発した。
だが、寝坊の影響は大きかった。
まだ頭が完全に覚めていないジャンとルナは、歩きながら何度も小さなミスを繰り返した。
「あれ?ルナ。今の詠唱、少し遅れたぞ」
「えっ、ほんと? ごめん、寝ぼけてたのかも」
「ジャン、モンスターに当たってない!!」
「あ、すまん!」
幸い敵は他の塔と同じ程度のモンスターばかりで、致命的なミスにはつながらなかったが、普段の完璧な連携からは遠かった。
フィリーネは後ろから見守りながら、やや呆れた顔でため息をついた。
(やっぱり、甘えすぎてるんじゃないの・・・・・? でも、まあ、これぐらいなら大丈夫かしら)
そうして何度か小さな危なっかしい場面を切り抜けるうちに、2人の目も冴えてきた。
14階に入る頃には、ジャンの声に力が戻り、ルナの魔法も冴えを取り戻す。
「よし、次は『アイスバインド』で足止めする!」
「うん! そこに『ブリザード』重ねるね!」
2人の魔法は再び息を合わせ、鮮やかな連携を取り戻していた。
フィリーネも支援の合間に、口元に笑みを浮かべる。
(やっぱり、この2人は強いわね・・・・・。さっきまでのドジっ子っぷりが嘘みたい)
こうして17階まで、危なげなく攻略を進めることができたのだった。
17階を抜け、18階へと続く階段の前で、3人は一度足を止めた。
「ふぅ・・・・・ここまで来たな」
ジャンが額の汗をぬぐい、深呼吸をする。
「ねえ、18階って・・・・・」
ルナが階段を見上げる。
「そう、南の塔も北の塔も・・・・・」
フィリーネが答えると、自然と3人の表情が引き締まった。
休息を兼ねて水を口に含み、しばし沈黙が流れる。
「・・・・・よし、行こう」
ジャンの一言で、3人は同時に頷き、階段を上った。
そして、広間に足を踏み入れた瞬間――3人は息を呑む。
「・・・・・えっ」
ルナは即座にサーチ魔法を展開した。
ルナ「今回も読んでくれてありがとうねっ!」
ジャン「ありがとうな。いやぁ、なんか今回いろいろあったな」
フィリーネ「“いろいろ”じゃないわよ! 3人そろって寝坊したうえに、ジャン、あなた寝ぼけて魔法外したじゃない!」
ジャン「そ、それは仕方ねぇだろ! 寝起きだったんだから!」
ルナ「でもさ、寝ぼけながら“ファイアーボール”撃つ人、なかなかいないよ?」
ジャン「ふぅっ、外しただけで良かったよ」
フィリーネ「ええ、私とかルナに直撃していたら大惨事よ!」
ジャン「オレの寝起き魔法、そんなに危険視しないでくれよ」
ルナ「次は“寝ぼけてプロポーズ”とか、どう?」
ジャン「しねぇよ!!」
フィリーネ「……まぁ、ルナらしい発想ですけど」
ルナ「ふふっ、いい夢見てたんだもん♪」
ジャン「夢どころか悪夢だよ、オレにとっては!」
フィリーネ「というわけで、今日も賑やかな一日でした。次回はもう少し平和な朝を迎えたいですね」
ルナ「えーっ、また寝坊してもいいじゃん」
ジャン「いや、ダメだろ! ……というわけで!」
全員「次回もお楽しみにーー!!!」




