“酒屋殺し”
「キタキター!」
アティルト界にただ1人、玲は狂喜していた。世界を一変させるほどの異常。怠惰な日常を吹き飛ばす異変。
「イスマっちの薄情モン~。アタシを秒で置いていきやがったワケ」
迎えの車に文字通り便乗させてもらいたかったのだが、呼び止める間もなかった。
異変の正体を玲は把握していた。ウァラクとの契約により、彼女は読心術を得ている。蓮の心を読んだ結果、この世界がアティルト界という脆弱な世界であること、この異変の主があの王城にいることを理解した。
【あの城に行って、悪霊と指輪をどうにかしないと】
車に乗り込む直前まで、蓮は考えていた。悪霊とやらのことはほとんど分からなかった。だが。
――指輪!
堕天使と指輪とくれば、それが高名な「ソロモンの指輪」であることは嫌でも想像がつく。ソロモン王はかつて指輪の力で72柱の堕天使を召喚し、知識を得た。
――知識!
三船玲が望んで止まぬもの。
堕天使はこの露払いでしかなかった。遥か彼方の王城を見る。物語の中心はあそこにある。
諦めなどしない。あの王宮こそ、この異常世界の中心。幸い、校門に立ち塞がっていた邪魔なイポスは蓮が始末してくれた。
玲は白谷の死体に駆け寄った。ポケットを探り、バイクのキーを掴み出す。白谷が校則違反のバイク通学をしていることは知っていた。近所のスーパーに勝手に駐車していることも。
「なむなむ。ちっと借りるワケ! さらば!」
ぞんざいに手を合わせると、玲は顔を輝かせて校門を飛び出した。
* * * * *
序列48位の堕天使ハアゲンティはグリフォンの翼を持つ雄牛の姿をしている。悪霊の王の召喚に一も二も無く応じて、仮初の自由を満喫していた。
『くぅー! 久々の自由だぜー!』
翼を広げ、悠然と空を舞う。だが、足元の地上が騒がしい。ハアゲンティは本来の牛と同じく、大きな音を苦手としていた。
『チッ、うるせーな。んー?』
それは車のエンジン音だった。この地獄から脱出しようと、人々が我先にと車を乱暴に走らせている。だがアスファルトの道路は消失し、凹凸の多い石畳。混乱のあまり、事故も起きていた。
『ほっほー。あれがクルマってヤツか。なかなか速えじゃねーの。ちょいとじゃれてくっか!』
彼はスピード狂だった。
猛スピードの車に追い付く。鈍重そうな見かけとは真逆に、俊敏な動きである。
『よう! あそぼーぜぇ!』
車のルーフに着地し、運転席の若い女性に呼び掛ける。
「ひぃいい!」
女性は恐慌をきたし、アクセルを目いっぱい踏み込んだ。
ハアゲンティが口を大きく開けると、円錐状の金属を吐き出した。ルーフを貫通し、助手席に突き刺さる。ハアゲンティは金属を生成する魔力の持ち主である。
『ほらほら!』
円錐を次々に撃ちこむ。ボンネットやフロントガラスが突き破られ、エンジンが破壊される。女性は悲鳴を上げ、石造りの民家に突っ込んだ。その直前にハアゲンティは翼を広げて離脱する。
『なんだよ乱暴だな。マナーがなってねえぞぅ?』
爆発する車を愉しそうに見物した。そこへ、サイレンを鳴らしてやって来るパトカー。混乱しきった事態を収めようと奔走しているようだった。牛身の堕天使は邪悪な笑みを浮かべる。
『おっし、第二ラウンドおっぱじめよーかぁ!』
* * * * *
黒い車は、弾丸の如き速度で走る。
「思いっきり道交法違反ですよ、これ」
それ以前に詠は高校生で無免許だった。
「騎兵隊に密告でもするかね?」
詠は上機嫌で車を操作している。
――詠さんがこれだけ明るいってことは、助かるのかな?
ふとそんなことを思いつく。馬車道に入った直後。爆発し、又は煙を上げている車が目についた。
「交通事故が群発してるぞ」
石畳の道路に転がる車の残骸を器用に躱しながら直進する。
「元凶はアレだろうね」
すぐに、パトカーに馬乗りになっている羽牛が見えた。口から生やした氷柱を、運転席に突き立てている。すぐ脇を通り過ぎた黒い車を見て、歓声を上げた。
『おっほー! 速え! しかもカッケーじゃねーか! あそぼーぜ!』
忽ち翼を広げ、追跡に入った。
「やっぱり追いかけてきた!」
実体化している。悪霊の召喚に応じたということは、悪性の堕天使なのだろうということまでは分かった。
『ほう、ハアゲンティであるか』
デカラビアが現れた。狭い車内のせいか、手のひらサイズの大きさである。
「デカラビア、ゲーム3本」
時間の猶予はない。交渉は抜きにした。
『あやつは序列48位のハアゲンティ。野蛮で野卑で粗野なスピード狂視野狭窄の野牛野郎である』
「いくつ“野”が付けば気が済むんだ」
情報の半分ほどは具体的でなかった。
「牛か。魔術は?」
牛と聞いて、あるアイデアが閃くが、すぐには使えない。
『錬金術を使う。あと、水を酒に変える魔法を使うから、綽名が“酒屋殺し”である』
「全国のアル中が熱烈に信奉しそうだ」
やはり後半は蛇足だった。
『ひゃっはー!』
口から金属製の円錐を次々に発射する。詠はハンドルを巧みに操って左右に躱した。円錐はすぐに錆びて塵へと変わる。
「飛び道具持ちか」
「引き離すぞ。舌を噛むなよ、親友」
直線に入り、加速する。
『おおっ、負けねーぞ!』
だが、ハアゲンティを引き離すことができない。逆に距離を詰められる。
「あの小さな羽と500キログラムはある体型で、何であんなに速いんだ! 魔術なら何でもアリか?」
『安易な理など通じるものか。キサマ如き生齧りに解明される程度なれば、世の魔術師どもは廃業せねばならんのである』
含蓄はあったが、打開策はなかった。ルーフに着地される。しかも直線は終わり、道は左右に分かれていた。
「うわ、最悪だ」
曲がるためには減速せざるを得ない。そんな隙を見せてしまえば、車諸共串刺しにされてしまうだろう。
「任せたまえ。この“ロヴィヤ”にはちょっと思い出せないぐらい金を注ぎ込んでいるからな」
「その金、愉快機構ばかりじゃなくて安全性にもきっちり使ってるんだろうな?」
端末を高速で操作する。車のサイドミラー付近から、鉤つきのロープが発射された。鉤は民家の柱に絡まり、固定される。車は柱を中心に弧を描き、減速しないままに急カーブを曲がり切った。
『おわあっ』
ハアゲンティは遠心力の強襲に耐えきれず、振り落とされて壁に激突する。詠はすかさずパネルを操作し、ロープを切り離した。
「どうだ親友。見事な手際だろう」
だが蓮はと言えば、賞賛どころではなかった。
「今度から曲がるときには一声かけてくれ。降りて歩くことにするから」
乱暴な運転で、軽く首を痛めていた。
「非常事態だったのだから、許してくれ給えよ」
健康な蓮ですら苦痛に言葉もなかった重力に、詠は苦しむ様子もない。未来予知の代償は彼女の身体を蝕み続けている。既に皮膚の感覚も、痛覚も伝えなくなっていた。
機敏な運転ができているのは反射神経の賜物ではない。何度も“視た”光景を、なぞっているだけだった。
「ロヴィヤ」はボディスの関連分かる人だけに通じるネタです(/・ω・)/




