追跡
三船玲は交差点のそばにしゃがみ込んでいた。通行人を見やる。
仲良く歩いている小学生。
【また今日も掲示板に悪口書きこんでやろ】
【先生の財布から5000円盗んだの、バレないよね?】
頭上に思考が見える。契約した堕天使ウァラクの力である。子どもの心は年相応には醜いものだった。
次に、走って来るスーツ姿の若い男。
【商談忘れてた! 遅刻しそう!】
浮かび上がる字は荒々しく、かすれている。どうやら浮かび上がる文字は感情と連動しているようだ。イライラしている人間の「秘密」は、書き殴ったように荒く汚い。
「ヒトの剥き出しのココロに触れてるみたい」
玲が食指をそそられる秘密などそうそうないが、それなりに楽しんでいた。
そして、数百人ものウォッチングの結果、手に入れたものがある。
先程のサラリーマンの【思考】を凝視する。
「む~~~」
【商談忘れてた! 遅刻しそう!】
という文字が消えて、
【今すぐトイレに行きたい】
という文字が現れる。すると、男はふと顔を上げ、急にそわそわしだした。キョロキョロして、トイレを探している。
ウァラクの新しい魔術は、一時的に対象の思考を書き換えることができる。
サラリーマンは10メートルと歩かないうちに足を止め、首をかしげる。股間の辺りを何度も見た後、思い出したように元の方向に走り出した。
「すーぐに消えちゃうのよね、コレ。それにすっごく疲れるワケ」
一瞬間の誘導。例えば運転中の人間の思考を操って事故などを誘発できるかもしれない。玲は使い道を考えていた。
* * * * *
蓮とイデアが帰宅すると、リビングは嵐が通り過ぎたような有り様だった。棚は倒され、食器の類は全滅。テーブルはへし折られていた。
『余のゲーム棚が! あの雑種犬めが、許さんのである』
デカラビアは憤慨している。正確には、荒らしたのはカークリノラースではなく辰串だが。
「冷蔵庫の食料も食い荒されてますわね」
「ああっー! 7万円もした江戸川乱歩全集が本棚の下敷きに!」
蓮も悲鳴を上げる。ただ、憂さが晴れたのか、時間を浪費していると気付いたのか。他の部屋はほとんど無傷だった。本の棺桶に隠しておいた貴重品の無事を確認する。
「親父のとっておきのブランデーが空になってら。バレたら激怒するぞ」
嘆息する。
「まずは、部屋を片付けるといたしましょう」
イデアはエプロンをして、髪をまとめた。
* * * * *
『儂もかの王に用はあるが……この膨大な人の群れに紛れ込んだ小娘1人、見つけ出すことができるものかな?』
懐疑的な現序列32位。
「この上は、警察の権能を最大限に有効活用しましょう」
伏木は警察署から辰串の捜査資料を持ち出した。警察では辰串夕五の足取りを追うために、人海戦術で捜索を行った。魔術により余人に姿は見えなかった逃亡劇だが、防犯カメラの類に記録は残る。移動ルートはかなり判明していた。
越権行為もいいところなので、警察内で出来る作業ではない。伏木は臨時に個人オフィスを借りて資料と地図を広げた。
「このT屋駐車場の防犯カメラの映像は、宇越宅を出た直後のもの。南に移動していますねえ。続いて……」
地道に地図と時刻、映像を照合して辰串が居た地点を特定してゆく。
『やれやれ、よくもこんな辛気臭い作業ができるものだ』
アスモデウスは退屈を持て余していた。
「そうですか? 僕はこういった組み立て作業が好きですけどねえ」
言いながらも、資料をめくる手は止まらない。
「K屋町Aさん宅の防犯カメラの映像では、南に移動中の辰串さんの姿。しかし約47分後の近隣パーキングの映像では、北に移動している。……はて?」
目立つ風体だけに、人違いはあり得ない。地図の一角を丸で囲う。
「つまりこの辺りに、辰串さんは用事があった、ということになりますねえ」
伏木は住宅街に足を運んだ。昔は活気があったが、主要道路が他に開通して以来、多少寂れた地域と記憶している。
「ここで一旦、足取りは途切れていますねえ」
個人商店の本屋や床屋を見回す。看板が錆びていたり埃をかぶっていたりで、店を畳んだのか続けているのかすら判然としない。
『一軒一軒訊いて回る気か? 日が暮れてしまうぞ』
不服そうな老人に伏木は首を振った。
「御心配なく。僕には葵の印籠がありますので」
* * * * *
7件目で事態は動いた。
「脱獄事件の捜査ですか?」
喫茶店の店長が訊ねる。60代の女性で、ここで長く商売を続けているらしい。折り目正しい伏木の対応は好感を以て迎えられた。
「はい。目撃していなくとも、なにか普段と違う出来事がありましたら教えていただければと」
目撃証言は期待していない。辰串がもたらした「何らかの綻び」を鑑識のように探しているのだった。
「さあ、急に言われても……」
聞き込みをすると、大抵この言葉を返される。だが「昨日あたり、この辺りを歩き回っていたそうなんですが」などは言わない。誘導すると、先入観が邪魔をして正確に思い出してもらえなくなる。
「あ、そういえば。2件お隣の居須磨さんのお宅で、何かものすごい音がして」
店長は何か思い出したようだった。
「音、ですか? 具体的には?」
「ガラスが割れる音とか、何か叩きつけたような。もう、雷でも落ちたんじゃないかって」
かなり具体的に説明ができている。これは思い込みではなさそうだった。
「時間は憶えていらっしゃいますか?」
思い出せないでいるようだった。
「その時、なにかテレビでも見ておられたのでは?」
記憶は何かと関連付けなければ容易に引き揚げられない。
「あ、水戸黄門見てるときです! うっかり八兵衛が喋ってるときにドシーンって音がして飛び上がったから」
後で調べれば容易に特定できそうだった。
「イスマさんと言うのは、ご近所さんですねえ。どのようなご家庭かご存じですか?」
こういったときは急かさない。
「夫婦と子どもの3人の家庭です。息子さんはいつも挨拶してくれるいい子ですよ」
目線を上に向け、指を顎に当てて話し始める。現代では、挨拶を返すまでが「いい子」の条件だった。それ以上踏み込むと「図々しい子」になる。
「あ、でも、最近ご両親は転勤して、家にはお子さんしかいないと言ってました」
「おやおや、それは大変でしょうねえ」
「普段は静かな家なのであの音を聴いた時にはもうびっくりしちゃって。暴れる子には見えないから、強盗でも入ったのかと」
それでも通報はしないのが現代の「ご近所付き合い」だった。
「これはアタリかも知れませんねえ」
他の家での聞き込みでは、「近所の犬がうるさい」とか警察に対する文句のようなものばかりで役立ちそうになかったが、今回は手応えを感じていた。




