最古の王
カークリノラースは、宇越聖也の死骸から僅かながら魔力を盗み取っていた。それを用いてアティルト界を創造したのだが、実体化に充分な量とは到底言えない。
だから契約者である辰串夕五を殺し、必要な分を奪い取ることにしたまでである。どうせ辰串に捲土重来はない。それなら有効利用してやろう。それだけのことだった。裏切ったという認識すらない。元より堕天使と人間は同じ土俵に立っていないのだから。
「お、おい……?」
裏切りを最期まで信じられないまま、辰串は絶命した。
『ヴァアアワア!』
魔力を取り込んだトイプードルは、見る間に巨大化してゆく。全高10メートルを超える魔犬となった。前脚の付け根から、触手のような、細長い鞭のような物体が生えている。
『ふうむ』
老人は沈思する。カークリノラースが、いつになく生き汚い。普段ならば引き際を過たず、次の機会を待つ。
『何故に“今”に執着する? いや、誰に執着している?』
どうやら決着をつけたい相手が在るようだった。断頭台の堕天使が執着するものとは、復讐。
『コヤツがこれほど塵界に留まろうとするとは――まさか!』
カークリノラースの標的を察する。見る間に老人の目に生気が戻ってきた。
『よもやこの世界に来ておるのか、彼の王が!』
* * * * *
蓮とイデアは山の中腹にある小さな古墳に避難していた。山の中腹から市が広範囲に見渡せる。
「見晴らしが良い場所ですね」
マイナー過ぎるご当地スポットで、まずは襲撃を警戒しなくてもよい場所である。
今後の方針を話し合いたかった。
「では、第弐回戦略会議を始めるといたしましょう」
厳かに宣言する古代イスラエル王。
『第壱回は、コーヒーとクッキー食べたら満足して終わったであるからな』
デカラビアの皮肉に言い返せない。蓮は会議開始5秒後には臼井智之著「名探偵のはらわた」を広げていた。
デカラビアは『無益である』と決めつけて我関せずでゲームに熱中している。
「ともあれ!」
イデアは状況が不利になると強引に遮る癖がある。
「警戒すべきはタツグシのみに非ず。カークリノラースは執念深い性格です。契約者が負けそうになったならば、アティルト界を創造するやもしれません」
「ハルファスみたいにか」
渋面を作る。
「ですがご安心を。わたくしはあれの弱点を知悉しております」
「期待してるよ。現代で堕天使に詳しいのは君だけだ」
少女は力強く頷く。
「かの駄犬は流れ水が苦手です。拠って、深くて流れの速い川に、首まで浸かって待ち伏れば有利にことを運べること間違いなし」
「……いつ襲ってくるかわからない相手に、4月の川に首まで浸かって待ってろってか。土左衛門になるわ」
早くも戦略会議に意義を見出せなくなり、デカラビアの正しさを認めざるを得ない蓮だった。
* * * * *
老人がゆっくりと歩み出た。
『邪魔された恨みを晴らしたいか。それとも伏木から魔力を奪い、彼の王に挑むつもりか』
いつになく行動的な老人を見て、伏木が驚く。
「おや? どういった風の吹き回しで。では、僕はアティルト界とやらを検分していましょうかねえ」
伏木は後方に下がった。
「これは得難い経験ですねえ」
伏木はアティルト界を熟視する。絨毯のように敷き詰められた孔雀の羽根。巨大な裸の女性像。それらが全て金色に輝いている。
硬貨で像を削ってみる。破片は、金色ではあるが黄金ではないように思えた。
「これは……黄鉄鉱ですねえ」
黄鉄鉱は黄金に見間違えることから、「愚か者の金」と呼ばれている。
「たしか、全裸の女性像や孔雀は“見栄”の象徴。獅子は“虚飾”の象徴でしたねえ」
伏木は博識ぶりを発揮する。女神像は、見えにくい背後などは露骨に作りが粗くなっていた。獅子は死んでおり、孔雀は羽根だけで本体はない。
「見栄や虚飾に身を固めても、それは体面だけ。或いは、自分だけがその粗に気付いていない、ということでしょうか」
アティルト界は、エーテルの持ち主だった人間の精神が色濃く反映される。伏木は誰の精神か推量できた。
「辰串さんに殺された、宇越聖也さんのものですか」
本人は敏腕社長のつもりで偉そうに振舞っていたが、その実秘書や幹部からも「アホぼん」呼ばわりで軽視されていた。その事実を、本人だけは知らなかった。
おまけに、今回の件で父親殺しの共犯、或いは教唆の疑いまで露呈しつつある。
聖也の遺体が、純金製の時計やネックレスで身を固めていたことを思い出す。
「金には死や悪意から身を護る力があるのだとか。無意識にも、辰串さんの復讐から身を護りたかったんでしょうかねえ」
見回して、静かに首を振る。
「ですが本人同様、中身が黄鉄鉱では、ご利益も発揮されず殺されてしまったわけですがねえ」
『堕天使同士の直截闘争はソロモン王より禁じられておった故、数千年ぶりか』
老人は巨大な魔犬に話しかける。ソロモン王と聞くと、魔犬はいっそう猛り狂った。肩口より生えた長い触手を威嚇するようにヒュンヒュンと振り回している。
カークリノラースは老人の魔力を欲していた。伏木が犯罪者を始末してきたことで、老人はかなりの量の魔力を溜め込んでいる。それを奪えば、長時間実体を維持できるのだ。
厭世の老人には、溜まってゆく一方の魔力は使うつもりなどない、無用のもの。だが復讐を目的とする魔犬には、喉から手が出るほど欲しい。
『さて、序列25位の処刑人如きが挑むか。“最古の王”たるこの、アスモデウスに』
老人は不敵な笑みを浮かべた。
『それとも今の儂の序列32位ならば勝負になるとでも思うたか? 痴れ狗めが。見縊られたものよ」
『ヴァアアウゥ!』
触手が唸りを上げ、老人に襲い掛かった。触手はカークリノラースの内蔵が変質したものである。女の髪のようにしなるが、鋼鉄よりも硬い。
『星回り:白羊宮』
老人が慌てず騒がず呼ばわると、眼前に黒い渦のようなものが現れた。渦から羊の頭を飛び出し、立ち塞がる。鞭の嵐は全て羊に吸い寄せられて老人に届かない。一瞬間、攻撃が途切れた。
『星回り:4宮』
黒い渦が魔犬に襲い掛かる。渦から著大な牛の頭部が突き出され、強烈な頭突きを見舞った。
牛頭が引っ込み、今度は渦から蛇の頭部が這い出て、毒牙で噛みつく。
『ギャンッ!』
毛皮の上からでもこれは効いたようで、魔犬が悲鳴を上げた。だが黒渦の追撃は止まない。続いて顔を出したのは、なんと鵞鳥だった。
『ヒィイヤアアア!』
ガチョウが金切声を上げると、口から雷が吐き出された。
強剛な触手も毛皮も、ものの役に立たない。雷撃に切り刻まれた。最後にドラゴンの頭が飛び出すと、極大の炎を吹きつけた。
『おやおや、同族の誼で4つまで披露したのにもう店仕舞いかね』
老人が挑発する。カークリノラースにはまだ戦意があった。どの一撃も手痛いが、命までは届いていない。
『ヴヴヴ……ッ!』
後ろ足からも背中からも触手を生やした。ただ数を増やしたわけではない。手打ちの武器など必要なかった。5本の触手を捩り合わせて、太い1本の武器とする。先端を、斧を連想させる分厚い刃物状に。
『ほほう。彼の悪名高い“断頭”か。佳いぞ。そうでなくては』
老人を囲うように、複数の黒渦が浮揚する。渦の中から、蛇やドラゴン、羊の牙や爪、尻尾が間断なく出入りしている。
辰串夕五のアナグラムは「だつごくしゅう」でした(/・ω・)/




