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王の名前を  作者: あまやどり
第七章 脱獄囚
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「罪人はここにいるぞ」

 奇襲は完全に失敗した。だが、やはり相手に自分の姿は見えてない。刑事が話しかけているのは明後日の方向で、視線がまるで合っていなかった。


「まだまだオレ様が有利ってことだナ」


 無傷で逃亡することもできるが、戦闘継続を選んだ。 警察に契約者がいると知った以上、見逃す策はない。


『ヴァウワウ!』


 カークリノラースも戦うように言い立てる。主に、刑事の後ろにいる老人に敵愾心を抱いているようだった。70過ぎに見える老人は、縁石に腰かけてこちらを見物をしている。


『ああ、儂は手を出さぬ。単なる世捨て人でな』


 声までかけてきた。堕天使は余人には見えない。この場合、老人がわざわざ辰串に「姿を見せて」いることになる。かくしゃくとした物言いで、一種超越した何かを内包していた。


『カークリノラースよ、また罪人を駒に遊んでいるのか』


『バウッ!』


 威嚇する魔犬。


『ふん? いつもと違い好戦的じゃな』


 堕天使ならば直接ちょっかいをかけてくることはないだろう。辰串は老人を無視することに決める。当面の敵は刑事1人。ナイフは折れたので、絞殺用の紐を手にした。


「失敗したモンに頼りたくねえけどよ。こいつなら効くかもしれねぇナ」


 カークリノラースの魔術は透明化。換言すれば「透明になれるだけ」とも言える。殺害に及ぼうとすれば、必ず対象に接近して、自分の手で行う必要があった。

 カークリノラースは、契約者に手を汚させることで魂を地獄に叩き堕とすのだ。

 辰串は慎重に背後に回り込んだ。


「ひょっとして、こちらにいらっしゃるのではないですか?」


 首に紐を回す前に、伏木は振り向いた。


「うおっ」


「犯罪は手口がパターン化する傾向にあるのですよ。ゲンを担ぐ、と言い換えても良いのかもしれません。背後から襲うのがお好きなようですねえ」


 先の奇襲然り宇越聖也の殺害時然り。辰串は背後から襲い掛かっている。透明化という絶対的に有利な状況であっても、無意識に、無自覚に。拭い難いその性向を見抜かれた辰串は「臆病者」と罵られた気がした。


「ほざきゃあがれ!」


 依然見えていないことに変わりはない。絞殺を強行した。

顔面に掌が突き出される。伏木はデータにあった身長から、辰串の顔面の位置を狙っていた。


「挑発に乗ってくれましたかね?」


 伏木の手の平から、炎が噴き出した。


「ぶぁっ?」


 至近距離で食らう。顔面を灼熱が襲った。周囲を確認し、通行人が途絶えたときを狙って仕掛けるほどの余裕を見せた。


「見えなくても問題はないのですよ。思考を誘導してやればいいだけの話ですからねえ」


 汗一つかかず、伏木は言った。肉の焦げた臭いが漂う。


「ち、チクショウ!」


 辰串が顔面を押さえて喚く。顔の右半分が焼けただれ、片目は白濁していた。退却に天秤が傾きかけたが、行動に移すよりも早く。


「この辺りでしょうかねえ」


 地面が跳ね上がり、瞬時に右足が砕けた。


「いってえええ!」


 痛みを堪えきれずに転げまわる。震源地がややズレていたにも関わらずこの殺傷力である。もし直撃していたら、ただの肉塊になっていたことだろう。

 足は血だらけで、歪に曲がっている。骨は粉々だろう。これで逃亡も不可能となった。


「当たったようですねえ。まだ生きていますか?」


 アスファルトを染める血を見て問いかける。興奮も愉悦も含まない、あまりに「いつも通り」な問いかけに逃亡犯の背筋が冷たくなる。


「貴方を逮捕するつもりはありません」


 伏木は断言した。


「現行法では、堕天使だの魔術だので立件することは難しいですからねえ。わざわざ同僚や司法の手を煩わせることもないでしょう」


 この場で殺すと、暗に言っていた。



 

 勝負はついた。一方的に。辰串の顔面の火傷はひどく、

足に至っては元に戻ることはないだろう。

 医者にかかれば命だけは助かるだろうが、そのためには透明化を解除しなければならない。当然、捕まる。仮に逃亡に成功したとしても、結局死刑に帰着するだけのことだった。


 透明化して手に入れた自由とは。何かあったとき誰にも助けを求めることのできない、無法者の自由でしかなかった。


「これで終いか。まあ聖也のバカにリベンジもできたし、自由はマンキツした。まあまあ悪くねえやナ」


 辰串は生に執着しなかった。生まれた直後に公衆トイレに捨てられた。保護されたのが夕方の5時だったので夕五。施設でもどこでも、愛情を注がれた記憶はない。


 だが、この場に在って趨勢を認めないものが1匹。いや、1柱。


『グルルル……バウッ!』


 マルチーズが咆哮(ほうこう)すると同時に、風景が極彩色に彩られてゆく。ありふれた小路が、開けた空間に。


 地には敷き詰められたような孔雀の羽根。(そび)え立つ巨大な女像の群れ。寝そべる獅子の死骸。これら全てが黄金の光沢を放っていて目に痛い。極め付きに悪趣味な空間だった。


「おや、ここは……?」


 さしもの伏木も困惑している。


『アティルト界に引き込まれた。人間の魔力で創り出した、塵界(人間界)とは隔絶された空間じゃな』


 老人が説明した。が、説明しながらも腑に落ちない表情をしている。


『忠犬とは言い難い野犬が、妙に熱心に動くものだ』


「なるほど。興味は尽きないですねえ。……おや?」


 前方に、きょとんとした表情の辰串の姿があった。カークリノラースがアティルト界を創り出した余波か、透明化が解除されたらしい。伏木の読み通り、半死半生の有り様だった。


「להעניש את החוטא」


 再び透明化を唱えるが、姿は消えない。


「どしたァ?」


「それが透明になるためのキーワードですか。……ははあ、皮肉ですねえ。辰串さん、その文言の意味、分かっていますか?」


「? 知らねえヨ」


 起動の呪文を聞いて、伏木が神妙な顔をする。辰串は意味に興味はなかった。欲しいのはご利益だけ。


「להעניש את החוטאはヘブライ語で、“罪人はここにいるぞ”ですよ。貴方、いつも隠れるたびに自分の罪を暴露していたわけです。何とも皮肉が効いていますねえ」


 博覧強記の伏木はヘブライ語まで理解していた。


「何だと……?」


 悪趣味なカークリノラースらしい趣向だった。


『ここで姿を隠すことができないのは、このアティルト界の元になった人物が貴様を“|隠れも無き人間にしたい《暴き立てたい》”という顕れであろうよ。譬えば、そやつの死に大いに関わっておった、とかな』


 老人が面白くもなさそうに説明する。


『そしてこの空間ならば、堕天使は実体を持つことができる』


 青い魔犬が、辰串の喉笛を食い破った。


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