あり得たかもしれない未来
「ど、……どういう、ことだ……?」
すべての水分を奪われた出宇多は80歳の老人のような有り様になっていた。背と体積が縮み、失った体重の分皺が刻まれる。皮膚は乾燥帯の岩山を連想させ、目は干上がり、喋るだけで唇が割れる。
『あ? 言ったじゃねえか、溺死者の召喚だってよ。自分で唱えたじゃねえか、“死の門を潜りて、冥府より~”ってよ』
どうやら、死者の魂を使役する類の魔術のようだった。
『実体化にまーまーの水が必要だってのは説明しただろが。水の量が強さに直結すんだから。ま、テメーもこいつら溺死させたんだから、トントンってトコじゃね?』
通らない理屈を捏ねる。フォルネウスは足りない水分を術者の身体から奪う、などという説明はしていなかった。
デカラビアは嘗て、
『三角形の魔方陣に封じ込めでもしていなければ、堕天使は嘘を吐く』
と蓮に告げたことがある。おそらくはフォルネウスも、都合の悪い部分は濁して伝えていたのだろう。
『ギャアア! 暗イ!……』
群羽顔の鮫が暴れ始める。
「や、やあお2人さん、お元気そうで」
蓮が芸のない挨拶をするが、2匹は取り合わない。目と口から液体を垂れ流し、悲鳴を上げていた。
「……なんだか、それどころじゃないみたいだ」
『キサマが今魚になったとしたら、悠長に挨拶などできると思うであるか?』
言われて納得する。
『加えてあの2人は1度死んでおる。死の恐怖に取り憑かれておるのだ』
イデアも未来予知の説明の時、「死には強烈な引力がある」と語っていた。
「怖いんだな、死ぬことって」
『死に満たされるのは、狂人か魔女だけである』
蓮に向けての言葉ではなかった。
『テメーらウルセエぞ! シャキッとしやがれ!』
フォルネウスが一喝すると、2匹は騒ぐのを止めた。
『獲物はあっちだ、あっち!』
文字通り死んだ魚のような目で蓮を見る。自由意思はないようだった。
「つまり、あの2人の魂は部品のようなものでしかないんだな。なら遠慮しなくていいや」
『仮に意思がたっぷり残っていたとしても、キサマが遠慮する未来図は見えないのであるが?』
見透かされている蓮だった。
「未来予知じゃあるまいし、未来なんて見るほどのもんじゃないと思うな」
2匹は宙を泳いで飛び掛かった。新洋はデタラメな軌道で噛みつこうとする。避けるまでもなく、電柱に激突した。噛みついたコンクリの表面にくっきりと歯形が残された。
「げっ。実体があるんだ」
本物の鮫と同程度の咬筋力があるらしい。腕や足に噛みつかれたら食い千切られてしまう。
『小型だな。もうちょいと水があったら、ホオジロザメみてーなダイナミックなのが暴れまわったんだがな。でもお前を食い殺すことは出来そうだ』
2匹が襲い掛かってくる。
「くだらない水芸だよ」
ポケットからハンドタオルを出す。
『あん?』
まず襲い掛かってきた2匹に手をかざす。
「敵対者ロケル」
魔方陣を通過した2匹は、メダカほどのサイズに縮んだ。それらをタオルで受け止め、両手で叩き潰した。
『ゲッ!』
『ガッ?』
怪魚は水滴に戻った。それをタオルで拭う。
「このバケモノ、水の体積=強さなんだろ? 縮めてやれば即戦力大幅ダウンじゃないか」
二度の実戦経験が蓮に対応力を与えていた。「本で潰すのはもったいない」とハンドタオルに交換する余裕すらあった。
「嘗てのクラスメイトの魂が宿っている」と聞かされてなお、何の躊躇もせず叩き潰した蓮の割り切りも大概であるが。
『完敗かよ。性能的にゃあ圧勝してなきゃおかしーんだがよ。爪も牙もねーくせに』
フォルネウスは結果に不満たらたらだった。
「魔術の要諦を俺に聞こえるように言ったのがそもそもの間違いだ。鉤爪も牙もないけどな、人間のアタマは単なる帽子の土台じゃない」
『ケッ! そーかよ!』
悪態は吐くが、否定はしなかった。
蓮は横たわる出宇多に近づいた。水分を根こそぎ奪われた身体は、巻き藁のように見える。
「よ、良かった……」
意外なことに、今わの際に紡がれた言葉は、安堵だった。
「だ、誰かを憎んでないと生きていけなくなってた。こ、このままだと、僕は必ず父さんや母さんを殺してたと思うから……」
目の焦点は既に合っていない。蓮に話しかけているつもりもないのだろう。
「せっかく、絆、ボント、名前つけてくれた、のに。じ、自分で人との絆を、断ち切って……」
空に伸ばした手は、何も掴むことなく頽れた。
「し、死んだ……」
出宇多凡人のやったことは可部気力以上の凶悪犯罪である。だがそれは彼の生来の性質からは程遠く。彼を奈落に突き落としたのはフォルネウスであり魔術なのだが、彼を奈落に手招きしたのは自分だったのではないか、と蓮は考えていた。
それは他人事では済まされない。群羽と新洋を踏み潰したあのときから。蓮も同様の末路を辿る未来があったのだ。
『殺意の海で溺死か。小者にしちゃあおシアワセな最期じゃねーか』
フォルネウスが大きく口を開けて、死骸を一呑みにした。
『今回は消化不良だったな。次は負けねーぞ、ガキ!』
言うだけ言って、フォルネウスは空高く泳ぎ去った。
「お、おい!」
呼び掛けても、孤影は引き返してくることはなかった。
「次、って。まさか、ハルファスみたいに――?」
次に待つは堕天使本体との闘争。身を震わせた。
フォルネウスが出宇多の死体を持って行ったことは、蓮にとっては幸運だった。
『今回は相性に救われたであるな。まだまだロケルを使い熟せてはおらん』
デカラビアの評価は辛口だった。
「“敵対者ロケル”は使い所が限られてるんだよ。設置型だし、サイズ変えてもすぐ戻るし」
フォルネウス襲来の予告を聞いて、蓮は少々ナーバスになっていた。
『戯け。キサマ余が講釈してやったロケルの解説を聞いておらなんだか?』
「しっかり覚えてるよ。“通過したものを拡大・縮小する魔術である”だろ。でもそれが……ん? もの?」
言葉を反芻する。
「え? じゃあロケルの能力って……物体に限られない?」
活用法を思い浮かべる。
「ひょっとしてこれって……とんでもなく応用が利くんじゃないか?」
恐る恐る、デカラビアに問う。
『遅いぞ、愚か者。使い道が限られておるなどとは、キサマの脳ミソが矮小なだけなのだ。余が大天使ロケルから苦労して盗み出した魔方陣であるぞ』
大天使ロケルはデカラビアの敵対者である。
「盗品だったのかよ!」
思わず突っ込んだ。
『漫然と使っておるからだ。ロケルめに見つかれば、キサマももれなく罰せられるであろうな。7億年地獄行きにご招待である』
蓮も迂闊なことに、何の疑問もなく「敵対者」だの「ロケル」だの口にしていた。
「お、俺はほら、善意の第三者だから……ダメかな」
『その屁理屈をロケルの前で言いぬけることができるなら、キサマを見直してやるのであるがな』
出宇多凡人のアナグラム元は?
いでうだぼんど⇒だうんどぼでい⇒ダウンドボディ、でした(/・ω・)/
溺死体のことですね(/・ω・)/




