ダウニング
出宇多は2人の女子生徒を尾けていた。同じ3組の日土と鯖野。わがままで和を乱し、掃除や雑用を他人に押し付けてくるコンビ。特に出宇多を格下に見ていて、小馬鹿にするような言動をされた。――と、当人は思い込んでいる。思い込むようになった。
弱気の虫を追い払うために、イヤホンをしてサメ映画を流す。スピルバーグの傑作映画のBGMで気分が盛り上がる。
獲物を食い千切ろうと接近する鮫の姿を自分と重ね合わせた。
背後をつけていた出宇多は、人気のないことを確認すると、リュックから2リットルサイズのペットボトルを出した。キャップを外したところで。
『おっ、デカラビア! オモシレーことになりそうじゃねえか』
フォルネウスの叫びに、出宇多は制止した。改めて警戒すると、民家の玄関に身を潜ませ、様子を窺っている人影が1つ。
「だだ、誰だ?」
「おい、今のはダメだろ! せっかく隙だらけだったのに」
暗がりから姿を現したのは群羽と新洋を怪しげな力で撃退した少年。出宇多の背中を押した少年だった。
蓮は旧1年3組の中から、できるだけ印象の悪い生徒を聞き出した。その上位にいた日土と鯖野に目星をつけて、遠巻きに監視していたのだった。
『ヨーッス! 元気してっかヒトデ野郎!』
大声で軽い挨拶をしてくるフォルネウス。
『キサマも相変わらずピチピチしておるな』
デカラビアが姿を投影する。
「おいヒトデ野郎。堕天使が勝手に旧交を温めるんじゃないよ」
蓮が半眼でデカラビアを睨む。魔術知識のない現代人たちは、堕天使と正式な契約を結ぶ術を知らない。本来の形式に則って契約していれば、このように堕天使が勝手に他者と会話することなどありえない。
『ヤツは座天使長が2日間絶句した上に死海に突き落とすレベルの粗忽者故な』
鮫の姿から想像しづらいが、フォルネウスは元天使だった。
「あの2人を襲ってるところを、背後から不意打ちできれば楽だったのに」
露悪的なことを言いつつも出宇多に向き直る。
「君はあの2人を……」
あの2人とは前方を歩いている女子のことでなく、群羽と新洋のことである。切れ切れの言葉から、
――やはり見られてたか。
確信する。
「ど、どうしてぼくをつけた?」
手段を問うているのか理由を問うているのか。
「さすがに殺しすぎ。捨て置けなくなった。契約者にも都合ってもんがあってさ」
後者の質問と判断して答えてやる。
「ぼ、ぼくも殺すつもりなのか?」
「いや、あの2人殺したのは俺じゃないし」
一応断りを入れておく。ただ、会話して様子を窺う限り、出宇多の目は正気を残していないように思えた。猜疑心が成長しきり狂気が芽生えている。
『コッチは根暗野郎なんざに憑いちまってサイアクだぜー!』
『奇遇あるな。余もゲテモノ趣味で運動音痴でこすっからい三下野郎と契約する羽目になっておるのだ』
「ゲテモノがゲテモノ呼ばわりするな。契約者の悪口で盛り上がってるんじゃない!」
堕天使の会話に割り込むのは、余裕の表れだった。
「本当に盟友なのか?」
『当然である。ヤツとは道ですれ違えば無言で会釈するほどの盟友であるからして』
胸?を張って言い切る。
「顔見知りレベルじゃねえか」
死線を幾つか乗り越えた蓮の神経は、出宇多と比べるべくもなかった。
「パトロンと交渉してやってもいいけど? ただ、命は助かっても、相当のペナルティはあるんじゃないかな」
臆病者の出宇多は恐怖した。この条件を呑めば、譬え逮捕されなくても生涯に渡って弱味を握られることになる。いわば、生殺与奪の一切を奪われてしまう。
それを知っていながら日々を重ねていけるほど、彼の精神は強靭ではなかった。
ちらりと、手にしていたペットボトルを見やる。その一挙動で、蓮は交渉がご破算になったことを察した。
「やめときなよ」
アクションを起こす絶妙なタイミングで、蓮が制止した。
「水を動かす魔法、だろ?」
図星を突かれた。
「それも、近くでないとコントロールできない」
「な、んで?」
愕然とする。手の内を読み切られている。
「溺死、なんてのんびりした殺害方法を選んでるから。動かせる速度はあまり速くないし、精度もあまり良くない。力も弱い。強けりゃこんな、根気強く獲物をつけまわす労力もいらないもんな」
次々、魔術“逃げ水”の正体が暴かれてゆく。
「“成功体験が足を引っ張る”って誰かが言っててさ。1回成功すると、ワンパターンに手口を繰り返すようになるんだって。しぜん、手の内がバレやすい」
「験を担ぐ」思考回路に近かった。例えば1度格上相手の試合に勝てた場合。以降の試合には同じ靴下や朝食を好むようになる。3度も同じ手段をとれば、読まれるのも道理だった。
“逃げ水”は警戒している相手に正面切って使える代物ではない。対抗手段は1つしかなかった。
もう1つの魔術。フォルネウスからこれを与えられたのは、あの2人に復讐を果たした後のことである。
「“ダウニングの召喚”?」
『おうよ。まあ、代わりに戦ってくれる使い魔だ。今のテメーなら使えるぜ』
何となく言葉の端々に不吉なものを感じ取り、これまで使用したことはなかったのであるが。臆病な出宇多にとって、自分で身体を張らなくていい、というのは魅力的だった。どの道、手段を選り好みしていられる状況ではない。ペットボトルのキャップを外し、水を地面にぶちまけた。
「死の門を潜りて、カルタグラより死に水を……」
教わった文言を唱え終わると、地面の水が持ち上がる。何かの姿をとろうとする。だがそのとき、身体の内部から突き上げるような衝撃が走った。何かが、腹から胸へ、胸から喉にせりあがってくる。同時に身体が急速に水分を失い、手が足が、皺だらけになって干からびていった。
「おいおい、何が起こってるんだ?」
思いもよらぬ展開に、さしもの蓮もあ然としている。
出右の口から大きな水の塊が2つ、飛び出した。それは水で作られた空を飛ぶ鮫の姿をしていた。ただし、頭部だけは人間のそれである。しかも、
「ぐ、群羽と新洋……?」
2つの頭は、寄りにも寄って出宇多が金輪際見たくないと思っていた2人のそれに生き写しだった。
出宇多凡人のアナグラム元は何でしょうか?
正解は次回に。英語です。




