王の危機
「魔法」ではなく「魔術」。
「魔法陣」ではなく「魔方陣」です。
『運動神経が死滅しておるキサマでは荷が重いのではないか?』
体力テストで惨憺たる成績を叩き出したことをデカラビアは揶揄った。群羽と新洋の2人組が、蓮を侮ることになった遠因でもある。
「そうだな。しかも堕天使がお前だから輪をかけて大変だ」
蓮は怒らなかった。
『何故であるか?』
妙に可愛く首?を傾げる。
「だってオマエ、72柱いる堕天使の中で序列69番目だろ。上位勢には小指の先で蹴散らされるんじゃないか?」
運動音痴を揶揄されたことと、勝手に課金されたことに対する仕返しである。
『ムキー! 何たる暴言!』
デカラビアは体色を真っ赤にして、風車のように高速回転し始めた。激怒しているときの癖である。車内だが、実体がないので目障りなだけで済む。
『よいか、余の偉名は“ソロモンの小さな鍵”は無論のこと、“ゲーティア”にも“エノク書”にも記されておるのだぞ!』
どうやら位列については当人(?)もコンプレックスであるらしい。
「そんな由緒正しいヒトデ様がなんで“自分より下の奴はテスト当日欠席してました”って順位なんだよ」
しつこく半畳を入れる。
『セクシーダイナマイツな、このアスタリスクバディが地球外生命体疑惑をかけられて不当な評価になったのである!』
他の堕天使が元力天使などの“出元”がはっきりしている中で、デカラビアのみ出自が委細不明の胡乱な存在だった。
「……まあ、星にしか見えないからなあ」
高校生で奇書を愛好してる蓮も、胡乱と言う点では変わらない。
駅前に到着し、蓮はロールスロイスから降りた。車内に残っていたデカラビアが詠に訊ねる。
『まずは契約者相手に、実戦経験を積ませようという配慮であるか?』
腰の重い蓮を大金で釣った魂胆を、デカラビアは看破していた。
「それもあります。ですが単なる口実ではなく、予知に出たのです」
静かに言葉を継ぐ。
「今日の事件が、全ての始まりになると」
* * * * *
王は1人、玉座に居た。
紅蓮に染め上げられた王城。雷が雨の如く降り注ぎ、散々に王国を打ち据える。まさにこの世ならざる光景。城壁も王の威光も、なんらの助けにならぬ。
――もはやここまで。
王は死地と悟る。国民や家族は避難させた。だが、自分が逃げ切ることはできそうもない。どこにいても、いつまでも追い詰めてくる。とうとうここまで追い詰められた。
王はゆっくりと目を閉じる。
――我ながら、苦難多き人生でした。
王になるまでの試練は数知れず、肉親とも争った。内政の手腕は評価されるべきであろうが、晩年の悪評はそれを上回るだろうか。
真っ先に後世の評価を気にしている自分に気付き、思わず苦笑する。
「この国は……どうなるか」
死後のことにまで気を回す。自分が死ねば、国は大きく傾くだろう。これを機に、不満を抱いている10支族たちが反旗を翻すことは目に見えていた。いまは忍従しているが、ユダ族を厚遇したことを彼らはずっと恨んでいる。
が、自分の子どもたちは凡庸の一言に尽きる。皆自尊心ばかりがモリヤの山よりも高く、協調性はネゲヴ砂漠の水源よりも乏しい。内憂も外患も放り出して、身内で争い疲弊するに決まっている。
良くて分裂、悪くて滅亡を辿る。
どうあっても自分がそこまで見届けることができない身の上だと思い出して、思索を止めた。
どうなるにせよ、この脅威を己が取り除かなければ子孫の未来もない。
『ニセモノ……』
そこへ、ようやく元凶が姿を現した。業火を巻き起こし、雷の雨を呼び込んだ張本人。
ただし、その姿は影のような厚みのない不定形であり、常に伸びたり縮んだりしている。
簒奪者は、肉の器を持たぬ悪霊であった。だからこそ、兵士たちも逃がしたのだ。精強な衛士も相手が悪霊とあっては白昼の松明に過ぎない。
『返セ……!』
王には、この悪霊が何者なのか見当もつかない。ただ、それは心当たりがありすぎるという意味である。自分を恨んでいる者を一列に並ばせたとしたら、行列はガト国を一周してもなお余ることだろう。
だからこそ、この悪霊を滅ぼすことは出来ない。
『返セ……返セ……!』
怪物は断片的に人の言葉を話すが、会話が成立したことはない。ただ、自身を「悪霊の王」と名乗った。悪霊の王はずっと王の指輪を凝視している。刺すような憎悪の視線を人差し指に感じていた。
この妖物には魔術の類は一切効かなかった。勝つ術はない。
だからせめて最悪の事態だけは避けねばと、最低限の手は打った。未来の者たちは迷惑な贈り物に難儀するかも知れないが、顔を合わせて謝る機会もあるまい。
――あとは、この指輪を悪霊の手の届かない何処かへ送るだけ。
* * * * *
可部気力が強盗を思い立ったのは、金銭が目的ではない。
『クックルー! クー!』
気力の肩に止まっている野鳩が、急かすように鳴く。駅前通りから2本外れたこの通りは、夕方人通りが少なくなる。
「アポート」
手の中にデザートカラーのハンドガンが現れた。デザートウォーリア4・3は彼が初めて買ったガス銃であり、格別の愛着がある。
「アポート!」
次に現れたのはサブマシンガン。イングラムの愛称で知られるそれを肩に背負う。目出し帽と手袋をポケットから引っ張り出す。武器でないものは呼び寄せることができない。
彼は一風変わったガンマニアだった。本物の銃には興味がない。愛用のガス銃を改造し、撃つのが趣味である。
標的は片根貴金属店。ブランド物の指輪やイヤリングなどの宝飾品を主に扱っている。閉店間際を狙って踏み込んだ。体当たりで乱暴にドアを開ける。飛び込んできた男に、3名いた店員の視線が集中する。一声も発せずとも、異常事態を察した。
男性店員がカウンター下の非常ボタンを押そうと伸ばした手に弾丸が命中した。手の甲を貫通する。従業員は悲鳴を上げて転がった。
「動くな!」
改造ガス銃は、中身を満たした缶ビールを貫通するほどの威力がある。その上で、魔術“兵仗強化”により威力が倍増していた。
駅前近くでありながらこの辺りは閉店した店が多く、近所は異変に気付いていない。怯えて動けなくなった店員たちを尻目に、ショーケースを物色する。時計、指輪、アクセサリーなどが陳列されていた。
「おい、このケースの鍵を……」
言い差して面倒になったのか、サブマシンガンをケースに向けて乱射した。ケースは強化ガラスが使用されており、従来の4倍の強度を持っていたが、苦も無く砕け散る。
そのまま、他のケースも手当たり次第に破壊する。銃の発射音に店員の悲鳴が重なった。
純金製の指輪やネックレスを選んでリュックに突っ込んでゆく。
貴金属店を狙った第2の目的は、金ではなく金だった。以前から気力は純金製の弾丸を作って、撃ってみたいと思っていた。
そして強盗第1の目的は。
隅で震えている店員たちに銃口を向ける。
――雀や猫はもう飽きた。撃つならやっぱり、人間がいい。
引き金を絞った。野鳩が嬌声を上げる。
気力は店を出ると、目出し帽を脱いだ。
寂れた道を選んで逃走する。
『クー! クー!』
野鳩はご機嫌だった。誘惑する甲斐のない、変人とも言える契約者に落胆し、機嫌が悪かったのだが。
諍いと争いを司るこの堕天使にとって、先の惨劇は甚くお気に召したようである。
強盗は成功。速足で歩きつつリュックの口を開ける。黄金の輝きに思わず頬が緩んだ。
「これで念願だった黄金の銃弾も作ることができる。――ん?」
黄金の群れの中に、別の色が混じっている。手を突っ込んで取り出してみると、黄銅色の指輪だった。黄銅色に、黒の差し色が入っている。
「この色、真鍮製か?」
銅と亜鉛の合金。やや赤味がかっていて、シンプルな意匠ながら相当に古い。黄銅色と黒色に塗り分けられた指輪だった。
――なんでこんなものがあるんだ?
詰め込んだ覚えはない。気力の狙いは金製品だった。いくら黄色がかっていても、居並ぶ金製品を比べれば、明らかに違う。
――そもそもあの店はブランド品がメインで、こんなノンブランドの中古品は取り扱わないはずだ。
他の収奪物と違い、値札さえも付いていない。考えれば考えるほど理解が及ばない。
「まあいいか」
指輪をリュックに投げ入れた。銃以外に興味を持てない性格である。純金の弾丸に使えない真鍮の指輪など眼中にない。さっさと捨てればいいだけの話であった。
にも関わらず、彼は無用のはずの指輪を捨てられないでいた。そうさせないだけの存在感が、この指輪にはあった。
――しかし、3人じゃ撃ち足りないな。
人の欲望には限りがない。
――今度はいっそ、銀行でも狙ってみるか。
工事現場を抜け、距離を稼ぐ。そろそろかさばる銃器を転送しようかと思っていると。
「こんにちはご同業」
背後から声をかけられた。
磯蔵詠のアナグラム元は?
「いそくらよみ」
⇒「みらいよそく(未来予測)」
可部気力のアナグラム元は?
ちょっと難しいです。ヒントはカタカナ。