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王の名前を  作者: あまやどり
幕間
24/60

古代王国の食事事情

「脳ミソの容量も腰の重さも限界だ。とりあえず夕飯にしよう」


 イデアが膝から降りて向き直った。


「良い報せと悪い報せがございます」


 唐突に言い出す。イデアは日常でこのような言い回しを好んだ。


「ではいいニュースから頼む」


「なんと、わたくし自ら調理に加勢して差し上げます!」


 エプロンをして、袖をまくる。


「そりゃ心強い。じゃあ悪いニュースは?」


 蓮も料理に興味がなかったため、簡単な物しか作れない。


「わたくし、お料理の経験が微塵もございません。戦力として数えることはできないかと」


「前言撤回。そりゃ心細い」


 ソロモンは王族であり、身分のあるものが料理や掃除をすることは、「下の者の役割を奪うこと」とされていた。


「前線に老人と傷病兵を寄越された気分だ」


 蓮がエプロンをしているところへ、インターホンが鳴った。玄関口に移動する。


「不用心だね。だが安心すると良い。詠は極めて温厚で無害だと評判だ」


 車椅子の女性がそこにいた。迂闊にも施錠をしていなかったことを思い出す。帰ってすぐにイデアの姿を認めて会話に入ったため、鍵のことがすっぱり記憶から抜け落ちていたのだ。


「詠さん?」


 磯蔵詠(いそくら・よみ)。蛇の堕天使ボディスの契約者にして、未来予知(プレコグ)の能力者。数少ない契約者の知り合いである。

 未来予知者故に、「施錠されてないタイミングを見計らって侵入したのではないか?」という勘繰りが湧く。


「何かあったんですか?」


 毒蛇の堕天使ボディスは相も変わらず膝の上でとぐろを巻いている。


「親友の家へ遊びに行くのに理由が必要かね? 1人暮らし初心者のキミのことを心配してるのさ」


 このとき、蓮にはまだ余裕があった。イデアを見られると困ったことになるかもしれない。が、幸いと言うには(はばか)られるが、相手は車椅子である。家に上げるにしても、わざと運ぶのに時間をかけて、その間にイデアは2階にでも逃がせばいい。


――イデアを見たら、何て言われるか分かったもんじゃない。


 これは2人を会わせると不都合なことがあると判断したわけでなく、単に体面の問題だった。

 詠の車椅子の底から、2枚の板がせり出した。玄関の段差に板をかけてスロープを作り、電動で登ってゆく。


「え、え?」


 あっさりと台所まで突破されてしまった。そこで、悠長に成り行きを見守っていたイデアとばったり出くわす。


「あら?」


「ふむ?」


 2人ともに、ついでに蓮も硬直した。


――あちゃー。まずった。


 準備も説明もまるで足りていない、出し抜けすぎる邂逅だった。


「べ、便利な車イスですね」


 リビングのテーブルに詠の車椅子を招く。


「うむ。階段にも対応できる。どこかのオリンピックの開会式で使われていたのを、便利そうなので買い取ったものだ」


 現実離れした富裕さが窺える。


「ところで、そちらのかわいらしい女の子を紹介してくれたまえよ」


 いまさら逃がすわけにもいかず、対面に座ることになったイデアを見る。異国の顔立ちなので、「妹です」は通じそうにない。


「と、遠縁の親戚の子を預かっているんですよ。父親違いで腹違いの」


「それは他人と言うのだろう。2人で暮らしているのかね?」


「う、うん」


 沈黙が落ちる。


「……“ははーん、さてはコイツ”って顔するのはやめてくれ。俺はノーマルだ」


 性癖を疑われていた。


「よく分かったな。プレコグに宗旨替えしたのかね?」


 蓮が最も危惧した事態である。


「スマホの緊急通報に指を伸ばしてれば誰でも察せられるわ」


「ええっと、わたくしは――」


 イデアが口を開きかけたところに詠は向き直り、


「現世へようこそ、ソロモン王」


笑顔で話しかけた。




「やっぱり知ってたんじゃないか、イデアのこと!」


「おや? 知らないとは一言も言っていないぞ。ただ、ああ質問すれば親友の愉快なリアクションが見れると予知しただけだ」


 詠は涼しい顔でテーブルから移動する。


「人はそれを確信犯って言うんだよ」


「許してくれたまえ。詠を仲間はずれにした意趣返しをしようなどとは、ほんの少々しか考えていなかったぞ」


「いい性格、いや、悪い性格してるよ」


 皮肉にも澄ました顔である。


「さて、順調に絆を深めたところで本題だ」


「いまのところ、あんたと深めたのは溝だけだよ」




 台所に移動する。


「ボディスの契約者でしたか。説明が省けて助かりました」


 イデアは胸を撫でおろした。ひとまずは味方であるようだ。


「じゃあ、今日はイデアに会いに来ただけか?」


「言ったろう親友。“1人暮らしを心配してきた”と」


 詠は台所で料理を始める。


「食材持参とは用意のいいことで」


 車椅子の背もたれに、野菜や魚などを収納していた。


「なに、たまたま近くのスーパーが特売日でな」


 主婦のようなこと言う。


「それに不便も多かろう」


「俺は別段……」


「親友ではなくソロモ、おっと、イデア嬢が、だ。油断すると三食麺が続くような、親友の雑な食生活に付き合わせるのは気の毒だ」


 ぐうの音も出ない。食に興味が持てないために雑な食事で済ませていることは多かった。


「何も言い返せないと来た。が、俺の食生活まで予知してるのはあんまりだと思う」



「切り分けた食材を鍋に入れて……」


 車椅子のアームサポートにまな板を置き、調理を始める。


「ショーユを入れて混ぜればいいのですわね。こう、ぐるっと――」


 積極的に手伝っているイデア。


「意外だ。ソロモン王ってたしか贅沢三昧、死人が出るような食事会してたんだろ?」


 ソロモン王は「ソロモンの大酒宴」なるものを度々催した。数千人が招かれ、食べ過ぎで幾人もの死者が出るほどだったという。財政圧迫の原因になったとの一説もある。


「だからそれは代役(ダブル)であるアスモデウスのやらかしたことです! わたくしは美食家(エピキュリアン)ではありませんっ」


 顔を真っ赤にして叫ぶ。事実、イデアは蓮の作る雑な料理に文句を付けたことはなかった。


「いつもレンに任せっぱなしでしたから、お料理を覚える良い機会だと思ったのです」


 文献にある倨傲(きょごう)なソロモン王のイメージは、アスモデウスの要素が大きいようだった。本人は物静かな学者タイプに思える。


「苦手な食べ物があるかね?」


「わたくしの国では、爬虫類と豚は食べません」


 文化と信仰の差だった。手順を覚えようと真剣そのもののイデア。詠も楽しみながら調理を教えている。


「なんていうか、堕天使とか悪霊とか忘れるぐらいほのぼのした光景だな」


 キッチンが2人に占領されたので、所在無げに食器やコップの準備をする蓮。

 いつの間にか黒猫バエルは起き出し、イデアと詠の料理風景を見物している。


「……そう。これが紙塩と呼ばれる伝統的な調理法だ」


「待て、えらく高度なもの教えてないか?」




「おいしい!」


 イデアが目を輝かせる。お世辞ではなく、煮物は旨かった。


「古代イスラエルでは、温かいものを出すのが礼儀なのだろう? 刺身より煮物と思ってね」


 詠も得意顔である。


「蓮の料理もそうでしたが。この時代の食事は、全体的に柔らかいものが多いのですね」


 里芋を食べながら言う。


「そういえば、古代イスラエルの料理ってどんななんだ? 気候的に豆類が中心かな?」


 既に出汁(だし)を使う習慣があったと聞いて、蓮は驚いたことがある。


「そうですが、工程や味は現代の方がずっと複雑です。甘みを出すために、スープにフェンネル粉やクミンなど入れてました」


 フェンネルはせり科の多年草である。


「エンマー(古代)小麦のパンに蜂蜜やチーズも定番でしたわね。酢漬けの野菜も」


 懐かしそうに言う。


「香辛料はあったと聞いたことがあるのだがね」


 詠が食事を終えて言う。小食だった。


「はい。クローブをふんだんに使った料理が好みでした。あの刺激が頭を活性化させる気がして」


 ソロモン王は香辛料好きでも有名である。


「香辛料目当てにシバの女王と結婚したぐらいですもの」


「待て、聞き捨てならないことを聞いたぞ賢者の王」


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