伏木京暗躍
旧道からも外れた場所にある築40年の雇用促進住宅は入居者が絶えて久しい。人目につかないのをいいことに、いつの間にやら暴走族のたまり場になっていた。学校の通達や町内の回覧板で、日が暮れてから近寄らないよう警告している有り様で、地価の下落と治安を悪くするのに一役買っている。
今日屯しているのは5人。最近この界隈にのたくりだした少人数の暴走族“黒亜闘”メンバーだった。
集会と言っても特に何をするでもなく、思い思いにタバコをふかしたり、実のない会話に花を咲かせている。
そこに、スーツ姿の男が1人入っていく。
促進住宅の中庭は緊迫した空気に包まれてた。立っている影は3つ。
40代でオーダーメイドのスーツを着た男を、暴走族の数人が取り囲んでいる。構図だけならば袋叩きに遭っているようにしか見えない。
だが、真実は真逆だった。
「ひ、ひいっ!」
暴走族の男が逃げ出そうと背を向ける。その頭部が凹んだ。
ぐじゃり。音を立てて男の姿が消えた。足元に血だまりができる。一瞬のうちに叩き潰されて姿さえも残らない。こうして出来た血だまりが既に4つ。
残されたリーダー格の男は、脂汗を流して震えていた。
「鹿沼さん、喫煙は感心しませんねえ」
4人を屠っておいて、場違いな注意をする伏木。
一回りは年下の相手をさん付けで呼ぶ。
「お、お前もかよっ?」
「堕天使がついてるのかよ?」という語尾は恐怖に拠って省略された。
鹿沼は相手も契約者であることを悟った。鹿沼はつい最近、黒亜闘を旗揚げした。動機は堕天使の力で好き放題したい、という身勝手なものである。
「僕にはかわいい息子がいましてねえ。人生の先輩として手本となるような生き方をしてほしいのですよ」
場違いな説教を始めるあたり、「ふしぎさん」の面目躍如といったところ。
『戯けたことを言いおる』
呟いたのは、70に届こうかという老人である。長い髭に威厳のある顔立ち、のはずなのだが、現在は覇気なくだらけきっていた。
「おや、僕は大真面目に言ったのですが」
頬杖をついた老人の姿は伏木にしか見えていない。
『勝手にせい。儂はなんもやる気がせん』
伏木に取り合わず、大あくびをして目を閉じてしまった。
「理解は得られませんか。おや、失礼。会話が止まっていましたね」
放っておいた鹿沼に謝罪する。伏木は両手の親指と人差し指で長方形を作り、鹿沼の周りを覗き込んだ。
「やはりいましたね」
鹿沼の背後に、隻眼の角馬を見つける。
「角のある馬。アムドゥシアスさんですかねえ」
序列67位の堕天使、アムドゥシアス。あらゆる楽器の演奏、歌唱、舞踏の才能を授けてくれる。音楽に携わる者垂涎の堕天使だが、今回はなぜだか音楽に縁も所縁もない鹿沼を契約者に選んだ。
指の窓を解く。
「鹿沼さん、対立していた走り屋チームを壊滅させましたね? 困るのですよ、そのように力を悪用されると」
表情は笑顔だが、細い目の奥は笑っていない。弱小チームを率いる鹿沼にとって、戴紅蓮はずっと目の上の瘤だった。
「お、俺の勝手だッテ!」
鹿沼は後ずさりして、壁際まで後退する。
「しかも、族仲間に魔術のことを自慢していた。そんなことをされては、真面目に生きてる善良な市民が迷惑するのですよ」
つい今しがた、4人を惨殺した男が涼やかに言ってのける。
――殺されるッテ!
取り巻きは殺しておいて、本命を見逃す、などとは思えなかった。壁沿いに植えてあった樹木を盾にする。
「もう逃げ回るのはやめにしましょう。僕、仕事中に抜け出している身でしてね」
「うるせえッテの!」
鹿沼が朽ちかけた銀杏の樹に触れると、枝を震わせて動き始めた。
植物制御の魔術。アムドゥシアスが芸術分野以外に与える魔術である。地面を突き破って根が飛び出し、男に巻きつく。枝を鞭のようにしならせて打ち付けられた。
対立していた暴走族も、月例暴走中に街路樹を動かして大事故に巻き込んでやった。
だが今回の手合いは、無警戒の徒ではない。はずなのだが、殆ど無抵抗に枝に捕らわれた。
「よ、よーし逃がさねえッテ!」
枝でぐるぐる巻きにして締め上げる。
「せっかくヘンリー・プールで仕立てていただいたスーツがシワだらけになったじゃないですか。それにボロボロの老木をムリヤリ動かして、可哀そうに」
男はどこ吹く風である。
「うるせえっ、口から内蔵はみ出してくたばれッテ!」
枝が男を強烈に締め上げるに先んじて。伏木の身体から炎が噴き出した。尋常でない火力は絡みつく枝をさかのぼり、樹を紅蓮に染め上げる。朽ちかけていた銀杏の木は、消し炭へと変貌した。
「ああ?」
焦げ臭さと炭を振り撒く樹を眺め、鹿沼は呆気にとられる。手下を潰した魔術。堕天使の存在を看破した魔術。そしてこの火力。
「僕の相棒は気前が良くて」
鹿沼の心中を見透かして伏木が言う。
『抜かせ』
答えたのは鹿沼でなく老人である。
「おや? 起きておられたので?」
老人は燃える樹を眩しそうに手で遮った。
『大袈裟に松明など焚きおって。眩しくて寝ておれんわ』
不満げに起き上がる。
「あ、ああ……助け、助けて……」
手近に植物がなければ、鹿沼にできることは命乞いだけだった。
「そ、そうだ! じしゅ、自首するッテ!」
妥協案を持ち掛けるも、
「いえ。現刑法ではあなたを裁く術はありませんから」
すげなく撥ねつけられた。
「だから、僕の望みは1つしかないんですよねえ」
公僕でありながら、交渉の通じる相手ではなかった。
「ひ、ひいっ」
逃げ出そうと背を向けた直後、鹿沼は血溜まりとなって消えた。
「さて、そろそろ帰らないと」
服の埃を払う。ふと疑問が湧いて、“窓”を作った。アムドゥシアスと目を合わせる。
「失礼。貴方は大変人気の方とお見受けします。どうして鹿沼さんのような人材を選んだのでしょう?」
100年先まで語り継がれる傑作が作れるなら、魂など喜んで投げ出そうとする芸術家は星の数ほどいるだろう。だがアムドゥシアスが選んだのは、芸術に何の興味もない鹿沼だった。
『匹婦の断末魔は極上の音色だ。これでまた名曲が生み出せるというもの』
角馬は1つしか備えていない眼を愉悦に歪ませた。彼は悲惨な末路を辿る愚者を敢えて選ぶことがある。
「まったく、良い趣味とは言えませんねえ」
そこで、スマホが鳴った。
『どこにいるんっすか、巡査部長! てっきり仮眠してるとおもったのに!』
電話は後輩からだった。
「すみません、坊崎さん。外の空気が吸いたくなりましてねえ」
『四条課長にバレる前に帰ってきてくださいよ』
「はい、そうしましょう。今から帰れば3時間は眠れますからねえ。お詫びに1時半からの警戒電話(テレビ局に通達する事件事故の有無)は僕が引き受けます」
言って通話を切ると、男は5ナンバーのセダンに乗り込んだ。




