アイン・ソフ(無限の本質)
デカラビアはバエルを見ると露骨に嫌な顔をした。
『邪魔するにゃ、単眼公』
『邪魔をする自覚があるなら敷居を跨ぐでない』
「大人げないこと言うなよ、狭量ヒトデ」
窘める。文句は言いつつも、デカラビアは妨害などはしなかった。
「堕天使同士ってもっとこう、連携とか連帯感とかあるのかと思ってた」
『キサマはアレか? 同じクラスだからといって全員と仲良くしておるのか?』
「……うん、俺が間違ってたかも」
友人どころか、会話した級友すら数えるほどしかいない。
「考えてみりゃ、ずーっと1人でゲームばかりって、典型的なコミュ障の陰キャだな」
『世界中でキサマにだけは言われたくないのである』
やはり似た者同士と言えた。
コンビニで買ってきたキャットフードを皿に盛る。黒猫バエルがそれを平らげる様は、普通の猫と変わりない。
「ホントに堕天使なのに実体があるんだな」
健啖なバエルを見て漏らす。
「バエルは多重存在……有り体に言ってしまえば“存在する場面の数だけ実体を持つ”性質なのです。ハルファスのアティルト界に存在していたのも、偶然ではないのです」
「う、うーん?」
ソロモン王がこの時代に飛ばされた場に“居合わせた”のも必然である。それを理解していたからこそ、黒猫が計ったように玄関先にいたことにイデアは驚かなかった。
「翻って、“この世界この場所にバエルが存在していなければおかしい”という逆説的な……」
「?????」
傾いた首が90度を超えた。
『コヤツのおつむで高次の魔術講義は消化しきれんのである。脳ミソがバターになるぞ』
デカラビアの言葉に素直に頷く。
「うん、ギブ。実体がある、って認識だけしておく」
理解できないことを理解しないままで捉えるあたり、蓮は柔軟と言えた。
『ここが良い。ここでひと眠りするにゃ』
黒猫バエルは自分の話題もどこ吹く風で、蓮の膝の上で丸くなる。
「ここ! ここに座りなさい!」
イデアが自身の膝をぽんぽんと叩くが、猫は取り合わない。猫を「真のペット」と言う国柄だけに、猫は好きらしい。
『そんな薄く細い枯れ枝の上で落ち着いて寝られにゃいのだ』
「まあ! 不敬な!」
猫相手に言うことではない。蓮はバエルを撫でてみる。艶やかな黒い毛並みは、触れてみると普通の猫と変わらない。
『今の食い物と膝枕が気に入った。暫く厄介になるにゃ。先の供物を毎日供ぜよ』
言うだけ言うと、目を閉じて寝息を立て始める。
「気に入ったのか、あれ。噂には聞いてたけどホントに猫まっしぐらだな」
スティック状のペットフードを眺める。
『下僕のように扱うでない。そやつは余の大事なカネヅルであるぞ』
寝顔にエキサイトしているヒトデ。バエルはデカラビアとの「同居」は苦にならないらしい。
「せめて契約者って言ってくれ、生々しい」
噓は云い辛い、デカラビアの言だった。
「話を聞くに、イデアとバエルの“カアナンの王”には違いがあるみたいだな」
そして、イデアはバエルの言うところの「カアナンの王」の条件を満たしていない。古代イスラエル王国時代には満たしていて、契約していたにも関わらず、である。
「国を喪ったから、“王”ではなくなったいうことでしょうか……」
イデアが暗い顔になる。黒猫は答える気がないようで、寝入っていた。
――血統による統治を鼻で笑ったバエルが、国の有無で王を認定してる、ってのも妙な話だけど。
蓮は違和感を抱く。が、この場はイデアを励まそうと、努めてポジティブに考えようとする。
「でもさ、契約できなくとも、バエルがこの家にいてくれるだけで最強のボディガードになるんじゃないか? なんたって実体を持つ序列1位だ」
ソロモン王ことイデアを恨んでいる堕天使たちも、バエルがいるとなれば――たとえ契約していないとしても――手出しを控えるかもしれない。
肯定前提で発した質問に、なぜか少女も海産物も押し黙る。
「あ、あれ?」
「バエルは実体を持ってはいますが、黒猫単体では大した力を発揮できません」
言葉を選ぶように説明する。蓮はネットで検索し、バエルが猫、カエル、人間の姿を持つ異形の堕天使であることを確認する。
「バエルが十全に力を発揮するためには、依り代を3つ必要とするのです。3位制の反存在なので」
後半は、神学に疎い蓮には理解できなかった。
「いまのままだと?」
『電気の通ってない冷蔵庫、ゲーム機本体のないカセットであるな』
「ただのインテリアじゃないか」
それが今のバエルであるらしい。
『逆に、“常に実体を持っておる堕天使”などという存在が、力まで無制限に発揮できたら塵界がどうにかなってしまうである』
「そりゃまあそうか。いろいろバランスが壊れそうだ」
蓮も納得する。
「要は、いまのままならただの猫とほとんど変わらないってことか?」
「はい。ですが依り代が揃うことはまずありえません。期待するだけ無駄でしょう」
蓮や時間跳躍したイデアは預かり知らぬことであったが、バエルがその条件を満たし、十全に力を振るったのは直近でも17世紀のセイラムである。現在より400年以上も前だった。
黒猫の頭を撫でる。
どうやら「バエルが本領を発揮することは極めて難しいようだ。それ以前に、契約すらも出来てない状態なのだが。
――指輪を失った王様に、力を発揮できない序列1位か。宿題ばっかりが溜まってく気分だ。
「とんだ張り子の猫だ」
密かに嘆息した。




