幕間:夢の診療室 ― 前世の痛み
白い壁。白い天井。
LEDライトの光が静かに診療ユニットを照らしていた。
レオは、白衣を着た自分の手元を見ていた。
手袋越しの感触、無影灯の熱、わずかな器具の反射。
──すべてが、懐かしい。
だが、それと同時に、胸の奥が締め付けられるような痛みも走っていた。
*
「……麻酔が効いてきたね。今から始めるよ。
もし違和感があったら手を挙げてね」
「……うん、大丈夫……」
かすれた声で返事をしたのは、十歳にも満たない少女だった。
痩せた身体。青白い肌。
顎のラインがどこかしら浮き上がって見えるのは、体重が足りないせいだ。
診療室の外では、看護師たちが忙しなく動いていた。
そのカルテに記されている病名は、この少女の命が長くないことを示していた。
──助からない。
──でも、いま“痛み”だけでも取ってあげられたら。
それが、レオのすべてだった。
*
歯科用タービンの高周波が、空気を細かく震わせる。
少女の身体がわずかにこわばったが、レオの声に導かれて徐々に落ち着いていく。
術野に集中し、最小限の切削で虫歯を除去する。
露髄の直前で止め、神経を傷つけないよう細心の注意を払った。
*
「よし、終わったよ。
今日は強めの麻酔を使ってるから、しばらくは痛みは出ないと思うよ。
でも、麻酔が切れたあとで違和感があったら、すぐ教えてね」
レオが椅子をゆっくり起こしながら声をかけると、少女はこくりと頷いた。
口を閉じ、軽く左右の歯でそっと噛んでみる。
もちろん、治療した側の歯には負担をかけていない。
*
「……へんな感じはするけど、もう“ずきずき”はないかも」
その言葉に、レオは少しだけ微笑み、胸を撫で下ろした。
*
「よかった。たぶんこのまま落ち着いてくれると思う。
お薬も出すから、おうちでちゃんと飲んでね」
「……うん」
*
彼女の表情は、ほんのわずかだがやわらいでいた。
それだけで、今日この時間に意味があったと信じたかった。
*
「せんせい……また、いってもいい?」
「もちろん。また、いつでも来てね」
*
だが、その“また”は訪れなかった。
数日後、彼女は容態を急変させ、入院先の病棟で息を引き取った。
最期は、母親の腕の中だったと聞いた。
*
……彼女は、笑ってくれた。
痛みを取ったあと、一瞬だけでも、安らぎの表情を見せてくれた。
それは、救いになったのだろうか?
自分は──あの子の命に、何かできたのだろうか?
*
世界が滲む。
歯の治療とは何か。
痛みを癒すとは、どういうことなのか。
命の灯が消えゆく中で、それでも意味があるのか。
*
「──もう、誰の痛みも……見逃したくない」
それは夢の中での、祈るような呟き。
そして、レオ=アーデルは目を覚ました。
*
外の空は薄明。
村の朝が、ゆっくりと始まっていく。
夢の内容は、すでに霧のように薄れていた。
だが、胸の奥の痛みだけは──確かに、残っていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
「歯科」と「異世界」、一見ミスマッチなようでいて、
実はかなり深く魔法とつながっている――そんな世界を描いていけたらと思っています。
本作では、ただの回復魔法では治せない“痛み”と、
それを癒す力を持った少年レオの成長を描いていきます。
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