第5話 旅立ちの決意と、教会の門前
その夜、レオは眠れなかった。
ミアの寝顔を確認したあと、灯を落とした診療所の一室で、天井を見つめ続けていた。
魔法学院へ行け──セラの言葉が、脳裏を離れない。
これまでの静かな日々が、あの言葉ひとつで揺さぶられた。
ただの村の治癒使いだった自分に、巡察官が「力がある」と言い、導こうとする。
それが光栄なのか、あるいは恐れるべきことなのか、答えは出ない。
「……ミア、俺はどうすればいい」
誰に聞かせるでもないその声に、返事はなかった──が。
「兄さんは、ちゃんと考えてるんだね」
背後から、静かな声。ミアが小さな毛布を羽織り、眠たげな目で立っていた。
「ミア、起きてたのか……ごめん、起こした?」
「ううん。兄さんの“考えてる声”、聞こえちゃった」
彼女はレオの隣にちょこんと座ると、ぽつりと言った。
「……診療所、閉めなきゃいけないかもって言われた」
「……そうか。そんな気はしてたけど……」
ミアは膝を抱えて、小さく頷いた。
「でも、私、平気だよ。兄さんがいなくても、ちゃんとやれる」
「何言ってんだ。お前はまだ──」
「違うの。そうじゃなくて……」
ミアはレオの手をそっと握った。
「兄さんの魔法、すごかった。すっごく痛かったのに、すっと消えた。体もぽかぽかして、魔力も巡ってるって感じがしたの」
「……偶然、だと思うけどな」
「違うよ。兄さんじゃなきゃ、できなかった」
その言葉に、レオは何も返せなかった。
すると──
「えへへ……感動のとこ、割り込んじゃって悪いっすけど!」
元気な声とともに、ふさふさの耳と尻尾がぴょこんと揺れる。
ルゥカが顔を覗かせ、その後ろからシロウもひょっこり現れる。
「ルゥカ……起きてたのか」
「そりゃ、兄貴が旅に出るって夜に、ぐっすり寝てられるわけないっすよ!」
シロウはくぅんと鼻を鳴らし、レオの足元に頭を乗せる。
まるで「行かないで」と言っているようだった。
「兄貴、あたしも……応援してるっす。あんたの“歯術”は、本当にすごいって思うっす」
「ルゥカ……ありがとう」
「それに! あたしとシロウで、ちゃんとミアを守るっすよ!」
「ルゥカ……ありがとう。お前たちがいてくれて、心強いよ」
その夜、レオの中で一つの決意が固まった。
* * *
出発から三日目。
山道を抜けたレオとセラは、ようやく街道へと合流した。
森の静けさの中、二人の会話は少なかったが、それはぎこちなさではなかった。
セラは寡黙ながら、必要なときには丁寧に説明し、レオの問いには真摯に答えてくれた。
「……本当に、俺なんかが学院でやっていけるんでしょうか」
ふと、馬の背でぽつりと漏らしたレオの言葉に、セラは手綱を緩めて返す。
「やっていけるかどうかは、君が“どう在りたいか”次第だよ。学院には二通りの人間がいる。自分を証明したい者と、自分を隠したい者だ」
「……俺は、何になるんでしょうね」
「さあ。でも、“今のまま”では、通れない道なのは確かだ」
風が吹く。
ふと、レオの脳裏にルゥカとシロウの姿がよぎった。
──あの時。
ミアの後ろに立って、尻尾をばたばたさせながら「絶対に無事で帰ってこいっすよ!」と拳を突き上げたルゥカ。
その横で、シロウが低く「ワン」と鳴いた。
彼らの無邪気な信頼と、微かな寂しさ──
その記憶が、胸の奥で温かく、同時に痛かった。
やがて、小高い丘を越えた先に、白銀の建物群が広がった。
「……あれは?」
「魔法教会本部の外郭都市、《グレア・ロゼ》だ」
セラの声は、少しだけ硬くなっていた。
整然とした石造りの街並みに、魔符を帯びた騎士たちが巡回する。
「ここでは、口を慎むこと。君の術についても、口外は避けるように。“未登録”の魔術は、それだけで異端とされる」
「未登録……」
「名を持たぬ術は、“現象”にすぎない。だが、それが“魂に触れる”ような力なら──教会は、見逃さない」
その言葉には、どこか苦さが滲んでいた。
セラ自身、それを何度も見てきたのだろう。
門前での手続きは淡々と進んだ。
セラの身分証が提示され、レオは《学院特例推薦見込み対象者》として仮登録される。
「推薦……俺、試験とか何も──」
「仮だよ。学院で実技と適性が認められなければ、取り消される」
「じゃあ……ちょっとだけ、気が楽になりました」
レオの言葉に、セラはくすっと笑った。
「そのくらいが、ちょうどいいわ」
陽が傾きはじめた頃、二人は再び街道を進み、学院のある丘の麓にたどり着いた。
明日には、いよいよエリュシア魔法学院へ。
レオの“学生”としての歩みが、幕を開けようとしていた。
夜。野営の焚き火のそばで、セラはふと空を見上げてつぶやいた。
「──“癒し”を恐れる世界で、あなたは何を選ぶのかしら」
その声は、焔の揺らぎにかき消されるように、静かに夜に溶けていった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
「歯科」と「異世界」、一見ミスマッチなようでいて、
実はかなり深く魔法とつながっている――そんな世界を描いていけたらと思っています。
本作では、ただの回復魔法では治せない“痛み”と、
それを癒す力を持った少年レオの成長を描いていきます。
もし気に入っていただけたら、ぜひブックマーク・評価・感想など頂けると励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いします!