第4話 セラ来訪
第4話:セラ来訪
「ん? めずらしいっすね……馬の音がするっす」
昼を過ぎた頃、診療所の奥で薬草を仕分けしていたルゥカが顔を上げた。
鼻がぴくりと動く。
「鉄と革と……うわ、これは教会の匂いっす。あたし、これ……覚えてる」
その瞬間、空気が変わった。
診療所の外に、馬の蹄音が静かに近づいてくる。
銀白の外套に、魔符の刻まれた腕章──
姿を現したのは、魔法教会の巡察官だった。
「……嫌な予感がする」
レオが低く呟いた次の瞬間、玄関の扉が叩かれた。
「レオ=アーデル。君だな」
扉を開けたレオの前に現れたのは、涼やかな顔立ちと鋭い眼差しを持つ女性。
だが、その冷静な佇まいは“敵意”ではなく、あくまで“観察者”のそれだった。
その一歩を踏み出した途端──
「兄貴、下がって!」
怒声とともにルゥカが飛び出した。
彼女の前には、シロウも鋭い唸り声を上げ、銀の毛を逆立てて立ち塞がる。
「この気配、絶対に間違いないっす……!」
ルゥカの目は、まるで獣のように細まり、セラを睨みつけていた。
女性は咄嗟に身を引き、外へ飛び下がった。
玄関口、三対一の構図──ルゥカとシロウがレオとミアを庇うように前に立つ。
「ずいぶんな歓迎ね……私はセラ=アルヴァ=グレン。魔法教会の巡察官よ」
「てめぇ、やっぱり教会の人間か……!」
ルゥカが唸り声のように呟いた。
その言葉には怒りだけでなく、震えるような記憶の色がにじんでいた。
「私はあなたに牙を折るような真似はしていないわ。まずは話を聞いて──」
「うるせぇ! あたしの牙を折ったのが“誰”だったか、忘れてねぇ!」
レオが目を見開く。
ルゥカは、獣人特有の鋭い犬歯──そのうち一本を失っていた。
「“神罰”だの“清めの儀式”だの、もっともらしい言葉で、あたしを地面に押さえつけて……牙を抜いたのは教会の奴らだ。お前も、同じ紋章つけてるなら同類だろっ!」
その怒気に、シロウまでもが低く唸り声をあげ、今にも飛びかかりそうになる。
「ルゥカ、シロウ! もういい。下がってくれ」
「でも兄貴、こいつらは……!」
「大丈夫だ。セラさんは今、誰も傷つけてない。少なくとも、僕が見る限りは」
ルゥカは唇を噛んだまま、震える手で拳を握った。
「兄貴が言うなら……一歩だけ引くっす。でも、あたしの目は、ずっと光らせとく」
シロウも、ミアの呼びかけにようやく牙を納めた。
だがその目は、決して油断を許していない獣のそれだった。
「……入っても?」
「どうぞ」
レオはセラを診療所へと迎え入れた。
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「君に、少し話があって来たの。先日、近隣の魔力感知石が異常な反応を示したの。三日前、正確な座標はこの近辺──なにか心当たりは?」
レオは一瞬息を呑む。
──あれは、ミアの歯を治療したときだった。
「妹の歯を治しました。でも……普通の回復魔法じゃなかった。自分でも、説明できない。ただ、“見えた”んです。魔力の流れが、絡まってて、それを……ほどいた」
「……“魔流視”、か」
セラの表情がわずかに揺れた。
「それ、知ってるんですか?」
「昔、存在したとされる“神の手”。魔力を織るように操り、人を癒した──いや、“治した”術者。教会にとっては、秩序を揺るがす異端だった」
その言葉に、レオはうつむいた。
“癒し”が、なぜ恐れられるのか──まだ、完全には理解できない。
「君のような力は、本来なら監視対象になる。でも、私は処罰しに来たわけじゃない」
「……え?」
「君に伝えに来た。学院へ行くべきだと。魔術の制御、術者としての在り方を学ぶ場所として──君は、すでに一線を越えてしまっているから」
「学院……」
「正式な資格を得れば、君は“術者”として堂々と活動できる。教会も、術を認めざるを得なくなるわ」
そして、セラはわずかに微笑む。
「もちろん、監視の意味もあるけどね。君みたいな“可能性”ほど、上の人間は怖がるのよ」
レオは、ふっと笑った。
「正直ですね、セラさん」
「嘘をつくのも、疲れるのよ」
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診療所の奥からミアの笑い声が響いた。
その音に、レオの緊張が少しだけ解けた。
「兄さまが罪人だっていうなら、わたしも一緒に捕まえてください」
ミアがぽつりと呟いた言葉に、セラの目がわずかに見開かれる。
「……家族って、強いのね」
その声は、ほんの少しだけ、震えていた。
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帰り際、セラはふとルゥカの方に視線を向ける。
「……あなたの牙に、何があったのか。全部は知らない。けれど──」
「けれど、あんたも教会の人間だろ? 信じないっすよ、そう簡単に」
「それでも、見ることはできる。痛みが、どれほど深いか」
セラのその言葉に、ルゥカはしばし沈黙したあと、ふいっと顔をそらした。
「……あたしの牙は折れた。でも、兄貴のは誰にも折らせねぇっす」
それは、“怒り”ではなく、“誓い”だった。
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「セラさん……また来てね」
玄関先でミアが言ったその言葉に、セラは背を向けたまま、少しだけ足を止めた。
「……楽しみにしてる。お茶、甘いのがいいな」
その背に、診療所の灯が揺れていた。
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──この少年は、何も知らずに越えてしまった。
だが、越えたその先で誰かを“救った”。
歯という、誰にも見向きもされない場所で、確かに命に触れたのだ。
(魔流視。白き刃。再来……)
セラ=アルヴァ=グレンの胸に、かつて救えなかった少女の涙が、今も静かに疼いていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
「歯科」と「異世界」、一見ミスマッチなようでいて、
実はかなり深く魔法とつながっている――そんな世界を描いていけたらと思っています。
本作では、ただの回復魔法では治せない“痛み”と、
それを癒す力を持った少年レオの成長を描いていきます。
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次回もどうぞよろしくお願いします!