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歯術師〜はじゅつし〜  作者: 白井刃人(しろい・はと)
第1章:歯の痛みと魔の兆し
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第3話 魔獣の悲鳴

ここ数日、王都から村に来ていた行商人たちの姿がぱったりと消えた。

南の森で魔獣が暴れているという噂が広まっていた。

目撃されたのはシルバーウルフ──それも通常の三倍はあろうかという、群れの長と見られる巨体の個体だったという。

王都からこの村へ通じる道は、南の森を通る唯一のルート。

森を避けるには大きく東か西へと迂回するしかなく、そこまでして訪れる商人はほとんどいない。

このままでは、村の物資が尽きてしまう。

村人たちは、日に日に募る不安に顔を曇らせていた。

* * *

その日の夕暮れ——

村の南から、鋭い叫び声が空を裂いた。

「魔獣が出たぞーーっ!!」

怒声とともに、鍬や棒を手にした村人たちが土煙を上げて駆けていく。

「おいおい、いきなりすぎるっす!」

診療所から飛び出してきたのは、ルゥカだった。

狼耳を揺らし、鋭い嗅覚と聴覚を頼りに森の方向へと駆ける。

レオも、騒ぎに引き寄せられるようにその後を追った。

茂みの奥に、その姿があった。

狼のような魔獣。

だが、その毛並みは乱れ、口元から泡を吹き、目は血走り、体には黒ずんだ斑点が浮かんでいた。

喉の奥から漏れる唸り声は、怒りとも苦しみともつかない、どこか哀しげな響きを持っていた。

村人が弓を引こうとした、そのとき——

「待ってっす!!」

ルゥカが前へ躍り出て、両手を大きく広げた。

「まだ撃っちゃダメっす! その子、怒ってるんじゃないっす……」

村人たちが戸惑う中、ルゥカはまっすぐに魔獣を見つめていた。

「……痛がってる。牙の奥が……ずっとズキズキしてる気配がするっす……!」

「ルゥカ、見えるのか?」

レオが並び立ち、問う。

「見えるっていうか……感じるっす。あの子、噛み締めるたびに痛がってるっす。奥歯が……たぶん……」

レオの魔流視が起動し、魔力の“しこり”が視界に浮かぶ。

左下の奥歯、その根元に、黒く脈打つ結節がある。

(……膿んでる。完全に炎症だ。神経まで届いてる)

「ルゥカ、俺が行く。君は村の人たちを頼む」

「了解っす、兄貴!」

レオは静かに前へ進み出る。

魔獣は唸っていたが、その足元はふらつき、戦う気力さえ失われていた。

レオは指先から淡い光を放ち、《共鳴診査》を起動。

痛みの波長をなぞり、魔力の震源と感覚を共有する。

魔獣の唸りが一瞬止まり、赤く濁った目に潤みが宿った。

さらに近づいたレオは、口元へそっと手を伸ばす。

「……もう、大丈夫。怖くない」

鋭い牙をかすめるように、魔力の糸をそっと歯と歯肉の間へと滑り込ませる。

糸は根元の黒く脈打つ塊に到達し、鎌のような形に変形。

歯にこびりついた黒い膿を絡め取り、さらに根の表面を丁寧に磨く。

ルゥカは、その手つきを見つめながらぽつりと呟いた。

「……ほんと、兄貴の糸って、きれいっすね」

最後に水魔法で歯茎を洗い流す。

血が滲むが、やがて止まり、魔力の乱れも収束する。

「よく我慢したな。もう、痛くない」

魔獣はレオをじっと見つめ、静かに背を向け、森の奥へと消えていった。

張り詰めていた空気が、ふっと緩む。

「……あれ……?」

「逃げた……のか?」

呆然と見送る村人たちの中で、ひとりの老人がぽつりと漏らした。

「……坊ちゃん、今……魔獣と、話してたのか……?」

レオは何も言わず、ただ静かに微笑んだ。

* * *

その夜。

森へと去ったはずのシルバーウルフが、レオの家の前に現れた。

「……戻ってきた?」

ルゥカが耳をぴくりと動かす。

「兄貴、あの子……家族になりたがってるっす」

魔獣は戸を開けたレオの足元を通り抜け、診療所の中に入ると、静かに横たわった。

その目には、確かな意思が宿っていた。

ミアがそっと顔を出し、ぽつりと呟いた。

「……おかえり」

* * *

翌朝。陽の光が差し込む縁側。

魔獣──いや、今や“元”魔獣の白狼は、レオの足元で寝そべっていた。

その毛並みは艶やかで、どこか人懐っこい仕草が、妙に愛嬌を感じさせる。

「……このままずっと、居るつもりかな」

湯飲みを抱えたミアがつぶやく。

「たぶんね。追い出されて、居場所がなくなったんだろう」

「でも……居場所なら、ここにあるよ」

ミアは立ち上がり、白狼の頭に手を乗せる。

「……名前、つけてあげなきゃね。“あの子”じゃ変だし」

ルゥカが背後からひょこっと覗き込む。

「じゃあ『バク』とか『フサオ』とかどうっすか?」

「変っ!」

ミアは即答してから、くすっと笑った。

「うん、決めた。あなたの名前は……“シロウ”。

白くて、ふわふわで、やさしそうだから……ぴったり」

シロウは首をかしげたあと、ミアの膝に顔をすり寄せた。

「わ、くすぐったい!」

「気に入ったっすね、それ」

レオも笑いながら少しだけ目を細める。

「……それにしても、不思議なやつだよな。何かが違う」

「うん。でも、いい子だよ」

ミアは額にそっとキスを落とした。

その瞬間——

シロウの瞳の奥が、ふっと淡く蒼く揺れた。

まるで、遠い記憶が呼び起こされかけたかのように。

だが、次の瞬間には、

「わふっ!」

と大きなあくびをし、尻尾をぶんぶん振ってルゥカの脚にじゃれついた。

「気のせい……か?」

レオは、ほんの一瞬だけ、そこに“神”に似た気配を感じた……気がした。

「こらこら、靴下かじるなっすー!!」

「だ、だめだよ! その子、まだ治ったばっかなんだから!」

「……全然おとなしくないじゃん……!」

「……でも、かわいいでしょ」

そう言って微笑むミアの声に、レオはふっと目を細めた。

神話によれば——神は、名を与えられることで世界に“居場所”を得る。

そしてその名は、忘れかけた本質を呼び覚ます“鍵”となる。

レオはふとそんな言葉を思い出しかけたが——

「わふっ!」

シロウが突然顔に覆いかぶさってきて、その思考はどこかへ飛んでいった。


──第五行政圏、フィンベル村南口の山道。

巡察官セラ=アルヴァ=グレンは、馬の手綱を引きながら緩やかな坂を登っていた。

王都を発って三日。

道中の村落をいくつか経由しながら、森と草原を越え、ようやく目的地の気配が届く。

遠くに広がるのは、素朴な木造の家々と、小さな広場、そして──中央の高台にぽつんと建つ、一軒の診療所。

「……あれが、アーデル家の診療所……」

書板に記されていた建物の輪郭と一致している。

過去に王都で認可を受けていた家系の名が残るが、今は無資格の治癒使いによって引き継がれているはずだ。

セラは馬を止め、鞍袋から小さな魔力計測器を取り出す。

細長い円筒状の装置を空へ向けてかざすと、微かに淡い反応が浮かんだ。

「……残留魔力……。術式の跡が薄く拡散している。しかも、これは……」

目を細める。

感知柱で捉えられた波長と近似する微細な“再構築痕”。

即ち、魔力の流れを“織り直した”痕跡。

「やはり……“精密干渉”系。しかも、術式の余波が深層まで届いていた」

通常の治癒魔法では生じない構造。

術者の感覚が、常人を超えている証拠。

「……想像以上かもしれないわね、レオ=アーデル」

セラは一度、目を閉じて風の音に耳を澄ます。

春の風。やわらかい草の香り。

だがその奥に、ほんのわずかに混じる“澱み”の気配──魔力の乱れとは違う、何かの「余波」。

(誰かが、この土地の魔力を……“再調律”した?)

村は静かだった。

だが“静けさ”は、時に異物の痕跡を覆い隠す。

「歯術が、再び地上に現れる……そんな兆しだとしたら──」

セラは馬の手綱を引き直し、村の入り口へと歩き出す。

この先で待つのは、おそらく“境界を越えかけた者”。

(私が、見極めなければならない)

巡察官として。

そして、かつて“それを恐れた”者の一人として。

風が、彼女の外套を静かに揺らしていた。



ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

「歯科」と「異世界」、一見ミスマッチなようでいて、

実はかなり深く魔法とつながっている――そんな世界を描いていけたらと思っています。


本作では、ただの回復魔法では治せない“痛み”と、

それを癒す力を持った少年レオの成長を描いていきます。


もし気に入っていただけたら、ぜひブックマーク・評価・感想など頂けると励みになります!

次回もどうぞよろしくお願いします!

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