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8.香しくは紅茶


 扉を開けてくれたアイリスは、昨夜の様子よりも、知っていた姿に近かった。装飾品をすべて取り払い、簡略に結われた髪と制服と同じ色であるグレイのスカートが効果的。


 目覚めた瞬間から、気持ちは午後に飛んでいた。懐かしい友達と、語り合うお茶の時間。注ぐ日の光は白く眩しく、夜の灯火よりも自分たちに似合っているように思える。


 けれど奥様然とメイドにお茶を言いつけるアイリスの様子を見れば、太陽に止まっていたのは自分だけかもしれない、などと苦い笑いも。


 年齢を考えたなら、割合は半々だろう。そして世間的に望ましいのは、アイリスの立場の方なのである。


 窓の側に設えられた席に着き、メアリーアンは光を浴びて少しだけ考えた。わかってはいるのだから、良しとしよう。

 親戚連にもこの程度で、自分については辛抱していただけ――たなら良いのだけれど。


「昨日は遅かったのかしら。睡眠不足なんじゃない?」


 高く上る紅茶の薫りに、インドという名が浮かんできた。アイリスが過ごしていた土地の名だ。


 夢のかけらも頭をよぎる。また会いましょうの約束が、今日この場にと繋がっていたのだと思えば、時間が縫い合わせられたような感覚が湧く。

 目の前の笑顔を併せ、何か不思議な心地が続いていた。


「あのあと少しして帰ったわ。あなたに会う前から、帰ることばかりを考えていたんだもの。旦那様と同じように、私もああいう場所は好きじゃないの」


「ああら。苦労しているような顔で言うのね。熱い羨望の視線を集めていながら」

「羨望? て」


「カーストンのジェラルド様よ。親しくしているのね、メアリーアン」

「いいえ、ちっともっ」


 大きな声だった。カップの紅茶が波打つほどの。扉の側にひそりと立った、メイドの肩も、一瞬震える。


「クリスの友人だけれど、その関係も断ち切らせようとしているところなの、私は」


 けれど成功は兆しすら遠い。昨日も彼らは二人で出かけて行ったのだ。夜の夜中の魔境にと。

 憮然とした表情でフォークを握るメアリーアンに、アイリスはにこにこと微笑みながら、


「クララ伯母にいろいろ聞いたのよ。あの時、私を呼んだかなり太目のご婦人の片割れだけれど。もう一人がユージェニー。ラッセンディルの魔女は双子なの」


「優しい伯母様方なのでしょ? 違う?」


「それはそれは素敵な、よ。その二人に次には私が質問攻め。我らがジェラルドと一緒にいる娘は何者だと大騒ぎだもの。これからは気をつけた方がいいわ、パーティでは死角も多いから、一人にはならないようにして」


「もう。顔が整っているのは認めるけれど、どうしてそんなに騒ぐのかわからないわ。あの人、変よ?」


「ジェラルド様を変な人だと知ることができるほど、みなさんは側には行けないのよ。そこまで考えて行動しなくちゃ。あなたって昔からそういうところが短慮なのよね、つまり自覚が足りないの、かあるいは美意識が落ちているか」


「落ちて……いないとは思うけど、断言するには引っかかるところがあるわ。自覚が足りないの方に頷くのはイヤだもの。クリスのことを言っているんでしょ? アイリスは」


「もちろん。伯爵様のお話よ」


 父とのケンカ話に続いて、これも『また』をもって語られる事柄なのだろう。『昔から』、昔にも、アイリスに言われたことがある言葉、『短慮』。


 つまり、クリストファーの姿が巻き起こす先を、まるで予想していないのか? ということなのだ。結果、自分にぶつかる波のことを。


 まるで成長せず、年月を無駄にしているみたいだ。結局、忠告も無駄にしているみたいではないか。


「昨日はお見かけしなかったわ。残念。いらしていたでしょ? 伯爵もお元気?」


「えぇ、とても元気よ。時間が取れるなら、ぜひローダーディルを訪ねて欲しいわ。クリスもそう言っていました」


「覚えているのかしら、私のことなんて」

「覚えていたわよ。私の友達だもの」


「相変わらずの仲良しなのね。あなたたちって不思議だわ」


 アイリスの目は驚きと感心に丸くなり、それから笑いに細くなった。

 そして秘密を語るように、声を顰め、


「私、あの頃、あなたが羨ましかったのよ」

「私が? どうして」


「伯爵がよく面会にいらしていたじゃない。学校を出たらすぐにでも結婚するものだと考えていたから」

「だって、アイリス。私たち、いとこ同士なのよ」


「だからこそよ。あなたに会いにロンドンから駆けてくる伯爵様に、私はそんな夢をみていたの。みんなと一緒に応接室を覗いたものだわ。台にするために、桶をひっくり返して積み上げて」


「そんなことをしていたの?」

「エレノアなんて木にも登ったわよ。応接室の横の林檎の木」


 エレノア・ジョーンズ。彼女は誰より身が軽く、木に限らず登りモノでは主役だった。


 普段は思い出すことのない昔の友人が、衝立の向こうから姿を現す。まるでずっとその場所で登場の機会を待ち構えていたかのように。


 きっかけにして話は懐かしい彼女たちがどうしているか、に移っていった。鎖のように次々に名前はずるずると現れる。


 首都ロンドンでの暮らしを続けてはいたものの、生活階級にズレを生じさせていたメアリーアンと、階級はそのままに、けれど遠い土地に暮らしていたアイリスの、情報量は並べてほぼ同量程度。


 セーラとアンがハスケル家の双子とそれぞれ結婚したこと、ジェニー・モントローズの療養生活、メリー、ビアトリス、プリムローズにハイアシンス、そしてヴァネッサ……。


 寮のフロアをほぼ一巡し驚き笑いあった後、当然のように話題はそれにと戻されていた。アイリスはよほど、()()()()を気にしていたのだとみえる。

 

 ()クリストファーとはどうなのか、と尋ねられ、メアリーアンは肩をすくめて、


「今も昔も、そんな話は私たちにはないわ。クリスが私を大切にしてくれるのは、私があの人と同じものを知っているからなのよ。それで私たち、時々会わなくてはならなかったの」


 失われた愛する人物を、失わずにいる為に。少年と少女は、互いの話を必要としていた。

 大人たちの間で口の端にのぼらせることの難しくなっていたかの人の思い出を、二人は二人だけで語り合っていたのである。


 それは今でも同じように続けられている。語りつくされることのない深い思い出が、枯れることなくいつまでも在った。


『まだ』同じように。

 こちらの『まだ』は、胸を張って言える事柄だろう。


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