恐かったな、よく頑張った、お疲れ様
一週間以上たってしまった。なるべく3日に一度は上げたい。
お喋り回。
「新しい仕事部屋を用意していますので私物は全て移動させて下さい。スケジュール表も届けさせますのでそれを受け取ったら今日はお帰り下さい。あ、勿論、このことは内密にお願いします。それでは私はお先に失礼します。犬飼、後はよろしくお願いしますね。」
「承知した。…先程先方から返答があった。部屋に置いているから見てくれ。」
「わかりました。ありがとう。」
社長が耳打ちしてきた犬飼の頬をするりと撫でた。犬飼も当たり前のように受け入れている。降ろされた指を名残惜しげにそっと触れると直ぐに離れていった。
社長が退室していくのを見送り、犬飼に連れられて俺達も部屋を出た。長い廊下を歩いている間世間話でもと最初から気になっていたことを話題にだしてみた。
「犬飼、お前さん随分社長と仲がいいな。気安いというか。一般的な秘書と社長の仲なんざ知らんが、四六時中一緒にいると親密になるものなのか?」
「それ俺も思った。普通部下が上司を名前呼びしねえだろ。タメ口もありえねー。」
「それを言ったらお前もだろが。少しは礼儀を備えてこい。」
「おい。頭に腕を乗せるな。重い。」
「あっごっめーん!丁度いい高さに合ったからつい置いちゃった!肘掛けくん!」
「誰が肘掛けくんだクソ天パ。」
「天パじゃありませーん。オシャレでーす。」
「誰が肘掛けくんだクソ。」
「シンプル悪口よくない!」
「お前ら話進まないから永遠に黙っていてくれないか?頼むから。」
「一般的な関係など私も知らんが、私と福来は学生時代からの付き合いだからな。あまり上下関係は意識したことがない。友人として互いに接しているからそれが親密に見えるのだろう。他意はない。」
「スルー!?流れ全部スルー!?お前だけ別窓で会話してる!?チャット別グループだったりする!?」
「お前は一々話の腰を折らないと喋れないのか?」
「存在がギャグみたいな奴だから仕方ないんだ。可哀想な奴だから放っておいてやれ。」
兎原と2人で残念な奴を見る目を向けると山田がギャーギャー騒ぎ始めたが全員無視して話に戻った。
「学生時代からの付き合いならば犬飼と社長は同級生か?社長は今年30歳…ということは俺達より年上なのか。」
「…見えないな。社長もそうだが犬飼は更に若く見える。」
「確かに化粧薄いのに肌綺麗だよなー。シワもシミも無いし、さては高いケア化粧品使っているな?高級エステにも定期的に通っていると見える。でなければその年齢でその肌艶はあり得ない!」
「お前はナチュラルに全方面に失礼だな…。」
「女と付き合ったこと無いくせにな。」
「童貞なのか貴様?」
「どどど童貞ちゃうわ!!経験しとりますーっ!舐めんな!」
「必死すぎて逆に怪しいぞ。」
「違う!違うからな!兎原!俺はちゃんとした大人の男だ!!」
「わかった!わかったから揺らすな!脳味噌が撹拌される!!シャッフルされてる!!」
勢い良く前後に揺らされ目を回す兎原を横目に犬飼が目を細めた。
「愛している者と心を通わせるのは難しいことだ。その者に操を立てるのも1つの愛。童貞なのは別に恥じることじゃない。それと私は飛び級、福来は留年した関係で年は4つ離れている。だから貴様らより年下だ。」
「飛び級?海外に住んでいたのか。」
「大学までは中国に住んでいた。着いたぞここだ。」
そう言って黒い機械的な扉の前で立ち止まりカードキーを読み込ませた。軽い電子音と共に扉がスライドする。中は別室に繋がる2つの扉と5つの机、天井からぶら下がるモニターあるだけのだだっ広い部屋だった。窓がなく閉鎖的だが半分以上が埋まっていないのでかなり広く感じる。机の内3つにはダンボールが置いてあり、中は先程渡された装備だった。底が黒く湿っているのが生々しい。
「明日からはここに来い。急な事だったからまだ設備が整っていないが一週間もすれば一通りは揃うだろう。それまでは実地訓練と情報収集中心に行う。」
「急に?計画的に行われたものじゃないのか?」
「否、三日前にプログラムが盗まれたのを知ってダンジョン事業に参戦することを決めてな。技術提供だけのつもりだったのにこんなことになるとは、困ったものだ。」
肩を竦める犬飼は、しかし言葉ほど困っているようには見えない。大学時代からの付き合いだというし、社長の急な方向転換には慣れているのかもしれない。馴染みというのはそういうものだしな。
カードキーは個別番号が振ってあり個人情報と結びつけてあること、貴重品は鍵がかかる引き出しに入れること、鍵を紛失した場合は直ぐに報告することなど注意事項を説明されている時、軽い電子音を立てて扉が開いた。入ってきた男は長い前髪で目元を隠した姿勢が悪い男だった。しかし猫背で分かり難いが大分ガタイがいい。ゆっくりした足取りで僅かな音も鳴らさず移動する様は巨大な肉食動物を思わせる。
男は抱えていた荷物を空いている机に置いてその中から資料の束を犬飼に差し出した。
「失礼します。スケジュール表、お持ちしました。それとコレも。」
「早かったな、助かるよ牛尾。丁度いい紹介しよう。秘書課の牛尾だ。ダンジョン事業については私と牛尾ともう一人馬頭という男が担当する。何か要望があれば私達に話せ。」
「…牛尾観音と申します。設備の手配やダンジョン事業の窓口を担当しています。貴方方のサポートも自分の担当なので不明な事があれば自分に聞いてください。」
初めて見る顔だ。低く少し掠れた声も聞き覚えがない。秘書課にこんな奴いたか?秘書課に出向くことは多くないが少なくもないし、秘書課は人数が少ないから全員と顔を合わせるぐらいはしたと思っていたが。もしかしたら隅っこにいたのに気づかなかったのかもしれないな。影も薄いし。
「初めまして兎原雅和です。サポートしてくださるとはありがたい。何分初めての事だらけなので色々頼りにすることが多いと思いますが、これからよろしくお願いします。」
「山田一虎でーす。兎原同様にご迷惑おかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いしまーす。」
「藤沢辰貴だ。よろしく頼む。」
兎原がにこやかに対応し、山田と俺も適当に挨拶する。山田の間延びした挨拶にも特に反応することなく、牛尾は一度頭を下げると直ぐに部屋から出ていった。どうやらあまり愛想がいいタイプではないらしい。
「無愛想な奴だが仕事はできる。ダンジョン外の業務中心だが場合によっては貴様らと組む事もあるだろう。コミュニケーションは取っておけ。明日は軽い体力テストとバイタルチェック。その後ダンジョン内で慣らすための実地訓練だ。更衣室はそこ。スーツはクリーニングが終わっているから着替えてから帰れ。そのジャージは支給品だ。好きに使え。持ち物や詳細はスケジュール表に記載しているから各自確認しろ。私物移動したら帰っていいぞ。お疲れ。」
そう言って犬飼が資料の束を抱えて足早に出ていった途端に空気が弛緩し各々自分に充てがわれた机に突っ伏した。誰からともなく低い呻き声が漏れ出る。疲れた。今まで若干興奮状態にあったためか感じられなかったが、疲労が溜まっていたらしい。暫く無音状態が続く。やがてのそりと兎原が起き出し牛尾が持ってきた荷物から自分のスーツを取り出すと更衣室に入っていった。その背中をぼうっと見送っていたが、俺も着替えようとスーツを掴んだ。どうせ男しか居ないんだからここで着替えてもいいだろ。更衣室まで行くのも面倒くさい。
俺達が着ていたスーツはあの汚れが嘘のように綺麗に洗浄され、おまけに裾の解れも直っていた。まるで新品のようだ。この短時間で良くもここまで綺麗にできたものだ。実は買い替えましたと言われても疑わないぞ。
そんな事を思いながらのろのろとジャージを脱いでいると山田がゾンビみたいな声を上げた。
「ぶーじーざーわあああぁぁぁ。」
「うるせえぞ雑魚ゾンビみたいな成りしやがって。眉間に一発打ち込んでやろうか。」
「ふじさわー…。」
「なんだよ。」
「ふーーーしーーーさーーーわーーー。」
「だからなんだって、」
「たつき。」
思わず振り返ると山田は机に突っ伏したままだった。隠れるように腕で頭を抱えて、縋るように俺の名前を呼ぶその姿が幼い頃のこいつそのままで。あの日も確か俺を呼んでいたっけ。
弱々しい声で、たつき、と。
「死んだと思った。」
「…生きてんだろ。」
「…。」
素っ気なく言ってやれば押し黙り、更に小さく体を丸めた。恐怖から逃れる為に小さくなる癖は相変わらずだ。シーツに包まったり、机の下に隠れたり。そんなんで逃げられるわけないのに。
シャツのボタンも中途半端のまま、乱暴に頭にジャケットを被せて震える体を抱き込んだ。頬を擦り付けるように顔を寄せて優しく囁く。
「一虎。」
返事があるまで。落ち着くまで。一虎、と呼んでやる。
一虎、一虎、かずとら、かずとら。
図体ばかりデカくなっても、心は何時までも変わらず幼いまま。温もりが恋しくて泣いていたあの時と変わらないまま。恐怖に怯え震えていたあの日のまま。血溜まりの中俺に縋りつくしかなかった弱い心のまま。
俺の弟のまま。
「一虎が恐くなくなるまで、一緒にいてやるから。」
「…うん。」
俺を探す指をそっと握りしめてやると体から力が抜けるのがわかる。そうして俺は落ち着くまで、山田一虎に戻るまで、そのまま一虎を呼び続けた。
打たれ弱いのです。だから守ってあげなくちゃ。
何から?
世界から。