それら全てが排水口に流れてくれるわけじゃない
今回は短め。これ以上書くとまた長くなってしまうのできりがいいところで一回ストップしました。
適温にセットされたお湯が頭上から降り注ぎ汚れを流していく。温められて体から力が抜けていくのを感じ、自分が緊張していたことを知った。
「…すごかったな。」
「ああ…。」
「俺、暫く肉はいいわ…。」
「ああ…。」
隣で同じくシャワーを浴びている兎原に適当に相槌を打つ。悪いが暫くまともな返答をする気力もない。会話はすぐに途切れた。水が床を跳ねる音だけがシャワー室を満たす。血が排水口に流れていくのをぼうっと見送った。
このシャワー室は社長が会社に泊まり込む際利用する場所らしい。社長室と同じフロアにあるのでほぼ社長と犬飼専用になっているのだとか。中も豪華なのかと思えばそんなことはなく、シャワーブースが2つ、カーテンで仕切られているだけのごく単純なものだった。その2つは俺と兎原で使用している。山田は今、ここにいない。
猪に正面から突撃された山田は呼吸は安定していたが意識が戻らないということで直ぐに治療室に運び込まれた。後から気づいたことだがあの猪はかなりの巨体だった。ピンク色の体毛と蹄がなければ熊だと判断していただろう。そして口からはのこぎりのような歯が覗き額からは2本の鋭い角が生えていた。これが体に直撃していたらと思うとぞっとする。幸い山田は鼻先にぶつかった衝撃で吹き飛ばされただけだったようで脳震盪を起こして気絶しただけらしい。いやまあそれでも重症だと思うのだが。余りにもあの2人が淡々としているものだからこの一連の事件が何でもないことのように思えてしまう。そんなことはねえ。そんなことはねえんだ。だって今、さっき!山田は死にかけたんだぞ!
無意識のうちに俺は拳を振り上げていた。壁に新しくついた血が流れ排水口に吸い込まれていく。無性にムカついて水を蹴り上げた。
「あ”あ”あ”あ”っ!」
ああ。朝からイラつくことばっかりだ。課長の禿が眩しくて山田に喧嘩売られて呼び出されたかと思えば意味不明な話をされてしまいには汚物に塗れるはめになって。理解が追い付かない。言葉にならないどす黒い感情が出せ出せと腹の中を暴れまわる。頭が沸騰しそうだ。誰のせいだ?俺達が今こうなっているのは、誰のせいだ?誰の。
シャワーカーテンの向こう、視界の端にくせっけの髪が見えた。
「っ、」
「藤沢、大丈夫か?」
その髪は寄せられたカーテンの向こうに消えていってしまった。見ると隣でシャワーを浴びていた筈の兎原がカーテンを開けてシャワーブースに入ってきていた。感情にのまれてシャワーブースに兎原がいた事を忘れていた自分が嫌になる。
脳裏にちらつくくせ毛を振り払い不安そうに眉を下げている兎原に向き直る。いきなり怒鳴りだした俺を心配したのだろう。本当にいい奴だ。本当に。床にできた水溜りの中の俺と目があった。ああ、嫌だ。あの時と同じ目だ。
ぎゅっと目を強く閉じ、一拍おいて困ったような弱々しい笑みを兎原に向けた。
「…大丈夫だ。騒いで悪かった。」
「ならいいんだが…。あんまり無理するなよ。山田のことは心配だが幸い命に別状はないっていうし、まあ、今後のことは後々考えようぜ?」
「…。そうだな。」
努めて穏やかな声で宥めるように話しかけてくる兎原の声に俺も優しく笑みを返した。
「気を遣わせて悪かったな。ありがとよ。山田も待ってるだろうし、そろそろ出るか。」
ほっと息をつく兎原の肩を軽くたたき、俺はシャワーハンドルを閉めた。