・氷のフロドは何時如何なる時も笑わない
もしここで気持ちを伝えたら、彼を取り返しが付かない破滅の道に導いてしまうのかもしれない。私を渡せないとフロド様が決意をしてしまったら、どちらかが折れるまでの争いに発展する。それが縁戚関係で結ばれた大貴族や、外国の王家すら巻き込んでしまう可能性もある。
「ディシルッッ!!」
「ぁ……ダ、ダメ……。フ、フロド、様……」
驚きに私がベンチから立ち上がると、とても彼のものとは思えない荒々しい抱擁が私の胸をきつく締め付けた。フロド様は震えていた。氷のフロドとまで恐れられていた人が私にしがみついて再会に鼻をすすっていた。フロド様は涙を流していた。
私の方は元から涙で酷い顔だったのに、貰い涙でまた熱いものが吹き出してきた。私もフロド様に強くしがみついて、未来のことなんて頭から押しやって、もう1度会えたこの喜びを確かめ合った。
「ディシル、会いたかった」
「私もです、フロド様」
何もかもを忘れ、私たちは失ってしまった温もりを確かめ合った。帰ってきてよかった……。これが破滅の道だとわかっていても、こうしてここに戻ってきてよかった……。
それからしばらくすると、彼の方から緩くなっていた抱擁を解いた。
「しかしディシル、なぜ君がここにいる……? あちらで何か起きたのか……?」
「それは……従姉妹が助けてくれたのです」
今ここで本当のことを言うのは止めておいた。もしあの魔導機械の話をしたら、彼は2つの激しい感情を同時に抱えることになる。それは、私としてはあまり歓迎したくなかった。
「ディシル、俺は鈍い男だ。君を失ってから、やっと自分の本当の感情に気付いた! ヤツに君を渡すべきではなかった! 領地と君を天秤にかけるなど、俺は愚か者だった!!」
「そんなことはありません、フロド様はご立派でした。私も、あれが正しいと信じて疑いませんでした……」
私がフロド様に微笑みかけると、彼のこわばった表情がやわらいだ。けれど彼は笑わない。笑わないけれど、彼なりに笑い返してくれているような気がした。
「君に伝えたいことがある」
私だって同じだと言いたいところだったけれど、そこは我慢して彼に向かって静かにうなづいた。彼は私の前にひざまずき、真摯な目でこちらを見上げて、私に向けて手を捧げた。
この先にあるのは破滅かもしれない。それでも私たちはもう止まれない。捧げられた手に私も手を伸ばし、次の彼の行動を待った。
「ディシル・オト」
「は、はい……フロド・ヴィトニルソン様……」
「俺はもう、誰にも君を渡さない。君がいなければ私の人生は暗闇のどん底だ。領主の仕事も、あれだけ楽しかった研究も、仲間たちとの豊かなはずの語らいも、全てが無味乾燥な虚無へと成り下がった! 君がいなければ、俺はもう何一つ成し遂げられない!」
「私もです。フロド様のいない人生なんて、何をしても楽しくない……。私には貴方が必要です、フロド様でなければ、もうダメなんです……。私、私は……」
それが言ってはならない言葉だとわかっていた。もしそれを言ってしまったら、フロド様は止まらなくなる。彼はあまりに純粋な人間で、途中で志を捨てるなんてできない方だった。
「これを言ったら、私たちは破滅するかもしれません……。ですがそれでも、私は気持ちを伝えたい……。私はここにずっと居たい。ずっとずっと、フロド様とランディとみんなで暮らしたい! 私は、フロド様のことを愛しています……」
今度は私から、勇気を出して彼の胸に飛び込んだ。今度の彼の抱擁はやさしくて、大きな身体ですっぽりと包み込んでくれた。
「破滅? 破滅などさせない。俺たち2人でこの窮地を切り抜けよう。領主の目から見ればたかが男女の痴情のもつれかもしれないが、俺たちにとってはそうではない。この先どんな苦難があろうとも、俺は君を守り抜こう」
感激と申し訳なさに彼を見上げると、勘違いされてしまったみたいだ……。興奮で顔が熱くなっていたし、目元も腫れて赤い。そう勘違いされても仕方がない。されるのは嫌ではない。
「ディシル、ずっとここに居てくれ」
「はい……」
彼の唇は涙の味がした。二つの唇が重なると蒸し暑いほどに身体がさらに熱くなって、私は喜びと共に破滅の未来を覚悟した。私たちの行いは貴族として正しくない。だけどそれでも、感情にはもう逆らえなかった。
「ぇ……フロド、様……?」
「ん、どうした? 何をそんなに驚いている?」
「い、いえ、何も……」
「もどかしい言い方だな……。スッキリしないからちゃんと言ってくれ」
「なんでもありません、きっと、気のせいです……」
きっとそれは私の願望だ。そうあって欲しいと願うあまり、そう見えてしまっただけだ。彼は氷のフロド、絶対に笑わない。
「聞かせてくれないと、俺はもう1度君に口付けをする。どっちが良いか選べ」
「ひ、ひうっ……?!」
小心者の私は彼から視線を慌てて外した。それから観念して、彼に自分が見た幻を伝えた。
「そんなことか。それは幻覚だな」
「そうですよね、すみません……」
「何を謝る。俺はいつだって、思えば君と初めて出会ったあの日から、あの無垢な寝顔を見たその瞬間から、ディシルに微笑んでいる。今もそうだ、俺はいつだって、君に微笑みを向けているつもりだ」
「あ、あの時の、ね、寝顔……っ!? あれっ、ずっとっ、見ていたのですかっ?!! そ、そんな……っ」
「思えばあの時、軽い一目惚れをしていたのかもしれないな……」
そこまでやり取りすると、生け垣がガサガサと鳴ってランディの銀髪がそこから飛び出してきた。彼は満面の笑顔を浮かべて、フロド様と私の両方に飛びついた。
「お帰りディシルッ! ほらねフロドッ、ディシルは必ず帰ってくるって言ったでしょ!」
「ふふ……ただいま、ランディ。私も貴方の明るい笑顔が恋しかった」
「でしょー。僕もディシルの笑顔、やさしくて大好きだよ!」
「ランディ、人の婚約者を口説くな……」
私たちの未来は暗いのかもしれない。だけどそれでも、何も足掻かずにこのまま終わりなんて間違っている。私たちはもう1度一緒に暮らすために、今この瞬間から極彩色の未来を求めて進み出した。
世間の人は彼のことを氷のフロドと呼ぶ。噂を真に受けて暴君やサディストと勘違いする。だけど私とランディは知っている。みんなが恐れる氷の表情の下には、やさしい微笑みが隠れていることを。
私たちはランディに手を引かれて、新しい婚約者さんにごめんなさいと頭を下げて、みんなの待つ白亜の塔を上っていった。
ようやく取り返した日常は、1ヶ月前のあの頃よりもずっと輝いて見えた。花も、木も、エメラルドグリーンに輝く芝生も白いお屋敷も、その果てに浮かぶ蒼い山々と、舞台の書き割りのようにクッキリと浮かぶ雲と青空も、何もかもが美しい。
そんな世界の中で、氷のフロドはいつだってやさしく微笑んでいた。
次回で完結となります。




