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「おどろいたな。この部屋に詰め込まれたすべてが、アラを助けると言うただ一点の目的のために開発されたもののように思える」
「そう言っても過言ではないと思うわ」
「けれどどうして、科学者たちはみんなそんなにアラを救うことに情熱を傾けたんだろう」
「アラの回復が、世界中で失われた希望の灯になったからよ。世界中で、子供を含めて生き残った人たちもどんどんと死んでいった。せめて子供たちだけでもと考えても、その手立ては何もなかった。血清療法を試みようと思っても、ウィルスが強すぎて、感染した人は残らず死んでいってしまった。だからもしアラが生き延びることができれば、抗体を持った血液を手に入れることができるかも知れない。そしてなにより……」
「なにより?」
「アラは、死の蔓延する世界に現れた、希望の偶像のように思われていたの」
「まるで神様のようにかい?」
「ええ、そうよ。愛する人や生活を失い、何も信じることができなくなり、絶望の中にいた人たちにとって、アラは崇拝さえされていたわ」
「で、アラは生き延びることができたのかい?」
「ええ。時間はかかったけれど、何とか病気を克服して生き延びることはできた」
「すばらしいね」
「ええ。けれども、酷い後遺症が残って、けっきょく死ぬまで隔離された再圧チャンバーから出ることはできなかった。言語機能に障害が残り、視力も低下し、ほとんどの時間、何かの妄想に取りつかれているように意識が混濁していた」
「でも、アラが生き延びたのなら、抗体を持った血液を手に入れられたんじゃないのかい?」
「ええ、確かにアラの血液にはウィルスに対する抗体ができていた。けれど、この人工的に作られた未知のウィルスに対して、血清療法は完ぺきではなかった」
「どういうことだい?」
「ある程度の予防には効果があることが確認できた。けれど、治療するにはほとんど役に立たなかったの。おまけに予防と言っても、知っての通り、いくらか子供たちの寿命を延ばすことに成功しただけ」
「うん。知っているよ」
「それでも……、アラが未来に残したものは、想像もできないほど大きなものであったはずよ」
「その通りだね。今のこの子供たちの平穏な暮らしがあるのは、全部アラのおかげだよ」
「ええ、そうね。それにまだ、科学者たちのアラへの想いは消えたわけではない。その戦いは、今も続いているわ」
「今も?」
「ええ、そうよ」
「僕たち子供が、知らないところでかい?」
「ええ、ラリーを見て思い出したわ」
「ラリー? 彼が何だっていうんだい?」
「さっき話した、軍用宇宙開発の科学者の話を覚えている?」
「ああ、覚えているとも。メンテバンクに自分の意識をアップロードした科学者だろ?」
「ええ、そうよ。その科学者の名前は、確かラリーだったわ」
「そ、そんな……、本当の話かい?」
「ええ、確かよ。顔も、映像でしか見たことはないけれど、そっくりだわ。ただ、気づかなかったのは、雰囲気がまるで違って見えたから。本物のラリーは、もっと目つきが鋭くて、気難しく無口な老人だったわ」
「まてよ、それについては思い当たる節がある。一度ラリーが話してくれたことがあるんだ。自分は過去に存在した科学者たちの集合体だ、って。基本的に、メンテバンクにメモリーされる人々の意識は個々のものだ。けれどラリーに限っては、いくつもの知識や意識が統合されているってね」
「なるほど、そう言うことだったのね」
「こうも言ってたよ。自分は集合体でありながら個人であり、個人でありながら同時に世界のいくつもの場所に存在することができる、ってね。時にはモニターの中で、時にはホログラムで、時にはアンドロイドの中に、って」
「彼の中には、アラを最初に救った夫婦の科学者もいるかも知れない」
「なんだか……、なんて言ったらいいかわからないよ。とにかく僕は、その話を聞いて興奮している。知らないことだらけだ。そして知っていることの何倍もエキサイティングだ。まったく驚いたな。ラリーはてっきり、ただのアンドロイドやフィグツリーのメンテナンスの技術者だと思っていた。それがどうだい。そんな偉大な科学者たちの集まりだったなんて」
「さあ、そろそろ寝る時間よ。ジーニャに明日も心配をかけたくないならね」ソフィは諭すようにそう言った。
「ああ、わかったよ。今日はもう十分だ。これ以上ソフィの話を聞いたら、興奮で僕の胸が破裂してしまう」
「言い過ぎよ」
「控えめに言ってるよ」
ショウは時間を確かめるために北の空を眺め、一通り星座を確かめると言った。
「最後にひとつ、聞いてもいいかな」
「なにかしら」
「アラは、何歳まで生きることができたんだい?
「十二歳よ」