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気が付くと、部屋の外は暗くなっていた。
日の入時刻は、夜の六時四十二分となっていたけれど、部屋の西の方角には近くに大きな山があり、太陽が沈むよりも早く辺りは暗くなった。
ショウは部屋の明かりをつけるのが好きではなかった。
太陽が沈んだら、そのまま部屋も暗くなっていった。
ただ川の流れる音だけが、部屋の中に聞こえていた。
「あなたがさっき言った、夜が悲しいって、どういうこと? 夜は悲しみの対象にはならないわ。なのにどうして、リナもあなたも、夜が悲しいなんて言うのかしら」
「リナも、同じことを言ったのかい?」
「ええ、そうよ。リナとの最後の会話で、言ったわ。夜が、悲しいと」
「夜は、悲しみの対象にならない。確かにそうだね。その通りだ。けれど、夜になると、なぜか悲しくなるんだ。理由はわからない。もしかしたら、太古の昔から、人間のDNAに刻まれた何かの記憶なのかも知れない」
「それはロマンティックな話ではあるけれど、現実的ではないわ」
「うん。確かにそうだ。けれど、うまく説明できないことが人にはたくさんあって、それをロマンティックに仕上げていくのもまた人なんだ」
ソフィはしばらく何も話さなかった。ショウの言った言葉の意味を、自分の過去の記憶になぞらえ、ゆっくりと理解しようとしているように思えた。
ショウはその時間を大切にしようと、何も口をはさまなかった。
ただいつものように、暗い部屋の中で、川の音に耳を澄ませていた。
ショウは知らぬ間に眠ってしまっていたようだった。
最近、眠ると同じ夢を見た。
腰の高さほどもある、個性のない草がびっしりと生えた草原の真ん中に、独り佇んでいる夢だ。
右を見ても左を見ても、前も後ろも同じ景色だ。
どこを見ても違いがないので、仕方がなく空を見る。
空は青いが、太陽は見当たらない。
ただ、やたら白い雲が、ゆっくりと風に流されている。
「あれは本当に空なのだろうか?」ふとそんなことを疑問に思う。
青すぎるのだ。
あんな青い空は見たことがない。
青く塗りすぎて、光を通さない。
風が吹いて、草原が笑う。
「僕は間違っている?」独り言にしては、あまりに大きな声でそう言った。
なんだかそこに、答えてくれる誰かがいるような気がしたんだ。
けれど、そんなものはいない。
辺りを見回した。
三百六十度回ってみたけれど、何の目印になるものもない。
不安を覚えた。
どこに行けばいいのかわからなくなると、人は不安になるのかも知れない。
ショウはふとそんなことを悟った。
目を開けると、まだ外は暗かった。
ジーニャは眠りについている。
川の音が、気持ちを落ち着かせた。
夢の中で何かを思い出していた気がした。
それを思い出せない。
ただ思い出せるのは、草原の景色だけ。
目が覚めると、なぜ夢の世界のことを忘れてしまうのか。
それとは逆に、夢の中では、現実の世界のことを忘れてしまっている気がする。
目が覚めると、眠る前のことを思い出せるように、夢の世界では、前に見ていた夢のことも思い出せるのかも知れない。
そんな風に、人間は現実の世界と夢の世界の両方を、まるで交流電気の図のように、行ったり来たりを繰り返しているのかも知れない。
「ソフィ、いるかい?」ショウはソフィのことを思い出し、闇の中にソフィの姿を探した。
目を凝らしても、あまりの暗さに何も見えない。
一瞬、返事がないことにショウは不安になった。
また水に流されてどこかに行ってしまったのではないか。
あるいは動物に持ち去られてしまったのではないか。
「ソフィ……、ソフィ?」
「ここにいるわ」部屋に聞こえたその声に、ショウは胸を撫でおろした。
「よかった、ソフィ……」
「どうしたの? 何がよかったの?」
「ソフィ、君がどこかに行ってしまったんじゃないかと思ったんだ」
「私はどこにも行けないわ」
「ああ、そうだね。けれどまた、川の水に流されてどこかに行ってしまうかも知れないと思ったんだ」
「そうね。その時はまた、どこかに行ってしまうかも知れないわ」
ショウはほんの少し、ソフィがどこかへ行ってしまうことを想像して、とても寂しい気持ちになった。
「ねえソフィ」
「どうしたの?」
「僕は今まで不安だとか、寂しいだとか、そんな気持ちになったことはないんだ」
「そうね。わかるわ。部屋に暮らす子供たちは、きっとみんなそうなんじゃないかしら」
「けれどソフィ、僕はきっと、もし君がどこかへいなくなると、すごくすごく寂しいんじゃないかと思うんだ」
「そう。そう言ってくれると嬉しいわ」
「本当かい?」
「ええ、本当よ。私は人に愛でられるために生まれてきたのだから」
「愛でられる?」
「愛され、可愛がられるってことよ」
「愛され、可愛がられる?」
「ええ、そうよ」
「それもきっと、僕たちにはわからない感情なんだろうか」
「きっと、そうね」
「けれど、もしかしたら、僕はソフィと一緒にいれば、それがなんだかわかるかもしれない」
「ええ、あるいはそうかも知れないわ」
「あるいはもしかしたら、僕はもうその感情を少しわかり始めているのかも知れない」