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「ねえソフィ、こっちを向けるかい?」
「いいえ、無理だわ。少し首を動かすくらいならできるけれど、後ろを向いてあなたを見ることまではできない」
「そうか、残念だ……。せっかく話せるようになったんだから、顔を見て見たかったのに」
「そうね、残念だわ」
「ラリーから聞いたんだけど、君の前の持ち主は、名前はなんて言ったかな……」
「リナのこと?」
「ああ、そう、リナだ。彼女はもう死んだのかい?」
「ええ、岩の上で死んだわ」
「岩の上?」
「そうよ。水を飲んで、岩の上で眠ったまま、二度と起きなかった」
「リナはどうして死んでしまったんだい? やっぱり、昔の戦争で使われたと言う病気のウィルスに肺をやられたのかい?」
「いいえ、違うわ。リナは、左足に怪我をして、感染症を引き起こした。それが大きかったわ。あとはそうね、川の水を飲んで食中毒にもなっていたし、右耳に外耳炎も患っていた」
「可哀想に……、苦しかっただろうね」
「ええ、そのようね」
「そのあとどうなったんだい?」
「そのあと?」
「ソフィがここに流れ着いたのは、こないだの雨で増水した時だろ? それまでどこにいたんだい?」
「ずっとリナの隣にいたわ。私は独りで動けないもの」
「隣って、その、死んだリナの横にいたって言うことかい?」
「ええ、そうよ。けれど、正確には違う」
「どういう事だい?」
「リナは死んで二週間ほどで、跡形もなく動物たちに食べられてしまった」
「動物たちに?」
「ええ、そうよ。クマが最初にリナの死体に気が付いた。岩の上から引きずり降ろし、その場でリナを食べ始めたわ」
「そんな……、ソフィはずっとその様子を見ていたのかい?」
「ええ、そうよ。その後、イノシシやタヌキ、最後にはシカもやってきて、リナの体を骨まで食べつくした」
「ソフィは、それを見ているしかなかったんだね」
「ええ、そうよ」
「ソフィは大丈夫だったのかい?」
「私? 食べられなかったか、ってこと?」
「うん」
「ええ、大丈夫だったわ。私には、肉や骨はないから。人口の皮膚や血液は流れているけれど、動物たちにとってそれは食料として魅力がなかったみたい。みんな匂いを嗅ぐだけで、どこかへ行ってしまったわ」
「それはよかった」
「ええ、そうね」
「それから、ソフィは、ずっと独りだったんだね」
「ええ、そうよ」
「ここへ流れ着いたのは幸運だったね」
「そうなのかしら」
「だってもう、ソフィは独りじゃない」
「私には、独りでなくなることが幸運だと言うことの意味がわからないわ」
ショウはソフィのその言葉に、少しばかり落ち込んだ。
「ソフィは、リナがいなくなって、悲しくなかったのかい?」
「悲しい? よくわからないわ。リナも同じようなことを言っていた」
「リナが? リナはなんて言っていたんだい?」
「リナは、自分がいなくなって、ターシャを悲しませてしまったと言っていた」
「ターシャ?」
「リナの世話係のアンドロイドの名前よ」
「ああ、なるほど」
「私は、アンドロイドの持つ培養脳に、そんな複雑な感情を持つ能力はないと言ったわ」
「で、リナはなんて言ったんだい?」
「ネズミはきっと、悲しいと言ったわ」
「ネズミ?」
「ええ、そうよ。私が、アンドロイドの培養脳と、ネズミの脳が、同じくらいの大きさだと言ったからよ」
「そう、それでリナは、ネズミもアンドロイドも、脳が小さくともきっと悲しみを感じると言ったんだね」
「ええ、そうよ。ショウ、あなたはどう思う? ネズミは悲しみを感じたりするかしら」
「ネズミは、そうだね、やはり悲しいんじゃないかな」
「どんな時に?」
「さあ……、どうだろう」
「あなたは今まで、悲しみを感じたことはある?」
「僕がかい?」ショウはしばらく考えた。「僕は……、うん、そうだな。夜が、悲しいかな」