第一章ジャンヌ・ザ・ライトニング 6
「……あれ、あいつはどこ行った?」
雄姿に見惚れていて気付くのに遅れた。ザ・マスクの姿がどこにもない。今の事象に乗じて行方を眩ませたようだ。
対戦者がいなくなったことでバトルは強制終了し、バトルフィールドが消える。まるで何事もなかったかのように、静かで薄気味悪い、元の裏路地に戻った。
しかし確かに戦いは行われていたのだ。傷つき倒れるヤスト、タイキの体に付いた土汚れや打ち付けた痛み、そして粉々になったオーダー・ノブナガーのメンコン。どれもが謎のメンカーによる爪痕であり、今の戦いが本当に起きたことだと証明する。
しかし謎の度合いで言うなら、目の前の少女も負けてはいない。
「ふう。よかった、戦いにならなくて」
少女は安堵の吐息を漏らすと、その身が一瞬だけ光に包まれる。すると、先ほどまでの勇ましい姿が、可憐さが際立つカントリーチックなワンピース姿になった。美しく輝いていたプラチナブロンドの髪も見る影のない、落ち着いた色の赤毛となっていた。
「やっぱ気を張らない方が楽でいいねー」
「あんたは……なんだ?」
恐る恐るタイキが訊ねる。見た目は十代半ばの少女。タイキたちからすれば年上のお姉さん。小学生にとって中学生以上の年代は未知の世界で大人の世界だ。タイキとしても対応が慎重になる。
「ちょっと待ってね」
彼女はどっこいしょと、麗しい姿に似つかわしくない声を出し、その場に腰を下ろした。絶句する二人の視線を意に介さず、自分のペースで楽な姿勢を取る。
「ごめんね、すごく疲れちゃってて。ちょっと休ませてくれるとうれしいな」
そう言うと汚れることも厭わずにゴロンと寝転がり、手足を投げ出しリラックスする。道の真ん中で腕を広げると、避けて通ることができなくなった。
どうしたものかと二人で顔を見合わせた。
「わからない……。なあ、俺たちはどうすればいいんだ?」
「変なねーちゃんだ……。防犯ブザー鳴らした方がいいのか?」
よく見ると、顔が青白く額に脂汗を浮かべている。疲れているというのは本当のようだった。
「背中がひやっこくて気持ちいい。で、どっちが私のメンカーなの?」
仰向けになったまま逆に聞いてくる。
「ああ? どういう意味だ?」
「強い意志を感じてやってきたんだけど。あなたたちのどっちか? それともさっきのダサいお面の人? ああでも、あれはなんか怖かったから嫌だなあ。できればキミたちのどっちかが私のパートナーであって欲しいんだけど」
タイキがふとメングローブに目を遣ると、見覚えのないメンコンがセットされていることに気付いた。円形のフレームはオーダー・ノブナガーと同じだが、デザインが違う。四方にスリットが入り、軽い。メンブレムフレームには鎧姿の少女が描かれていた。
「あ、それそれ、私。私のメンコンだね。そっか、キミが私を呼び寄せたんだ。名前は?」
「番星……タイキ」
「タイキくん。……よし覚えた。よろしくねっ」
にぱっと笑顔を向けられるが、どう反応すればいいのかわからず、ヤストと顔を見合わせた。それで会話は終了だと言わんばかりに、彼女は空を仰いで目を瞑った。
「どうすりゃいいんだ、このお姉さん!」
「オレにはどうもこのねーちゃん、見覚えがあるんだ。初めて見る気がしねえ。お前、何か知らねえか?」
「ヤストが見覚えあるものを俺が知るわけないだろう」
「うーん……。あ、もしかして!」
ヤストは背負っていたランドセルをひっくり返し、中身をぶちまけた。と言っても勉強道具の類は一切なく、メンスマッシュのグッズが散らばった。その中から一冊の本を取り出し、パラパラとめくり出す。
「メンモン図鑑なんて見てどうするんだよ」
「これだ! ここを見ろ!」
興奮した様子で開いたページを押し付けた。
「ヒーロー・サークルの聖女ジャンヌ・ザ・ライトニング……。おい、この絵、お姉さん そっくりじゃないか!」
神の声を聞き、導きに従って戦いに立ちあがった聖なる乙女。傑面界ヒーロー・サークルからやってきた聖なる戦士ジャンヌ・ザ・ライトニング。白い鎧を纏う、金の髪で凛々しい姿の少女。それはタイキが持っているメンコンに描かれたものと瓜二つだった。
「なになに? ここからじゃ見えないよ。私にも見せてよー」
寝そべったまま文句を垂れる彼女にも見えるように広げる。髪の色は違えども、図鑑を近づけたり遠ざけたり、いろいろな角度で眺める彼女の横顔は、どこから見ても図鑑のそれに瓜二つだと感じる。
「これ、どう見てもねーちゃんだよな? あんた、ジャンヌなのか?」
「本物かどうかはわからないよ。……へえ、私ってこんな姿なんだ。でも顔は私の方が美人じゃない? やっぱりジャンヌじゃないんじゃないかしら?」
「ジャージャーうるせーよ! お前ジャンヌ・ザ・ライトニングじゃなかったら何だっていうんだ!」
「私は本当の私だよ。わからないものはわからないもん。自分が誰なのか思い出せないんだから」
何者なのか不明の少女は体を起こして言った。
「思い出せないって……ボケたのか? もしかして、結構おばさんなんじゃ」
「あはは。お姉さん、なんか耳が遠くて今の言葉よく聞こえなかったから、もう一度言ってもらおうかなっ」
「アバババババ!」
ヤストの腹の肉をガチャガチャのレバーのようにひねり回す。
「ヤスト、お前が悪いぞ。いくら俺たち小学生から見れば年上はみんなおばさんに見えるとしても、真実をそのまま言ってしまうのはマナー違反だ」
「若いからって何を言ってもいいわけじゃないよキミたち。学んだねっ」
「アバババババ!」
身を持って二人は勉強した。
「おば……ねーちゃんは記憶喪失ってやつなのか……?」
「そうね。自分の事に関してほとんど何もわからない。私はヒーロー・サークルから来たたってことくらいしか思い出せないわ」
「ヒーロー・サークルから来たって……それはメンスマッシュの話だろ?」
五つの世界が地球を巡って戦うというのはメンスマッシュの世界での話であり、フレーバーテキストで描かれるバックストーリーだ。コミック・ゲーム化などのメディアミックスも人気を博し、その勢いは留まることを知らないコンテンツ。だがそれは作り物の話であり、フィクションの世界だ。
「ところがそうでもないんだよ。傑面界ヒーロー・サークルは本当にあるし、他の世界も存在する。この地球の人たちだけだね、知らないのは」
にわかには信じられない言葉に、二人の地球人は息を飲む。常識がひっくり返る衝撃的で荒唐無稽な話だ。
しかしジャンヌ・ザ・ライトニング――メンモンに酷似した少女が目の前に存在し、会話し、触れることもできる。バトルで投影される立体映像とは違う。疑う余地もなく、そこに存在していた。不思議な体験をしたばかりの二人にとって、むしろ納得のいく話だった。
「あれ、でも記憶がないのになんでそんなことは憶えてるんだ?」
「記憶喪失って言っても、面界やメンモンスターについてはばっちり憶えてるの。私自身の過去について思い出すことができない。どうやら意図的に記憶を奪われたみたいだね」
「奪われたって、誰に?」
「さあ? 記憶がないんだもん、わかるわけないじゃん」
ど突こうとするヤストの手を、タイキは押さえ込んだ。
ふと思いつき、タイキが言う。
「じゃあ、ザ・マスクが使っていたイエロー・キングも本物なのか?」
「そうね。ちらっとしか見てなかったけど、なんとなく理解した。あんなぞくぞくする不気味な奴、コズミック・スターの連中だってすぐわかる」
怪面界コズミック・スターはグロテクス、あるいは神々しい姿のモンスターが蠢いている、人智の及ばない世界。イエロー・キングが王としてその一部を支配するのは想像に難くない。
ヤストはメンモン図鑑をめくった。しかし、どこにもあの王の姿を見つけることができなかった。
「おい、どこにも載ってないぞ」
図鑑にも載っていない、謎に包まれたメンモン。普段なら胸を躍らせて未だ知らぬメンモンに思いを馳せるところだが、直にその恐怖の片鱗を味わい、フィクションだと思っていた怪物が同じ空間にいたくことに気付いて青ざめる。
「俺はあいつともう一度会わなきゃならない。奴は俺のことを……兄貴のことを知っていた。ジャンヌ、あんたの力なら奴と戦える。だから力を貸してくれ。力が欲しいんだ。ザ・マスクと戦うために!」
「私は自分が何者か分からないんだよ。キミが思うジャンヌ・ザ・ライトニングじゃないかも知れないんだよ?」
「構うもんか。たとえあんたが本物のジャンヌじゃなかったとしても、お前は俺のことを守ってくれた。立派な聖女さまじゃないか」
少女、ジャンヌはそれを聞き、きょとんとする。
そして、優しく微笑んだ。
「私があなたの前に姿を現れたのは、その強い意志を感じたから。意識もなく漂うだけの私は、あなたの放つ大きな決意と覚悟に導かれたのです。こうして出会えたのは運命なのでしょう。私の力を必要とするのなら、喜んで手を差し伸べます」
手を差し出し握手を交わす。世界広しといえども、メンモンと握手を交わしたことのあるメンカーはいない。
いや、もしかしたら世界の裏側をめくってみれば、タイキの知らない世界が広がっているのかもしれない。表の世界と同じくらい裏面はあるのだから。ザ・マスクを追うのならば、これまでの常識をひっくり返さなければならない。
それは恐ろしい世界への入り口かも知れない。だが、タイキは止まらない。ひっくり返すのはメンカーの得意分野なのだから。
「そうと決まれば行こうぜヤスト!」
「実はさっきからずっとそわそわしていたんだ」
「どこへ行くの?」
突然やる気を見せる二人に戸惑う。いくらなんでも、戦う準備はできていない今からあの男を追いかけるのは無謀だ。
しかし返ってきたのは彼女の予想とは全く違うものだった。
「本屋だよ!」
「リンリンちゃんの写真集! これだけがずっと気がかりだったんだ」
「……」
もしも犠牲となったオーダー・ノブナガーに意志があったのなら、きっと今の聖女と同じ気持ちになっていただろう。路地裏に差し込む細い光に照らされ、砕けたメンコンのメンブレムが微妙な表情を浮かべたように見えた。