第一章ジャンヌ・ザ・ライトニング 1
「兄ちゃん、待ってよ!」
「早く来ないと置いて行くぞ」
「セミがいて通れないんだよ!」
道路の真ん中でアブラゼミがひっくり返っていた。
うだるような暑さの夏が、ようやく過ぎ去ろうとしている。
「もう死んでいるだろう」
「死んでても怖いんだよ!」
またか、兄はため息をついた。
幼い弟は怖がりで、ことあるごとに兄に泣きついてくる。
仕方ない、とセミの死骸を掴み、道の脇に放り投げた。
すると、セミがバタバタと暴れだし、どこか遠くへ飛んで行った。
「まだ生きてたんだな……」
「兄ちゃん!」
半べそをかいた弟がしがみついてくる。
「……」
兄は、飛び去ったセミをいつまでも見つめていた。
今は昔の出来事、兄弟の記憶だった。
その日は、話題沸騰中のメンコアイドル、結城リンリンの写真集の発売日だった。
番星タイキと北山ヤストは彼女のファンで、写真集を手に入れるために小学校が放課を迎えると同時に校門を飛び出し、町の本屋へと走る。いち早く手に入れようと、普段は通らない路地裏を抜けて近道をしようとした。
それがいけなかった。
「うわあああッ! お、俺のオーダー・ノブナガーが……ッ!」
タイキは大声を上げ、無残に破壊されたメンコンにすがりつく。日夜丹精込めてメンテナンスし、手になじむように調整し、最高の愛機として、数々の戦いを共に潜り抜けてきたメンコンだ。元通りの美しい円形に戻すことは不可能なほどに粉みじんとなった愛機を、戦慄く手で拾い上げる。
タイキの頭に乗っていたキャップが地面に落ちた。
「フン。身の程知らずが、このザ・マスクに敵うなどとつけ上がるな」
少年が這いつくばるタイキを嘲笑う。
その少年は、まとうう服装もオーラも普通ではなかった。
威光を放つかのように発色する、雄黄色のマント。美しくも雄々しい、華美な刺繍が施され、彼の前ではどんな相手でも萎縮させる。目元を覆う歪な形のマスクは鈍い銀色に輝き、人相を隠す。そこから漏れ出す彼の狂気は眼光に宿り、タイキを貫いた。
「お前は……一体……何なんだ。どうして俺たちを襲うんだ」
悲しみを、怒りを込めて叫ぶ。涙がこぼれる寸前だ。
ザ・マスクと名乗る少年は、ただ冷たい目で見下ろすのみ。
彼の背格好は、小学五年生のタイキよりもやや大きい。年上だということはわかるが、それだけしかわからない。老若男女問わず様々な人間とバトルしてきたタイキだったが、こんなにも怪しい人物は見たことがない。過去に出会っていれば決して忘れない、強烈なインパクトだった。
だからこそ、何故襲ってくるのか、理解できなかった。
「逃げろ、タイキ……」
同行していたヤストは既にザ・マスクの毒牙にかかっていた。激しい戦いの結果、戦闘不能にまで追いやられた。
「さあ番星タイキよ、戦う意思があるのならば立て! もっとも、壊れたそのメンコンの代わりがあるのならな!」
タイキは悔しさに拳を震わせた。愛機はひとつ、オーダー・ノブナガーのみ。それ以外のメンコンは持っていない。
何故オーダー・ノブナガーは破壊されたのか。
メンスマッシュは、立体映像による次世代メンコバトル。実物を使わない以上、メンコンも、操るメンカーも傷一つつくはずがない。
メンスマッシュで怪我はありえない。その大前提があっさり覆されたこの戦いは、異様な雰囲気に包まれていた。
ザ・マスクというメンカーは危険だ。メンカーとしての本能が、タイキの頭の中で警鐘を鳴らす。
同時にメンカーとしてのプライドが逃げることを許さなかった。友人を傷付けられ、相棒ともいえるメンコンを破壊され、このまま引き下がることはできない。
「くそ……ッ!」
だがどんなに闘志を燃やそうと、バトルを続けることができなければ敗北と同じ。
「メンコンがないのならば俺の勝ちだ」
クックッと低い笑いを漏らす。勝利を確信し、敗者を嘲笑う笑み。
「俺に力があれば……ッ! 奴をぶっ倒す力があれば!」
「貴様に力があろうとなかろうと、結果は同じよ! いくぞ、俺のイエロー・キングで全てを破壊してやる!」
ザ・マスクは自身のメンコンを大きく振りかぶる。これまでとはパワーが違う。宣言通り、何もかもを破壊し尽すつもりだ。
「く、くそおお!」
タイキの心を押しつぶす圧倒的な力。
暴虐にして絶望。
飲み込まれそうになるその瞬間、
バリバリバリ!
雷鳴が轟いた。
眩い光が一筋の稲妻となり、タイキのメングローブに直撃する。
(……これは)
何もセットされていなかったはずのグローブに円形のメンコンがあった。
タイキの心に訴えかける声が響く。
戦え、と。
「なんでもいい、俺に力を貸してくれ! その雷でやつを打ち砕けえええ!」
雨のように稲妻が天から突き刺さり、辺りに白煙が巻き上がる。
その中に人影があった。
腕を横に振ると白煙が薙ぎ払われる。
麗しい少女だった。
稲光のように輝く、美しい金の髪が風に流れ、白銀の甲冑に身を包む戦乙女。よく見ると鎧には 無数の傷やへこみがあり、肌が露出している部分には幾筋もの血が流れていた。
傷付いてもなお、凛と立つ少女の姿は絵画のようでもあった。
タイキが声をかける。
「……あんた、誰だ?」