旅立ちの日
グレンが初めてシルフィリアの召喚に成功してから約七年が経過した。
まだ彼の力は広まっていない。
(うちが小さな家ってのが幸いしたな。使用人たちも全員地元採用で、他家の関係者はいないし)
日課になった早朝の鍛錬を終えてグレンは苦笑する。
地元の人間しかおらず、さらにファード家は善良な領主として好かれているのは大きかっただろう。
(嫌われてたり、他の貴族の息がかかった人間がいたら絶対隠せなかっただろうなぁ)
そう思っていると一体の精霊が勝手に出現する。
シルフィリアではなく水の精霊だ。
「グレン、何を考えてるの?」
「精霊を召喚できる使い手が珍しいって知らなかったから、秘密が漏れにくい家に生まれてよかったなぁって」
「なるほど、人間って面倒くさそうだもんね」
幼い少女の姿をしているが、精霊は基本的に寿命がない。
豊富な知識と老成した精神、さらに子どものような無邪気さと気まぐれが同居した存在が精霊だとグレンは学んだ。
「父上と兄上には冒険者になれって言われたけど、冒険者になっても結局国からは逃げられない気がするんだよなぁ」
彼が引っ掛かりを覚えてる点はそこにある。
貴族よりもよっぽど自由なのは事実だし、だから父とフェリックスはすすめたのだろうが。
「じゃあいっそ自分で国を作っちゃいなよ」
水の精霊は軽い調子で言い放つ。
「自分で?」
グレンは目を丸くしたが、すぐに真剣に考え込む。
「悪くないかも。自分の国なら自分で法律決められるし、運営は有能な人たちに任せればいいし」
わずらわしい思いをしたくないなら、自分の国を建国する。
精霊らしいスケールの大きな発想だが、一考の余地はありそうだ。
「問題は国家運営できる人間なんてどこにいるかだよね」
グレンは自分にできるはずがないと確信している。
「冒険頑張って名前をあげて、まずはそれからかなあ」
さすがに今から国を作ろうとしても上手くいくはずがない。
「この国に戦争を仕かけるって手があるわよ? シルフィリア様がいるなら負けるはずないじゃない?」
水の精霊はぶっそうな発言をする。
あどけない顔とおだやかな口調からは想像もつかないほど好戦的な性格なのだ。
「それはダメだ。みんなが迷惑する」
グレンは即座に却下する。
彼は自分が楽をしたいだけで、周囲に被害を与えたいわけではない。
「待てよ? 悪政でみんなが苦しんでる国ならありなのか?」
一から作るよりは楽だし、苦しんでる民を救いたいと思う優秀な人材だっているだろう。
「冒険者をやってそういう悪い国を探すならありかな。建国記じゃなくて国盗り戦争になるが」
ぼそっとつぶやくと長兄のフェリックスが彼の目の前に現れる。
「ぶっそうな発言が聞こえたよ。独り言には気をつけたほうがいいね」
彼は怒らず苦笑してグレンの肩を優しく叩く。
「ごめんなさい」
「うん」
グレンが一言謝っただけで彼は許す。
優しいと言うよりは甘いと言うべき兄だった。
(とりあえず国については保留にしよう)
まずは冒険者になることが先だろう。
「じゃあ今日出発するよ」
「さらりとすごいことを言ったね!?」
フェリックスが目を見開く。
この長兄はめったに驚きをあらわにしないので、グレンは新鮮な気持ちになりながら応じる。
「まあ永遠に会えなくなるわけじゃないし」
「グレンってわりとドライなところがあるよね」
フェリックスは苦笑いした。
「そうかな?」
グレンは首をかしげる。
末っ子と議論する気はなかったらしく、フェリックスはもう一度彼の肩を叩いた。
「父上と母上にはあいさつするんだよ」
「うん」
グレンは素直にうなずいて家の中に入る。
両親には何も言ってなかったのでフェリックス以上に驚くかもしれないなと思いながら。
両親はちょうど揃っていて二人で何か話しているところだったが、彼が来たのを見て会話を中断する。
「どうした、グレン?」
「今から家を出てちょっと冒険者になってきます」
怪訝そうな両親に告げると彼らは顔色を変えた。
「はあ!? 今から!?」
「何であなたそんなことをいきなり言い出すの!?」
二人そろって説教がはじまる。
やばいとグレンは思ったものの、黙って耐えた。
「お前は平民に落とさざるを得ないが、実家はここなんだ。いつでも帰ってきていいんだぞ?」
「元気でね」
二人の愛情を改めて彼は感じる。
(俺の力が目当てなら舌を出してやるところだが……)
地方の小さな男爵家だからか、両親は欲がなかった。
両親にかぎらず長兄のフェリックスもだが、グレンにとっては好ましい。
「行ってきます」
「いやだから弁当や水筒はどうするのよ!? 何の準備もしてないじゃない!?」
母親がしんみりした態度を変えて怒りを放つ。
「召喚する精霊たちが何とかしてくれるので大丈夫です」
グレンが笑顔で答えれば母の怒りは急速にしぼむ。
「そう、召喚魔法ってそんなこともできるのね」
「もう俺たちの想像の埒外の力を手にしてるわけだ。それでもお前は俺たちの息子だぞ」
と父が力強く言う。
それに小さくうなずき、彼は両親に一礼する。
「お世話になりました。行ってきます」
目を潤ませた両親に背を向けてグレンは家を出た。
建物から少し離れたところで召喚魔法を使う。
「エンラ・ヒプシュ・シュトラウス」
彼が召喚したのはダチョウにそっくりな鳥型の幻獣である。
馬よりも速く走れるし、高い跳躍能力を持っていて馬よりも障害物に強い。
「よろしくな、シュトラウス」
グレンはポンと体に触れると「シェー」とかん高い変わった鳴き声を放つ。
「うちの領地には冒険者ギルドがないからな~。隣の子爵領まで行かないと」
彼はぼやくようにシュトラウスに説明する。
冒険者ギルドがないのはそれだけ領地が平和である証なので、領主の息子としては喜ぶべきだった。
「シェー」
とシュトラウスは鳴いて地面を力強く蹴る。
二歩目で一気に加速し、壁を軽々と跳び越えてさらに加速した。
(隣の子爵領の領都バミューダまで数時間かな?)
早馬で約二日らしいが、シュトラウスなら三分の一程度に短縮できる。
今日中に着いて冒険者登録してさっそくひと仕事をこなす。
それがグレンの計画だった。
誰にも相談しなかったため、雑すぎるという指摘は受けていない。
(高速道路を走る車の窓から顔を出してるような感覚だよな)
とグレンは思う。
この速さになると風が気持ちいいという感覚は抱けない。
何度目かの休憩に入るため、シュトラウスを止めて精霊に作ってもらった水を飲む。
「もうひと息だな」
修行を兼ねてシュトラウスを走らせて回っていたので、だいたいの現在地は見当がつく。
シュトラウスはと言うとまだ休む必要がない段階だ。
幻獣だけあって馬や人間とは基礎体力が違うのだ。
「さて、じゃあ街に行くか……うん?」
シュトラウスに乗ろうとした時、大きな物音がグレンの耳まで届く。
耳を澄ませてみると戦闘音らしきものが聞こえてくる。
「行ってみるか」
彼が言うとシュトラウスは「シェー」と鳴いて答えた。