毎週火曜午後四時三十分、うちのレンタルビデオ店では愛が買えます。
毎週火曜、決まった時間に映画を借りにくる美少女。
店長の小松と淡々と繰り広げられる会話。
短時間で読み切れる、1話完結の小説です。
1
現実とは様相を異にする並行世界においては、ため息の出るほど容姿の整った美男美女たちが剣術やら魔法やらを駆使しながら「マモノ」をなぎ倒し、なぎ払い、勇猛果敢に「マオウのシロ」を目指しているのだと聞き及んでいるが、一方こちら側の「ケイザイタイコクニッポン」では、義務教育で培ったわずかな常識と対人折衝能力を駆使して「売上予算」や「クレーム」を退治し、それでもなお立ちはだかる「長時間労働」は、倒すことを諦めて最早、懇ろな関係を築き始めている、といった具合だ。
ではおれにとって、「マオウのシロ」とはなんだろうか。辞表を突きつける相手と捉えればエリアマネージャーか。長期的な人生設計と捉えればまだ見ぬ未来の嫁か。いずれにせよ店長の小松にとっては、目下「ハジマリのムラ」にて、少しでも様になるアイテムを手に入れることが急務だった。
アルバイト上がりでそのまま雇われたこのレンタルビデオ店での勤務は、今年で早七年目となる。しかしながらうだつは上がらず、地面すれすれの低空飛行を続けている。三十四歳の誕生日には、カード会社のダイレクトメールを除けば誰からも連絡はないし、むしろその方がいいと思っている。大学時代の同期は既に世帯を構え、小学生の子供がいたりするのだから、そちらに人生を費やすべきだろう。
ちなみに年齢と勤続年数が常識的に考えてみると不可解なのは、察しの通り、一度勤めた会社を辞めたからである。
アルバイトの学生たちは皆優秀だ。女子大に通っている丸山は実に晴々(はればれ)とした笑顔で接客をするので、レンタルビデオ店でなければいくらか固定客がつく可能性がある。バイトリーダーの河田は偏差値が天に振り切れたような大学の四年生で、表計算ソフトを縦横無尽に使いこなし、毎月の全アルバイトのシフトを短時間で調整する。来年は大学院らしいから、引き続きうちの戦力になりそうだ。
「店長、休憩入りますね。ちょっと飲み物買ってくるんで一回出ます」
ある火曜日の午後四時。小松はバックヤードで来月の売上予測を立てていた。ちょうど休憩時間になる丸山が出て行ったかと思うと、すぐに戻ってきた。顔が綻んでいる。
「またあの子ですよ、店長! 『火曜の映画少女』!」
少し前、だいぶ暑くなってきたなと思っていたので、初夏だったか。その頃から毎週火曜日、同じ時間に映画を借りにくる女の子がいた。丸山はその子に熱を上げているのである。
可愛い可愛い! あれは天界から舞い降りた天使ですよ! 私、持って帰っていいですか! 毎回この調子だ。ともすれば本当に持ち帰りかねないので、早く休憩に入れと手のひらで追い返した。
確かにその子は、丸山が夢中になるのも納得がいく容姿端麗さであった。
おそらく小学校の高学年か、もしかすると中学生かもしれない。長く伸びた髪をおさげにしていて、白いワンピースを身につけている。日差しの強い日は、つばが広めな麦わら帽子を被っていた。
そしていつも一人だ。
火曜のこの時間はいつも客が少ない。そのためアルバイトのシフトも過疎気味に調整して、丸山も休憩に出してしまうことが多かった。レジはいつも小松が自ら立つことにしている。
「火曜の映画少女」はいつもたっぷり三十分悩み切り、DVDを一本レジへ持ってくる。ジャンルは様々で、子供に人気のアニメはもちろん、洋画も邦画も隔てがない。ジャンルも様々で、アクションやコメディ、サスペンスを借りていくこともあった。
今日も一本のDVDを両手で握りしめ、レジへ持ってきた。「ショーシャンクの空に」だった。この子にはまだ早すぎはしないだろうか。そう思いながらカードを読み取っていると、彼女はついと声を発した。
「この時間はいっつも店長さんだね」
細く、しかし凛とした声音だ。小松は一瞬目を丸くした。
そしてすぐに店長の「顔」を作った。
「ええ。そうですね」
「他の店員さんは?」
「違う日に来たりしますよ。それに今は一人休憩に出ています」
「ふーん」
小松は微笑し「一週間でよろしいですか?」と聞いた。彼女ははいと答える。
相手が子供であっても敬語を崩すのは嫌いだ。
理由はないが、とにかくこれはこだわりでもあった。丸山はよく「店長、堅苦しいですよー」となじってくるが、いつも無視している。これは言ってみれば店長の「仮面」だ。おれという人間ではない、というときの、店長の「顔」なのだ。
「すみれは、将来お店やさんになるんです」
「火曜の映画少女」は突然名乗り、その上、将来のビジョンを告げたのだった。
なるほどこの子は「すみれ」と言うのか。いや、実際には既に知っていた。カードを読み取ると名前ががディスプレイに表示されるのだから。彼女は「田中すみれ」だ。
「何を、売るんですか?」
聞いてみると、すみれは少し困った顔をした。
「それが決まっていないの。でも、なんでも売ってるお店にすることは決まってるの」
それはすごいですね。小松はそう応答した。
それ以外に、なんと返せというのだ。
「店長さん、何を売ればいいと思いますか?」
これが世の大人を困らせる、純粋な目と呼ばれるシロモノか。
噂通り、その目は「適当には答えてはいけない」という意味を存分にはらんでいた。彼女は当然意図していないと思うが、まるで禅問答だ。なんでも売ってるお店で、何を売るべきか。
ここがゲームの中のような異世界であれば、武器と防具と回復アイテムがいっぺんに売られていればある程度「なんでも売っている」と言っていいことになるのだが。
「そうですね、雑貨とか」苦し紛れだった。
「ザッカ? なにザッカって」
失敗だ。おれはやはり、子供の相手をするのは苦手らしい。
小松はてこずりながら「ザッカ」の説明をし、たぶん、なんとか、分かってもらうことができた。
その苦労の甲斐もなく、すみれは「ザッカは売らない」と切り捨てた。
「来週も店長さん?」
来週の火曜、同じ時間におれがいるか、と言う意味の質問と受け取り、そうですよと答えた。わかりましたと言って、本日の「火曜の映画少女」は店を後にした。
来週も来るのだろう。ショーシャンク、感想でも聞いてみるか。
2
レンタルビデオ店と呼称しているが、実際に「ビデオ」を貸している店はもう皆無といえよう。正確には「VHS」というべきだが、当時は皆「ビデオテープ」と言っていた。
小松の幼少期はもっぱら好きな番組を「ビデオテープ」に撮り溜めた。再生するときはテープをビデオテープレコーダに「がちゃん」と挿れ、きちんと「巻き戻し」されているかを確認しなければならない。大事な録画は、うっかり上書きしてしまわないよう「ツメ」を折っておかなければいけなかった。
DVD、さらにはブルーレイが普及してからは、もはやビデオというのは博物館に展示されるような骨董品になっている。「テープが擦り切れるほど見た」なんていう表現は、昨今使うにはいささか古風すぎる。
そして今では、DVDやブルーレイのレンタルというこの業態すら脅かされている。なぜか。ご名答、動画配信サービスの著しい普及だ。
もはやネット環境さえあれば、店頭に足を運ぶ必要もなくなった。
「レンタル業界も、もう厳しいかな」
小松はバックヤードでその日の締め作業をしていた。隣りではバイトリーダーの河田がシフトを組んでおり、シフト希望の返信がないメンバーへ督促を行なっている。
「店長、随分悲観的ですね」
「まあね。業界はどこも右肩下がりだから。河田くんだって映画、ネットで見るでしょ?」
「見ますね。全然」河田は屈託がない。「ただ、僕はレンタルビデオ店、意外となくならないと思ってますよ」
河田の話によると、メーカーから動画配信の権利を買うためには、結構な金額が要るとのことだった。そうなれば配信単価も上がるため、店で借りた方が安くなる場合も往々にしてある。そもそも、特定のメーカーからはその許諾すら下りない。だから未だに「ネットにはないけど、お店では借りられる」作品が多く存在する。
「あと、個人的にはお店で迷って借りる、あの感じも結構好きなんですよね。どれにしよっかな、あ、これも面白そうだなって」
「河田くん、うちに就職しなよ」
「嫌ですよ。仕事にするのは」
ホンモノのエリートである河田は、外交官を目指している。
3
「火曜の映画少女」こと田中すみれが突如夢を語ってから一週間が経った。
いつものように丸山が休憩に出ようとして、にわかに騒ぎ始める。小松は彼女を追い出し、レジに立った。
「『ショーシャンクの空に』はどうでしたか?」
「うーん、ちょっと難しかった。でもなんだかすっきりした」
さすがは映画少女。鑑賞力はあるらしい。
そんな彼女は今日、何も手に持たずにレジに来ていた。
「すみません、迷ってて。店長さんのオススメは?」
世の大人を困らせる純粋な目「パート2」だ。
「どんな映画がいいですか?」小松は学んだ。まずは問いかけで絞りこむのだ。
「うーんとね、なんか『愛があるなあ』っていう映画」
また、失敗だ。
4
すみれが所望していた「愛があるなあっていう映画」については、結局来週までの宿題にさせてもらった。こんな歳になって、自分の娘くらいの(もしいたら、だが)年齢の少女から宿題を課されるなど思っても見なかった。
愛のある映画。そんな映画は溢れているだろうと思い、少し検索してみれは適当なものが見繕えると思っていたが、これが意外と難航した。
思った以上に「愛」というのはムラのある概念だと実感した。単にラブストーリーなら、愛のある作品と言えるのか。一見コメディタッチの作品にも「愛」を表現しているらしいシーンはあったりする。それも含めてしまって構わないだろうか。
小松は答えに窮するのだった。
いつの間にか、たった一人、名前くらいでどこの誰かも知らない女の子のために、本気で作品を選んでいた。
あらすじやレビューだけ選んでしまうと、どうも誠意に欠けると思った。店内の棚を巡り、目についた作品を手にとって自宅で鑑賞した。二本、三本、四本。その週の土日には一日で六本も見た。
結局、彼女に勧める映画は決まるに至らず、若干の寝不足を抱えたまま、月曜日は一度本社に出勤した。月の頭は、前月の売上状況を会議で報告することになっている。
小松は憂鬱だった。前月の売上は予算比で八十二%、前年比においても九十五%で、目標額に達していない。エリアマネージャーからは、重箱の隅をつつくどころかほじくり出されるような勢いで詰められ、小松は意気消沈して店舗へ戻った。
何をやっているのか。小松は自問した。
一人の女の子を喜ばせたとしても、それは利益にしてどのくらいだ? 微々たるものだ。
一つの店舗を任されている以上は、行動指標を改めなくてはならない。
月曜の勤務時間が過ぎ、またも残業時間を膨らませていた。アルバイトには業務が終わったらさっさと帰れと言っているくせに、自分は定時で帰った試しがない。
ふと、田中すみれが「お店やさんになる」という夢を語ったことを思い出した。大人として、店長として「それはすごく難しいことだよ」と、教えてあげるべきなのだろうか。残業も多いし、人員管理も商品管理も大変だよ、と。
その日の帰り道、小松はぼんやりと考えていた。小学生のおれ、小松少年の夢は、なんだったであろうか。まさか勇者になって「マオウ」を退治する、なんて書いてはいないだろうな。
思い立って、小松は電話を一本かけた。実家の番号だ。すぐに母親が出た。
「……そうそう、小学校卒業したときの文集。ちょっと見て欲しんやけど」
なんかあったんか。怪訝な声を出す母を急かす。
小学校の卒業文集。そこには生徒ごとのページが設けられており、いくつか質問項目が並んでいたはずだった。
将来の夢。そんなありふれた項目も、あったはずだ。
そうだ。おれは書いた。母親から聞く前に、記憶が少しずつ戻ってきた。
小松少年の夢。
「『お客さんを笑顔にするお店の経営』やて。おーおー、ええやんあんた、叶えてるで」
あっけらかんとして、母は笑った。
田中すみれ。君と同じだ。
店長小松は、ため息をついた。
5
翌日の火曜日。午後四時三十分。小松は一本の映画をすみれに勧めていた。
少し古いが、彼女と同じくらいの女の子が主人公の、ヒューマンドラマだ。幼い頃に父親を亡くした主人公は、数年後に父親そっくりな男と出会う。舞台女優を目指す主人公に、男は助言をしたり、励ましたりして、彼女をトップスターへと成長させる。様々ある愛のうち「家族愛」ものの亜種と言ったところか。
小松はその映画を、ちょうどすみれと同じくらいの頃に映画館で見たのを思い出したのである。
あらすじをすみれに説明した。
喜ぶと思っていた。店長さんありがとう。さっそく帰って見てみるね。
「火曜の映画少女」は無表情になった。
「すみません。気に入りませんでしたか?」小松は狼狽した。
どうした。彼女はなんでも、好き嫌いなく映画を見ていたはずだ。
「もし他のが良かったら、また探してみますけど……」
「ううん」すみれがかぶりを振った。「ありがとう、ございます。観てみます」
カードを出す。レンタル期間は一週間。
小松が勧めたDVDを持って、彼女は店を出ていった。
6
実に長く感じる一週間だった。
田中すみれが不可解な無表情を見せてから、そのことばかりが頭を占領する。
最後には紹介した映画を借りていったものの、彼女の顔はちっとも嬉しそうではなかった。むしろ逆だ。
店を出て行く彼女の表情は、強張っていた。どうしてこんなものを勧めたの? 迷惑だよ。そういう顔だった。そういう顔に見えた。
あの映画、観たのだろうか。
「店長! これ、ここ見てください!」
その週の土曜日のことだった。出勤してきた丸山がいきなりスマートフォンを小松の顔に押し付けた。
土曜日は客も多く、そこそこ忙しい。後にしてくれと思ったが、画面を見たとき、思わず目を瞠った。
そこには、「火曜の映画少女」が写っていた。
「私もこういうのは疎くて、全然気づかなかったんです。でもあれだけ可愛いんですから、不思議ではないですよね」
小松はスマートフォンを手に取り、画面をスクロールした。
新しいドラマの公式ホームページらしい。主役やメインキャストの俳優たちに並んで、彼女も紹介されて要る。田中すみれではなく「本堂すみれ」となっていた。
彼女は芸能プロダクションに所属する子役だったのである。
7
次の火曜日、彼女は現れなかった。
そのまた次も、さらにその次の火曜日も、現れなかった。
丸山は「私が気付いちゃったからかなあ」と嘆いていた。そんなはずない。理由があるとしたら、前回勧めたDVDだ。あれは結局同じ週の日曜日に、店外設置の返却ボックスへ、いつの間にか返されていた。
現実とは様相を異にする並行世界においては、ため息の出るほど容姿の整った美男美女たちが剣術やら魔法やらを駆使しながら「マモノ」をなぎ倒し、なぎ払い、勇猛果敢に「マオウのシロ」を目指しているのだと聞き及んでいるが、一方こちら側の「ケイザイタイコクニッポン」で、子役として幼い頃からメディアに露出し、与えられた役を演じる「ホンドウスミレ」は、日々どんな「マモノ」と戦っているのだろうか。
それは分からない。「マモノ」の出現率は、高いかもしれないし低いかもしれない。弱いかもしれないし、べらぼうに強いかもしれない。ゲームバランスに文句をつけながら悪戦苦闘しているかもしれないし、全く逆に、まるで二週目をプレイしているかの如く、イージーな日々なのかもしれない。
それは分からない。知らない。知らなくていいのだ。彼女は冴えない店長小松に、一番大事なことを告げたのだから。最後に行き着く「マオウのシロ」を、告げたのだから。
「すみれは、将来お店やさんになるんです」
なりたい、ではない。なると言った。
それほど客入りも良くないレンタルビデオ店のカウンターで、夢を宣言した。
普段自分が生活している環境では、おそらく言えないのだろう。「本堂すみれ」は、お店やさんになるだなんて言えないのだ。田中すみれでないと、言えないのだ。
我がレンタルビデオ店から「火曜の映画少女」が来なくなってから、約半年ほどが過ぎた。
小松の生活もなんら変わりはないし、店も、アルバイトの面々も変わりはない。
店の業績も相変わらずだ。丸山は夏の頃より少し太ったくらいの変化だし、河田は時期リーダー候補の後輩を育て始めている、というくらいの変化だ。
季節が変わり、随分と寒くなった。そのくらいの変化だった。
ふと、田中すみれが現れた。
火曜日。午後四時三十分。
「あ、いた! 店長さん」
他に客は皆無で、すみれはレジへ駆けてくる。前より少し身長が伸びた気がするが、気のせいかもしれない。紺のダッフルコートに、白いニット帽を被っていた。
「ちょっと忙しくなちゃって。ごめんなさい」
謝ることでは全くない。レンタルビデオ店なんかには、好きなときに、好きなタイミングで来るべきだ。
小松は、店長の顔で応対する。「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「まあまあ、かな」
「今日は、何か借りて行かれますか?」
「ううん。今日は借りれないんだ」
引っ越すのだそうだ。
彼女は自らのことを全部喋った。
お芝居をやっているの。ここ最近来れなかったのは、長い撮影が入っちゃったの。引っ越しも、それで少し伸びちゃった。お母さんの実家に引っ越しをする。明後日に。ここには、もう来れなそう。
勧めてくれた映画、見た。見たよ。
すごく良かった。面白かった。伝えたかったけど、急に忙しくなっちゃって。
ごめんなさい。
「いいんですよ。あのときは、こういう映画は嫌いなのかと思い、心配でしたが」
「違うの。お話がちょっとすみれと似てて、なんだかあのときは嫌だった。けど」
店長さんが勧めてくれたんだもんね。
きっと面白いと思って見たら、やっぱり面白かった!
「お客様の言っていた『愛のある』映画でしたか?」
「とっても。愛だったよ」
そうか。良かった。本当に。
「店長さん、お父さんに少し似てるんだ。生きてたら、たぶん歳も同じくらい」
お父さんは、昔交通事故で死んじゃった。
すみれはあっさりと言った。
そこも映画と同じだったのだ。
「あのお話。似ていますが、違います。お客様とは」
すみれはうん、と頷く。
「すみれは、将来お店やさんになるんです」
あのときと、同じ台詞だ。同じだけど、より意志の強い言葉に感じた。
あの映画では、主人公の夢は舞台女優だった。
それは田中すみれの夢ではなかった。
「ありがとう。もう行くね」
丁寧に、深々とお辞儀をし、すみれは店の出口まで歩いて行く。
「ちょっと、待ってなさい」
小松はすみれを呼び止めた。
店長小松は、田中すみれを呼び止めた。
目を丸くする彼女をよそに、小松は商品棚へ駆けていく。ヒューマンドラマの棚。目的の映画はそこにあった。うちの店で一番、愛に溢れた映画だ。借りられては、いなかった。
外のパッケージごと棚から引っ張り出し、そのまんますみれに手渡した。
「持っていって下さい。返す必要はありません。なんとか、しておきますから」
すみれは最初は驚いた顔をしていたが、すぐに破顔した。口元が悪戯っぽく上弦の月を描いている。
「店長がそんなことしていいの?」
「店長だから、いいんですよ」
「ふーん。すみれは、そういう店長にはならないから」
「大人になったら、どうなるか分かりませんよ」
「分かるよ」
一頻り二人は笑った。
「夢、叶えて下さい。なんでも売ってるお店、斬新でいいと思います」
「はい、叶えます」
もう一度すみれは、深くお辞儀をした。
8
「店長、こんな感じでどうですかね?」
丸山がカラーマジックで文字を書き込んだ厚紙をひらひらさせた。そこには「こちらの棚を見ているアナタ! さては映画通ですね?! 往年の名作はコチラ!」と書いてある。可愛げのある丸い字が、文面とマッチしている。
「お、いいじゃないか。ラミネートして貼り付けよう」
了解です! と、丸山は鼻歌をふんふん歌いながら、ラミネーターの箱を取り出す。
動画配信によってますます便利になろうとも、店に来る客がいる。
河田が言っていたように、皆、店に来て迷いたいのかもしれない。であれば、楽しく迷わせて差し上げるのが、店長の仕事だ。小松少年の夢は、単なるお店やさんではなかった。「お客さんを笑顔にする」お店やさんなのだ。
「最近楽しそうですね、店長。いいことありました?」
「ん? いや、別に」
強いて言うなら、夢見る少女に「愛」を買ってあげたことくらいかな。
なんていう言葉が頭に浮かび、途端に薄ら寒くなって、口に出すのは止めた。
初めまして、かねとけいです。
お読みいただきましてありがとうございました。
今回が初投稿なので、これから短編、連載、がんぱって作品を増やして行きたいと思います!
よろしくお願い致します。