2話 胸のうち、不透明
「それじゃあ、行ってくるから。」
今日の雪は、お仕事のために朝から出かけてしまう。
普段は家で手作りアクセサリーを作って売る仕事なのだけど、月に何回か材料を揃えるために一日かけて遠いお店まで買い物に行くのだ。
雪は私と違って手先が器用だから、すぐに綺麗なアクセサリーを作ってしまう。
教えてもらっても私には無理だ。できることと言えば、せいぜい邪魔にならないよう静かにしていたり、座り仕事で疲れた雪のためにマッサージをしてあげることくらいだろう。
せっかく良い天気だし、今日は私も同じタイミングで出かけることを決めた。
追いかけるように玄関に来た私にビックリしたようだ。
「雪、待って。今日は私も外に行きたい。」
「えっ、木陰も今日は外に行くの!?」
「うん!良いお天気だしね。途中までお見送りするよ!」
「そう・・・。じゃあ、家の鍵かけちゃうから、私が帰るまで待っててくれる?」
少し不安げに黒い瞳が見つめてきた。
「もちろん!」
「暗くなる前には帰ってくるから、木陰も家の近くに居て。居なかったら探しに行かなくちゃ行けないし・・・。」
「分かったよー。」
安心させるように返事をする。雪は少々心配性だ。
いくら私が世間知らずだとしても、何か事件を起こしてしまうことなどないのだから、雪は気にせず出かければいいのだ。
こじんまりとした駅まで行けば、制服を着たお兄さんが眠たそうに雪の切符を切った。
「じゃあ、夕方には帰るからね。」
「うん!」
丁度電車の到着を知らせるベルが鳴った。
慣れた様子で乗り込む雪を見届けてから、私はカフェ・サンがオープンするまで時間を潰すために広場へ足を向けた。
広場に着けば、ご神木はいつもと変わらず悠々と枝を広げていた。
まだ朝早いのに、お日様は強めに自己主張しながら地面を照らしている。
今からこんなに暑くては、夏のゆだるような暑さは私には乗り越えられないのではないかとさえ思えてきてしまう。
「少し時間つぶしたら、葵のところに遊びに行こうかな。」
人気が無いのを良いことに、木の根元に少しだけ寝転がる。
時折吹く風だけは、まだ涼しげに春の名残を残していた。
日陰はまだ少し肌寒い。
程よく日差しが当たる草の上に身を投げ出せば、青々とした新鮮な匂いが体中を満たしてくれた。
「仕事してる雪には悪いなあ・・・。」
四角い箱で揺られている少女を思い描く。
言葉とは裏腹に、少しずつ身体の力が抜けて視界はまぶたで覆われていった。
―――ぇ、・・・て、ぁげ・・・。
―――・・・きて、こか・・・。
大好きな雪の声が、遠くから聞こえてくる。
この、声は。
もっと、優しく、私のことを呼んでいたはずなのに。
どうしてこんなにも無機質なのだろう。
「・・・起きて、木陰。」
呼ばれる声がハッキリするのと同じように、視界も徐々に明けてくる。
「ゆ、き?」
夜になるまで寝てしまったのだろうか。気がつけば辺りは真っ暗だ。
星も月も無く街灯も息を静めていて、まるで雪と私しかこの世に存在していないような錯覚に陥る。
「・・・あんた、何してるのよ。」
「えっと、ごめんね。気付いたら眠っちゃったみたいで・・・。」
おかしい。いつもなら、こんなことで怒るような彼女じゃなかったはずだ。
「勝手に抜け出して、言うことがそれ?」
冷たい声と冷たい顔で私に言葉を投げつけてきて、身体が強張る。
そうだ、私は家の近くに居るよう彼女から言いつけられていたはずだ。
しまった、と思ったが過ぎた失敗は巻き戻せない。
「ご、ごめん・・・。でも、いつもの広場だし・・・。」
取り繕おうとする私の言葉が更に癪に触ったのだろう。
端正な顔に憎悪の色が広がっていく。
違う。
私は、雪にそんな顔をさせたいわけじゃなくて。
「違うの、雪。話を聞いて・・・。」
「ふざけないで、言い訳なんて聞きたくない。」
「・・・ごめん、なさい。」
謝ることしかできない。
でもいくら謝ろうが、目の前の彼女はきっと、私を許す気が無い。
「雪、わ・・・私・・・!」
声が震える。
それすら彼女にはうっとおしいのだろう、憎憎しげに歯を食いしばっていた。
「あんたなんか、大嫌い。」
「雪っ!!!」
張り裂けんばかりの声で彼女を呼ぶ。
目の前には、今朝の風景がそのまま広がっていた。
空にはまだ燦々と太陽が居て、広場に着いたときよりも少しだけ影を濃くしていた。
雪の姿も無ければ、日が傾いた様子も無い。
つまりは、ただの夢だったということだろうか。
「・・・嫌な夢だなぁ!もー!!」
なまじ現実味がある夢だったせいで、今でも心臓は冷え切っていた。
日差しも相まって、体中が汗でぬれているような気がする。
顔に張り付いた草を取り払って、深呼吸。
変わらず草の香りが身体にしみこんで段々気分を落ち着かせてくれる。
しかし、胸につかえた不安感は消えることなく存在を主張し続けていた。
「でももし、夢じゃなくて本当に雪が私のこと嫌いだったら・・・。」
いつ、夢と同じように突き放されるかも分からないのだ。
「嫌だなぁ・・・。」
若草色の絨毯の輪郭が、あっという間に滲んでいった。
カラン、コロン。
「いらっしゃ―――、あら?」
重い扉を押し開ければ、先日料理を振舞ってくれたマスターが驚いたように見てきた。
「・・・こんにちは、マスター。」
「木陰ちゃんじゃないの。今日はひとりなの?雪ちゃんは?」
雪、と聞いて肩が跳ねる。
それを見てマスターは勘違いをしたようだった。
「もしかして、雪ちゃんと喧嘩したとか?」
「ち、ちがっ!」
「喧嘩は駄目よ。仲良くしなくっちゃね?ほらほらいらっしゃいな、美味しいご飯サービスしてあげるから。」
「喧嘩じゃないんですって!雪は多分何とも思ってない、・・・はず、だし。」
どうにも自信が持てなくて、文の終わりが尻すぼみしてしまった。
しかしマスターは聞く耳持たずといった様子で、私を葵の居るところまで案内してしまった。
「あれっ?木陰ちゃん、どうしたの!」
「ちょっと、今日はひとりでお散歩。」
「そうなんだ!でも、何だか顔が暗いよー?」
まだ夢のことを引きずっている私に、葵は「元気が出るように、とっておきの話を披露する!」と耳元に顔を寄せた。
「さっきのお客さんが話してたんだけど、実はこの町のどこかに魔女が居るんだって!」
「魔女・・・?」
「そう。髪の長ーい、木陰みたいに真っ黒な魔女!何かあったんなら、その魔女にお願い事をすればいいと思うの!」
少し眉唾な気もするが、確かに興味がそそられる。
「その魔女って、どこに居るの?」
葵は残念そうに目じりを下げた。
「それは、分かんない・・・。お客さんはこの町に居るってことと、『路地裏の魔女』ってことだけ話してたよ。」
「路地裏・・・。」
小さな町だ。範囲は広いが、探せないことは無さそうだ。
普段なら話半分で聞いていたかもしれない。
けれど、今は夢に惑わされていて何にでも縋りたい位に余裕が無かった。
「その魔女に頼めば、私ずっと雪と居られるかな?」
「・・・やっぱり、雪さんと喧嘩しちゃった?」
マスターと同じような顔で心配そうに見つめてくる。
「喧嘩じゃないよ!ただ、私が一方的に不安になってるだけ。ほら、私って何も出来ないから。」
自嘲的に言えば、澄んだ葵の瞳が瞬く。
「でも、雪さんは木陰ちゃんと居るだけで幸せそうだよ?」
「そう、かな?・・・でも、葵は看板娘としてお店の役に立ってるから。私もそんな風に、直接雪の役に立ちたい。」
そうでもしないと、いつ雪に捨てられるかも分からないような気がした。
「葵は、マスターのところで居候してるんだよね?」
「うんっ、マスター大好き!マスターのご飯、すっごく美味しいから幸せー!」
破顔して笑う葵の顔には、一切不信感は出ていなかった。
不信感の塊みたいな私とは大違いだ。
彼女にこんな相談をするのは、少しだけ心苦しかった。
「・・・たまにね、マスターは自分のことを追い出したりしないかって、不安にならない?」
ぱちくり、とアーモンド形の瞳が私の薄暗い姿を映していた。
「木陰ちゃん、雪ちゃんのこと嫌い?」
「えっ?」
想像もしていなかった質問に、虚を衝かれる。
「・・・好き。大好き。」
考えるまでも無く、自然と答えは出てきた。
私の答えに葵も満足そうだった。
「でしょっ?ずっと居たいなーって、思うでしょ?」
「・・・うん。」
「じゃあ、大丈夫よ!一緒に居れます、あたしが保障したげるっ!」
厨房で鼻歌を歌いながらフライパンを振っているマスターを、葵は愛おしそうに眺めている。
その瞳が、先日私達を見つめるマスターと雪の目にとてもよく似ていた気がした。
「あたしは、マスターが好き。ならマスターだってあたしのこと好きだよ。」
きっと雪さんも同じだと思うの。
そう言って葵は幸せそうにマスターを見つめていた。
葵のために料理を作るマスターを見ていると、私のためにご飯を用意してくれる雪と何も変わらない気がした。
星が数個瞬き始めた頃。
昼間の暑さを置き忘れたように、冷めた風が身体を撫でた。
遠くから近づいてくる影は、私の大好きな人。
両手に紙袋をいっぱい持って、行きよりも足を重そうにしながら歩いてくる。
「雪。」
短く一声かければ、彼女はすぐに私の声を拾って顔を上げた。
「ただいま、木陰。」
いつも通り、穏やかな雪の顔だ。
***
2つの影が、幸せそうにドアをくぐる。
とても馴染みのある因縁の相手。
「やっと、見つけた。」
ずっと会いたかった、かつての家族。
「絶対に許さない。」
長い髪をなびかせながら、黒い影は夕暮れに溶けていった。